バゼットが言峰教会を訪ねてから数日が経った。
 一度隠れ家候補を見回ってくると言ったバゼットを見送って、ランサーは一人ホテルの部屋でくつろいでいた。バゼットはついてきて欲しそうだったが、ランサーがつきあう義理はない。マスターとサーヴァントがどうたら、などとランサーの知ったことではない。まあ、バゼットは見ていて嫌いではないから呼ばれたら助けてやらないこともないが。
「それにしても……なにがどうなってるのかしらね」
 テレビを消し、ランサーは窓際に立つ。
 自在に空を飛べるランサーにとって、この程度の高さからの視界はそう珍しいことではない。
 だが、夜にも関わらず明るい地上は見たこともない景色だ。馬が引いているわけでもないのに走る――バゼットは自動車とか言っていたが――車輪のついた鉄の箱や、不思議な力で光る街灯、今見ていた映像を映す箱も幻想郷では見かけないもの――まあ、香霖堂で似たような見掛けの物を見た覚えがあるが――だった。あるいは、あの隙間妖怪ならこれらの品々のことも知っているのかもしれない。
「……ほんとに、どうなってるのやら」
 記憶が混濁している……というわけでもない。妹の顔、従者の顔、友人達の顔、全て覚えている。紅霧で館を包んだこと、春を集めた呑気な亡霊のこと、夜を止めて月人と対峙したこと。だが、何故自分がここにいるのかは理解できなかった。何時、何故、どうやってサーヴァントとやらになったのか。
「……ま、考えても意味ないか」
 軽く頭を振って考えを追い出す。
 深く考えるのは苦手だ。なにしろランサーの力の前には、あらゆる事態など考える必要もなく解決出来てしまうのだから。そもそも考え事など延々としていても百害あって一利なしである。
 ホテルの小さな窓を開き、
「さて、と」
 呟くと、ランサーはその小さな窓から飛び出した。いくら小さな身体のランサーとは言え、その窓を通れるはずがない。
 ランサーは、その身を複数の蝙蝠へ変貌させ夜空へ舞ったのだ。
 窓を抜け、蝙蝠が集りランサーは元の少女の姿を取り戻す。
 ホテルの部屋でだらだらするのも悪くないが、それも些か厭きた。もっとも、ランサーは幻想郷にいた頃からあまり飛び回るような真似をしたわけではないのだが。
「それにしても……臭いねぇ。こりゃ紅魔館うちの近所の空気が美味しいはずだ」
 翼を羽ばたかせながら、ランサーは呟く。
 イコールでは結べないだろうが、今自分がいるのが幻想郷で言うところの"向こう側"に極めて近しい場所であるのはわかる。"向こう側"で無くなったものは幻想郷で増えるらしい。これだけ空気が汚くなれば、成る程幻想郷に美味しい空気が流れてくるのも納得だ。
「……中でも、あそこは酷く臭う」
 ランサーの飛行速度は速い。ランサーは英霊の中でも速度に優れた者が選ばれると言うが、イレギュラーの起こった今回もそれに変わりはなかったのか。もっともランサーが聞けば、「速さに優れた? 違うわね、私は全てに優れてるのよ」と、当たり前のように言うに違いない。
 呟いたランサーが目指すのは、低い家々が並ぶ中で上空からは一際目立つ大きな建物。ランサーの知識には無いものだが、ごく普通に生活している人ならすぐにわかるだろう、それは学校だ。
 ひらりとその屋上へ舞い降りる。
 ランサーは体系的な魔術は修得していない。だが、身内に知識人がいる為それなりに魔術の知識はある。
 その知識が、建物に敷かれた醜悪な結界の存在を捉えていた。
「……バゼット、聞こえる?」
 マスターとサーヴァントは精神的なリンクが存在する。そのラインを辿ればある程度の情報を送るのは容易い。
「ランサー、どうしました」
「妙なモノを見つけたわ。……吐き気がするような魔術の痕跡」
 それはランサーが知る如何なる魔術体系からも外れていた。一見すると知った術式のような感じも受けるが、次の瞬間にはおぞましいものにも見える。
「……待ちなさい。今何処にいるのです、ホテルではありませんね!?」
「さあ、何処なのかしらね」
 地名など知らないし、まして住所などわかるはずがない。
「まったく……! どうしてそう勝手なのです、貴女は……」
 呆れた様な思念が伝わってくる。それに反論するでもなく、
「……誰か来る」
 ランサーは新たに察知した感覚へと意識を向けていた。
 バゼットがなおも何か言い募ってくるが、無視。
 ランサーは姿を消し、再び空へと舞い上がった。超常的なランサーの五感をもってすれば、ある程度上空にいても屋上の様子は把握できる。
 屋上へ姿を現したのは、一組の少女達。
 一人は十代の半ば過ぎ、黒髪を同色のリボンで括ったきつめの顔立ちの少女。
 そしてもう一人、ごく当たり前の格好をした十歳前後の少女の姿は、ランサーの瞳では捉えているが、おそらく一般人には見えないだろう。この状況下において姿を消すことが出来、かつその身が放つ膨大な消しきれない魔力。そんなものは一つしか考えられない。
「私と同じ、サーヴァントとやらってわけね……」
 ランサーが呟く間にも、屋上では入ってきた二人――遠坂凛とアーチャーが言葉をかわしている。
「アーチャー、解呪出来る?」
 屋上の呪式の異様さに眉を顰め、凛が尋ねた。
「……は、はい。やってみます」
 返ってくる言葉は不安げと言うよりは、どうにも気分が悪い状態で無理に喋っている、といった感じの調子だった。
 凛がそれを問う前に、
「レイジングハート、お願い」
《All right,my master》
 硬質な声が響き、桜色の輝きが屋上に乱舞した。
 近くに立っていた凛が思わず目を細め、開いた瞬間にはアーチャーの手に奇妙な形状の杖が握られている。
 先端に赤い宝玉が浮かんでいるが、魔術師の杖と言うよりは、むしろSF映画にでも出てきそうなデザイン。
 先端を飾る赤い宝玉が一瞬輝いたかと思うと、
「な……!?」
 迸る桜色の光が屋上の数箇所を穿った。一見何事も起きなかったかのように見えるが、魔術的な視界で見ればそこに存在していた呪刻が痕跡も残らず消滅したことが理解できるだろう。
 屋上に存在した呪刻は、醜悪で理解不能な代物ではあったが、それほど堅固なものではなかった。凛とて然るべき術式を踏めば消去することが可能な程度だ。だが、アーチャーの行ったのは規格外すぎる。
 詠唱も結印も無しに複数の呪刻を同時消去など、とても弓兵アーチャーとして呼ばれた者の技とは思えなかった。
「ど、どうやったのよ、今の……」
 思わず漏らした呟きへの返答は、
「え? さ、さあ……」
 想定外を通り越して理解不能だった。
「さあって……なによ、それ」
「え、ええと、私の魔法は祈願型ってタイプで、思い描いた結果をこのレイジングハートが自動的に組み上げてくれるので……」
「い、今の魔術をその杖が勝手に!? ……っ、けどそれが宝具なら納得か。一撃必殺よりは汎用性に優れた宝具ってところかしら」
 一瞬慌てた凛だが、すぐに冷静さを取り戻す。しばらくぶつぶつと一人アーチャーの能力に関して予想をめぐらせていたが、
「……まあいいわ。とりあえず今日のところは帰りましょう」
 言って、その身を翻した。アーチャーも頷き、レイジングハートを平時形態スタンバイモードへと戻す。
「…………」
 その後ろ姿を見て、ランサーは考える。
 今の魔術の構成速度。どの程度がアーチャーの本気かわからないが、少なくとも攻性魔術を今の速度で紡げるようならば、面白そうな相手である。
 勝ち残った一組が聖杯を得られると謳われるこの魔術師同士の戦い、はっきり言ってランサーには聖杯を得るつもりなど毛頭無かった。もっとも一つの目的を目指して競い合う以上、敗北するつもりも無い。
 あちらも偵察主体のつもりで、魔術師の方に大した装備はないだろう……まあ、どんな装備があろうとたかが人間風情にどうこうされはしないと自負しているが。
 ホテルでだらだらしているだけも厭きたので飛び出してきたのだから、軽く身体を動かすいい機会だ。
 姿を消したままランサーは屋上へと舞い戻り、
「――ああ、消してしまったのね」
 奇襲などする必要もない。気づかせる為に、わざわざ声をかけた。
「!?」
 弾かれたように凛が振り向く。その反応は悪くない。
 給水塔の上に突如現れたアーチャーと同年代の少女の姿を認め、凛は一瞬眉を顰めたが即座に鋭い視線を向けてくる。
 胸元で奇妙な形に手を掲げたランサーの姿は、意図的に翼を見せないようにしている為、見た目だけはこの場には不釣合いであるものの、ただの少女に見える。だが、魔術的な視界で見なくともアンティークなドレスを纏ったランサーの姿は、夜に高校の屋上にいるのはあまりにも不自然。まして凛の視界には、アーチャー同様強大な魔力を放っているのが見て取れた。
 ゆえにこのタイミングで登場したランサーへ、凛がかける言葉は一つしかない。
「――これ、貴方の仕業?」
「まさか。そんな小細工をするのは、何時だって人間よ。私には、そんなくだらないことをする必要はない」
 そうでしょ、と。ランサーは姿を消したままのアーチャーへ視線を向ける。
 霊体となったサーヴァントを視認するかのような視線。それはすなわち、
「やっぱり、サーヴァント……!」
「そうよ。で、それが判る貴女は、私の敵ってことでいいのかしら?」
 ランサーの声は脅すような響きなど欠片も無く、鈴が転がるように可憐だ。
 だが、その小さな身体から放たれる威圧感に、凛は戦慄を隠せない。それでも強気な視線がランサーに向いている。その様子にランサーは唇を釣り上げた。
「いい目ね。悪くないわ」
 妖怪ですら萎縮する己を前に戦意を失わない人間に、ランサーは笑う。
 それはつまり、己と戦う資格があるということに他ならない。
 紅魔館にいても、あるいは目の前にいる黒髪の少女ならば、必要さえあれば門番や従者の妨害を押し退けてもランサーの元へとやってくるだろう。それだけの気迫が視線にはこもっている。
 ばさりと、意識的に大きく翼を羽ばたかせる。
 考えもしなかったランサーが備える異形のパーツに、凛の瞳が驚愕に見開かれた。
「さて……と」
 呟き片手を掲げる。
 己の中にある術式の中から一つを選択。開幕の一撃としてはそれなりに華々しい、悪くないだろう。
「っ! 我使命を受けし者なり!」
 膨れ上がる魔力を感じたのか、瞬時にアーチャーが実体化。凛を守るように立ち塞がり、平時形態スタンバイモードへと戻していたレイジングハートを胸元から取り出し、叫ぶ。
「契約のもとその力を解き放て。風は空に、星は天に……」
 桜色の純粋光が、アーチャーを中心に渦巻く。
 真紅の輝きが、ランサーの指先へと集中する。
「そして不屈の心は……この胸に!」
 手の中で浮かぶレイジングハートが一際強く煌いた。
 その魔力、その輝き、色こそ違えど紅魔館を訪れる、妹がよく懐いていた普通の黒魔術師を思い出しランサーは愉快になる。
 だが、それで自身の魔術行使を緩めるほどランサーもお人好しではなかった。術の組み立て速度も実力の内だ。自身の術式が完成しない内に対抗手段を用意できないのであれば、暇潰しの相手にもならない。
「この手に魔法を! レイジングハート……セットアップ!」
《Stand by ready……Set up》
 硬質な声が再度響き、アーチャーを包んでいた桜色の光が爆裂する。
 それと同時にランサーの魔術も完成していた。
「真冬だってのに……暑い夜になりそうね」
 掲げた手の先に浮かぶのは、魔術によって生み出された真紅の槍だ。
 それを、ランサーはこう名付けている。
「"必殺"――ハートブレイク」
 名付けられた通り、直撃すれば必殺必至の魔槍が甲高い音を立てて奔る。
 フォームもなにもあったものではない滅茶苦茶な投擲だが、その速度は異常。
 まともな人間なら視認することも出来ずに貫かれるようなソレは、爆音を響かせ校舎を貫通した。
「へえ……」
 視界の端に桜色の輝きを認め、ランサーは少し表情を和らげた。
 校舎を離れた校庭の上空。
 彼女達はそこにいた。
 片手でレイジングハートを掴み、もう一方の手で凛をぶらさげるような形で、アーチャーが浮遊している。先程までのごく普通の少女らしい姿から一変、真っ白な装束は明らかに戦う為の姿と見て取れる。
「なにするのっ!」
 アーチャーが叫ぶ。その意図が掴めず、首を傾げていると、
「いきなりあんな魔法使って……当たったら、死んじゃうかもしれないのに!」
 その言葉に、ランサーはきょとんとし、次の瞬間には爆笑した。
 アーチャーの顔は真剣だった、ならばこそ爆笑もするというものだ。
「……わかったでしょ、アーチャー。これが聖杯戦争……貴女が呼び出された戦いなのよ」
 殺し、殺される戦いだと理解はしていたが、それでも呼び出したのがアーチャーのような少女。凛自身非情の魔術師であることを任じてはいるものの、結局のところ自覚しない部分で少女らしい甘さを殺しきれない、歳相応の少女らしい少女なのだ。アーチャーへ告げる言葉には苦いものが混じっている。
「そこの小娘の言うとおりね。それで、どうする? 撃ち返さない相手に撃ち込むのは慣れてるけど?」
 笑いをおさめ、ランサーは言った。それは無抵抗だろうと関係なくやる気だという宣言だ。
「……っ」
 息を飲むアーチャーに、
「アーチャー、覚悟を決めなさい。少なくとも戦う覚悟はあるんでしょう? 殺せとは言わない。けど、わたしのサーヴァントなら、あんなヤツこてんぱんに叩きのめしなさい」
 凛々しい激励だったが、片手でぶら下げられている状態は絵面的には少々間抜けである。
 マスターの言葉にアーチャーは一瞬悲しげに顔を伏せたが、
「……わかりましたっ」
 振り切るように答え、強い視線をランサーへと向けた。
 やる気になったかと、ランサーは翼を羽ばたかせ空へ舞い上がる。だがアーチャーの口から出たのは、予想だにしない言葉だった。
「約束して。私が勝ったら、もうあんな危ない魔法を人に使わないって」
「な……!?」
 凛は驚きのあまり叫び、ランサーもまた思わず漏れそうになった叫びを押さえるように口元を手で覆い隠す。
 信じられないほどの博愛主義。
 しかしそれもここまで貫ければ大したものだ。
「あ、あのねアーチャー……!」
「いいわ」
 凛の説教の出がかりを、ランサーの言葉が妨げる。
「え!?」
「いいわ、と言ったのよ。お前が勝ったら、やめてやるよ」
 どうせ必死に聖杯を欲しがる理由も無い。つまるところ別に本気で戦う理由も無いのだ。暇は嫌いだが、戦うよりはだらだらとお茶でも飲んでいる方が本来好みである。まあ、あんな安ホテルで質も品もないようなお茶を飲むくらいなら戦う方がマシではあるが。
「凛さん……」
「……ああもう、わかったわよ、好きにすればいいでしょ」
 どの道サーヴァント同士の戦いに人間にすぎない凛が首を突っ込めるはずはない。
 予想とはあまりにも違う聖杯戦争の場景に痛む頭を擦りながら、
「ただし、絶対に勝ちなさいよ。いいわね」
「……はいっ」
 笑顔で頷いて、アーチャーは校庭へと降りた。流石に凛を抱えては碌な戦いが出来ない。ランサーも勝利が目的ではなく、暇潰しとなる戦闘そのものが目的なのでそれを黙って見ていた。
 地面に凛を下ろすと、アーチャーは再び空中へ身を躍らせる。純白の靴から生える桜色の翼が数度大きく羽ばたき、アーチャーとランサーは同じ視線の高度で対峙した。

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