士郎と桜は居間に並んで座っていた。 台所ではライダーが皿洗いをしている。いつもなら皿洗いは桜とライダー、士郎と桜のように桜と誰かの二人でしているのだが、今日に限ってライダーが、 『洗い物は私がします。二人は居間でゆっくりしていてください』 なんて、珍しいことを言い出したのだ。 確かにライダーがこの衛宮家で暮らし始めた当初はサーヴァントである身で主の桜が働いているのを黙ってみているわけにはいかないと、あれやこれや手伝いたがっていたが、桜がそのあれやこれやを楽しんでやっているのを感じると必要以上に手伝おうとはしなくなった。 それが今日は、頑なに自分がやると主張し、 『今日は二人にお願いがあります。ですので、二人は居間で私の話を聞く心構えをしてください』 なんて言って、自己封印・暗黒神殿をずらそうとまでしたのだ。 そうまで言われては桜も士郎も手伝えない。そんなわけで、こうして二人して居間でぼーっとテレビを見ているのだった。 「先輩、ライダーのお願いってなんでしょうね?」 「なんだろうな? ライダーのことだから、そう無茶なことは言わないと思うんだけど」 などと話していると、 「お待たせしました」 一礼しながら、ライダーが台所から戻ってきた。 ボンテージのような、固まった血色のワンピース。手足を覆う同じ素材。従属していることをあらわしているのか、嵌められた首輪は匂い立つような色香を持つ彼女を見る者に嗜虐欲を抱かせる。 ただ、ひまわりのアップリケが縫いこまれたエプロンを身につけているため、なんか色んなものが台無しだった。まあ大きく肩を露出した衣装のせいで正面から見ると素肌にエプロンだけつけているように見えて、士郎などは目のやり場に困ってしまうのだが、エプロンをつけていなければいないで、桜に勝るとも劣らない豊かな胸元が否応無しに目に入ってしまうため、どの道士郎にとって目の毒なことに変わりはない。 お盆に載せていた湯飲みを士郎と桜、そして自分の前に置き、二人の向かいに正座する。 目に見えて緊張している様子のライダーに、士郎と桜も思わず息をのんだ。 あのライダーがここまで思い詰めるほどのお願い。 (ひょ、ひょっとして吸血衝動が抑えられなくなったとか!?) (ら、ライダーが吸血するのは魔力補給のためであって、衝動なんかないと思うんですけど……) ひそひそと言い合う恋人同士。 雑談がてらにライダーの力を聞いた折に『吸血によって魔力を摂取できる』との話は聞いているが、それは『可能』であるだけで『必要』だということではなかったはずだ。ましてやライダーを現界させているのは元聖杯の桜である。魔力が足りないなどということはありえないはずなのだが。 しばらく顔を見合わせ、 「……それでライダー、お願いってなんだ?」 緊張でからからになってしまった口の中を緑茶で潤し、士郎が口火を切った。 「…………」 士郎に促され、なお黙ったままのライダー。 これはおおごとだ。 「ねえライダー。ライダーには色々助けてもらったし、今では大切な家族だとわたしも先輩も思ってるわ」 「ああ。だからライダー、遠慮なんてしなくていいんだぞ。そりゃ俺たちに出来ることなんてたかが知れてるけど」 「サクラ……士郎……」 ありがとうございます、などと呟きながら手近にあった布で目元をぬぐうライダー。 「ライダー……それ、台布巾……」 しかも自己封印・暗黒神殿の上からだから無意味っぽい。 「ま、まあ、とにかく、俺も桜もやれるだけのことはするからさ、とにかくお願いを言ってみてくれ」 「は、はい」 士郎に促され、ライダーは居住まいを正す。 「その、聖杯戦争も終わりましたし、出来ればクラス名ではなく……」 くわっと主とその恋人の方へと睨む(雰囲気)ように見つめ、 「真名で呼んでください!」 「……どうしたのですか、二人とも」 仲良くずっこけた士郎と桜を、不思議そうに見るライダー。 「な、なんでもないの。気にしないで、ライダー」 「そ、そうだぞライダー。ライダーが気にすることじゃない」 慌てて起き上がり口走る二人に、ライダーは形のいい眉を顰める。 その反応に、 「あ……そ、そうか。ライダーって呼ばれたくないんだっけ」 「はい。ライダーはあくまで聖杯によって割り振られたクラスです。先日サクラは部活の主将に選ばれたと言っていましたね?」 「え、ええ」 「私がライダーと呼ばれるのは、サクラがシュショウと呼ばれるのと同じようなものです。聖杯戦争の最中であれば勿論ライダーと呼ばれることに異存はありませんが、その聖杯戦争も終わりましたし……ライダーと呼ばれるのは、正直寂しい」 俯くライダー。 「……そっか、そうだよな。ごめん」 「わたしもごめんなさい。大切な家族なのに、いつまでもクラス名で呼ぶのは変ですよね」 そしてライダーの真名を思い浮かべ、 「…………」 士郎と桜は、またまた顔を見合わせた。 ライダーの真名、それは、 「あー……ライダーの真名って、確か」 「メドゥーサ、でしたっけ」 そう、メドゥーサである。ギリシア神話で語られるゴルゴン三姉妹の末妹、支配する女の意を持つ名前。 「はい、私の真名はメドゥーサです……それが、なにか?」 気まずそうに顔を見合わせる主たちを怪訝な顔で見るライダー。 困ったのは士郎と桜である。 確かにメドゥーサはゴルゴン三姉妹の末妹の名前であるが、こと日本においてはもはや種族名となっている節がある。言うなればゴブリン、コボルトと同じ、十把一絡げのザコ。 よほど詳しくギリシア神話を書いたものでなければ、ペルセウスに退治されるだけのやられ役だ。しかも元々は美しい娘であったのを神々によって醜い魔物とされてしまったことは言及されないのに、髪が蛇で大きな牙に翼を持つ、見た者を恐怖のあまり石化させてしまうほど恐ろしい顔をしているなんてことばかりは書かれてしまう。 少し話がそれたが、とにかくメドゥーサという名前にいい印象は皆無だと言えよう。ライダーという名前も大概妙だが、まだあだ名だと言い張れば言い張れないこともない。だが、メドゥーサではあだ名だなんて言い訳も通じないだろう。珍走族じゃあるまいし、誰が好き好んでメドゥーサなどと呼ばれたがるものか。 ……まあ、ライダーの場合それが本名なのだから困りものである。 「……えーっと、メドゥーサ?」 「はい」 真名での呼びかけに、心なしか嬉しそうなライダー、もといメドゥーサ。 「……先輩」 困ったように士郎を見遣る桜。その視線に士郎はしばらく迷ったあとで、 「……メドゥーサ、ちょっと図書館行こう」 「図書館……ですか?」 「ああ。その上で、判断してくれ……って、その格好で外出するわけにはいかないよな」 士郎の発言からなんやかんやとあって、数時間後。 夕陽が射し込む図書館の片隅で、ジャージ姿のメドゥーサが涙ぐみながら、 「ライダーでいいです……」 なんて言ったのはまあ、描かれ方からすれば当たり前だったり。 |