「はぁ……」 アルトリアの小さなため息。 雑踏であれば消え去ってしまうであろうそれは、静かな衛宮家の食卓においてはひどくよく響いた。 当然、家主の士郎は慌て顔で、 「ど、どうしたアルトリア、味付けおかしかったか?」 なんて聞くことになる。 純粋にアルトリアを失望させてしまったのかという思いが八割。フルアーマー化したセイバーにしこたま殴られることに対する恐怖が二割。 「い、いえ。そんなことはありませんシロウ。シロウの朝食は、いつも通りとても美味しい」 アルトリアも慌て顔でぷるぷる顔を振って士郎の言葉を否定する。 そして、 「ただ、シロウの料理は素晴らしいと思っただけです。ですから」 心底幸せそうに微笑んで、 「今のため息は失望ではなく、感嘆のため息です」 なんて言った。 士郎は一瞬ぽかんとしたあと、照れくさそうに頭をかいて、 「ありがと、アルトリア。けど……」 アルトリアが箸で器用に摘んでいる、おかずの一品に目をやる。 「単なる卵焼きでそこまで誉められると……」 アルトリアが真面目なのはわかってるけど、どうにも変な気分になってしまう。 苦笑いの士郎に、アルトリアは変わらず幸せそうな顔で、 「何を言うのですシロウ。この金糸の繭のように美しい卵焼きを単なる、などと」 「ぶっ!」 アルトリアの大袈裟すぎる形容に、凛が口にしていたミルクを吹き出した。 「……姉さん」 「桜ごめん」 向かいに座っていた桜の被害甚大。姉妹協議の結果、帰りにフルールのイチゴショートということで決着がついた。それはともかく、 「まず見た目、一欠けらの焦げ目も見つかりません。そしてそれがこの絶妙な食感にも繋がっているのでしょう」 そんな姉妹のやりとりには目もくれず、滔々と卵焼きの素晴らしさを語る元騎士王。 箸で摘まんだ卵焼きを口に運び、 「…………」 何度も頷きながら、口中に広がる上品な甘みを味わう。 「しっかりと自己主張しながら、それでいて硬くない外側。とろけるような、中身。砂糖のような直接的ではない深い甘み。これら全てが渾然一体となっている素晴らしい卵焼きです。それをどうして単なる、などと呼べましょう」 「は、はは。そう言ってもらえると、作り甲斐があるけど」 やはり大袈裟すぎる評価に、士郎も流石に頬を引きつらせる。 「けどアルトリア、卵焼きくらい誰にだって作れるんだから、やっぱりその評価は大袈裟だよ」 「あら。そうでもないと思うけど?」 苦笑いしながら語る士郎の言葉に口を挟んだのは凛だった。わりと真面目な顔で、 「士郎の卵焼きは絶品よ。この焼き加減なんて、なかなか真似できるものじゃないわ」 言って、卵焼きをひとつ口に放り込む。 「む、遠坂。誉めたからってなにも出ないぞ」 などと言いつつ、料理の腕で一歩先を歩む凛の感想には思わず頬が緩む士郎。 「別にいいわよ。お礼ならもう貰ったから」 「へ?」 凛の視線の先を追うと、自分の卵焼きの皿。 「……って、遠坂! 今食った卵焼きって俺のじゃないかっ!」 「ええ。あんまり美味しいものだから」 「あのなぁ、餓えた虎じゃないんだから、そういうことしてくれるなよ」 「む。士郎、餓えた虎って誰のことよ」 「自覚があるなら伸ばした箸を引っ込めろこのタイガー!」 「タイガーって言うなーーーっ!」なんて泣き喚く大河を尻目に、 「レディとしての自覚が足りないわね」 余裕の態度でみそ汁をすするしろいこあくま。 「故郷で食べたものとは比べ物になりません。シロウの作る卵焼きこそ、究極の卵焼きと呼ぶのに相応しい――」 こくこくはむはむ。 愛おしげに残りの卵焼きを口に運ぶアルトリア。 衛宮家の食卓は、今日も平和だ。 |