「……う」 懐かしい、夢を見た。 五年前、冬の夜。養父の告白と、自分の誓い。 あの日から、衛宮士郎は正義の味方になろうと、闇雲に走り続けている―― 「……あれ?」 目を覚ませば、そこは自室だった。 「士郎さん……!」 呆然とする士郎の耳に、突如届いた聞き慣れない幼い声。 慌てて振り向けばそこには、 「よかった……目、覚ましたんですね……」 昨夜と違う服装をしたセイバーが心配そうな表情で正座していた。 「セイ、バー……?」 「……はい」 惚けた呼びかけに、セイバーは静かに頷く。 しばらく黙ったまま見詰めあうような形になった二人だが、やがて士郎の思考がようやく起動し始める。 「っ! と、遠坂はっ!? それに、あのバーサーカーって子は……!」 「そんな大声出さなくても、わたしなら無事よ」 セイバーに詰め寄りかけた士郎を制したのは、がらりとふすまが開くと同時に響いた、どこか苛立ち混じりの声。 「まったく、危うく返せない借りを貸し付けられるところだったじゃない」 呆れた視線を士郎へ向けながら、遠慮無しにずかずかと入ってくる凛を、士郎は思わず凝視してしまった。 上半身を覆うのは目にも鮮やかな真紅、視線を僅かに下げれば――と言うか、布団から起きた士郎がまっすぐ前を向くとむしろ視界に入るのはそちらなのだが――対比でより上着を目立たせる黒一色のスカート。それとニーソックスの黒に挟まれ垣間見える眩いばかりの白い肌は寝起きには少々刺激が強すぎる。 「と、とオさかっ!?」 「なによ、絞められた鶏みたいな声出して。……ま、その分なら心配の必要はないか」 「え?」 その言葉の意味を問い質すよりも早く、 「居間で待ってるから、さっさと着替えて来なさいよ」 ぎろりと士郎を睨みつけた凛は、戸惑うセイバーの手を引いて士郎の部屋を後にした。勿論、と言うか何と言うか、出掛けにふすまを閉めた力はまったくもって容赦の欠片も無いもので、ぴしゃりと大きな音が鳴り響く。 「な、なんか遠坂……怒ってる?」 さて何故に自分が怒られねばならないのだ、と考え始めた士郎だが、あまり長く待たせてはそれはそれで理不尽な怒りが落ちるような気がするので、首を傾げながらも着替えを済ませ、部屋を出る。 そうして居間まで行ってみれば、 「……む」 なんだか、やけに華やかだった。 セイバーとおそろいの上品な服を着たアーチャーに、凛、そしてセイバーである。普段虎柄の姉(みたいなもの)やら、制服姿の後輩やらしか見ることがない居間には、まずありえない色彩と言える。 「おはようございます、士郎さん」 「へ? あ、ああ、おはよう……ええと、アーチャー、だっけ」 「はいっ」 挨拶ににっこり応じるアーチャーの頭を凛は軽く小突いて、 「いた……」 「こらこら、これからこってり絞ってやろうって矢先に和ませるんじゃないの」 ぎろりと、剣呑な視線を士郎に向けた。 「まずは、とりあえずお礼を言っておくわ。ありがとう」 「いや……目つきとセリフがあってないぞ、遠坂……」 「でもね、あんな自殺紛いに庇われても困るの。セイバーの魔術がたまたま非致死性だったからよかったようなものの、そうでなきゃ貴方死んでたのよ?」 士郎のセリフを黙殺し、凛はずけずけと言葉を続ける。 「自分の身も守れないへっぽこの癖に、他人の面倒までみようとしない、いいわね?」 「でも、遠坂危ないところだったじゃないか。俺が庇わなきゃ、遠坂に当たってただろ?」 率直な士郎の反論に、凛は思わず、 「う」 と、うめいた。まさかなんのアクションもなしに魔術を反射されるとは思っていなかった為に、それは事実なのだが、 「そ、それは油断のあったわたしが悪いのよ。士郎が気にすることじゃないわ……大体、わたしはいいの。こんな形になるとは、まあ思ってなかったけど、聖杯戦争に参加して命の取り合いする覚悟は出来てるんだから」 「……? それなら、俺だって三流とは言え魔術師だ。覚悟は出来てるぞ」 「…………」 「な、なんだよ」 ますます視線を尖らせる凛に、士郎は怯む。 そんな様子に凛はわざとらしくため息を吐き、 「……ま、いいわ。とりあえず、これからの話をしましょ」 「いや、ちょっと待ってくれ。それより昨日のことが気になる。あのあとどうなったんだ?」 「そっか、士郎はあそこで気を失っちゃったものね。それが変なのよ。あの子……イリヤスフィールってバーサーカーのマスター、士郎が倒れたら、つまらないからもう帰るなんて言って、本当に帰っちゃったの」 「じゃあ……結局昨日はアレから何も起こってないってことか」 「そうね。士郎を治療して、ここに帰ってきた。わたしとアーチャーは荷物を取りに家に戻ったんだけど……わたし達がいない間に、何も起こらなかったでしょ?」 と、話の矛先をセイバーへ向けると、行儀よく正座していたセイバーは小さく頷いて応える。 「……だそうよ。まあ、なんで退いたかはわからないけど、正直ありがたいわ。あんなバケモノ、出来れば相手したくないもの」 「バケモノって……あんな子を相手にそんな言い方はないんじゃないか?」 言って、バーサーカーの姿を思い出す。背中の翼さえ無視すれば、ごく普通の少女で、バケモノなんて言い方は的外れすぎるだろう。 「見かけに惑わされてどうするの……士郎だって見たでしょ、バーサーカーの能力は。キャスターでもないくせに……まあ、それはアーチャーもセイバーも、昨日会ったランサーもだけど、あれだけの魔弾生成に加えて、イリヤスフィールの言葉を信じるなら"ありとあらゆるものを破壊する程度"なんてデタラメな能力まで持ってるのよ? さらにセイバーの魔術を反射するなんて絡め手まで持ってる辺り、厄介なんて言葉じゃ済まされない」 「む……でも、バケモノなんて言い方は、やっぱり抵抗あるぞ」 士郎の控え目な反論に凛は、 「……まあ、ね。見かけがアレじゃ、士郎がそう言いたくなるのもわからないじゃないわ。ところでアーチャー、上から見ててあのセイバーの魔術を反射したのが、どんな術だったか見当つかない?」 「え……? そ、そう言われましても、私はあまり魔法には詳しくないもので……」 「……そう。セイバーは?」 「えっと、よく見てなかったから断言できないけど、法則を壊したんじゃないかって思います」 「法則を壊す……?」 士郎と凛の疑問の声が重なった。 どう説明するかしばらく迷い、 「多分……周囲に存在する"直進する"といった法則を壊した……あの子の能力を考えると、何かの魔法で跳ね返したと言うよりは、そっちの方が考えられるかと」 「……つまり、本来なら真っ直ぐ進んであの子に当たるはずだったのに、その"真っ直ぐ進む"と言う決まりが壊されて……結果、セイバーの魔術はありえない方向に逸らされた。そう言うことか?」 「もしそうだとしたら、滅茶苦茶ね……空間を歪めた、なんて言われた方がまだ安心できるわよ……」 推測ではあるが、あまりにもデタラメな能力に、士郎と凛が揃って表情を硬くする。 「あ、でも推測だから、間違ってるかも……」 「……けど、イリヤスフィールが言った能力を考えるに、辻褄は合うのよね」 凛としてもそんな滅茶苦茶な能力はあって欲しくないのだが、実のところセイバーの意見は的を射ていた。 "ありとあらゆるものを破壊する程度の能力"を利用した、バーサーカーが得意とする術式の一つ。空間の法則を破壊し、魔弾の弾道を捻じ曲げる術、屈折概念・反射空間。通常は己の魔弾をばら撒く際に使う術式であるが、利用の仕方によっては昨夜のような使い道もある。とは言え、反射したものがどこに行くのかを操ることは出来ない為、セイバーの魔術が凛へ向かったのはまったくの偶然であったのだが。 「なんにせよ、出来れば他のサーヴァントと相討ちにでもなって欲しい相手ね」 「…………」 「士郎?」 「…………」 同意を求めた凛だが、士郎からの返事は無い。訝しく思って視線も向ければ、俯いてなにやら深刻な表情。 「ちょっと、士郎ってば!」 「え? う、うわ、ちょ、と、遠坂、近いって!」 無視されたような形になった凛は士郎のすぐ側に寄って、彼の肩を軽く揺さぶった。そうまでされてようやく凛に意識を向けた士郎だが、なにせ憧れていた相手である、こんなに密接されると照れると言うか何と言うか。 そんな士郎の慌て様に凛はにんまりと意地悪く笑う。 「な、なんだよ」 「んー? 別に。ただ、士郎って結構可愛いところあるんだと思っただけ」 「〜〜っ」 頬どころか顔中赤くする士郎に、凛はますます楽しそうに笑った。 「……って、ちょっと待て遠坂。なんか変だなと思ってたけど、おまえさっきから俺のこと名前で呼び捨ててないか?」 「え? ああ、そう言えばそうかもね。イヤなら変えるけど?」 「……いや、別にイヤってことないけど」 女の子から名前で呼ばれるなんて、全然慣れていない。セイバーのように初対面の上にかなり年下の子に呼ばれただけでもわりと緊張したのだ。それが長年憧れていた相手となると、その緊張たるや容易に想像できよう。 「じゃ、このままでいいわね。……士郎、士郎、か」 「な、なんだよ遠坂、人の名前連呼して」 「ん? いや、呼びやすい名前だなーって思って」 嘘だ。 楽しげな凛の笑顔を見て、士郎は心中で断言した。あれは絶対に士郎が照れているのがわかっていて、それをからかってる顔だ。実にタチが悪い。 「それで士郎、さっきはどうしたのよ、ぼーっとして」 「え? あ、いや……あのイリヤって子、なんで俺のことお兄ちゃんなんて呼んだのか、考えてた」 「ああ、そう言えばそんな風に呼んでたわね」 「……実は何日か前にも会ったんだよな、あの子に」 聖杯戦争なんて異常に巻き込まれる前、いつものようにバイトから帰る道で、士郎は確かにあの妖精のような少女とすれ違った。 かすかに耳に届いた囁きを、まだ覚えている。 「単に年上の男の子だからお兄ちゃんって呼んだ……というわけじゃなさそうね。それならわたしのことだってお姉ちゃん、とか呼びそうだし」 言って、凛は自分の言葉に身を振るわせた。なんだかよくわからないが、あのイリヤという少女に「お姉ちゃん」などと呼ばれるのは悪夢じみている気がする。そもそも、自分は姉などと呼ばれる―― 「っ」 浮かびかけた誰かの姿を、小さく頭を振って追い出す。そんなことを思い出すなんて、無駄以外の何者でもない。心の贅肉もいいところだ。 「……遠坂?」 「……なに」 「どうか……したのか?」 「……なんでもないわ」 いきなり顔を顰められてなんでもないもあったものではないが、それ以上の追求を拒絶する空気が凛の周囲にはあった。気にはなるが、僅かに躊躇し、結局士郎も口を閉ざした。 突然訪れた気まずげな沈黙、それを破ったのは、 「あ……え、えっと、士郎さん朝ご飯まだですよね、あのっ、よかったら私作ります!」 「え……? あ、ああ、そりゃありがたいけど……いいのか?」 「……そうね。ついでに紅茶を淹れてもらおうかしら」 凛の方を伺うと、凛は小さくため息を吐いてから微笑んで、アーチャーに言った。 茶坊主を呼んだわけではない、とは数日前の凛自身の言ではあるが、アーチャーはなかなか美味しく紅茶を淹れるスキルを持っているのだ。あるものを活用しない手もない。 「じゃあなのは、私も手伝うよ」 セイバーが言って立ち上がり、アーチャーはそれに嬉しそうに笑う。 少女サーヴァント二人が連れ立って台所へ消えるのを、マスター二人はなんとなく見送った。 「ほんとに、仲いいのね、あの二人」 「みたいだな」 見かけだけならわからないでもないが、一応セイバーとアーチャーなのだから、ああも仲良くされるのはやはり違和感が付き纏う。 それでも、やはり少女達が仲良くしている姿というのは、どこか心が和む。 ふっとなごみかけた表情が、 「!?」 突如鳴り響いた鐘の音によって、再び緊の一文字に取って代わられた。 |