時は四月の中ごろ、所は洋風喫茶〈フルール〉のテラス。 集うは一人として似ない、けれども可愛らしさと言うその一点ではいずれも同格の少女三人。 中でも人目を引くのは中心にいる少女だろう。少女にしては高い上背、春の半ばだと言うのに健康的に焼けて浅黒い肌は、短く整えられた漆黒の短髪やスカートからすらりと伸びるしっかりと筋肉のついた脚と相まって、黒豹のような印象を見る者に与える。 そんな彼女が口にしているのは人体解剖じみたデッドリーでモンスターなパンケーキ。一種異様な光景だった。周囲がさり気なく視線を送っているのに気づいているのか、いないのか、平然とそれをぱくついていた少女は口をもごもごさせながら、同伴している二人に話しかける。 「ふぃかし、ふぁれはねー」 「蒔の字。飲み込んでからにしたまえ」 応えたのは彼女の左に座る、眼鏡をかけた長髪の少女だ。私立穂群原学園の制服に身を包んだ、どこからどう見ても普通の女子高生のはずだが、その姿はどことなく超然としていた。侍か、仙人か、いずれにせよ己を捨てて道に生きる者の風情がある。抑揚のない、感情のこもらない物言いもその印象を強めている。 そして続いて口を開いた最後の一人、黒豹と仙人の連れであるところの少女は一体どんな少女かと言えば、 「うん、ちょっとお行儀悪い、かな」 仔ウサギだった。 肩口で切りそろえられた柔らかそうな髪、比較的長身の連れ二人と比べなくても低い背、ほんの少し下がった眦はどこか気弱な印象を与える。そんな彼女はなんだか周りもつられて笑ってしまいそうなほにゃっとした微笑みを浮かべて、やんわりと仙人少女の意見を肯定した。 む、と黒豹少女の眉が顰められたがそれは「言われてみればもっともだ」という仕草である。もごもごと真っ赤なパンケーキを嚥下し、紅茶を口にして一息つくと、 「しかしあれだね」 先ほどと同じ言葉を、今度は明瞭な発音で紡いだ。 「あたしが言うのもなんだけど、彼氏とか作らないの、由紀っちは」 ぴっとフォークの先端で仔ウサギ少女を指す。 それを、 「蒔。なんであれ人を指すのは失礼だ」 すいと伸びてきた白い指先が軽くおさえ、先程まで刺さっていたクリーチャーパンケーキの上へと導いた。 「む。鐘やんは細かい」 「それを言うなら蒔の字、君は大雑把に過ぎるぞ。なら私が細か過ぎるくらいでバランスがとれよう」 ブラックのままのコーヒーを僅かに口にし、 「それよりも蒔、そこで固まっている三の字をどうにかしてやるべきだ」 言われて黒豹少女、先程から蒔だの蒔の字だの呼ばれている蒔寺楓は、親友であるところの三枝由紀香へと向き直った。 そこには、 「…………」 頬どころか顔中真っ赤に染めて、俯く由紀香の姿。 「あちゃー。こりゃ予想以上の反応だねぇ」 「存外図星を突かれたからかもしれんぞ」 「鐘やん、百パーないってわかって言ってるっしょ」 「当然だろう。由紀が男性と交際を始めて、私達に露見しない筈がない」 などと、好き勝手に言っている二人に、 「そ、そ、そんな人いないよぅ……」 すでに二人の間では出た結論を、ようやくぽそぽそと口にした。 「まあ三の字も落ち着け。蒔の質問は現在いるかいないかではなく、今後恋人を作る予定があるか、という質問だ」 「そーそー。由紀っちに彼氏がいないなんて分かりきってるんだから聞きゃーしないよ」 「よ、予定もなにも、わたしみたいなのとおつきあいしてくれる男の人は、きっといないよ……」 「男どもはバカだからねー。由紀っちみたいに本当にいい子の魅力にはなかなか気づかんのよ」 楓はけらけら笑い、 「実に不思議だな。確かに由紀は温厚で我慢強い。友人として付き合うのは勿論、恋人として居心地のいい関係が築けるだろうに。贔屓目を差し引いても顔立ちは可愛らしいと思うし、体格にも問題があるとは思えん」 ま、胸は薄いがなと余計な一言を加え、 「か、鐘ちゃん!」 流石の仔ウサギ娘もこれには少し怒った様子。由紀香にしては大きな声で仙人、氷室鐘を制止する。 「大きな声でそんなこと言わないで……」 訂正。怒っているのではなく、照れているようだ。 「そうだな、失言だった」 「由紀っちがペチャってのは事実だけどね」 ケケケと悪魔のように笑う楓。 「もうっ、蒔ちゃんまで……」 「まーまー。で、あたしとしては彼氏でも出来りゃそのペチャも解消されるんじゃねーかと。男どもは馬鹿だかんね、由紀っちみてーな控え目な子より派手なのに目がいくのよ、遠坂とか。胸がデカイってのはそのあたりひっくり返せっから」 「一般的に男性は胸の豊かな女性が好みだと聞くからな。それはそうとして蒔の字、男性の目を引くには胸が大きくならなければならない。しかし胸が大きくなるのは恋人が出来てから、というのは順序が狂ってはいないか」 「んー、そこはアレっしょ。こう」 なにやら胸の前で卑猥に動く楓の両手。 「自分で揉んでおっきく」 「も……っ」 かーっと、これ以上赤くなるのかと思うくらい赤くなる由紀香。 対して鐘は、 「ほう、揉むと大きくなるのか」 感情のサンプルボイスなんてものがあったとしたら、『冷静』の項目に載るだろうってくらい醒めた口調で呟いた。 「はっ、鐘やんがなにを言うかっての。去年の身体測定での屈辱は忘れないよ」 「大きければいいというものではないと思うが」 「そりゃいくらデカくても垂れてたりしたらアレだけどね。アンタの場合綺麗なもんでしょーが」 二人は同じ陸上部に所属しているために、お互いの下着姿程度なら日常的に見ている。 「しかも去年一年でまた増えたろ。今いくつよ」 「さて。下着を買い換えたからその程度は大きくなってるのだろうが」 「げ。ブラ買い替えたって、マジで? ワンサイズアップかよ」 「二人ともっ!」 唐突に、由紀香の大声が二人の会話をさえぎった。 由紀香の珍しい大声に、楓はツリ目気味の瞳を大きく開いて、鐘はいつも通りの何を考えているのか悟らせない瞳で、親友へと視線を注ぐ。 「そうゆう話するの、やめよ……その、は、恥ずかしいよ」 「えー、由紀っちをネタにしてんじゃないんだから、いーじゃん」 「まあ、白昼堂々とする会話でもないがな」 どちらかと言えばパジャマパーティーでの話題に近い。 「んじゃ、胸の話はこんくらいにしときますかね」 言って半分以上残ったラフレシアアンブレラにフォークを伸ばす。 とりあえず赤面するような話題が終わってくれたようで、由紀香はほっと息をついて、ほにゃっと笑った。 しかしその笑みは、 「で、結局由紀っちは彼氏作る気はないの?」 楓の一言であっさりと慌て顔にとって代わられた。 「ま、蒔ちゃん! だから、わたしなんかと、お、おつきあいしてくれる男の人、い、いないよっ」 「そうかねー、由紀っちの方から迫ったら意外にころっといける気もすんだけど」 「三の字からアプローチするというのは、相当難しい注文だと思うのだが?」 「相手によるだろー。お、そうそう、由紀っちのタイプってどんなんよ」 「た、たいぷ?」 「つきあうならこんなヤツがいいっての、あるでしょ? ちなみにあたしは……んー、間桐かな、やっぱ」 間桐慎二。弓道部副主将の少年。規律を重んじ、不公平を嫌い、女の子には優しい。しかも顔立ちは芸能界に入ってもやっていけるんじゃないかというくらい整っており、学園で女生徒の人気を二分する人物である。遠坂凛、柳洞一成、美綴綾子などと並んで、学園でその名を知らない者はいないと言ってもいいほどだ。 「間桐?」 が、鐘はどうやら知らないらしい。綺麗な形の眉がくっと歪む。 「ほれ、弓道部の」 「……ああ、あのすかした。成る程、蒔はああいうのが好みか」 「好みっつーか、まあ他のヤローどもに比べりゃちょっとは見られっかってくらいだけど。鐘やんは?」 「私は特に色恋沙汰に興味はないのだが」 「そう言わずにさー、別に名前を出したヤツにコクれって言ってるわけじゃないんだから」 「ふむ」 白い繊手を顎に当て、しばし考える。 「……そうだな、生徒会長なら交際を考えてもいい」 生徒会長。文字通り生徒会の長を務めている生徒。私立穂群原学園における当代の生徒会長は、間桐慎二同様学園の有名人である柳洞一成だ。間桐慎二が今風の美男子なら、現生徒会長は歌舞伎役者の女形のような優雅な顔立ちをしており、学園女生徒の人気を慎二と二分している。 「はー、生徒会長ね。鐘やんらしいっつーか、意外っつーか」 古風な名前。お世辞にも流行りとは言い難い立ち振る舞い。さぞ似た者カップルになることだろう。 一成は融通がきかない訳ではないが、堅物で遊びのない性格だと言うことは精力的な生徒会活動を通して知れ渡っている。そんな一成となら交際してもいいと言うのは鐘らしいのだが。同時に鐘の口から好みのタイプが柳洞一成だと出るのは、彼女らしからぬ感じもする。 穂群原学園の女生徒に好みのタイプを聞けばまず間桐慎二か柳洞一成の名が出る。そんな当たり前の返答が、この氷室鐘という浮世離れした少女から出ることがらしくないのだった。 「何を言う。蒔が言えと言うから敢えて言ったまでだ。さっきも言ったが色恋沙汰に興味はない。そんなことに割いてる時間があれば、筆を取る」 陸上部に在籍しているものの、鐘の本来の趣味は絵である。休日ともなればスケッチブック片手に市内のあちらこちらをうろついていた。 「もっとも、会長なら私が絵を描いている最中は隣で座禅でもして時間を潰してくれそうだからな。付き合いやすい相手ではありそうだ」 「ああ、なんか相手が楽しけりゃいいってタイプっぽいね、会長は」 そのあたりが慎二とは決定的に違う。慎二はまず自分が楽しいことを選ぶタイプだ。相手が楽しむことは二の次……と言うか、自分と同じことを楽しめない相手が悪いとか考えてるっぽい。 「でだ、肝心の由紀っちは? やっぱ間桐か会長のどっちか?」 ここで、適当に応えておけばそれで済むものの、 「えと、ど、どっちも違うの……」 正直に答えてしまうのが、由紀香の美徳であった。状況的には自爆だが。 「へー。ってことは、由紀っち意外に本気なんだ。あたしらみたいに軽い気持ちで、コイツがいいーなんて言ってるのとは違うってわけか」 からかい半分、感心半分といった感じの楓の言葉に、由紀香の顔はますます赤くなる。 「な、なんで……?」 「顔の造作で言えば間桐慎二と生徒会長がダントツだ。その二人を挙げる以上、好みのタイプに芸能人を挙げるのとそう差はない」 問われた楓ではなく、鐘が口を開いた。一旦コーヒーで唇を潤すと、 「となると、三の字が好ましく思っているのはその人物の内面である。個人の外面ではなく内面を好むと言うのは、ある程度本気の好意だろう?」 「おお、さすが鐘やん。そーそー、あたしが言いたかったのはそーゆーこと。で、誰なのよ、その相手は」 「え、えっとね……」 「うんうん」 「…………」 興味津々の視線と、いつも通りの視線を一身に集め、 「え、衛宮くん、かな……」 そっと、由紀香は一人の少年の名を小さな唇で紡いだ。 「えみや?」 「ほう、成る程」 誰それと言った感じの楓の鸚鵡返しと、鐘の納得の呟き。 「あれ、鐘やんは知ってんだ。ウチのクラス?」 「いや、クラスは違う。蒔も知っているはずだぞ、覚えていないか? 何時だったか止め具の壊れたハードルなんかをまとめて直しに来たのがいただろう。ついでに言えば伝説の高跳び男だ」 「……あーあー、いたねそんなの。アレか」 衛宮士郎。その名を知る者はけして多くないが、グラウンドに放水しっぱなしの水道管があると聞けば締めに行き、理科準備実に壊れたストーブがあると聞けば直しに行く、そんな風にあちらこちらへ出没する謎の修理屋の姿を知る者は、意外に多い。 さらに言えば、陸上部において、ある伝説を残した少年でもある。 四年ほど前の話だ。まだ中学生だった衛宮士郎は放課後、早々に練習を切り上げようとした陸上部員の所へ行って一言、「あのさ、俺が戻しておくから道具貸してくれないか?」とのたまった。それから延々と三時間、絶対に跳べない高さに向かって挑戦し続けたその姿は、士郎に道具を貸してそのまま帰ろうとしていた鐘たちの所属する陸上部の前部長に稲光の如き衝撃を与え、半ばだらけムードの漂っていた高跳び部門を半年で熱血体育会系へと変貌させてしまった。少しでも練習をさぼろうものなら「エミヤシロウを見習え!」と叱咤の声が飛んでくるのだ。そこで「エミヤシロウって誰ですか?」などと聞こうものなら、前部長の陶酔混じりの思い出話がはじまるため、かの少年の名は陸上部では禁句の一つでもある。高跳びを専門にしている鐘にとっては聞きなれた名前で、そのため顔も知っていたがスプリンターである楓は覚えていなかったらしい。 「しかし、となると私の予想も外れか。件の伝説を聞き知って憧れているといった所なのだろう?」 それでは慎二や一成の顔に惹かれているのと大差ない。そう思って問いかけるが、変わらずに頬を真っ赤にさせて俯いているところを見ると、 「ふむ、伝説以外に接点がありそうだな」 「ま、前にね、困ってるところを、助けてくれたの」 どもりながらぽそぽそと続ける由紀香の話をまとめると、こうだ。 遡ること半年、乱暴に走ってきたバイクを避けた由紀香はその拍子に脚を捻ってしまったらしい。連れはいない、家は遠い、持った荷物はたまたま重い、過ぎ行く人は無関心。そこに通りがかったのが、衛宮士郎だった。明らかに歩くことすら苦痛のような由紀香に、士郎は幾つかの申し出をした。比較的オープンな性格の楓や、醒めた性格の鐘ならその提案に頷いただろうが、生憎由紀香は人見知りの強い性格で、まして相手が男の子なのだから話すことだって難しい。怯えると言ってもいいほどの反応を見せる由紀香に、士郎は少しも気を悪くした様子を見せず、「ごめん。ちょっとだけ待ってて」。そう言って躊躇いなく学校前の坂を駆け上ると、息を切らせながら由紀香も見知った学園の教師である藤村大河を連れて戻ってきた。 「そん時由紀っちは、その衛宮ってヤツのこと知ってたの?」 「ううん。顔も知らなかった。それなのに、衛宮くん、笑顔で藤村先生を連れてきてくれて、藤村先生なら安心でしょって」 「うわ、なにそれ。タイガー連れてくるためだけにあの坂を往復したっての?」 「……うん。せっかく衛宮くんが助けてくれるって、言ってくれたのに。それを怖がってたわたしのために、学校まで戻って藤村先生を連れてきてくれたの。お礼を言う前にバイトがあるからって、走って行っちゃった」 「こ、これでおしまいっ」。そう締めくくった由紀香を呆然と見ながら楓は、 「ふえぇ、由紀っちがそんな少女マンガみてーな体験してるとは……」 心底驚いていた。親友の片割れも表情にこそ出していないが、泰然とした雰囲気が若干乱れていることから親友たちには察せられた。 「しかし文脈から判別するに衛宮に礼も言えていないようだな。義理堅い三の字が珍しい」 「い、行こうとは思ってるんだよ? け、けど」 「恥ずかしい、か。由紀らしい」 「まったく。ま、知ったからにはあたしらに任しときなさい」 ぽんと胸を叩く楓に、 「え? え?」 由紀香の思考はフリーズした。 そんな由紀香を置いてけぼりにして、 「なんだ蒔の字、首を突っ込む気か?」 「だってあの由紀っちがこれだけ語っちゃうくらいよ? こりゃー、恋っしょ」 「断定するのは早い気もするが。まあ、確かにな。三の字がこれほど熱弁を揮うのは珍しい」 「だろー?」 なにやら、親友二人で勝手に話が進んでいた。 「まあ、いきなりコクるってのも難しいだろーから、最初は今の話のお礼を言うところからだね」 「妥当な線だな」 「ま、待って待って待ってーっ」 がたんと椅子を動かして、由紀香は思わず立ち上がる。このままでは親友(主に楓)によって考えもしなかった未来予想図が描かれてしまいそうだ。具体的に言うと告白とか告白とか、告白とか。 「な、なんでそうなるの?」 「だって由紀っち、黙ってるだけじゃなんにもなんないでしょうが」 「蒔の字は早急過ぎるがね。由紀も……む」 由紀香に向かって何事か言いかけた鐘だったが、突然口を閉ざしてしまう。その視線は立ち上がった由紀香を通り越して、通りの方に向けられていた。 「? どした、鐘やん」 「いや……思わぬものを見た」 「思わぬ」 「もの?」 くるりと楓と由紀香の視線が、鐘と同じ方へと向けられる。 そこには、 「!」 「あ」 噂の衛宮士郎が、一人の少女と連れ立って歩いていた。 少女に向ける笑顔は、優しく、柔らかく、誰が見てもその少女が士郎にとって特別な誰かであることが分かる、そんな笑み。 「ありゃ……反則だねー」 「これは……驚きだな。よもや衛宮があのような金髪の美人と交際していようとは」 士郎の傍らを歩く少女。黄金を梳ったと言われても納得してしまうような、陽射しに煌く金の髪。遠くからでもわかる、大粒のエメラルドをそのままはめ込んだような聖緑の瞳。なによりその顔に浮かぶ華やかで清楚な微笑みは、 「遠坂嬢なら……あるいは勝負になるかもしれんが」 「あたしら程度じゃお話にもなんねーわ。なにあれ、マジでおんなじ生き物?」 それなりの美貌の持ち主である楓や鐘をして、土俵に上がることすら出来ないほど、少女は美しく、可愛らしい。しかも容姿が際立っているだけではなく、その姿を見た者を惹きつける何かが、少女にはあった。 「ジャンヌ=ダルク……」 「は?」 鐘の呟きに、楓が怪訝な顔をする。自分でも突飛なことを言ったと自覚しているのだろう。鐘は苦笑いを浮かべ、 「いやなに、かの救国の乙女とはあのような少女であったのではないかと思ってな。美しさと、それ以上に人を魅了する何かを備えた。十五、六だったと聞くから丁度あの少女くらいの歳だっただろう」 などと、当の少女が聞いたら激怒しそうな感想を口にした。なにしろジャンヌ=ダルクはフランスの英雄、ましてジャンヌが為した功績を考えれば、少女の故郷であるイングランドから見たら仇敵と言ってもいい。 「さっすが鐘やん、げーじゅつかの視点ってヤツ?」 「よせ。私はそのような域には達してない……それよりも蒔、そこで硬直している三の字をそろそろどうにかしてやるべきではないか?」 三人娘には少しも気付かず歩き去っていく衛宮士郎と金髪の少女から、由紀香へと視線を移すと、 「…………」 二人を制止するために立ち上がった格好のまま、遠ざかっていく二人を見送るでもなしに、由紀香は固まっていた。 「あー、そりゃショック受けるよな」 「しかし、こればかりは私達でどうにか出来る問題でもあるまい。由紀が衛宮を本気で好いていると言うのなら応援はするが」 「相手があれじゃーなー」 「とりあえず三の字の気持ちを確認するのが先だろう……由紀、正気に戻れ」 立ち上がり、由紀香の肩に手をかけて数度揺さぶる。ほどなくして、 「……あ、鐘ちゃん」 ぽーっとした瞳が、鐘の方を向いた。 「由紀っち、大丈夫?」 「え? う、うん、だいじょぶ、ちょっとびっくりしただけ」 言って、二人が歩いていった方へと視線を向ける。 「あ、ちょっとじゃないかな、うん、すっごくびっくりした」 えへへと照れ笑い。 意外に普通の様子に楓と鐘は顔を見合わせた。 「……由紀っち、大丈夫? ショックデカすぎて混乱してるとか?」 「別に、溜め込まなくてもいいのだぞ」 真剣に自分を心配してくれている親友二人に微笑む。 「うん、ありがとう。でもほんとに大丈夫。二人とも大袈裟だよー」 「いや、結構マジで衛宮のこと好きなのかなーって思ったから……」 「えーと、衛宮くんのことは好きだよ。ううん、今でも好きかな」 頬を朱に染めて、呟くように言う。 「でもね、さっきの衛宮くん、すっごく幸せそうに笑ってた。なんて言うのかな、わたしを助けてくれた時も笑ってたけど、その時の笑顔と違うの……今の衛宮くんは、きっと自分のために笑ってた」 「自分の……」 「……ため?」 「あはは、なに言ってるのかわからないね。自分でもわからないや」 「ふむ」 「むー?」 再度、顔を見合わせる楓と鐘。 「ほら、男の子の話はもうおしまいっ。週末遊びに行く話をしてたでしょ?」 「…………」 「…………」 どうする、と眼差しでの問い掛けに、鐘は肩をすくめた。 「まあ、三の字が納得しているなら私達が口出しすることではあるまい」 「ま、そだね。衛宮なんかにこだわんなくても由紀っちなら絶対いいヤツつかまえられっから」 楓のその言葉は、確信。 「えー、わたしなんか、きっとダメだよー」 困ったようにほにゃっと笑う由紀香だが、鐘は珍しく優しい笑みを浮かべて、 「いや、私も蒔の意見に賛成だ。きっと、由紀は良縁に出会うだろう」 「おー、あたしが言えることじゃないけど、自信満々だね、鐘やん。根拠は?」 「なに、三の字のようなのが不幸にならないのが世界に残った唯一の良心と言う奴だ。世界には不幸と悪意が溢れているが、それくらいは守られるさ」 そんなよくわからないことを、豊かな胸を張って言うと、優雅にカップに残った紅茶を口にした。 不思議そうな顔しながらも、どこか納得したような楓と、照れ笑いを浮かべる由紀香。 そうして、少女達の夕暮れ時はいつも通り穏やかに過ぎていく。 これはただ、それだけの話。 正義の味方が守ろうとしている、当たり前の日常のひとコマ―― |