「消え、た……?」
 呆然と呟く士郎に、
「おそらく令呪による強制転移でしょう……ランサーのマスターに、なんらかの不具合が起こったのかと」
 黒い少女が応え、士郎の側に舞い降りる。
「……お疲れ、バルディッシュ」
《Yes,sir》
 黒い少女の言葉に、黒杖の先端にある金色の宝玉が柔らかく輝いた。
 その輝きに、呆然としていた士郎ははっと我に返る。
 僅かに後退りして、傍らに立つ少女を観察。
 年の頃は十を過ぎたか、といった程度。黒いレオタードにも似た装束に包まれた肢体は、まだ起伏とは無縁のなだらかな曲線を描いている。夜風に金の髪と漆黒の外套が揺れていた。
 色気があるといった風情ではないが、長々と見詰めるのもなんだか気恥ずかしい格好に、照れた士郎は視線を外すが、よくよく考えればそんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
「おまえ……何者だ?」
 あれだけの魔弾を操るランサーと互角の戦いを演じたのだ、見かけ通りただの少女のはずが無い。
 身構える士郎に少女は首を傾げ、
「え……あ、そうか、自己紹介まだだった……」
 頬を少し紅潮させて士郎の方へ向き直る。
「セイバーのサーヴァント、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン……よろしくお願いします、マスター」
 まだあどけなさの多く残る、だが気品のある表情は、微笑むと驚くほど人懐っこいものに見えた。風に揺れる金髪は黄金を梳ったかのようで、ほのかな月明かりを受けて煌いている。その微笑みに、一瞬見惚れてしまうが、慌てて頭を振って微妙な考えを吹き散らす。
「セイバーのサーヴァント……?」
「はい。名前はフェイトですけど、ここではそう呼んでもらった方がいいと思います」
「え? ちょ、ちょっと待ってくれ。そもそもサーヴァントってなにさ。剣士セイバーだって……?」
 混乱する士郎に、セイバーと名乗った少女も困ったような顔になり、
「本来は魔導師なんですけど……今は剣士セイバーらしいです」
「魔導師って……魔術師ってことか? そう言えばさっきの子は槍兵ランサーとかって名乗ってたし……何か関係あるのか?」
 矢継ぎ早の質問に、セイバーもますます困り顔で、
「そ、そんなに聞かれても……私も、自分がセイバーだということ、それに聖杯戦争に参加する為にこうして現界したことはわかってるけど……」
「聖杯戦争?」
 もうなにがなんだかさっぱりわからなかった。
 思わず頭を抱える士郎に、
「あの、マスター?」
「……ちょっと待ってくれ。さっきも言ってたけど、そのマスターってのは? なんか勘違いしてるんじゃないのか?」
 確かに士郎は魔術という、ある意味では裏の世界を知る人間で、さっきまでなにやら厄介ごとに巻き込まれていたが、彼女のようなモノを呼ぶことなど出来るはずがない。初歩の初歩すらおぼつかないヘッポコなのだから。
「いいえ。かすかですけど、ラインが感じられます。貴方は私のマスター、間違いありません」
マスターって……俺は士郎だ、衛宮士郎。君みたいな女の子に、マスターなんて呼ばれる覚えはないよ」
「士郎……さん」
「っ」
 可憐な声が確かめるように己の名を呼ぶのを聞いて、思わず士郎の身体が硬直する。自分を名前で呼ぶのなんて、十年来のつきあいである駄目姉くらいのもので、その呼びかけはやけに新鮮だった。
「えっと、士郎さんって呼んでもいいですか?」
「――っ」
 可愛らしい声で聞かれてダメと言える者はいないだろう。いやそれはさておき、
「あー、ええと……セイ、っ」
 呼びかけようとした言葉が、途中で遮られる。原因は突如感じた左手の灼熱感。
「痛っ……!」
 慌てて目をやれば、焼き鏝でも押し付けられていたような感覚のあった左手の甲に、入れ墨のような紋様が浮かび上がっていた。
「な――」
「令呪、ですね。サーヴァントを律する三つの命令権」
 どうやらセイバーはそれの正体を知っているらしい。再び質問を投げかけようとするが、それに先んじて、
《Caution》
 セイバーが手にした黒杖、そこから硬質な男性の声があがる。
 瞬間、セイバーが纏う空気が一変した。
「この魔力……AAAクラスの魔導師に匹敵する……けど、変だ。なんで、こんなに懐かしい……」
「セイバー……?」
 士郎の呼びかけに、セイバーは小さく頭を振ると、強い意志を秘めた視線を士郎へ向ける。
「士郎さん、何者かがこの屋敷に迫っています。多分、他のサーヴァント……迎え撃ちますから、士郎さんは隠れていて」
《Scythe form. Set up》
 ぎしりと金属音を響かせ、黒杖の先端の形状が変化する。
 噴き出す黄金の刃を閃かせ、セイバーは宙へ舞い上がった。
「あ……! ちょ、ちょっと待てって……!」
 わからないことだらけだが、セイバーの今の言葉を聞けば、戦いに行ったのだということだけは理解できる。
 それはダメだ。
 確かにセイバーが現れてくれなければ士郎はランサーに殺されていたかもしれない。けれど、あんな小さな女の子が戦うなんてそんなのは間違っている。
 慌てて駆け出し、門へと向かう。遠回りになるが、士郎は飛行どころか壁を跳び越えるような術も使えないのだからしょうがない。
「はあああっ!」
 凛とした気合の声が夜空に響いた。
 そちらに視線を向ければ、見覚えのある白い服の少女へと、刃を備えた黒杖を振り翳したセイバーが突進していく光景。
 生憎月は雲に隠れ、空を飛ぶ少女達を照らすのはそれぞれが手にする杖が発する二色の輝きだけだ。
 だが、士郎の視界は確かに白い少女が連れた、見慣れた制服姿を捉えていた。
「うちの制服……!?」
 呟きの直後、雲が、晴れた。
「ええっ!?」
「なっ!?」
 幼い驚愕の声が重なる。
 黒杖を振り翳したまま、セイバーの動きはぴたりと止まっていた。標的にされていたというのに、白い少女もぴくりとも動かない。
 実際の時間にすれば、大した時間ではなかったのだろう。
 だが、当事者達にとっては長い長い時間が経過して、
「なの、は……?」
「フェイト……ちゃん?」
 黒と白の少女達は、お互いの名を囁くように呼んでいた。
「……ちょ、なによアーチャー、貴女この子のこと知ってるわけ?」
 その声を聞いて、セイバーが再び驚きの声をあげる。さらに言えば、その声は士郎も仰天させるものだった。
「は、はやて!?」
「と、遠坂!?」
「え……?」
 叫びを聞きつけ、白い少女に連れられた制服姿の少女――それは勿論遠坂凛に他ならない――が一瞬目を丸くして、
「あら衛宮くん。私のことを知ってるのなら……話は早いわね。今晩は」
 なんて、優雅に微笑んで挨拶してきた。もっとも、セイバーと同年代の少女の片手にぶら下がっている状態なのである意味コントのような光景ではあったが。
 そんな凛の姿を見て、セイバーはほうと息を吐く。声が似ていたので驚いてしまったが、当たり前と言えば当たり前、セイバーがよく知る少女とは明らかに別人であった。
「こ、今晩はって……あ、え?」
 状況は異常だが、あまりにも普通の挨拶をされ、士郎の困惑はここに極まった、と言ってもよい。
 だが、見かけは普通に振る舞っているものの凛の混乱も相当なものだった。
 ただでさえ聞いたことのない英霊、しかも外見は小学生、自称魔法少女で時空を渡り歩いた経歴を持つアーチャーをサーヴァントとして召喚し、この聖杯戦争に疑問を抱いていたのだ。そこに現れたやはり見掛けは完璧幼女のランサー。さらに目撃者を追ってみればそれはある意味では因縁ある相手で、しかもどうやら魔術師ご同業だったらしい。その上新たなサーヴァントらしきモノまで現れ、しかもソイツが自分のサーヴァントと知り合いなんて、仮に凛が成人していたら酒でもかっくらって眠ってしまいたくなるくらい、デタラメな状況だ。
「アーチャー、とりあえず降りてくれる?」
「あ、はい」
 凛の要望に応え、アーチャーの靴についた桜色の羽根がふわりと羽ばたき、二人は地面に舞い降りた。それを追うように、セイバーもまた刃を収めながら地上に戻ってくる。
「それにしても驚いたわ……衛宮くん、まさか貴方も魔術師で、しかもマスターになってるなんてね」
「貴方って……じゃあ、遠坂、おまえ……!」
「ええ。今更言うまでも無いかもしれないけど、わたしも魔術師で、マスターよ」
 アーチャーを隣に従える凛の姿は、父親以外の魔術師を知らない士郎から見ても、確かに立派に魔術師然としている。
「……遠坂、正直に言えば俺にはなにがなんだかさっぱりわからない。まさか遠坂が魔術師だなんて思わなかったし、それにマスターって……」
 そこまで言って、士郎は思わず言葉を止めてしまった。
 向かい合う凛が、なにやら自分のことを凄い視線で見ていることに気付いたからだ。
 怒ってる。なんだかわからないけど凛の表情は物凄く怒ってる。
「衛宮くん……正直は美徳だと思うけど、それも時と場合によるわ。ちなみに今はその美徳が発揮される場合じゃないって、分かって?」
「っ――う」
 その言葉はほとんど脅しだ。
 うなだれた士郎に、凛はにっこり笑って、
「分かってくれたようで嬉しいわ。とりあえずこんな寒空で立ち話もなんだし、中で話しましょ。わたしも確認したいことがあるしね」
 言うだけ言うと、制服のスカートを翻し衛宮邸の門扉をくぐっていく。
「なんか……こう、イメージと違うなぁ……」
 さらに首を傾げながら士郎が続き、
「……私達も行こうか」
「……うん」
 頷き合って正反対の色彩を持つ少女二人も衛宮邸へと足を踏み入れた。
「へえ……和風ってのは結構新鮮ね。うちは典型的な洋館だし……あ、こっちが居間?」
 一人妙に楽しげな凛に、
「えっと……さっきは言い忘れちゃったけど、こんばんは、フェイトちゃん」
「あ、うん……こんばんは、なのは」
 なにやらややぎこちなく会話をかわしている背後の二人の少女。
 見慣れた衛宮邸の廊下が、なんだか異空間にでもなったかのような気分だった。
(それにしても、サーヴァントに、マスター……か)
 サーヴァントとは、文字通り従者サーヴァントという意味だろうか。そう考えればセイバーを名乗った少女が自分をマスターと呼んだのも納得できる。だが、同時に色々と疑問が湧き出てくるのも確かだ。
 魔術師の従者といえば、普通使い魔のことだろう。魔術師の一部を移植され、魔術師を助ける為に使役されるモノ。小動物であることが多く、童話に出てくる魔女が連れている黒猫やらを思い浮かべれば、そう大きく外れていないはず。
 だが、サーヴァントを名乗る少女達はあまりにも規格外な存在だ。
(ランサーとアーチャーは戦ってた……つまり、よくわからないけど、俺はサーヴァントとやらを使う魔術師の戦いに巻き込まれたってことか?)
 確かに自分は魔術師だが、何故そのようなモノに巻き込まれなければならないのか。そもそもなんで戦っているのか。疑問は尽きない。
「ちょっと衛宮くん! 何処行くのよー」
「え?」
 ふと顔をあげれば、思考に没頭していたせいか居間を通り過ぎてしまっていた。居間の入り口で凛が腰に手を当てて、少し怒ったような様子で、少女二人は戸惑った顔で士郎を待っている。
「あ……わ、悪い」
 小走りに居間まで戻り、率先して中へ入って電気をつけた。
「寒っ……って、なにこれ。部屋の中滅茶苦茶じゃない……」
「仕方ないだろ……ランサーってヤツに襲われたんだ。あんなデタラメな攻撃、防げるはずないだろ」
「へえ……じゃあ衛宮くん一人でしばらく凌いでたんだ。大したものじゃない」
「凌いだって……一方的にやられただけだ。それにアイツ、全然本気じゃなかったみたいだし」
「そりゃそうよ。サーヴァントが本気になったら人間なんて認識する間も無く殺されるでしょうね……でも、ヘンな見栄を張らないのね。ホント見た目通りなんだ、衛宮くんって」
 変にご機嫌な凛に、士郎は首を傾げ、
「……っ」
 その拍子に、背中の痛みを思い出した。
「どうしたの……って、うわ。背中血塗れじゃない」
 駆け寄ってきた凛の細い指がそっと士郎の背中に触れる。服越しではあったが、憧れていた少女の急な接近に、士郎は、
「あ、いや、大したことないっ。全然かすり傷だぞ、うん」
「そりゃまあ大して深い傷じゃないけど、放っておいていい傷でもないでしょ? 服脱ぎなさいよ、手当てしてあげるから」
 なんでもないように言う凛だが、そんなこと出来るはずが無い。
 飛び退くように凛から離れ、
「い、いいって! そんなことよりほら、話をしてくれるんだろ?」
「? なに、今更警戒してるの? サーヴァントがいる状態で妙な真似はしないわよ」
「いやだから、そういうことじゃなくて……」
「あのっ」
 長々と始まりそうな問答を横から打ち切ったのはセイバーだった。申し訳なさそうな表情を浮かべた彼女は、
「ご、ごめんなさい士郎さん。怪我に気づかないで……あの、私に治させてくれませんか?」
「え……? いや、君がそんな気を遣うことないけど……」
 一度は否定するも、セイバーの真摯な瞳の圧力にたじろぐ。
「……じゃ、じゃあ、頼む」
「はいっ」
「……じゃ、私は部屋の方を直そうかしら。これだけ壊れてるとちょっと厄介だけど……助けてもらったお礼の手付金代わりにはなるでしょ」
 言って、凛は特に粉々になっている窓ガラスへと歩み寄った。
 そちらに視線をやっていた士郎だが、
「あの、士郎さん。上着を脱いでもらえませんか?」
「え!? や、やっぱり脱がなきゃダメか……?」
 セイバーを見返すと、恥ずかしそうに頷かれる。
「治癒魔法は苦手だから……傷を視認しながら施術しないと」
「……わ、わかった」
 男だから別に恥ずかしがることもないのだが、女の子に素肌を見せるというのはなんだか照れる。
 痛みに顔を顰めながら、士郎は血塗れになったシャツを脱いだ。
「……出血は多いけど、傷そのものはそう深くない……うん、これなら簡単に治せる」
 背中に回ったセイバーは呟き、そっと手袋に包まれた指先を士郎のさほど大きくないながらも鍛えこまれた背中に触れさせた。
 一瞬鋭い痛みがはしり、じわりと温かな感覚が広がっていく。怪我した時に風呂に入ったような、とでも言えば一番ニュアンスが近いだろうか。
 しばらくするとその温かさが消え、先程まであった痛みがなくなっていた。
「ありがと、セイバー……うわ、すごいな」
 なんとなく瞳を閉じていた士郎は、瞼を上げて驚きに眼を丸くする。
 部屋の中で竜巻でも発生したかのように、滅茶苦茶になっていた室内がすっかり元通りになっていたのだ。
「ま、デモンストレーションみたいなものだけどね。ガラスなんかは換えれば済む話だけど、わたしもさっきみたいなすきま風どころじゃない状態は願い下げだし」
 なんでもないことのように言う凛だが、物体の強化くらいしか――しかもその成功率は果てしなく低い――魔術が使えない士郎にとっては喝采に値する。
「いや、ほんとにありがたいぞ、遠坂。家具も買いなおし、畳も張り替え、ガラスも一新、なんてあまりに痛い出費で眩暈がしそうだったからな。感謝する」
「……? おかしなこと言うのね。わざわざお金出して直すようなことじゃないでしょ。まあ確かに一部屋丸ごとってのは手間かもしれないけど、ガラスの修復なんて、それこそほんのちょっとの魔力と数秒の時間でOKじゃない」
「いや、俺はそんな器用な魔術使えないし」
「は? 器用って……ガラスの扱いなんてどこの学派でも初歩の初歩でしょう?」
「そうなのか。俺は親父に習っただけだから、学派とか初歩とかよくわからないんだけど」
 素直な士郎の言葉に、機嫌の良さそうだった凛の眉が跳ね上がる。
「……ちょっと待って。じゃあなに、衛宮くんは自分の工房の管理もできない半人前ってこと?」
「……? いや、工房なんて持ってないぞ俺」
 土蔵で魔術の鍛錬はしているが、アレを工房と呼べるほど士郎は厚顔ではない。
「……まさかとは思うけど、確認しとく。もしかして貴方、五大要素の扱いとか、パスの作り方も知らない?」
 おう、と素直に頷く士郎に、凛の視線の温度が下がっていく。
「……なに。じゃあ貴方、素人?」
「いや、一応魔術師の端くれではあるぞ。強化くらいは使える」
 我ながら情けないなと思う言葉ではあるが、事実なのだからしょうがない。それに凛は深々とため息を吐いてから、
「強化、ね……また微妙なのを使うのね。それ以外には?」
「え? ……いや、他には、その、全然」
 一応他にも扱える魔術が一つあるにはあるのだが、それを口に出すと今以上に冷たい視線に曝されそうなので、言葉を濁して答えてしまう。
 そんな士郎に、凛は先刻以上に大きなため息をわざとらしく吐いてみせ、
「――はあ。まったく、なんでこんなヤツがサーヴァントを呼び出せたのかしら……しかも」
 視線を士郎の背中側にいるセイバーへ向ける。
「貴女、セイバーでしょ?」
「え? あ、はい」
 突然話を振られ、やはり素直に頷くセイバー。
 凛はさらに、さらに大きく深いため息を吐く。
「呼んだのは最優のセイバーときた……」
「あ……そうだよ遠坂。そのサーヴァントとか、セイバーとか、一体どういう意味なんだ?」
「……その件に関しては、監督役を問い詰めるのが手っ取り早いんだけどね。どうも妙な事態のようだし」
「妙な事態って……俺としては、現状が既に理解不能の域だ。遠坂に妙な事態なんて言われたらどうすりゃいいんだよ」
「そうね。じゃあ、とりあえずざっと説明してあげる……率直に言えば、衛宮くん、貴方は魔術師同士の殺し合いに巻き込まれたの」
「っ」
 予想はしていたことだが、いざ他人の口から殺し合いなんて言葉を聞くとやはり衝撃的だった。
「聖杯戦争って呼ばれててね……っと、なによアーチャー」
 続きを口にしかけた凛の袖を、今まで黙っていたアーチャーが引いた。振り向き、なんだか怒っているような顔のアーチャーに凛は訝しげな色を表情に浮かべる。
「殺し合いなんてダメだって……言ったじゃないですかっ」
 真っ直ぐに凛を見据えるアーチャーの瞳。それに、凛は苦笑を以って返した。
「わかってるわよ。まず本来の聖杯戦争を説明しないと、今の異常を説明できないでしょ? 慌てないの」
「あ……ご、ごめんなさい」
 早とちりにしゅんとなってしまったアーチャーをなぐさめるように、軽く頭を撫でて、
「話がそれたわね。……この町ではね、数十年に一度七人のマスターと、それに従うサーヴァント、七組の参加者による聖杯の争奪戦が行われる……魔術師の端くれなら聖杯はわかるわね?」
 士郎が頷くのを見て、凛は言葉を続ける。
「マスターってのはサーヴァントを従えた魔術師。セイバーを召喚した以上、貴方もいまやマスターの一人よ。勿論私もそう。それで、サーヴァントってのは聖杯戦争の為に聖杯が与えてくれる使い魔……もっとも、使い魔なんて言葉で括れるほどのモノではないけどね。なにせ、サーヴァントってのは本来受肉した過去の英霊のはずなんだから」
「……え? 受肉した、過去の英霊……?」
「そうよ……と言っても、本来の聖杯戦争・・・・・・・ならって前置きがつくけどね」
「本来のって……どういうことだ、遠坂」
「言葉通りよ。今回の聖杯戦争は、どう考えてもおかしいわ……私が見たサーヴァントはセイバーで三人目、どれも十歳前後の女の子。衛宮くんは聞いたことある? 十歳程度で英霊として祀り上げられるような人物を」
「いや……でも、俺は別に神話や伝説に詳しいわけじゃない。俺が知らないだけで……」
「アーチャーの真名は、高町なのは。どう聞いても日本人、しかも明らかに近代の名前。衛宮くん、現代日本でこんな女の子が英霊になれると思う?」
「……いや」
 そもそも現代は最早英雄の時代ではないのだ。ましてこんな小さな女の子が英雄になれるはずがない。
「本来なら真名は何をおいても隠し通さなきゃいけないモノなんだけど……はっきり言って、こうなってしまってはそんなセオリー無意味よね。誰も聞いたことのない英霊じゃ、真名がわかっても対策の立てようがない」
「真名?」
「ええ。サーヴァントがクラス名で呼ばれてるのはわかるでしょう?」
「……あ。剣士セイバーとか、弓兵アーチャーとか……?」
「そ。本来ならば過去の英霊が呼ばれるんだから、真名――名前がわかってしまったら能力や弱点も判明してしまう。だから、本来サーヴァントの真名は絶対に隠さなきゃならないものなんだけど……」
「……成る程。それでさっきの遠坂の言葉になるわけか」
 確かに、神話や伝承に名が残るような英霊は、そこに行いや能力が記されてしまっている。それを知られるのはまさしく致命的だろう。
「正直に言って、わたしもなんでこんな状況になってるか理解できないわ。……その上、わたしのアーチャーと貴方のセイバーは知り合いみたいだし」
「そうなのか? ええと、セイバー?」
「あ、はい。私となのはは……その……親友、です」
 恥ずかしそうに、だが誇らしげに応えるセイバーの言葉に、アーチャーが嬉しそうに頷く。
「……とにかく、状況の確認の為にわたしは聖杯戦争の監督役のところに行くわ。衛宮くんはどうする?」
「どうするって……遠坂さえかまわないなら、同行させてもらいたい。正直、右も左もわからない状態だからな」
「……呆れた。ほんとに正直者なんだから」
 苦笑い混じりのため息を吐き出し、凛は士郎の同行を許可した。

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