石とワインの匂いのする部屋。
 天然の灯りに、一人の男の影が揺らめいている。
「――言峰、貴様正気か」
 音も気配も無く、唐突に響いた声に、男は驚いた様子も無く振り返る。
「ふむ……おまえらしくもない疑問だな。今更私の正気を疑うか」
「ふん、我とておまえがまともだなどとは思っておらぬ……だが、アレはあまりにも」
 それは十年のつきあいがある男――言峰綺礼をして初めて見た青年の表情だった。
 秀麗な眉目が僅かながらに顰められている。
 その理由は恐らく――不安。
「そもそもアレはなんだ・・・? 英霊ではあるまい」
 自覚せざる不安に厳しい顔をする青年に、言峰は楽しげに笑ってみせる。
「さてな。私にもアレが何者かなどとはわからんよ。ただ……」
「ただ?」
「此度の聖杯戦争は楽しくなりそうだ……そうは思わんか?」
「…………」
 舌打ちし、青年は身を翻す。
「何処へ行く?」
「何処へ行くも我の勝手だ」
 言い捨て、青年は部屋を後にする。
 その姿を見て、言峰は薄く笑った。
 あらゆる願いを叶えると謳われる聖杯を巡る争い、それを聖杯戦争と呼ぶ。
 ここ冬木の地で行われるソレは、他の聖杯戦争とは別格だ。この地に用意されたシステムは聖杯を狙う者達に、英霊を武器サーヴァントとして与える。
 聖杯戦争に参加するマスターは七人。付き従うサーヴァントも七騎。
 神話すら再現する魔術師同士の戦い。
 それが、この地で行われる聖杯戦争――のはずだった。
 しかし、五度目を迎えることとなった聖杯戦争だが、今回は今までと様子が違うらしい。
 聖杯戦争の予兆を感じ取った言峰が先んじて呼び出したサーヴァント――アサシンを見れば、それは一目瞭然だった。
 一体何故あのようなモノが呼び出されたのか、聖杯戦争の監視役である言峰ですらそれはわからない。もとよりシステムなどわからないものを利用しているに過ぎないのだ。まともに聖杯戦争に参加するのなら、このエラーは致命的なものとなろう。
 だが、言峰にとって聖杯戦争など娯楽の一つ。このようなエラーはむしろ望むところだった。
 ゆえに嗤う。
 これから起こるであろう悲劇と惨状に想いを馳せ。
「残る駒は二つ……順当ならばセイバーとアーチャーか」
 言峰のアサシンを含め、既に五騎のサーヴァントが現界している。
 本来ならばただ一人の英雄しか呼ばれないはずのアサシンすら異常に侵蝕されているのだ、他のクラスは考えるまでもなく異常が発生しているに違いない。
「く……腹芸が上手くなったではないか、バゼット」
 先程尋ねてきた旧知の魔術師の顔を思い浮かべ、言峰は再び口を歪めた。
 既に召喚は済んでいるはず。訪れたタイミングを考えれば、あの女魔術師が呼んだのはおそらくランサーか。
 真っ当ではないサーヴァントが現れて、さぞ仰天したことだろう。とは言え、それをおくびにも出さなかったのは中々感心する。
「さて、凛はどう動くことか……」
 妹弟子の勝気な顔を思い浮かべ、言峰はつい笑い声を漏らしてしまう。
「アレを見た時にどう反応するか……ふむ、中々愉快なことになるだろう」
 暗い喜びに顔を歪める言峰を見咎める者は、誰もいない。

 これから始まる聖杯戦争が、言峰の思うような悲劇と惨状に塗れたものになるのか。
 その結末を知る者は、当然の事ながら今この瞬間には存在していない。

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