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『死ね』
それは、願いだった。
『死ね』
純粋な、穢れのない願い。
『死ね』
己の行いに疑問を持たない、ひたすらに真っ直ぐな願い。
『死ね』
そう言った人々は、自分たちこそ善であると疑わなかった。
『死ね』
いや、「自分たちが善である」などと信じて疑わなかった者は、真実いなかっただろう。
ただ、
『死ね』
そう願われた彼がこの世全ての悪を背負う以上、「自分たちは悪では在り得ない」と、信じただけ。
反転している。
『死ね』
本当の名前なんて、もう何処にも残っていない。
『死ね』
そう願われ続けて、己を保つことがただの青年に出来ただろうか。
『死ね』
そうして、青年は死んだ。
『死ね』
最期には、人々に願われたその通りの存在になって。
『死ね』
この世の全てを恨む、この世全ての悪を背負う。
『死ね』
青年の名はアンリマユ。
『死ね』
人々の純粋な願いを種にし、アインツベルンの妄執の果てに芽生えた完全なる反英雄。

さて、ここで一つ問おう。
全身に人を呪うあらゆる言葉を刻まれ、人が知り得る全ての罪業を与えられ、全ての悪事の原因とされ、恨みと呪いを受けながら死を望 まれ続ける。
もし、青年の心に少しでも触れたら、人はどうなる?
黄金を纏う英雄王なら嗤うに違いない。『―――この世の全てなぞ、とうの昔に背負っている』と。
正義の味方を目指す少年は、奥歯を噛み締めて振り払うはずだ。『せいぎのみかたの息子なら、なにがあっても、悪い奴には負けられな い』と。
ならば、彼はどうだっただろう。

特別な家に生まれた。
色々あって彼はもう特別ではなくなっていたけれど、それでも特別な家に生まれたことには意味があるのだと、そう頑なに信じた。
彼は頭が良かったし、運動も出来た。顔だって誰が見ても美男子だと言うほど整っている。けれど、そのどれも彼の自信には為り得なか った。特別な家に生まれたのに、特別でなかったことが枷になって。
どんな鳥よりも美しく、速く飛べる翼を持った鳥でも、深海の奥底に潜ることは出来ない。
どんな魚よりも煌びやかで、速く泳げる鰭を持った魚でも、空を飛ぶことなんて出来ない。
彼が求めたのは、結局そんな『絶対に成し遂げられないこと』だった。その果てには何もない、無価値の道。
けれど、彼は知っていたのだ。自分が学ぶことが何も為さないことを。特別な家に生まれても、特別にはなれないことを。それを知りな がら、それでも、求め続けた。
その思いは、きっと尊く、きっと純粋。
それが歪んでしまったのは、一体いつからだっただろう。誰にもわからないし、彼自身だってわからない、彼は真っ直ぐ求め続けている と信じながらゆっくり捻れていった。
彼は先人の知識を得る。狭い空間に、広大な知識。余人の知り得ない神秘の数々。
例えば、略奪の術。印と呪を以って、熱を、意思を、魂を、生命を奪う術。極めれば、一つの街を丸ごと飲み込むことも出来よう。
例えば、束縛の術。まるで高度な芸術のように緻密で繊細なそれは、ありとあらゆるものを絡め獲る。極めれば、何者も侵せない意思を 持った英雄すら従える。
聡明な彼は、その悉くを学んでいった。けれど、その悉くは彼に残らない。彼には大切なものがなかったから、刻まねば手に入らない神 秘は、全て彼の中で知識として留まるだけだった、そんなものは何の意味も無い。いや、もともとそれらに意味など無く、仮に身に刻んだ としてもさらにその先にある神秘を求める手段であるに過ぎない無価値の業だ。
そこに価値を見出したのが、彼の歪みだったのか。
そして、その間違いを誰も正してくれなかったのが、彼の不幸だった。
腐敗した老人も、涸れかけた魔術師も、誰も何も言わない。そもそも、誰も彼のことなんて、見ていなかった。特別な家なのに、特別で はなく生まれた彼は不要な子供だったから。
妹。
彼らが見ていたのは、特別な家に生まれた特別な少女。特別でなくなってしまった特別だった家を、また特別にしてくれる少女。少女を 迎えた真意を、彼だけが知らされなかった。特別でない彼に話す必要なんてないから、身寄りの無い娘を引き取ったなんて適当な嘘だけ並 べた。聡明なはずの彼が、何故気づかなかったのだろう。特別な家に特別でない娘が来るはずが無いことに。
特別でない彼だけ妹が特別だということに気づかない。彼一人が不要なピースだということに気づかない。気づかないまま無価値のもの が価値あるものだと思い込んで、学び続ける。誰も正さない。いらないものがなにをしようと、関係ないから。けれど少女は、何故話さな かったのだろう。少女にとって彼だけは頼れる存在になれたはずなのに。少女にとって、彼はいらないものではなかったはずなのに。
そうして時が経って、彼は妹が特別だったことに気づいてしまった。
悔しかった。惨めだった。憎かった。
己が学ぶことは無価値だと知っていたはずなのに、悔しかった。
自分が道化だと言うことに自分だけが気づかない、惨めだった。
何処の馬の骨とも知らない少女なのに特別、それが、憎かった。
全てがオカシイ感情。
もう特別でないと知っていたはずなのに、なにを悔しがる。
無価値の道と知って歩んでいたのに、何故己を道化だなどと思う。
特別な家に生まれたことに誇りを見出したのだから、少女を憎む道理などないはず。
それでも、悔しかった、惨めだった、憎かった。
真実を知った彼は崖っぷちに立ったようなものだ、なにかの拍子に底の見えない闇へと落ちてしまう。それでも彼一人なら、きっと踏み とどまれた。
妹が、彼の心にとどめを刺す。
『ごめんなさい』
言った。言う必要の無い言葉を口にした。「貴方の居場所を盗ってしまってごめんなさい」と。
真実を知った日以来、口には出さなかったけれど、妹の眼差しはそう告げていた。
何を謝る。お前が何をした。叫ぶ彼の心を無視して、激情は逃げ場を求め、一つの言葉を紡ぐ。
『じゃあ、おまえは今から僕のものだ』
以来、彼は逃げ続けている。妹を虐げ、犯し、蹂躙した。その悉くは逃避。
彼の時間は三年前のその瞬間に止まった。

始まりは違和感。自分の身体に他人の腕が差し込まれている、痛みはない。ただ違和感がある。
次いで、体の中で何かが蠢く。例えるなら羽虫。何億という害虫が血管の中で震えるイメージ。
そして灼熱。指先から破裂して、溢れ出た中身が増え続ける。火で炙られるなんてものじゃない。全身の肉が沸騰する感覚。
悲鳴をあげられたのは一瞬。次の一瞬にはそんな機能無くなっていた。
湧き上が声。その全ては己の死を願っている。
『死ね』
誰に囁かれているわけではない。
『死ね』
その願いは、
『死ね』
己の内に有る何かから、発せられ続ける。
『死ね』
敵意ではない。
『死ね』
殺意でもない。
『死ね』
憎悪がないわけではない。
『死ね』
けれど、
『死ね』
永遠に続くその声は、
『死ね』
お前なんて死んでしまえと囁くその声は、
『死ね』
純粋な願いだった。
そんなものに今の彼では抗えない。彼の誇りは砕けてしまったから、「タスケテクレ」と声にならない声で懇願し、逃げ道を探す。
肉塊になってしまった彼は動けないから、逃げ道は心の中にしかない。
死にたくないと願った彼が思い浮かべたのは、白い裸体だった。手に余る双丘、くびれた腰。幾度と無く組み伏せた肢体。必死に想像し たその身体にしがみつく。欲望を叩きつける対象だったその身体を、まるで愛しい人にそうするように抱きしめる。
他には何も考えない。
『死ね』
声も、痛みも、熱さも。
『死ね』
見ないようにして、感じないようにして。
ただ、腕の中に夢想する白い身体を抱き続ける。
「サク……ラ……」
タスケテクレと、ありえない懇願までして。
じっと、抱きしめたことなど無かった妹を抱きしめる。
夜明けは遠い。
灼熱の悪夢の中、彼はずっと妹を想っていた。



悪夢の中で 〜the past〜



This story follows "everlasting dream".


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