「……バゼット、なんのつもりかしら」
 現出と同時に、ランサーは冷たい視線を仮初の主――勿論主だなどとは欠片も思ってないが――に注いだ。
「……あら」
 が、じとりとした目つきは一瞬で丸くなる。
「愉快な姿ね。どうしたの?」
「無駄……口を叩いてないで……なんとかしてくれると、ありがたいのですが……」
 視線の先にいるバゼットは、何故か地面に這い蹲っていた。周囲の空間が陽炎の如く揺らめいているのは何故か、と思いめぐらす前に、
「く……あはははははははっ! なんだよ、サーヴァントを呼んだと思ったら、ただのガキじゃないか!」
 ヒステリックな哄笑が響き渡った。
 そのあまりにも耳障りな雑音に、ランサーが眉を顰め振り返る。
 今更ながらに回りに注意を向ければ、そこは人気の無い通りの街灯も通らぬ路地だ。
 そして振り返った先、一際暗い路地の奥、
「なんのクラスだか知らないけどね、まずはお前を血祭りにあげてやるよ……大魔術師、間桐慎二様の華々しいデビュー戦だ!」
 卑屈そうな表情に歪んだ笑みを浮かべた少年が片手に辞書のような本を掲げ、立っていた。
「…………」
 見なかったことにした。くるりと反転し、再びバゼットへ視線を向ける。
「……で? なにをしてるわけ?」
「……見て、わからない、なら……馬鹿にします……よ……」
 まあ何らかの術を受けているのだろう、ということはわかる。せっかく面白くなったきたところを強制的に呼び出され、少々立腹しているので不貞腐れているだけだ。
「おい! お前なに無視してんだよ。自分の立場わかってんのか!? ライダーに手も足も出ずに負けたマスターのサーヴァントのくせに、いい度胸じゃんか」
「ライダー?」
 ぴくりと、ランサーの眉が跳ねる。
 再度振り返れば、少年の影に重なるようにもう一人、誰か立っていた。
 視覚化されんばかりの魔力の波動。先程のアーチャーやセイバーに勝るとも劣らない、そして異質な気配。薄くランサーが微笑う。
「……シンジ様、如何に見た目が子供であろうと相手はサーヴァント。あまり侮らない方が」
 言いながらライダーは慎二を庇うように前に出た。
 それは、闇に溶け込むような少女だった。
 全身を包むのは過剰なまでに装飾された黒いワンピース、そこから伸びる露出した手足は反面透けんばかりの白さ。
 墨を流したかのような長い髪が真冬の風に揺れ夜に溶け、その向こうにある碧玉の瞳はゆるぎなくランサーを見つめている。
 欠片の曇りも無い、だが狂気を確信させる視線に、ランサーは嘲笑を浮かべ、
「ああ、いい目じゃない。黴臭いのが難点ね」
 卓越した嗅覚は、路地の汚臭以外に嗅ぎ慣れた臭いを捉えていた。友人が支配する図書館で嗅いだソレに似た、だが遥かに濃厚な臭い。
「……吠えるわね。千年も生きていない小娘の分際で」
 ランサーの嘲りに、ライダーの瞳に剣呑なものが宿る。そのライダーの肩を、慎二が馴れ馴れしく掴んだ。
「まあ待てよ、ライダー。あんなガキ相手にお前が戦うってのは不公平じゃないか」
 にやにやと浮かぶ笑いは見ているだけで不快だ。だがライダーはその手を撥ね退けるでもなく、慇懃無礼な恭しさで、
「では、いかが致しますか、シンジ様」
 あくまでも丁寧な言葉の奥に、侮蔑と冷笑が含まれていることに気づかないのは、おそらく慎二一人だろう。
「僕がやるよ……見てるだけってのはツマラナイからね」
「…………」
 先程バゼットには自分を嗾けさせておいて、よく言うものだ。内心呆れるがそれを表情に出すような愚は犯さない。
「イエス、シンジ様」
 頷き、途端風が舞った。
 ライダーの細い身体が、本のページとなって狭い路地を乱舞する。
 僅か一秒も掛からずに、慎二の姿は激変していた。
 ウェーブのかかった髪は背中までも伸び、まるで海藻類ワカメのよう、ごく普通の学生服は微妙な色合いの違いこそあれど、黒一色の奇妙なボディスーツへと変換されている。
「大した大道芸ね」
 あまりにも奇妙な現象を前にしても、ランサーはそう呟くだけだ。リアクションの小ささに、逆に慎二の方が顔を引き攣らせる。
「は……ビビってるのか? そりゃそうだよな! この魔力! 遠坂だって目じゃない!」
 自分に酔っているのだろう。目の前にいるランサーの姿を見ていない瞳に、ランサーはため息を吐いた。先程のライダーならばともかく、こんな俗物で小者を相手にする為に呼び出されたのかと思うと、帰って不貞寝もしたくなるというものだ。
 とは言え、ここで帰っては怖気づいたと見られそうだし、バゼットの命も危ない。サーヴァントはマスターがいるからこそ存在出来るらしいから、やはりバゼットは見殺しに出来ない……もっとも、別に聖杯などどうでもいいランサーからしてみれば消えることなどどうでもいいと言えば、どうでもいいのだが。
 高笑いをあげる慎二を無視して、ランサーはバゼットに向き直り、
「……まったく、この程度自力で逃げてみせなさいよ」
 ぼやきながらも、バゼットを覆う空間の歪みに適当に魔力を篭めた拳を叩きつけた。
 ガラスを割るように高い音をたて、バゼットを拘束していた術式が砕け散る。
「……すみません、助かりました」
 そんなバゼットの礼に被って、
「っ! ふざけるなよお前! さっきと言い、大した態度だね。この大魔術師グレートマギウス間桐慎二様を前にしてさ」
 ぎらつく瞳がランサーを射抜く。
 それは異常なまでに憎悪と怒りの込められた視線だったが、篭められた精神の質があまりにも矮小だ。これならまだ、先程土蔵に追い詰めた相手の方がいい目をしていた。こんな小者相手にランサーが興味を引かれるはずもない。
「だってねぇ……お前はどうでもいいから、さっきの黴臭いの出しなよ。話になりゃしない」
「っっっ! この、クソガキっ!」
 激昂した慎二が手を振り翳す。その指先に、三つの黒い球体が浮かんだ。
「……ふん。まあ大口叩くだけのことはあるのかしら」
 目にも留まらぬ速度でランサーが後ろへ跳び、バゼットの襟首を掴む。
「ン・カイの闇よっ!」
 ヒステリックな叫びが術式を走らせる。振り下ろした指先から黒球がランサーへと飛来。
「バゼット」
「な、なんです?」
「投げるよ」
「え?」
 バゼットの返事を待たず、ランサーはバゼットの細い身体をビルの谷間から見える切り取られたような夜空へ放り投げた。
 かすかに耳に届く非難の声を当たり前のように無視し、ランサーは己の周囲に弾幕を生成する。士郎に向けたときの様な手加減されたそれではなく、アーチャー相手に展開した本気に近い数。
 それを一斉に正面へ向けて放ち、自分は翼を羽ばたかせ投げたバゼットの後を追う。
「め、滅茶苦茶ですね、貴女は……!」
「だって邪魔だもの」
 落下する間も無く再びランサーに襟首を掴まれ、バゼットは己がサーヴァントに恨みがましい視線を向けた。
 が、とりあえず今はそんなことを気にしている場合ではない。軽く頭を振って意識を切り替え、
「気をつけなさい。マスターは三流もいいところですが、あのライダーは厄介です」
 魔術の術式は人それぞれであるが、ライダーが扱う術式はどうにも嫌な感覚を受ける。けして理解出来ないものを、無理矢理に行使しているかのようなイメージ。
「厄介、ねぇ」
 紅い穂先に似た弾幕がコンクリートとアスファルトを砕き、土煙をあげている。その向こう側から依然感じる強い魔力。どうやら流石に今ので仕留められるほど簡単な相手ではなかったようだ。
「痛……クソ、クソクソクソクソクソクソクソっ! なんだよコイツ、こんなのアリかよっ!」
 壁面が崩れる音に混じり、恐怖と苛立ちの綯い交ぜになった声が聞こえた。
「なによアレは。見苦しいったらありゃしないわ」
「……しかし、妙ですね。素人にしては妙に魔術慣れしている」
「それで、アレを倒さなきゃいけないわけ? 羽虫を潰すのは他の連中に任せたらどうよ。あんなクズの相手は面倒なんだけれど?」
 やる気が少しも見られないランサーの言葉に、バゼットは硬い表情で、
「放置するわけにもいきません……そもそも今離脱したら、アレはこちらが恐れをなしたなんて勘違いするのでは?」
「……それも不快ね。ま、いいわ」
 ため息を吐きつつも、バゼットを吊るす手とは逆の手を眼下へと向ける。
 瞬時に大小取り混ぜ、五十を越える魔弾が現れた。
「まったく、つまらないことに時間を取らせるんじゃないよ」
 言葉と同時に魔弾が落下する。
 まだ慎二の姿は視認出来ないが、魔弾の数を考えれば土煙の何処に居ようと命中することは確実だろう。
 だが、
「っ!? な、なに勝手なことやってるんだよ、ライダーっ!」
 責めるような慎二の叫び。眼下で風が渦巻き、土煙が晴れた。
 ライダーが慎二の前に立ち塞がり、片手を突き出している。そこを中心に浮かぶは巨大な暗い防禦陣だ。
「シンジ様の介入を受けて術式を展開するより、私が直接紡いだ方が早いと判断しました。お許しを」
 暗闇の盾が紅い閃光を防ぎきる。
 その様子に、ランサーは小さく笑った。
「あっちが相手なら、そう悪くないわ」
「……正直、楽に勝てるならそれに越したことは無いとも思いますが。やる気なら私を降ろしてからにしてください。貴女の機動に振り回されてはたまらない」
「まあ、バゼットに死なれたらこっちも困るし。いいわ」
 手近な屋上にバゼットを降ろし、改めてライダー達の上空へ戻る。
 その頃には土煙は晴れており、埃だらけになった慎二と奇妙なことにまったく汚れていないライダーが上空のランサーを睨んでいる……いや、睨んでいるのは慎二一人で、ライダーは然程感情のこもった瞳ではない。
「クソ、なんだよお前っ! あの程度の攻撃も防げないのかよ! あんなガキの攻撃だぞ!」
「申し訳ありません、シンジ様」
 苛立ちをそのままに言葉を募る慎二に、ライダーはあくまでも丁寧に対応する。
 そのキャンキャン喚く様に、むしろランサーの方が顔を顰めた。
「弱い犬ほどよく吠えるって言うけれど……本当ね。見たことなかったから、実感湧かなかった」
「……! なんだと」
「それに比べてうちの犬はほんとに優秀よ。黙ったままなんでも片付けてくれるもの」
「お前……っ! クソクソクソっ、馬鹿にしやがってっ!」
 地団駄を踏む慎二に、馬鹿にされてることがわかる程度の知能はあるのね、なんてランサーの呟きが届き、ますます慎二の顔が紅潮する。
「殺すっ! ライダーっ、手加減なんてするな、やっちまえ!!」
「それは、宝具の使用を許可するということですか、シンジ様」
「なんでもいいからとっととやれよっ!」
「……イエス、シンジ様」
 ヒステリックな叫びと淡々とした応え。それは異様過ぎてまるで作り物だ。
 だがライダーの元へ集束する魔力は紛れも無い現実。
「っ! ランサー、妨害を! ライダーは宝具を使うつもりです!」
 バゼットがなにやら叫んでいるが、ランサーは動かない。
 宝具。
 それはサーヴァントがかつて英雄だった頃に愛用した武具の類、唯一無二の"奥の手"であり、サーヴァントを自身の能力以上に強力足らしめているモノでもある。人が持つ概念武装とは桁違いの、固体化した神秘、人々の想いを骨子とする"尊い幻想ノウブル・ファンタズム"。
 地を砕き天を裂き、竜を殺し神を殺す、伝説の具現。それが"宝具"。サーヴァントはその"真名"を唱え、自らの魔力を以ってその"宝具"を発動させて、伝説を再現する。
 例えば、必ず心臓を穿つ槍。
 例えば、天馬を操る手綱。
 例えば、烈光を以って全てを両断する聖剣。
 生憎とランサーはイレギュラーな召喚が祟ったのか、宝具らしきものを持っていない――敢えて言うなら彼女が操る術式が宝具になるのかもしれない――が、眼下のライダーはどうやら宝具を所持しているらしい。
 バゼットの忠告があったにもかかわらず、ランサーは逃げようとしなかった。
 つまらない相手に辟易していたところだ。そんな伝説の再現を見られるのであれば、むしろ望むところ。
 僅かな沈黙の後、
「っ!?」
 ランサーは、己の楽観を思い知らされた。
 轟く爆音。
 それが耳に届いた瞬間には、全身を衝撃が襲っていた。
 消し飛ばされる前に身体を蝙蝠へと分化させ、衝撃を殺そうと試みるが、それが一瞬でも遅れていれば完全に消滅していただろう。事実身体を構成する変化した蝙蝠の数は半分近くにまで減ってしまっている。残りは今の刹那の邂逅で消し飛ばされたのだ。
「ランサーっ!」
「……ち。やってくれるじゃないの」
 蝙蝠が集まり、再び少女の形を取る。
 見かけに怪我らしい怪我は無いが、顔色は青ざめており、見るからに疲労困憊といった感じだ。
「なにをぼうっと……! まったく、調子にのりすぎですよ!」
「調子に乗る? 違うわね、気を抜きすぎていただけよ」
 流石に軽口も精彩を欠いている。羽ばたきも元気なく、バゼットの側まで降りてくるとくたりとその胸に倒れこむ。
 いまだに耳の調子が少しおかしい。宝具が発動した瞬間、周囲に響いた耳をつんざく轟音のせいだった。
「貸し一つ……必ず返すわ、古本女」
 ライダーが消えた方向を睨み、呟く声にはほんの僅かながら本気の色が混じっていた。

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