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「リズ、セラ」
「なに、イリヤ」
「なんでしょうか、イリヤスフィール様」
自室から眼下に広がる広大なアインツベルンの森を見つめていたイリヤがぽつりと漏らした小さな呼び声に、側に使える二人のメイドは それぞれの言葉で応える。
一人は親しみ。
一人は敬い。
そして二人共に、愛のこもった言葉。
「シロウが来たわ」
「……そう」
「エミヤ……キリツグの」
返ってくる言葉は、またそれぞれ違う。首肯と、ある男の名前。
「ゾウケンはサクラにべったりで気付いてないみたいだけど、アサシンは絶対に気付く。……だから」
森に向けていた視線を、姉であり、試作体であり、側仕えでもある二人に向ける。
「セラ、貴女はシロウを追い返して。わたしは帰らないって」
「かしこまりました、お嬢様」
丁重な礼をして、セラはスカートを靡かせながらイリヤの部屋を出て行く。
それを見届け、リーゼリットに、
「リズ、貴女はアサシンを足止めして」
「……わかった」
淡々と、そう命じた。



名前の無い貴方、名前だけのわたしたち 〜存在理由〜




黒い長身が、豪奢な廊下をゆっくりと歩いている。
その姿は、一言で言えば異様だった。
骨と皮と、僅かな筋肉だけの細い肉体。襤褸の如き黒い腰布。髑髏の仮面で隠した顔。中でも異様なのは、先端に至るまで黒い布で包ま れた奇妙に長い右腕だろう。
けれど、黒い影が真に異様なのはその容姿ではない。
余人のいないこの城では彼の異様さに気付くことの出来るものは――否、誰がいたとしても、彼の異様さは気付かれることがないはずだ 。
最大の異常、それは、このアインツベルン城の煌びやかな空間に在ってなお、黒い影の身でありながら周囲に溶け込んでいると言う点で ある。
例えるならば、天頂に太陽が輝き、けして影の生まれないはずの所に影が生まれ、しかも誰もその影に気付かない――そんな状況。
それこそがアサシンの武器。
力で劣り、技で劣り、名に於いて劣る暗殺者が、唯一英雄に勝るもの。短剣や宝具など、ただの手段にしか過ぎない。彼の本当の武器は 、姿を隠す技術だけである。
だがその技術は同時に、己が大勢存在した山の翁の一人でしかないことを知らしめるものだった。
原型のハサンは、若者たちを攫い、フィダーイと呼ばれる暗殺者に仕立て上げたに過ぎない。故に、原型に隠身というアサシン固有の武 器はなく、若者を暗殺者に変えるシステムと、教団の頭に自分の名を遺し、死んだ。本来ならばハサン・サッバーハはそこで終わり、反英 雄にすらなれないはずだ。しかし、現実にハサンの名は受け継がれ続けた。頭から、次の頭へ。襲名した頭は、名前を喪いハサンとなる。 自分を亡くし、列なる山の翁とされる。己の行いは、けして己に還らない。全てはハサンの名へと還る。
確かな己が在るのに、己には何も無い。在るのは山の翁、ハサンだけ。
死んでも、己は還ってこない。何故ならばハサンは死なないから。山の翁は滅びない。ハサンは常に唯一人、列なるのはハサンの名を継 ぎ名前を喪う誰か。ハサンは不滅。常に教団の頂点に立ち、神の裁きを代行し続ける死の天使は受け継がれることなど無いのだ。
ハサンとは、唯一人の山の翁。同時にハサンの名を継いだ名亡しの誰か。
そうして、名を亡くした誰かは、ハサンの名を受けることで現界する。
あまりにも皮肉。
ハサンではなく、己自身を望んで英霊なんてモノになったのに、呼び出されるのは常に山の翁として。
「だが、それも此度まで」
アサシンは虚空に呟く。
奇蹟を実現させる願望機、大聖杯。これまで四度、呼び出されたハサン達は悉く敗れ去ってきたが、己は違う。
歪み、捩れ、狂いきった腐蟲だが、間桐臓硯の魔術師としての手腕は確かだ。最後の詰めを誤らなければ、確実に聖杯に届く。
「間違いは許されぬのだぞ、魔術師殿……!」
呟きに混じる少しの苛立ち。
この期に及んで娘の嬌態を見て悦ぶ臓硯は確かに聖杯の近くまで来たが、所詮「幾度かの試みの内、最も聖杯に近づいた」だけである。 腐り果てた魂とは言え、もう百年程度待って待てないことは無い。むしろ今回が失敗すれば、次回はそれを反省材料としてより速やかに聖 杯に至るだろう。
けれどアサシンは違う。次の聖杯戦争もハサンがアサシンとして呼ばれる、それに間違いは無い。
だが、そのハサンは今のアサシンではない。ハサンの名を受けた誰かが呼ばれるだけ。それでは意味が無いのだ。
大勢存在した名前を亡くした誰かが自らの名前を取り戻すことが、アサシンの目的ではない。今、この場にいる己がハサンとなる前の名 前を取り戻すことこそ、アサシンの願望。奇蹟を齎す聖杯にしかなせない過去の改竄。

真実、そのような改竄など聖杯にすら不可能なのだが。

いかなる憤りを、苛立ちを顔に浮かべようとも、アサシンの顔を覆う髑髏は嘲りの笑みを崩さない。
微かな苛立ちを嘲笑に隠し、アサシンはゆっくりと廊下を進む。
敵は一人。流石に正面からの進入は避け、裏に回ったようだが、
「戯けめ。無駄な事を」
己、臓硯、セイバー、狂人、これだけを相手にして一人で来るなど愚の骨頂。既に死地に立っているのだから、その上でどう足掻こうと 無意味。絶対に避けられない一撃を前から受けるのと、後ろから受けるのではどれほどの違いがあるだろう。敵の行動選択とはその程度に 過ぎない。己を屠る傷が、胸につくか背中につくかを選んでいるだけだ。
「……む?」
澱み無く進んでいたアサシンの足が止まる。
目の前には豪奢な扉。
「白い聖杯の差し金か……?」
アインツベルンの白い聖杯は仲間を守るため自ら臓硯の軍門に下ったと言う。ならば、今尚やって来た敵を庇う為にこうして扉を閉ざし たとしてもおかしくはない。
棒状の右手で軽く扉を叩く。
予想に反し、扉は音も無く開いた。
「……アサシン、待ってた」
そうして扉を開いた先にいたのは、予想すらしていなかった人物。
「……貴様は」
白い聖杯の側仕えの女中。ホムンクルスではあるが、戦闘用ではないためこうして姿を見るまで存在そのものを忘れていた。忘れていて も問題ないはずだった、蟻に象は倒せない。キャスターと並び、直接戦闘ではサーヴァント中最弱であるアサシンを象とすれば、メイド二 人は蟻程度の力しかないのだから。
「リーゼリット、イリヤのともだち」
言って、ぺこりと頭を下げる。
「お茶淹れたから、飲んで」
「…………」
意図が見えない。
イリヤ、というのは確か白い聖杯につけられた名だったか。それはいいとしよう、目の前のホムンクルスがそのイリヤの友人だというの もどうでもいい。
問題はその後の、お茶を飲めというくだりである。
「私に毒は効かぬぞ」
とりあえず真っ先に思いついたのは毒殺の線だった。
白い聖杯はアインツベルンによって聖杯の役割を果たすために作られたはずだが、同時に此度の聖杯戦争のマスターでもある。ならば、 ひょっとするとマスターとして行動することの方が優先順位が高いのかもしれない。そのため側仕えのメイドを使って毒殺を目論む。考え られない話ではない。
戦って駄目だから毒で、という発想は悪くないが、仮にもサーヴァントであるアサシン、そして蟲で構成された臓硯にも、生半可な毒は 通じない。それこそバーサーカーであったヘラクレスを殺したような、神代の毒でなければ無理だ。
「毒なんか入れてない。美味しい、お茶」
「…………」
一番手っ取り早いのはここで目の前にいるメイドを殺してしまうことだが。
生憎白い聖杯に正装を施すのは確かこのホムンクルスの役割であったはず。なら、殺すと言う手段をとることは出来ない。
一度見つかった以上、こうして見られていては暗殺者の持つ唯一の武器も役に立たない。扉が閉ざされていたのは姿を捉えられぬ己を捉 えるための手段だったのだと今更ながら気付き、小さく舌打ち。
無視して進めば、おそらくこのメイドはしつこく付き纏ってくるだろう。断った程度で引き下がるなら、そもそもこの場にいないはずだ 。
なら、最善の手段は、
「……一杯だけだ」
手早くお茶を片付けて、白い聖杯を見つける前に侵入者も片付ける。
その思考に己が取り込んだ蒼い槍兵の影響があることにアサシン自身気付かないまま、
「……こっち」
身を翻したメイドの後を、アサシンは追った。


〜 〜 〜 〜 〜


「早まったか……?」
ほわほわと湯気を立てるティーカップと、上品なガトーショコラを前にアサシンは思わず呟いた。
「……なに?」
「……なんでもない、気にするな」
自分の分なのか、もう一セットお茶を用意するリーゼリットに、首を横に振って応える。なにせ一杯だけはつきあうと宣言したのだ。そ れを反故にするのは男らしくない。それ以上に、こうしてメイドと二人きりでお茶会などしていることの方がよほどアサシンらしからぬ気 もするが。
流れるような動作で支度を続けるリーゼリットに、改めて視線を遣る。
(ホムンクルスとは言え……)
美しい娘だと、思う。
かつて、アサシンのオリジナルとなった山の翁ハサンは一つの庭園を作った。美しい建物が並び、花々が咲き誇るそこには葡萄酒や蜂蜜 の川が流れ、瑞々しい果実を望むだけ口にでき、絶世の美女を何人も側に侍らせることが出来る――楽園と呼ぶに相応しい、夢の庭園を。
どんなに禁欲的な若者であろうと絡め取るために、そこは最高級のものが揃っていたはずだ。地上にあるはずがない楽園を作るのだから 、考えられうる最高のモノを揃えなければ、否、例え揃えたとしてもこの世のものに過ぎないと言う疑いは持たれてしまう。
しかし、そんな最高の美女を何人も見てきたアサシンの目で見ても、リーゼリットの美しさは別格だった。
表情は乏しいが、顔形そのものはこの上なく整っているし、二房零れた髪は銀を梳いたようで、部屋の灯りに輝いている。豊かな胸、締 まった腰、ふっくらとした尻。男であればその手に掻き抱きたくなるような、蠱惑的な肢体。
「……冷めると、美味しくない」
自分を見つめるアサシンの視線に気付いているのかいないのか、まったく変わらぬ調子でアサシンをじっと見て、リーゼリットが言う。
「……頂こう」
じっと見られているのも気まずいものがある。言って、カップを手にし、まずその香りを楽しむ。
「……ふむ」
悪くない。
食の楽しみなど、サーヴァントである今は勿論のこと、ハサンであった頃にも経験したことがなかったが、柔らかく湯気を立てる上品な 赤色の液体の芳しい香りは、悪くないと感じるものだった。
静かに口をつけると、ほのかな甘みと豊かな味わいが口中に広がる。茶について詳しくはないが、上等のものをきちんとした淹れ方で淹 れなければこの味は出せないだろう。
「確かに、美味いな」
「セラのお気に入り。わたしも、好き」
にこりともせずにそう言うと、リーゼリットも自分のカップに口をつけた。
「ケーキも、美味しい」
「そうか」
普通ならカップ片手にケーキにフォークを入れる、などということも出来るのだろうが、生憎棒状の右手ではそういうわけにもいかない 。一度カップをソーサーに戻し、フォークを掴む。
「…………」
これもまた、相当に悪くない。
甘すぎず、けして苦いわけではない。心地よいビターな味。しっとりとした食感だが、それでいて舌の上で確かに自己主張している。
無貌の顔がほんの少しだけほころんだ。
フォークを置いて、再びカップを手に。などとやっていると、
「……食べにくくない?」
小首を傾げて、リーゼリット。
カップとフォークを交互に持っているのが気にかかる様子。
「気にするな」
アサシンの右腕は宝具"妄想心音"。人を呪うということにおいてのみ特化した、純粋で単純な中東魔術の呪いの手。
ソレを得るためにこうなったのか、あるいはこうであったからソレを得たのか。妄想心音を為す右腕は、異形。常人の倍ほどもある魔腕 は、隠行の邪魔にならないよう普段は掌を肩に置き、包帯で固定してある。昨日今日でそうなったわけではない。ありとあらゆる両腕を必 要とする行為を、よどみなく左腕一本で行うはアサシンにとっては日常だ。
だから、カップとフォークを交互に取るのもアサシンにとっては当たり前の行為であり、そこに面倒だなどと思う気持ちはない。昔はあ ったのかもしれないが、もうとっくに磨耗し切ってしまっている。
「気になる」
「……なら、どうしろと」
リーゼリットが気になろうとアサシンがどうにかする義理はないのだが。まあ茶と菓子は美味いし、敵は未だ場内にも侵入出来ていない のだから、多少戯れに話をしても問題はない。
「ちょっと、待って」
リーゼリットは言うと、アサシンの前に置かれた皿からフォークを手に取ると、黒茶色のケーキを少し切り分けて、
「あーん」
なんてことを宣巻った。
「…………」
「あーん」
「…………」
「あーん」
「……ちょっと待むぐ」
開いた口にフォークごとケーキを突っ込まれた。
「これで大丈夫」
「……なにが大丈夫だ」
律儀にももぐもぐとケーキを咀嚼してから、アサシンが発するのは呆れ声。
「今のはなんだ」
「食べにくそうだったから」
「食べにくくなどないと言ったであろう」
「でも、見てて気になる」
「ならば見なければ良かろう。大体、貴様は私が恐ろしくないのか」
「……なんで?」
問われ、幾つか理由は浮かぶ。
まず、なんと言っても異形の姿。蜘蛛か蠍を思わせる細い身体は、見る者に禍々しさしか与えないはずだ。
そしてアサシンとして現界したサーヴァントであるということ。基本となる七つのクラスにおいて、唯一戦うためではなく、殺すために 呼ばれる不吉のクラス。
普通の人間であれば、彼の姿には恐怖しか感じないだろう。
「……そうか、貴様はホムンクルスであったな。恐怖など、感じぬか」
その美しさに一瞬忘れかけていたが、目の前のメイドは人ではない。
「それは、誤解。わたしも、怖いものは、怖い。ただ、貴方が怖くないだけ」
「私が怖くない……?」
「そう、わたしたちと似てるから。イリヤに聞いた。アサシンは大勢いた山の翁の中から一人選ばれるって」
「……それが、どう貴様と似ているのだ」
「わたしたちも同じ。大勢の失敗作の中からたまたま選ばれた。個としての意味は持ってない。セラもそう。わたしたちが持っているのは 、イリヤのメイドとしての役割だけ」
「…………」
「この名前がついたのは、イリヤについて、いくから。城に帰ったら名前なんて無い……だから、貴方と同じ」
「……そうか」
アサシンは、目の前のホムンクルスを侮っていたと知る。命令どおりに動く人形、その程度だとしか思っていなかった。しかし、このホ ムンクルスは自分がある。聖杯として生み出され、失敗作として捨てられ、メイドとして今在って、自分に個としての意味がないと知りな がら、確かな己を持っている。
ただの人形ではない、そう思考すると同時に、思わず口が動く。
「何故……何故、貴様は生きている」
言って、アサシンは目を見開いた。自分の行動が信じられない。今、自分は何を口走った。
「わたしは、イリヤが好き。セラも、好き。だから、イリヤとお風呂に入ったり、セラが好きなケーキを、買いに行くのは楽しい」
アサシンの動揺を余所に、リーゼリットは言葉を紡ぎ続ける。
「だから、わたしの役目、あまり、したくない。イリヤ、三番目のドレスを着るの、嫌がる、から。きっとイリヤ、アインツベルンの記録 にずっと、残るけど。三番目のドレス、着せたくない。それよりも、ここで暮らして、色々、思い出ほしい」
「……それは、貴様の望みか」
「……そう」
頷きと共に最後の一言を紡ぎ、リーゼリットは唇にカップを運んだ。
無表情の貌を見ながらアサシンは考える。
ハサンとなって、全てを無くした。ハサンとなって、多くのことをなしてきたのに、行いの悉くはハサンに還る。自分なんてモノは、も うどこにも無くなってしまった。そう思っていた。
けれど、そもそも無くしたと思った自分とは、なんだったのか。
永遠を求めた。今尚語られ続けるハサンに換わり、己の名が謳われる、そんな永遠。記録として誰もが知る自分。
けれど、謳われる名前への賛美は、恐怖は、誰に還るのか。
幾星霜を越えて、求めてやまなかったモノが、不意に薄れる。永遠に残る記録への賛美など、この一瞬に感じる甘い香りと比べてどれ程 の価値があるだろう。
「リーゼリット、と言ったか」
「……なに?」
「礼を言おう。貴様の言葉が無ければ、私は永遠に亡霊だった」
「わたし、なにもしてない。けど、どういたしまして」
返礼するリーゼリットに一つ頷き、立ち上がった。
「残ってる」
「もう十分に堪能させてもらった……そうだな、続きは私の役割を果たしてから頂こう」
既に無用の聖杯だが、主との契約は守るべきである、己の役割は暗殺者。ならば疾く、主の敵を討とう。
不吉の黒い風となって、白い髑髏がアインツベルンの城を駆ける。

This story follows "Death Penalty".

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