一月。 年が明け、うざったい学校がまた始まった。 「ったく……面倒だな……」 空は青く、雲は白く、風は冷たい。つまり、なにもかもいつも通りってことだ。呆れるくらい代わり映えのしない、四角い屋上からの見慣れた景色。 「つまらねえ……」 確かなことは、吸い込むたびに感じる煙草の味だけだ。つくづく嫌になる。なにもかも意味がないから、死ぬ気力も湧きゃしない。 「すげぇショックなことでもあれば死ぬ気になれるんだろうけどな」 生憎、俺にはそんな入れ込んでることはないので、まあ「すげぇショックなこと」なんて起こらないだろうが。 一時期歌手の後追い自殺が話題になったことがあるが、いいね、そんなことで死ねるなんて素晴らしい。俺も見習いたいもんだ。 「……ん?」 メールだ。 エミ公くらいしか知らなかった俺のアドレスだが、何処のバカが喋ったのか、今ではそこそこの人間に知られてしまっている。 長々と説教をたれる榊。 訳のわからないハイテンションで顔文字満載のメールを送りつけてくる明日菜さん。 何故か須磨寺のヤツまで知ってやがった。たまに意味不明の馬鹿丁寧な文章を送ってくる。 幸いにして功は俺にメールするなんて非生産的なことはしないので、まだマシだが、これで功まで送り出したらさっさとアドレス変えちまうしかない。 で、メールは誰からかと言えば、 『いまどこ』 ……あのバカからだ。 相変わらず頭を使って無さそうな、短い文面。もう少しマシな文が書けないのか? 明日菜さんや真帆ちゃんほど凝れとは言わないが……せめて日本語送ってこいよ、日本語。 『屋上』 素早くそれだけ打ってレスを返す。 何度か煙草をふかしていると、またメールの着信音。 あのバカ、何度同じことをやりゃ気が済むんだよ…… 『そっちいっていいかな?』 いつか見たような文面。普通ならコピー&ペーストの楽な作業だが、あのバカに限ってそんなことしているはずがない。わざわざ一文字一文字細々打ってるんだろう、バカだから。まあ、『?』がついた分いつかよりは進歩してるか…… 『いちいち聞くな』 毎日毎日確認されたらパケ代が無意味にかさむ。ああ、栗原とメールすること自体パケ代どころか時間その他諸々ありとあらゆることの無駄って言えば無駄か。 『でもしもむらくんがいたらこまるし』 ……バカ。 「漢字使えっつーの……」 せめて句読点。無理か、栗原だもんな。 『功には適当にごまかしておくから、好きに来い』 そもそも栗原の屋上使用条件は『俺とセックスすること』のはずだから、まあ功をごまかすことくらいは、サービスしてやってもいいだろう。 『ありがと』 ……だから一々ンなことでメールを打つなっての。この辺、一度きっちり教育してやった方がいいな。 しかし栗原が来るのか。そう言えば一昨日《維納夜曲》に来た時に会っただけで、年明けてからロクに顔あわせてないな。 「別にあのバカの顔を見たからってなんにもなんないけどな……」 どうせ身体だけの関係だ。いや、年末の明日菜さんとのやりとりやら、榊にはめられたことやらを考えれば、ひょっとしたらもっと違う関係なのかもしれないが。とりあえずそれ以上考えるのは面倒なので考えないようにしている。あのバカのことでうだうだと俺が悩むのもむかつくし。栗原は温かくて柔らかい、それでいいじゃないかというのがひとまずの俺の結論だった。 「つくづく不健全な関係だ……」 栗原が俺のことをどう思ってるのかもわからない。まあ、別にどう思っていようと俺の知ったことじゃないが。 がちゃりと扉の開く鈍い音。 栗原が来たか。まあ、あの鈍い面も目を瞑れば見えなくなる。服を着たままキスするのだってそう悪くないってわかったから、とりあえずキスでも…… 「あ、校内でもタバコ吸ってるなんて……筋金入りの不良ね、時紀クン」 は? 「女の子が隣にいる時くらいは控えなさいよ? 最低限のデリカシーのない子は、お姉さんも嫌いになっちゃうぞ★」 そんなことを明るく言いながら扉から現れたのは、 「ぶっ!」 「あら、なに失礼な反応してるの。まだまだ現役で通用するでしょ? それともアタシみたいな年増が着たらダメかしら、ここの制服」 「あ、明日菜さん!?」 地味な色彩の中である意味極彩色の笑顔が浮かんでる――目の前でよよよと泣き真似をするこの人は麻生明日菜さん、俺のバイト先のケーキ屋《維納夜曲》の店長、おやっさんの姪で―― 「まだまだイケルと思うのよね〜」 なんと言うか――変な人だ。大人なのか、子供なのか。バカなのか、バカのフリをしているだけなのか。時々、ふと凄い真面目な顔もするのだが、 「あ、時紀クンなに変な顔してるのよ。そんなにおかしい? 頷いたりしたら、お姉さん泣いちゃうぞ★」 やっぱりタダのバカなんじゃないか……? 「い、いや……ビックリして……」 まあ、嘘は言ってない。 「あらそう? お姉さんの見知らぬ姿にドキドキ?」 「そうは言ってません」 「あら、つれないのね」 しなだれかかってくる明日菜さんを押しのけながら、煙草をもみ消す。栗原を呼び込んでしまった時のようなことがまたないように、最近は一応携帯灰皿を持ち歩いてるので、その中に吸殻を放り込んで、 「大体何しに来たんですか? まさか俺をからかうためだけに、そんなバカな格好で来たわけじゃないでしょう?」 「え? ううん、時紀クンに用事があったから、わざわざこうやってまで用意して、怪しまれないようにジョシコーセーに変装して来たのよ」 ……マジかよ。 そりゃ、明日菜さんは俺より年上とは言え、まだ女子大生だし知らないヤツから見れば高校生で通じないこともないだろうけど。 実際、俺も生徒全員のツラを覚えてるわけじゃない。そういう意味では私服で乗り込んでくるより目立たないのか……? 「けど、明日菜さん。ウチの制服なんてどうやって用意したんですか?」 確かに腰のリボンとか微妙にマニア好みっぽいからな。そこらに出回ってる可能性がなくもないが。 「あら、言ってなかった? アタシ、ここのOGなんだけど」 「……そうなんですか……って、それじゃますますヤバイじゃないですか! 卒業したのって二年前かそこらでしょう!? 先公の中には明日菜さんの顔覚えてるヤツ絶対いますよ!」 明日菜さんのことだ、在学中からさぞや派手に振る舞っていたに違いない。となると陰険橘あたりは確実に覚えてるだろう。 「大丈夫よ。大学入って随分雰囲気変わったから。信じられる? 昔アタシロングだったのよ?」 髪型だけでわからなくなるもんか……? 周りにいる女は皆髪が短いから、そういう変化はどうもよくわからない。 「まあ、どうせ見つかっても明日菜さんが摘み出されるだけですから、俺には関係ないですけど……」 ああ、こうして話してるところに踏み込まれたら関係者ってことで呼び出しの一つや二つはくらうかもしれないな、めんどくさい。 「で? そもそも俺に用事って一体なんなんです?」 明日菜さんのことだ。大したことじゃないと思うが。 「あ、うん。今日ヒマかなーって」 「はあ、ヒマはヒマですけど……それを聞くためにわざわざ?」 ケイタイで済む話だろう。 「あん。もうせっかちさんなんだから……すっごいイイ話を持ってきてあげたのよ? もう少し嬉しそうな顔したら?」 明日菜さんのイイ話……ダメだ、ロクなもんじゃない気がする。 「む。その顔は疑ってる顔ね」 「はあ……まあ、正直言って疑ってますね」 「ひっどーい! アタシってそんなに信用ない!?」 ないです。 まあ、それを正直に口にするとまたごねられるだろうから…… 「いや、明日菜さんがわざわざ高校に入り込んでまでする話なんて、思いつかないんで」 そういうことにしておこう。 「ふっふっふ、それじゃあ聞いて驚きなさい。なんとね……」 ばたん。 扉が閉まるクソ重々しい音がした。 げ。よりによってこんな時に……功か? それとも栗原か? 「木田君! また透子に冷たく当たったでしょう!」 榊っ!? た、確かに俺をはめた一件から榊は妙に絡んでくるようになったとは言え……このタイミングで屋上に来るなんて超能力でも持ってるんじゃねえか、コイツ! 「あ……」 怒鳴りながら踏み込んできた榊のつりあがっていた目が丸くなる。ああ、いっそショックでぶっ倒れてくれないもんか。 だが、生憎と俺の予想通り世の中が動いてくれたためしがない。 榊はつかつかつかと俺の目の前までいつもに輪を掛けて肩をいからせやってくると、 「最低! 信じられない!」 すぱーんと、それはもう爽快に音をたてる榊の平手。これで俺の頬が痛んでなきゃ「は、榊がまたやってるよ」で済むのによぉ…… 「なにしやがる……」 思わずうめくように言ってしまう俺。 クソ。なんだか知らんが、年末からどうも調子がおかしい。いつもの俺なら榊程度竦ませるのはわけないはずなのに……何故こうも一方的にやられるんだ。 「自分の胸に聞いてみなさいよ! 透子っていう可愛い彼女がいるくせに違う女の子屋上に連れ込んだりして! 浮気者! 甲斐性なし!」 誰が誰の彼女で、誰が可愛いって? 「あら。モテモテなのね、時紀クン」 明日菜さんも榊を挑発しないでくれ…… 「誰なの、貴女!? 木田君には透子っていうれっきとした彼女がいるんだから、変なちょっかい出さないで! 木田君も木田君よ! 透子だって未だに名字で呼んでるのに、馴れ馴れしく名前で呼ばれてニヤニヤしちゃって! 不潔よ!」 ニヤニヤなんかしてねぇ! クソ、誰かこの勘違いバカをどうにかしてくれ。大体明日菜さんの顔知ってるはずだろ、榊は…… 「黙ってないで何とか言いなさいよ!」 「お、落ち着け榊! お前だってこの人見たことあるだろ! バイト先、《維納夜曲》の先輩だよ!」 「え?」 俺の言葉にじーっと明日菜さんを見つめる榊。その榊にやっほーとばかりに手を振る明日菜さん。うう、榊のこめかみに青筋が増えていく…… 「……貴女、この学校の生徒だったんですか?」 ……榊。何時からおまえはそんなボケ女になった…… 「あら? 知らなかったの? もうすぐ卒業だけどねぇ〜」 「明日菜さん!」 これ以上大嘘ついて場を引っ掻き回されちゃたまらない。 「榊……この人は……アレだ、頭のちょっとあったかい人なんだ。気にするな。それと」 こう言うのもなんだが……まあ、嘘は言ってないからいいとしよう。 「栗原以外の女とどうこうしようって気はないから、その、そんな目くじら立てるな。一応俺なりに、それなりに大事にしてやってるから」 「それなり!?」 「いや、勿論出来るかぎりのことはしてやってるぞ、うん」 なんで俺、こんな低姿勢なんだ……? 「……ふん。まあ、いいわ。もし透子を泣かせるようなことがあったら……覚悟しなさいよ」 具体的にどうすると言わないあたり怖すぎる。 大体栗原が泣いたのはてめぇがケイタイ盗んだのが原因だろうが…… 「それで? 結局木田君のバイトの先輩がどうしてウチの制服を着て、わざわざ屋上まで来てるの?」 それを聞こうとしたところにおまえが乗り込んできたんだよ。まったく、ただでさえ変な状況をさらに奇妙にしやがって。 「……お話は終わった? 時紀クン★」 ……って、今度は明日菜さんが機嫌悪いし。 「誰の頭があったかいのかなぁ〜? 頭の悪いお姉さんにも説明してくれると嬉しいんだ・け・ど?」 いや、いきなり制服姿で乗り込んでくるのは十分頭があったかいと思うんだが…… 「そ、それは、ほら、アレですよ、いつも幸せそうで朗らかっていう意味で」 「そうなの? そうは聞こえなかったわよ」 榊! おまえは黙ってろ!! 「ふぅ〜ん。ま、いいでしょ。この追求はそのうちするとして……」 にんまりと嫌な笑い顔の明日菜さん。ああクソ、明日菜さんには気弱なところ見られたりとか、借りだらけだな。 「そろそろアタシが持ってきたスペシャルニュースを発表したいんだけど……いい?」 「あ……そういやそんなこと言ってましたね。いいっすよ。なんでも好きなこと言ってください」 明日菜さんのことだ。タチの悪いいたずらの可能性が高いが……もう、警察の世話になるようなこと以外ならなんでもいい。言うだけ言って気が済めば帰ってくれるだろうし。 「それでは発表しまーす。……コホン」 気分出しのつもりなのか、真面目な表情を作る。 「実はね……来ないの」 「は?」 思わずはもる俺と榊。 「来ないって……何がですか?」 眉を顰めて榊が聞く……って、ヤバイ! この文脈で来ないって言ったら、何が来ないかって丸わかりじゃないか! 慌てて明日菜さんの口を塞ごうとするも、このなんちゃって女子大生はひらりと俺の突進をかわすと、両手を頬にやりながら首をふりふり、 「ア・レに決まってるじゃない……時紀クン、男の子がいい? それとも女の子の方が?」 ……言いやがった。まさかとは思ったが、本気でンなベタなネタを口にするヤツがいるなんて…… 「……き・だ・く・ん?」 ……クソ、もう何も言う気力が湧かねえ…… 「どういうことなのか、せつめいしてくれる?」 平坦な口調が、逆に榊の怒りの大きさを物語っていた。榊……おまえ頭いいはずなのに、なんで栗原が絡むと見境なくすんだよ…… 「ちょっと待て榊。冷静になって考えろ……ってか、さっき俺が言ったこと思い出せ。栗原以外の女とどうこうする気はないって言っただろ?」 「そうね。真面目な顔で言うから騙されるところだったわ」 一刀両断。俺の話を信じる気なんかありゃしねぇ。 「最っ低! こんな男に近付くなんて、貴女もどうかしてるんじゃないですか? 悪いことは言いません。落ち着いて人生を考え直した方がいいですよ」 こいつ……否定できないところが悲しくはあるが、ロクに知らない相手のことをよくここまでボロクソに言えるな……栗原さえ絡んでなければもっとマシなヤツなんだろうが。 そう考えるとこいつら幼なじみらしいが、互いに悪影響しか与えてないんじゃないか? 栗原の昔なんざ知らないが、本当はちょっとトロいだけの、もう少しマトモなヤツで、榊が過保護にかまいすぎるから自分で何も出来なくなって、それがコンプレックスになって本当に何も出来なくなっちまった、とか。 それで榊の方もますます栗原をかまって、栗原に頼られることがアイデンティティーになってる…… 「あら。ヒドイ言い草ね。あなたこそ時紀クンの何を知ってるっていうの?」 おちゃらけた表情から一転、射貫くような鋭い瞳で榊を見つめる明日菜さん。こういう顔もするから、一概にこの人をバカだと決め付けられない。 「何って……だって、セックスのことしか考えてないような男ですよ! 透子とのメールのやりとりだってそう! 中身はいつも『セックスしたい』『セックスしないか』のどちらか! そんなの、透子が可哀相じゃないですか! いくら心のつなげ方がわからないからって、身体だけつながったって、なんの意味が……!」 げ、コイツまだあの時のことウジウジ悩んでるのかよ。てっきり自分の中である程度の結論は出したからこそ、あんなメール出して俺をはめたんだとばかり思ってたが……栗原、幼なじみで自分ばっかり助けられてることがコンプレックスなら、こういう時にこそ榊を支えてやれよ……って、無理か。栗原だもんな。トロくて抜けてて、救いようのないバカ、それが栗原だから。 「バカね……」 ふわりと、明日菜さんが榊を抱きしめる。 「な、なにするんですかっ!」 「何って……だっこ」 「だ……バ、バカにしてるんですか!?」 「バカになんかしないわよ。貴女のあなたの言いたいことも、共感は出来ないけど理解出来るもの」 じたばたと暴れる榊を、静かに抱きしめる明日菜さんの姿は、まるで宗教画に出てくる聖母のようだった。 静かな表情に浮かぶのは、溢れんばかりの慈愛。 俺は、年末に垣間見た明日菜さんのその顔を、まだ覚えている。多分、俺があの時潰れずにすんだのは、明日菜さんのおかげだ。 「でも、寒い屋上でこうしていると温かいでしょ? 身体だけのつながりでもね、ぬくもりはあるわ。心のつながりでしか得られないぬくもりがあるように、身体のつながりでしか得られないぬくもりもあるの。アタシも時紀クンと透子チャンの関係を詳しく知ってるわけじゃない……けど、透子チャンから時紀クンへ宛てたメールを見ちゃったことがある。他愛ない文面だったけど、あそこには透子チャンの真っ直ぐな想いがあったわ。言葉には出来ない、溢れんばかりの想いがね」 真剣な明日菜さんの言葉に、榊も暴れるのを止めた。顔を顰めてるけれど、豊かな胸に抱かれたままじっと話を聞いている。 「時紀クンはね、不器用なのよ。心でぬくもりを伝える手段を知らないの。だから、自分で出来ることで相手を温めようとする……それが、時紀クンなりのアイ・ラブ・ユー」 いつか聞いた言葉で、明日菜さんは語り終える。 自分のことを言われていると思うと、むず痒い。そんなくさいことを考えて栗原を抱いていたわけじゃないと思うのだが、反論しても返ってくるのは多分へんに優しい笑顔だけだろう。 「だからね。あまり責めないであげて? 彼はあなたが思っているより、彼自身が思っているより、きっと純粋でまっすぐで誠実な人なの。ちょっとばかり、ひねくれてるけどね★」 「あの、丸く収めてくれたところ悪いんですけど……」 「どうしたの、時紀クン?」 にっこり笑う明日菜さんだが、これだけは追求しておかねばなるまい。 「そもそも榊が切れたのって、明日菜さんのバカな冗談が原因なんすけど」 アレが来ないとか言うから、榊が爆発したのだ。 「いやね★ ちょっとしたパーティージョークじゃない」 誰が、何時、パーティーをした…… 「って、アレ冗談だったんですか!?」 気づけ榊、頼むから…… 「……っと」 メールだ。 『しーちゃんきてない?』 どこでなにをしているのやら、栗原からのメールだった。 『屋上にいる。鬱陶しいからつれてってくれ』 いい加減明日菜さんの話とやらを聞いて、帰りたい。そのためには榊は邪魔だ。生真面目、と言うか栗原バカな性格のコイツと明日菜さんでは相性が悪すぎる。 『なんてよむの?』 ……バカ。ああ、こんな漢字を栗原相手に使った俺がバカなのか。 『榊がじゃまだからつれてかえれって言ってるんだ、バカ』 これくらい書いても問題ないだろ。クソ、メールだとどんなに怒っても伝わりゃしねえ。せいぜい『!』を使うくらいだが、あまり増やしてもふざけてるようにしか見えないしな。 『ごめんなさい。いまからいくね』 ……ひょっとして墓穴掘ったか、俺? まあ栗原は榊以上に《維納夜曲》に寄ってるから、明日菜さんの顔がわからないなんて間抜けなことは……いや、そういう間抜けなことを平然とやるのが栗原だが。まあ、多分大丈夫だと思おう。そうじゃないと俺の神経が擦り切れる。 「激しいやりとりねぇ〜。透子チャンと?」 いつの間にやら榊を放していた明日菜さんが擦り寄ってくる。それを引き離しながら、 「ほっといてください。それより、さっさと重大ニュースでもなんでも、用件済ませて帰ってくださいよ」 こんなバカ騒ぎをしていたら、バカ教師どもも屋上が開いてることに気づきかねない。ここを閉鎖されたら俺はどこで時間を潰せばいいんだよ。 「まあまあ、もうすぐ透子チャンが来るんでしょ? ちょうどいいからその時に言うわよ」 メール覗かれてるし…… 不機嫌そうに視線を逸らす榊と、楽しげに鼻歌まで口ずさんでいる明日菜さんに挟まれ待つことしばらく、 風の音に紛れて、扉の開く鈍い音。 「ご、ごめんなさい。遅くなっちゃった……」 息を切らせながら入ってきたのは歩くメガネフレーム、もとい栗原透子。対外的には一応俺の交際相手、ということになっている。 まあ、俺にもよくわからない関係だが、既存の関係で言うとセックスフレンドが一番近いか。セックスでしかつながってないからな、俺たち。いや、本当にセックスしかないのかと問い詰められたら言葉に詰まるんだが。 「あ、あれ? 喫茶店のおねえさん?」 いくら栗原がバカでも、よく顔を合わせる明日菜さんのことは流石に覚えていたらしい。 「先輩さんだったんですかっ?」 ……前言撤回。やっぱりダメだ、コイツ。 「残念ながら違うのよねぇ〜。ああ、お姉さん透子チャンと一緒に学校通いたかったわ〜★」 ぎゅうと栗原を抱きしめる明日菜さん。 あ……これは、来るな。耳を塞ぐ。 「な、なにやってるんですかっ!!」 ほら、榊が爆発した。 「なにって……だっこ」 「それはさっき聞きました! 透子から離れてくださいっ!」 「えー。だって透子チャンってぇ、柔らかくて温かくてふかふかなんだものぉ。お姉さんのさむーい身体をあっためて★」 「え、えうぅ」 照れてるのかなんなのか、おかしなうめき声をあげる栗原。その様子に青筋を立てた榊は……って、なんで俺の方を向くんだ。 「……っ。木田君!」 俺にどうしろと。 「ンだよ」 「この人、なんていうの?」 「あ?」 「名前よ!」 「あ……麻生明日菜さん、だけど」 「やあねぇ照れちゃって。名前くらいは教えてあげるのに。で・も・電話番号は教えてあげられないなぁ〜」 なんでこの人は火に油を注ぐんだよ…… 「麻生さん! 透子が嫌がってるでしょう! 放してください」 「栗原が嫌がってるとかは正直どうでもいいですけど、話が進まないんで放してやってください」 「ちぇーっ」 栗原も榊もどうでもいいが、このままじゃ冗談抜きで屋上が閉鎖されてしまう。俺が榊の援護に入ったような形になると、嫌々といった風情で明日菜さんは栗原を放した。 「それじゃあまあ、そろそろ明日菜お姉さんからちょっと遅いお年玉をあげちゃおっかな」 にんまりと笑って、俺と栗原の顔を交互に見る。 なんだ? 俺と栗原になにか関係ある話なのか? 「実はね、オジサマの結婚記念日って今日なのよ」 「そうなんですか? お、おめでとうございます……」 何故か全然関係ない栗原が反応してるし…… 「ありがと、透子チャン。それでね、オジサマは駅前のホテルのゴージャスなディナーで結婚記念日を祝おうとしてたのよ」 「あの……おやっさんの結婚記念日が何か?」 それが俺にとってのイイ話になるなんて、どう繋がってるのかさっぱり想像できない。 「もうっ、せっかちさんは嫌われちゃうぞ★ ねえ、透子チャン?」 「え? え?」 「せっかちな時紀クンなんて、透子チャンも嫌よねぇ」 「え、えっと、そんなことないですよぉ。木田くんは、えっと、どんなときでも優しい木田くんだと思うから……」 ……コイツ、どんな幸せな脳みそしてるんだよ。流石に榊も苦虫を噛み潰したような、おかしな表情をしている。けらけら笑ってるのは明日菜さんだけだ。 「はいはい、ごちそーさま。それで、せっかちさんな時紀クンの疑問に答えるけど、オジサマたちに問題が発生しちゃったのよ」 「問題?」 「そ。珠美チャンがね、熱出して寝込んじゃってるの」 「たまみちゃん?」 ああ、聞いたことあるな。おやっさんの娘さんだっけ? 「オジサマの娘さんよ。ちっちゃくて可愛いの。透子チャンとおんなじくらいにね★」 「ふぇ」 確か小学四年生だったよな、おやっさんの娘さん。同列に並べられるのはどうかと思うぞ、栗原。 「それで残念ながらオジサマとオバサマのお出かけは取りやめ。ま、子供を放っておいて自分達の行事を優先するような人じゃないものね」 それは言えてる。おやっさんはあのごっつい面でなかなか子煩悩な人だし。 「で、キャンセル料を払うのも馬鹿馬鹿しいってことで、オジサマは気前よくアタシに『おい、明日菜。ヒマだったらでいいんだが……これでも行ってきたらどうだ?』ってな具合にディナーの席を譲ってくれたの」 「へえ。それは良かったですね」 結局与太話だった。 「なによ、他人事みたいに」 「百%他人事です」 どうも俺も一緒に、って感じの流れだが、明日菜さんと一緒にホテルのディナーなんて行く気力はない。 榊と栗原の手前だから、とかじゃなくて。 「もうっ。まだアタシがなにを言いたいかわからないの?」 わかってるから他人事扱いなんだが。 「アタシは、そのディナーを時紀クンと透子チャンにプレゼントしようって言ってるのっ」 「は?」 「え?」 「な」 重なる三者三様の反応。 ……って、明日菜さん今なんて言った? 「まあ、部屋は取ってないからその後しっぽり……というわけにはいかないけど? そのあたりは若いんだから工夫して」 「ちょ、ちょっと待ってください麻生さん! なんでわざわざそんなお膳立てをするんですか!」 真っ先に反応したのは榊だった。 「あら。あなただって時紀クンと透子チャンが普通につきあう分にはかまわないんでしょ? セックスだけってのがダメなんであって、ちょっと豪勢だけど食事を一緒にって言うのは、普通の交際に入ると思うわよ?」 「そ、それはそうですけどっ。よりによってホテルのディナーなんて……」 「部屋は取ってないから、夜のことと直結させるのは早計じゃなくって?」 からかうような、いや完全にからかい口調で気取ってみせる明日菜さん。榊……遊ばれてるな。いい気味だが。 「ひょっとしてあなた、髪伸びるの速かったりしない?」 「そ、それがなんなんですか!?」 「あら、知らないの? 髪が伸びるのが速い子ってHな子ってことなのよ」 「そ、そんなの迷信に決まってるでしょう!」 そう思ってるなら流せよ…… 「ほ、ほてるのでぃなー……」 栗原は栗原でいつにもましてぼけーっとしてやがるし。 「明日菜さん。本気ですか?」 「本気も本気、大マジよ」 ……ふむ。 ホテルのディナー。連れが栗原だと言うのは凄まじく不安要素だが、エミ公のハンバーグ攻撃に辟易している俺にとってマトモな食事と言うのは素晴らしく魅力的だ。出来れば受けたい。 「……いいんですか?」 「ちょっ、なに行く気になってるのよ、木田君!」 なんで榊がつっこむんだ。 「いいだろ。こんなチャンス二度とねえぞ。バイトの給料なんてたかが知れてるしな。栗原にいい目を見せてやるまたとない機会じゃないか。栗原だって行きたそうにしてるぞ」 榊は『栗原のために』って言葉に弱いだろう。 「う……それは、まあ……そうみたいね」 「ほら? イイ話だったでしょ、時紀クン★」 「そうですね……すいません、疑ってました」 ここは素直に頭を下げておこう。 「ふっふっふ。わかればよろしい。さてと、それじゃあ透子チャン、行きましょうか」 「ふえ?」 「お高いホテルのディナーよ? やっぱり、ばっちりおめかしして行かなきゃ」 ……なんだ、この明日菜さんのいつになく楽しげな雰囲気は。 「あ、時紀クンもね。スーツにネクタイで来るのよ」 「え? ね、ネクタイですか?」 「そ。格式あるところですもの。さあ透子チャン、お姉さんと一緒に行きましょうねぇ〜」 ぐいと栗原の背中を押して明日菜さんは扉へと向かう。 「あ、麻生さん!? ちょっと待ってください!!」 それを追う榊。 「それじゃ時紀クン、六時に《維納夜曲》に来てね。ばっちり変身した透子チャンを披露するから★」 「明日菜さん!? ……って、行っちまったよ」 ばたりと鈍い音を立てて扉が閉まると、屋上に残されたのは俺だけになる。冬風が身に凍みた。 「……スーツにネクタイ、ね。親父のがあったかな……」 うだつのあがらない親父だが、幸い体格だけはそれなりにいいので、多分大体合うだろ。 帰る前に一服するか。 「……ふぅ」 煙を肺の奥まで吸い込むと安心する。 最近この感触、味わってなかったな……栗原からのバカメールのレス打ったりして、なんだかんだで時間は潰れるからな。 「メンドくさい……」 メシは楽しみだが、あのトロくさい栗原同伴だと思うと、やはり少し憂鬱になる。 頼むから、俺に恥をかかせるような真似だけはするなよ…… ☆ ☆ ☆ 「……お?」 玄関にエミ公のと、見慣れない靴が一つ。 エミ公がダチを連れ込むなんて珍しいな。ま、正しくは俺に無断でという前置きが付く。 なにしろアレがダチを呼ぶときは、「クソバカお兄ぃ(俺のことだ)を見られたら恥ずかしいから七時過ぎまで帰ってくるな」とか、そんな風に騒ぐんだが。 「まあ、いいか」 わざわざエミ公にちょっかい出して余計に騒がれるのも面倒だ。だらだら寄り道してたせいで時間に余裕もなくなってることだし、さっさとスーツを借りて出かけることにしよう。 と言うわけで、久々に両親の部屋に入った。過労死寸前のリストラ候補の部屋なだけあって、とにかく生活臭がない……というのは年明け前の話。今は正月を挟んだだけあって、わずかばかりの人がいた感じが漂っている。 「スーツは……ここか?」 ビンゴ。ネクタイもずらりとそろっている。 しかしスーツの良し悪しなんてわからないしな……まあ、適当でいいか。どれも似たような感じなんだ、つまりどれを選んでも一緒ってことだ。 「あ……シャツは借りたくないな」 開封されてない買い置きがあればベストだが……生憎と見当たらない。 「クソ、やっぱ中もきっちりとしたワイシャツじゃないとマズイよな」 ……買ったきり年に数度しか袖を通してない学校指定のワイシャツがあった気がする。ソイツでいいか…… ってことは何か、押入れから引っ張り出さなきゃいけないわけか。 「メンドくせえ……」 今更「やめときます」って明日菜さんに言う方がもっとメンドくさいことになるな。仕方ない、探そう。 スーツの上下と適当に選んだネクタイを引っ掴んだまま自分の部屋に戻る。 幸いあまり物に執着のある性格じゃない。押入れから何まで基本的にがらがらだからすぐに見つかるはずだ……ほら、あった。 「ネクタイは……こうか?」 鏡を見ながら見よう見まねで締めてみるが、どうにもきまらない。 ネクタイなんか七五三以来だから、仕方ないと言えば仕方ないが……それにしてもウチの制服が学ランでよかった。毎朝こんな面倒なことしなきゃならんかと思うと、それだけで学校に行く気が失せる。 「……まあ、こんなもんだろ」 曲がってるような気もするが……見られないほどじゃない。 時間もないし、一応エミ公に晩飯はいらないと伝えてから出るか…… そう思いながら廊下に出ると、ちょうどエミ公の部屋の扉も開いたところだった。 「あ〜、お兄ぃスーツなんか着てるぅ〜!」 出たなバカ妹。その名をエミ公。 「本当。どうしたの、木田君。そんなにオシャレして」 そしてその後ろから須磨寺が現れた。玄関にあった靴はコイツのだったのか。 「挨拶が遅れたわね。お邪魔してます、木田君」 ぺこりと小さく頭を下げる須磨寺。真帆ちゃんと並んで、俺の身近にいる人間の中ではかなりマトモな方だ。 ……まあ、ある意味ではコイツが一番オカシイとも言えるのだが。少なくとも普段の言動を見たかぎりでは栗原バカの榊なんかよりよっぽど優等生だしな。 「先輩っ。バカお兄ぃなんかに気を遣うことないですよ。お父さんたちのお情けでおいてもらってるだけなんだからぁ〜」 やかましいぞエミ公。……ま、実際こんなロクデナシのゴクつぶしを養ってるんだから、肉親の情ってのはつくづく恐ろしい。俺ならとっくの昔に放り出してる。 ただ、俺らがどう思っていようが須磨寺は一般的見解で物を言うから、 「だめよ、恵美梨ちゃん。大事なお兄さんにそんなこと言っちゃ」 ほら、たしなめられた。 むくれるエミ公。前もこんなやりとりをしたってのに、学習能力のないヤツだ。 「あ……木田君、ネクタイ曲がってるわよ」 すっと須磨寺の細い指が俺の首元に伸びてきて、さっさっとネクタイの歪みをいじる。 鏡がなくて見えないが、なんだかさっきよりもすっきりした感じだ。 「なんと言うか……似合うな、おまえ」 「なにが?」 「いや、その『ネクタイが曲がっているわよ』っての」 なんだか、妙にサマになっていた。榊あたりもなんだか似合う気がする。何故だかわからないが。 「そうかしら? この場合は、ありがとうって言えばいいのかしらね」 「さあな」 正直須磨寺は不気味と言えば不気味だが、バカな栗原やエミ公、敵対心剥き出しの榊なんかに比べて理性的だから、結果として一番話しやすかったりする。 「ありがとな。まあ、何もない家だけどゆっくりしてってくれ」 「ぶぅ、それはお兄ぃの言うことじゃないーっ!」 何か言わなければ言わないで、「礼儀知らずのバカお兄ぃ」とか言い出すくせに、勝手なヤツだ。 「あ、晩飯いらないから。材料余ってるんだったら須磨寺にでも食ってもらえ」 「え? なんでご飯いらないの?」 「外で食ってくるからに決まってるだろ。たまには脳ミソ使え、早くぼけるぞ」 「むかっ、なによそれ!」 「じゃあな」 エミ公がなにか捲くし立ててるが、まあ須磨寺が適当に宥めてくれるだろう。 さっさと家を出て……と、靴もスニーカーじゃまずいよな。仕方ない、確か奥の方に入学の時に買った革靴が…… 「……と、あった」 若干きついが、どうせ今晩だけだ、我慢しよう。 着慣れないスーツだと走りにくいので、早足程度で《維納夜曲》に向かう。そう言えばおやっさんも、おやっさんの奥さんも娘さんの面倒を見てるんじゃ店は休みなんだよな、須磨寺も俺の家にいたし、明日菜さんは……あてにならないか、あの人は。 そんなことを考えているうちに、店に到着。さて、どっから入ればいいんだ……? 「意外に早かったわね。時間、守るタイプには見えないけど」 「榊」 棘まみれの言葉を投げかけながら、榊が『Closed』と書かれた札の掛かったドアから出てくる。 俺を目の前にして珍しいことに、その顔には微笑みが浮かんでいる。 「何笑ってるんだ……?」 「それは入ってのお楽しみ。驚くわよ、木田君」 ……信じられん。榊が俺を前にして機嫌良さそうだ。 「なんだよ。アレか? オシャレした栗原がそんなに間抜けだったか……ぐっ」 ヤロウ……容赦なく肘入れやがったな。 「馬鹿なこと言わないで……まあ、いいわ」 いいなら暴力行為に走るなよ。 「自分の言葉、後悔しなさい……麻生さん、木田君が来ました」 榊が奥に声をかけると、 「あら。結構早かったのね」 そう言いながら、夕方の奇天烈な制服姿じゃない、いつも通り私服を着た明日菜さんが出てきた。 「栗原は?」 「慌てないの。まずは大きく深呼吸して、気持ちを落ち着けといた方がいいわよ★」 なんなんだ? あのメガネフレーム女が多少めかしこんだところでそんなに大差はないだろ。しかも誇張癖のある明日菜さんと栗原バカの榊の意見じゃますます信用できない。 「ほら、時紀クン。大きく深呼吸だってば」 「わかりましたよ」 まあ、ここまで来たんだからそれくらいは付き合おう。家からずっと早足で多少呼吸も乱れてるしな。 「よしよし、聞き分けのいい子、お姉さん好きよ」 「どうでもいいから、さっさと栗原呼んでください」 「もう。つれないわね……透子チャーン、いいわよ。出てきなさい」 「は、はぁい……」 ……は? 「あの……明日菜さん?」 「あぁら、どうしたの時紀クン? 顔が赤いわよぉ?」 っ! く、くそ否定できない。 だ、誰だよコイツ!? これが栗原だって? 納得できるか!! 「へ、へんかなぁ……?」 奥から姿を現した美女……ああ、もう、腹立たしいが認めるしかない。俺は彼女の姿に、目を奪われた。 その身を包むのは、柔らかな白のパーティードレス。肩や胸元を大きく露出しているのにも関わらず、少しも下品に見えないのは何故なのか。 栗原の野暮ったさの象徴のような太い黒縁メガネは、ノーフレームのものと交換されていて、うっすらと化粧を施されたその顔はじっくり見ても栗原とは思えないほど。 しかも、肩くらいでかなり適当に揃えられていた髪が、どんな魔法を使ったのか背中の中ほどまで伸びている。 「栗原……だよ、な」 「う、うん……えへへ、こんなにオシャレしたの、初めて。おかしくないかな……?」 「……っ」 ちょっと待て俺。 今なんて思った? 相手は栗原だぞ。なんでメガネフレームに対して可愛いなんて思わなきゃいけないんだ……!? 「あらぁ、思った以上の反応ね★」 「意外……木田君って、もっと何に関してもドライだと思っていたわ」 外野がなにか言っているようだが……クソ、こんな姿いつまでも見せられるか! 「ぅ……い、行くぞ栗原!」 「あ……」 「あらあらぁ、お熱いわね〜」 「木田君! ちゃんと家まで送るのよ!!」 「い、いってきまぁ〜す」 ヒールが慣れないのか、よたよたと歩く栗原を引っ張って店の外に出る。 アレ以上店の中にいたら、一生明日菜さんと榊に笑いものにされること間違いなしだ……クソ。 「わっわっ、待ってよぉ木田くぅん……転んじゃうよぉ〜」 こうして後ろから情けない声が聞こえてくるかぎりは、一緒にいるのが栗原だってわかるのに。 なんだあの姿。反則だろ、いくらなんでも。 しかしこの汚れやすそうな格好で転ばれても面倒だ。少し立ち止まって待ってやる。 「ご、ごめんね。こんな靴はいたことなくて……」 ああ、そうだろうとも。ヒールを履く栗原なんて栗原じゃない。 「……髪」 「ふぇ?」 「髪。なんで急に伸びたんだよ」 一度黙ると何も言えなくなる気がしたので、浮かんだ端から言葉を口にする。 「えっとね、これ、カツラなの……ほんとはもっとオシャレな名前があるらしいんだけど……えへへ、おぼえられなかった」 笑い事かバカ。 「そうか。長い髪も悪くないな」 「ほ、ほんと!? じゃ、じゃあ伸ばそっかな……」 「……前言撤回。おまえは短い方がいいや」 「そ、そう……?」 髪が長くなったくらいで栗原程度におたつくとは思わないが、今の姿を思い出すきっかけになっちまうかもしれないしな。 「じゃ、じゃあ伸ばさないっ」 本当に今日は珍しいことずくめだ。栗原が、なんの気負いもない笑顔でいるなんて…… 「おまえ、なにがそんなに楽しいんだよ」 「え? だ、だって木田くん、手ぇつないでくれてるし……オシャレもさせてもらったし……」 ……そう言えば、店を出るとき引っ掴んだままだったな。 「手繋いだくらいでそんなに楽しいか?」 「……うん。だって、あったかいもんっ」 「……まあ、な」 空気が冷たい分、確かにひっついてる手の平はあたたかい。 「それに……」 「なんだよ、まだなんかあるのか?」 「木田くん、笑ってるから……嬉しいの。木田くんも楽しそうなんだもん」 ……は? マジかよ。足を止め、栗原の手を掴んでるのと逆の手で頬を触ってみると、妙な形になってやがる。 ……クソ、信じられねぇ。 なにが信じられないって、 「……そうだな、楽しいかもしれない」 そう思えることが、なにより信じられねえ。 バカ栗原と一緒にいて、セックスしてないのに楽しいなんて。どうかしちまったのか、俺? 「……アホらしい」 「木田くん……?」 別に、セックスだけが楽しいことだって、誰が決めた? いいじゃないか、バカ栗原が隣りにいて楽しいと思っても。それを愛だの恋だのと結び付けようと考えるから、破綻するんだ。 「俺たちらしく、今が楽しければそれでいいよな……」 「え、えっと、よくわかんないけど……木田くんが楽しいなら、きっとあたしも楽しいから。たぶん、それでいいよ」 ……そうだな、こんなナリしてるけど、こいつは柔らかくてあたたかくて、抱き心地のいい栗原だ。それに間違いはない。 ああ、ついでにもう少しこのバカを楽しくしてやるか。 「おい。もう少し寄れよ、透子」 「うんっ……え?」 「なんだ、目だけじゃなくて耳も悪くなったのか」 「そ、そうじゃなくってぇ……今、あたしのこと……」 「ああ。透子って呼んだよ。そう呼んだからって何が変わるワケじゃないけど、多分、こう呼んだ方がおまえは嬉しいだろ?」 「う、うんっ、うんっ。あ、あたし……っ」 「ま、今のカッコには驚かせてもらったし。その礼代わりと言うか。ほら、ギブ&テイクが俺たちの関係だしな」 「そ、そんなのあたしの方がもらいすぎになっちゃう……」 「そう思ってるなら、たっぷりあっちの方でサービスしてくれりゃいいよ」 「う、うんっ。あたしがんばるから……っ」 俺は笑って栗原と繋いだ手に力を込めた。 こんなのただの気まぐれだ。明日になれば、ひょっとしたらホテルでメシ食ってる最中にも、またコイツが鬱陶しくなるかもしれない。 そう、俺たちの関係はそんなもんだ。 けれど今は、このバカに笑っていて欲しいと、そんな風に思う。 まあ、きっとそれでいいんだろう。 永遠でも、真実でなくても、今ここにある想いが積み重なっていけば、いつか想い出に変わるときには、美しい何かになっている、そんな気がするから。 刹那的で、偽りでかまわない。 俺は、 「行くぞ、透子っ」 「うんっ」 ただ、胸にある想いに従って、透子の手を引いて歩き出した。 |