「いくよ、レイジングハート!」
 アーチャーが幼い声で叫んだ。
 彼女の文字通りの相棒は、正しくその叫びに応え、アーチャーの願いを叶える術式を紡ぐ。
《Divine shooter》
 桜色の輝きがレイジングハートの先端を飾る宝玉から飛び出し、一瞬で四つの球形の魔弾と化す。大きさはサッカーボールよりやや小さいくらいか。いずれも直撃すれば昏倒はまず避けられないほどの威力を秘めている。
 対してランサーは不敵に笑うだけで、身構えることすらせず、相変わらず奇妙な形に手を掲げたままだ。
 しばしの沈黙。先ほどランサーが放った魔術の槍が生んだ瓦礫が、大きな音を立てて崩れる。
 それを引鉄に、アーチャーが動いた。
「シューーートっ!」
 掲げたレイジングハートを振り下ろす。周囲を旋回していた魔弾がそれに伴い、高速でランサー目掛け突き進む。
 あるものは直線、あるものは弧を描き、ほぼ同時に着弾せんとするそれを、
「……ふふ」
 薄笑いを浮かべ、ランサーは事も無げに迎撃してみせる。
 一つは詠唱すら無く現れたマシンガンの様な魔弾で、一つは一瞬で鋭い爪を生やした腕で、そして残りの二つは前面に回した翼がまるで刃物のように変化し、迫り来る魔弾を悉く切断。
「素手で迎撃した……!? 何者よ、アイツ!」
 地上の凛が叫ぶ。それも当然だろう。アーチャーの放った魔術弾はいずれも凛が得意とするガンドを大きく上回る威力を秘めていた。それを如何に爪や翼を使ったとは言え、ノーダメージで凌がれては驚愕もしよう。
「まったく……ぬるいねぇ。避けるまでもないよ」
 無論今のが本気だとは思わないが、程度の低い攻撃にランサーは瞳を閉じ、あからさまにため息を吐いてみせる。圧倒的な力で虫けらを踏み潰すようなことは嫌いなのだ。そうでなければ門番など置くはずが無い。
「……?」
 ふとアーチャーの方へ視線を向ければ、既にそこは虚空。
《Flash move》
 硬質な声に気づいたのは、吸血鬼という種族の五感の鋭さゆえか。
「てぇぇぇーいっ!!」
 その叫びが聞こえるか聞こえないかの内に、ランサーは翼を畳み高速降下。風を切る音が、一瞬前までランサーがいた空間を薙ぎ払う。ランサーの視界の端に桜色の軌跡が映った。
「へえ……」
 ばさりと大きく翼を動かし、ランサーは姿勢を立て直す。地上すれすれまで落下した為、アーチャーを見上げるような形になってしまうのが癇に障る。
「奇襲とは恐れ入ったわ」
「真っ向からの真剣勝負でしょ? ……油断してるからだよっ」
 成る程、確かに今のは奇襲と言うよりは単にランサーが油断していただけか。
 アーチャーの指摘にランサーは軽く頷くと、
「そうね、正直侮ってた。……面白い。やっぱり」
 暑い夜になりそうね。
 そう呟いた瞬間、ランサーの周囲が真紅に染まった。
「!?」
 音にならない驚愕の叫びがアーチャーの口から漏れる。
 ランサーの周囲を染めたのは、夥しい数の魔弾だ……その数、おそらく優に百を超える。
 紅玉石ルビーにも似た質感の、槍の穂先を思わせる鋭利なそれは、全てアーチャーへと切っ先を向けていた。
 静かに、ランサーが胸の前で掲げていた手を前に向ける。それに応じ、周囲の魔弾が動いた。
 空間そのものが襲い掛かるかの如き、圧倒的な弾幕。
 その様子を、地上で歯噛みしながら凛は見守っていた。
「なんなのよ、アイツ……!」
 凛自身のサーヴァント、アーチャーにも言えることだが、あまりにもあの少女の姿をしたサーヴァントは不可解すぎる。あれだけの魔弾を一瞬で用意したところを見ると魔術師キャスターか。だが自身のアーチャーも見る限り主武装は魔術らしいので、魔術を使うからと言ってキャスターとは断言できない。となるとクラスについては想像するしかないが、開幕の一撃を見るにあるいは槍兵ランサーだろうかと、凛は中りをつける。予想は事実であったが、凛にそれを確かめる術は無い。
 そして当然のことながら、蝙蝠の翼を持った少女の英霊など凛の知識には無い。
「どう考えたっておかしいわ……こんなことなら面倒くさがらずに綺礼に会っとくんだったか」
 悔やんだところで事態は変わらない。事実として眼前にあるのは、魔術を得意とするランサーが敵として立ち塞がっている、ということだ。
 アーチャーの援護をしたいところだが、凛は飛行できないし、仮に出来たとしてもあんな弾幕の中に飛び込んでは命が幾つあっても足りないだろう。今でこそアーチャーにだけ向けて魔弾を放っているが、魔術で援護などすれば何時こちらに向けてくるかわかったものではない。
 もっとも、何時しか凛から援護しよう、などと言った気持ちはなくなっていた。
 雨霰と飛び交う魔弾を、なんとアーチャーは防ぎきっている。
 弾幕が極力薄いところを狙った大胆な移動。光の粒を撒きながらランサーの魔弾を弾き散らすのは、アーチャーの全身を包む球状の輝き。それは、凛を魅了するには十分な光景だった。
 既に十数秒、途絶えることなく魔弾を放ち続けるランサーに、その悉くを防御するアーチャー。
 それは、予想とは大幅に異なっていたが、まさにサーヴァントの戦いと呼ぶに相応しい。
 はっきり言ってしまえば、凛は見惚れていたのだ。その規格外の戦いに。
「……やるじゃない」
 魔弾が空気を切り裂く音にランサーの呟きが混じる。
 途端、ランサーの周囲に今の今まで放っていた穂先型の魔弾とは別の――先程アーチャーが放ったそれによく似た、ただし大きさは一回りほど大きい――魔弾が次々と生成された。
 形だけではなく、動きも今までの魔弾とは異なる。
 弧を描き、まるで弾幕を薄くしていたのはその魔弾を当てる為の布石だったのだと言わんばかりに、アーチャーの先に立ち塞がるかのように飛来する。
「アーチャーっ!」
 思わず叫んだ凛に、
「大丈夫っ!」
 アーチャーは元気いっぱいに叫び返し、迫る魔弾へ空いた右手を差し向けた。
《Round Shield》
 高らかに響くレイジングハートの言葉と共に、アーチャーの指先に巨大な魔法陣が出現。紅と桜の輝きが迸り、軋むような音を立てて魔弾は悉く弾かれる。
「へえ……動的な近接防御も得意、ね。弓兵アーチャーなんて呼ばれてるくせに、なかなか矛盾してるわね」
「そう言うあなたもすっごい魔法だね」
 相変わらず余裕の表情のランサーに対し、アーチャーの表情は真剣そのものだ。まあ、これは両者の性格に寄るところが大きいのだろう。もっとも、ランサーの魔弾は防いだものの防御魔法陣を展開した右手は、防いだ時の衝撃を受けて若干痺れているのだから、アーチャーが多少の焦りを感じているのは確かだ。
「キャスターさんなの?」
「はずれ。一応槍兵ランサーって呼ばれてるわ」
「ランサー……さん」
 上空で交わされるどうにもずれた会話に、凛ががくりと頭を垂れる。
 先程は感心したが、やはり思い描いていた聖杯戦争とは何かが違う。絶対違う。
「もうやめて……って言っても、ダメなんだよね……」
「やめる理由がないわね。お前が勝ったらやめるとは言ったけど」
 アーチャーの願うような言葉を、ぴしゃりと切り捨てる。
 先程の魔弾を最後に、ランサーの周囲に浮かんでいた魔弾は打ち止めになっていた。
 流れ弾で抉れた地面や、薙ぎ倒された木々、傷ついた校舎だけが戦いがあったことを物語っている。
「少しだけ難度を上げるわ……ついてこれるかしら」
 楽しげに笑い、ランサーは片手を掲げる。
 瞬間、大気が鳴動した。
「!?」
 開幕を告げた、校舎を容易く貫通する魔槍を生み出した時と同じクラスの魔力の収束。
 凛の背筋を経験したことのない悪寒が駆け巡る。
 発動させたが最後、アーチャーはおろか余波で自分まで殺されかねない、そんな予感。
 ランサーの魔弾をアーチャーの防護魔術は確かに防いだが、これから襲いくるのは先程の魔弾とは桁が違う。
 漏れ出た魔力は空間に幾つもの煌くラインを引いていく。
「――、あ」
 知らずの内に、凛の顔が青ざめた。
 空間に広がるのは理解不能な術式。
 だと言うのに、発動を許すことはすなわち自分たちの死と同義だということは理解できる。
 だがそれをどうやって止めればいいのか。
 なんの考えも浮かばないまま、ランサーの小さな唇が発動の鍵となる言葉を紡ごうとする。
 その瞬間だった。
「――誰?」
 眉を顰め、ランサーが振り向く。
 ランサーの視線を追う余裕は凛にもアーチャーにもない。だが、耳には確かに足音が届いていた。
「……ふん、面倒ね」
 つまらなそうに言うと、ランサーは翼を羽ばたかせ敷地外へと飛び去る。
 気づけば凛はがくりと地面に膝をついていた。
「あ、危なかったです……」
 ふと顔を上げれば、アーチャーが冷や汗を流しながら降下してきたところだった。
 とりあえず、アーチャーも自分も無事。その事実に胸を撫で下ろすも、
「――やばい。アイツ目撃者を消しにいったんだわ……!」
 それが誰かはわからない。学校内にいたのだから、おそらく生徒だろうとは思うが。
 偶然であろうとも自分達の命の恩人だ。捨て置くわけにはいかなかった。
「アーチャー! わたしを抱えて移動できる!?」
 見た目十歳の少女に頼むのはなかなかに無体な頼みのような気がするが、なりふり構っている場合ではない。
「は、はい。大丈夫ですっ」
「なら急いでランサーを追って!」
 アーチャーは慌てて頷くと、凛の手を取る。
「レイジングハート、お願いっ!」
《Flier fin》
 桜色の輝きを残し、弓の主従は再び夜へと飛び込んでいく。

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