創作物へ
 
遠坂凛は誇り高い少女である。
齢十に届かぬ年でありながら、その知識、意志の強さはそんじょそこいらの大人にだって負けていない。むしろ勝っている。
彼女は真っ直ぐ前を見据え、邁進する。そこには迷いも、躊躇いもない。ただひたすらに真っ直ぐ。その在り方は誰もが羨むことだろう。反省すれども後悔せず、なんて生き方、どれほどの人が出来ていることやら。
さて、そんな彼女であるが実は天涯孤独の身である。いや、血の繋がった妹がいるのだが、色々事情があって妹はいないとしなければならない。この辺り複雑な感情があるのだが、本筋と関係ないので省く。
そのこと自体に彼女は最早何の感慨も抱いていない。魔術師の家に生まれ、生粋の魔術師に短い間とは言え育てられたのだ。魔術師は己のみで立つものだなんてことはとっくの昔に解っている。
とは言え、彼女がまだ一桁のお子様だと言うのもまた事実である。父との今生の別れを悟っていながら涙一つ流さなかったとは言っても、やはり寂しさだとか、そんなものに襲われることだってあった。そんな時公園に行って妙に熱血漢な少年とやり合うとちょっと元気が出てきたりするのだが、それもまた本筋と関係ないのでここでは語らない。
ぞろぞろと集まってくる父兄の方々を視界の端に捉え、凛は小さくため息をつく。
集団下校に並ぶ小学校にしか存在しないイベント、授業参観。今日はまさにその日であった。
まだ休み時間なため、親同士が歓談していたり、生徒も自分の親のところに行って甘えたりと、いつもはない喧騒に校内は包まれていた。
そんな中にいると、
「……はぁ」
己のイレギュラーっぷりが浮き彫りにされ、なんだか凛は憂鬱になる。単に参観する人がいないから寂しい、などという理由ではない。後悔なんて微塵もしていないが、それでも魔術師と言う現代社会から見れば異端の道を歩んでいる我が身を振り返って、複雑な気分になっているだけである。
「ねぇ、凛ちゃんのおかあさんは来ないの?」
無邪気なクラスメートが聞いてくるのを、
「うん。残念だけれど」
微笑んでさらりとかわし、それだけで凛に興味を失って母親の所に行ってしまった級友の背中に向かってまたため息を一つ。
担任教師は両親不在の遠坂家の家庭環境を知っているのだが、父兄に囲まれて凛に近づけないでいる。まあ、凛としては下手な慰めの言葉をかけられるのも嫌なので、むしろその状況はありがたいのだが。
親戚でもいれば対外的なカモフラージュに呼ぶことも出来たのだろう。しかし、日本有数の霊地を管理するほどの名家である遠坂家ではあるが、何故か分家のようなものは一切存在せず、家に迎え入れるのも一匹狼的な魔術師だけだったため、数百年にわたる遠坂の血脈を継承するのは凛一人と言って過言ではなかった。まあ、一応一人遠縁と言えなくもない人物が頭に思い浮かばないではないのだが、おいそれと連絡が取れる相手ではないし、そもそも、
(言えないわよ……大師父に向かって「授業参観に来てください」なんて)
まあ、言ってみたら意外に乗り気でやって来そうな感じがなくもないけれど。
雲の上の人と言うか、地平の彼方の人なので論外である。
そうこうしているうちに低いチャイムが鳴り響いた。ぞろぞろと生徒は着席し、父兄は後ろの壁沿いに並ぶ。
慣れない後ろからの視線にもじもじする生徒達の中、凛はまったく動じずに授業の準備を進めた。ちなみに科目は国語。算数などと違い、ある程度質問に融通がきくためだからだろうか。
どこか浮ついた空気の中、授業が始められた。
いつもなら適当に手を挙げる凛だったが、今日ばかりは他の父兄が来ている級友達の邪魔をしないよう、板書に専念する。小学生の授業など今更ではあるが、『どんな時でも余裕を持って優雅たれ』との家訓を守り、凛は誰から見ても完璧な優等生を演じきっているのでノートも真面目に取っておかなければならないのだ。ノートは取らないが成績はやけに良い、では妙に目立ってしまう。
そんな凛の思惑とは関係なく、授業参観は大変和やかに進む。ほとんど、と言うか凛以外の生徒全員が父兄を意識して多少ギクシャクしているものの、概ね普段どおりの授業が行われていると言っていい。
異変は、授業開始後十分ほどで起こった。
軽い音をたてて教室の後ろ扉が開く。遅れていた父兄だろう、まだ父兄が来ていない生徒は勿論のこと父兄が来ている生徒も乱入者の方へと視線を向ける。凛一人がまったく興味を抱かずに前を向いていた。自分に関わりのある者が来るはずはないし、そうでなければ誰が入ってきても同じである。凛にとって有象無象の視線など無いに等しい。
だがそんな凛の平然とした態度は、
「失礼。少し遅くなってしまったようだ」
そんな聞きなれた声によって粉砕された。
「綺礼!?」
思いっきり椅子を跳ね飛ばして、凛は立ち上がる。その勢いのままぶんと音が鳴りそうな勢いで、声の方へと視線を向ける。
入ってきたのは教室とあまりにもそぐわない、青年と言っていい年頃の男。二十代の終わりか、三十路の頭か、多く見積もっても凛くらいの子供がいる年には見えない。とは言え、青年の違和感は若さから発せられているのではなかった。黒衣と、首からさげた質素な十字架と、どこからどう見ても聖職者そのものの姿に、凛以外の人は唖然としたのだ。なにしろ神父など普通に暮らしている分には会うものではない。同じ聖職者でも、まだ坊主や宮司の方が見る機会は多いだろう。
「あの、貴方は……?」
別に父兄の出席を取るわけではないから、確認する必要は無いのだが、珍しい風体に思わず担任の口から疑問が漏れた。
「言峰綺礼。そこの遠坂凛の後見をしている」
特別力を込めた言葉で無いにもかかわらず、教室中がその一言に威圧される。言葉、顔つき、立ち振る舞い、その全てが無闇に重々しい。
「授業を中断させてしまったかね?」
「あ、い、いいえ。大丈夫です、問題ありませ、ん」
ぷるぷる首を振る担任に鷹揚に頷くと、言峰は父兄の一番端へ陣取った。無意識の内に、隣にいた男性は言峰と大きく距離をとる。
「凛。何時まで惚けているつもりだ。前を向いて授業に戻れ」
「っ! ええ、わかっていますわよ綺礼叔父様!」
年寄り扱いしてやったのに言峰は一笑に付すだけであった。
(あ、アイツ……なんのつもりよっ!)
叫びだしたいのを我慢して、椅子を正して授業に戻る。
言峰綺礼。新都にある教会の神父にして、魔術師。凛の父に師事していたため凛にとっては兄弟子になり、父から凛への教育を引き継いだためいまや師でもある。さらに言うなら両親ともに亡くした凛の法的な後見人であり、世間一般の見方で言うなら親代わりの人物ということになる。つまり、授業参観へ参加するのに十分値する関係ではあるのだが。
べきりと音をたて、凛の小さな手の中で鉛筆がへし折れていた。周りが言峰に威圧されて気づいていないのは不幸中の幸いと言うか。この上素手で鉛筆をへし折っているところなど見られては培ってきた優等生のイメージも粉々であろう。
それからの数十分は、なんとも奇妙な時間だった。先ほどまでの和やかな空気は夢か幻、ただ一人の青年がいるだけで教室の空気が失われたよう、ならば教室と言う一つの閉ざされた空間にいる人々は窒息する魚とでも言おうか。
チャイムが鳴ると同時に普段なら騒がしさを取り戻す子供達が、一言も発しない。そんな中凛一人だけが立ち上がり、後ろに並ぶ父兄のもとへと足を進め、
「綺礼、ちょっと」
黒衣の裾をぐいと掴み、廊下に連れ出す。
青年の姿が廊下に消えると同時に、教室内はまるで魔法を解かれたかのようにざわめきを取り戻した。
「なんのつもり?」
ぎろりと、とても担任や級友には見せられない目つきで言峰を睨みつける凛だが、彼は素知らぬ顔で、
「何のつもりも無かろう。授業参観に後見人の私が訪れて、それこそ何の問題がある」
まあ、世間一般の理屈からすればそうなのだが。
「あのねぇ、アンタみたいに存在そのものが不吉なヤツはその場にいるだけで迷惑なのよ! さっきまでの教室のただならぬ雰囲気、全部アンタのせいよ!」
小声で怒鳴ると言う器用な真似をする。
「大体授業参観があるってことすら教えてないのに、なんで来たのよ」
「年間行事は把握済みだ」
「はあ!?」
「次は……確か五月の末に運動会だったな」
「…………」
来る。来るなと言ってもこの男は絶対に来る。それは最早確信であった。
「あのねぇ綺礼、確かに貴方はわたしの後見人かもしれない。けど、だからと言ってわざわざ学校行事にまで参加することないでしょ?」
「気にすることはない。師からお前を任せると仰せつかったからな」
「お父さまが存命の時だって、別にお父さまは学校行事になんか来なかったわ」
「師は忙しい方だったからな、無理もなかろう。だが私は幸い時間に融通のきく職業であるし、高みを目指そうという気もない」
「っ、ああ言えばこう言う……っ!」
兄弟子で師でもあるとは言え、凛はこの青年のことが大層苦手である。嫌っているわけではないが、相性から言えば天敵と言っても過言ではない。
「凛ちゃーん、帰りの会はじまるよ〜」
言峰と言い合っている(と言うより凛が一方的に非難しているだけだが)うちに、級友が廊下に顔を出した。
「ごめんね、すぐ行くから」
外面にこやかに言って追い返し、呪わんばかりの目つきで言峰を睨み、
「とにかく、さっさと教会へ帰って。迷惑だから、今後は必要な時以外来ないでね」
「ふむ。私なりの善意だったのだがな。余計なお世話だったと言うことか」
「その通りよ」
然程残念そうでも無く呟く言峰に、「べーっ」と凛にしては珍しい子供っぽい仕草。
「しかしせっかく此処まで来たのだ。帰りがけに食事でもどうだ?」
「食事?」
この男が外食と言ったら口に出る店は決まっている。凛が投げやりな視線を送ると、
「〈泰山〉で麻婆豆腐でも」
「お断りよ!」
きっぱりと言い捨てて、きびすを返す。華麗にターンした華奢な足は美しい弧を描き、言峰の脛を踵で直撃した。

創作物へ
inserted by FC2 system