「なあ、ほんとにやるのか?」
「なによ今更。嫌なら士郎だけ帰ったら?」
 確かにここまで付いて来て止めろと言うのもないだろう。だが思わず確認してしまった士郎に、凛は容赦なく冷たい眼差しを向ける。
 時刻は午後八時の僅か前。士郎達は校庭の外れにある茂みに隠れていた。
 士郎、凛、バゼットという、どう見ても怪しい組み合わせだが、凛によって人目を逸らす結界が敷かれている為見られる心配は無い。
 もっとも、一体どんな手段を使ったのか、学校に手回しした、などとさらりと言って、校舎半壊事件の後始末に奔走する教師やマスコミを、凛は綺麗さっぱり追い出してしまったらしいので、そもそも人目に触れることはないようなのだが。
「大体、葛木一人残ってるってどう考えても怪しいでしょう」
「……まあ、そうだけど」
 凛の言うとおり、そんな状況の中葛木一人が帰る様子も無く学校に居残っていたのは、どう考えても怪しい。
 流石の士郎も葛木がなんらかの形で聖杯戦争に関わっていることくらいは同意せざるをえなかった。しかし、だからと言って問答無用でガンド――呪いの魔術など叩きつけては、纏まる話も纏まらない。
 とは言え、学校に結界を敷いたのが葛木だとしたら話し合いの余地は初めから存在しないだろうが。
「……来るわ」
 士郎の反論が終わるのを見計らっていたかのようなタイミングで、凛が使い魔の視界を介して葛木が玄関を出たことを告げる。
 遠い街灯の光が、葛木の顔を僅かに照らしていた。士郎達に気付いている様子は無い。
「やるわよ、いいわね?」
 言って、凛は葛木へと指先を向ける。
 茂みの前を通り過ぎる葛木。その後頭部に向かって可視の呪いの塊、ガンドがゆるゆると飛んでいく。
 気付けばけして避けられぬ速度ではないが、背後から迫ってくるそれに、葛木は反応しない。
 直撃すれば二日は寝込むであろう病の風は、狙い違わず葛木の後頭部を直撃――
「っ。やば――!」
 寸前、突如この場にはありえぬ音が風に乗って響く。
「!?」
 目の前で展開された光景に、士郎達は目を瞠る。
 葛木が、砕け散った・・・・・
「な……か、鏡!?」
 士郎が叫んだ通り、僅かな光に煌くそれは、鏡の破片。
 つまり、今の葛木は鏡像だったということか。
「やはり遠坂……それに衛宮か」
 思わずあげてしまった声で葛木は士郎の存在を察したようだった。凛がいることを元から承知だったようなのは、おそらく今朝方屋上で出会った時、向こうも凛のことを怪しんでいたのだろう。
 教卓に立っている時とまったく変わらぬ響きの葛木の声。
 それは、
「上!?」
 バゼットの叫びにつられ、士郎達の視線が空へ集中する。
 そこに、異形が浮いていた。
 夜闇に溶けるような、漆黒の姿。大きく広がるのはマント――いや、翼だろうか。
「あれは、ライダーのマスターの……?」
 そうバゼットが呟くほどに、その姿は一昨日の夜出会った慎二と酷似している。
「見よ宗一郎、妾の言った通りであろう! エミヤと言うのが何者かは知らぬが、仲間も一緒に連れているのなら好都合よ」
 さらに響く声は、ライダーのそれと実によく似ていた。
「……ちょっと、何。また女の子なわけ……!?」
 響いた声から受ける印象に、げんなりする凛。
 己がアーチャーにセイバー、ランサー、バーサーカー。さらに話だけだがライダーも。そして今の声、キャスターかアサシンかはまだわからないが、どう聞いてもミドルティーンにも届かないような少女の声色であった。
 サーヴァントの少女率、実に6/7。まったく、サーヴァントシステムにどんな異常が起こればこんな状況になると言うのか。
「問答無用とは恐れ入るぞ、魔術師。だがこれで妾達も容赦なく戦えるというもの! 宗一郎!」
「ああ」
 サーヴァントの声に首肯し、葛木が片腕を上げる。
 その手の先に集まる剣呑な魔力の輝きに飛び出したのはアーチャーだった。
「みんな、さがって!」
 既に白い戦闘服を纏っており、左手にはレイジングハートも握っている。
《Round Shield》
 硬質な声が高らかに宣言し、飛び出したアーチャーの右手に巨大な魔法陣が展開。天から振り下ろされた魔力波が、そこに直撃した。
 爆音と煙を上げ四散する魔力。それに紛れ、飛び出すのは真紅の魔力を纏った影――ランサーだ。
「ふん、たった二日で主替えとは随分と尻軽ね!」
 言いながら、指先を軽く振ると、ランサーの眼前に紅玉色の尖った魔弾が無数に出現する。その密度、おそらく葛木側からはランサーの姿は見えまい。
 翼を大きく羽撃たかせ急停止。無論当然魔弾は止まらずそのまま空を疾る。
「もっとも、主を誰にしようが私には無関係だし、借りを返すチャンスだけれど」
 胸の前で掲げた両手を前に差し出す。その姿だけ見れば、まるで誰かに抱きつこうと、あるいは誰かを抱きとめようとしている、少女らしい可愛らしい仕草だ。実際は、巨大なリング状の魔弾を放った動作なのだが。
「防禦陣展開!」
 幼い、だが凛々しい声が魔術の起動を叫ぶ。同時に、天を照らす聖浄の輝き。その源は、盾にも似た巨大な輝きだ。びっしりと奇妙な文字が浮かんだそれは、ランサーが放った魔弾を受けて激しく揺らぐも破れる気配はない。
「防いだ!? ち、どうも頑丈なのが多いわね……!」
 ランサーが常々行っていた"弾幕ごっこ"は通例回避が基本であり、結界や防御魔術を使うのは稀であった。故に、防御主体で魔弾を捌くアーチャーやライダーを相手にしてはどうにも違和感を拭えない。
「主替えだと? 何を言うか小娘が! 確かに妾は幾多の魔術師と契約してきた。だが、妾を尻軽と謗るはその者達をも冒涜すると言うこと。それは許せぬ!」
「はん、何を言うかと思えば。一昨日の夜を忘れたとは言わせないわよ、古本女――!」
 叫び、ランサーは紅い疾風と化した。
 振り上げる指先には、硬質化した爪が伸びる。アーチャーの魔弾を容易く切り払ったのだ、おそらく鉄板でさえも寸断するだろう。
 飛翔するランサーは可視化せんばかりの魔力纏っている。いや、事実魔力は真紅の揺らめきとなり、ランサーの全身から仄かに立ち上っていた。ライダーに一撃受けた時に一度大きく減りはしたランサーの魔力だが、一日の休憩を挟み有能な魔術師であるバゼットをマスターとしており、しかも吸血鬼と言う種族特性の為ほとんど全快しているらしい。
「くっ、マギウス――!」
「不要だ」
 防御か、回避か。何がしかのアクションを起こそうとした己がサーヴァントを、葛木が短い言葉で制止した。
 飛翔。交錯。斬撃。
 すれ違いざまの一撃は、完璧なものだった。
 数百年を経た古の大木ですら切断するであろう爪の斬撃は、仕損じることなく葛木を真っ二つに分かつ。
 その――筈だった。
「な――」
「――嘘」
 当惑の声が重なる。
 惑いの声は士郎達どころか、ことを為した葛木以外の全員から漏れ出ていた。
 腕を振り切った姿勢で、ランサーは呆然と対峙する相手を見る。
「――なん、ですって」
 この至近距離に居てさえ、事態が把握できていない。
 何が起こったかは見ればわかる。だが、それは常識外に生きるランサーをして理解の範疇を超えていた。
 人の身など、例え鋼鉄の全身鎧を纏っていようが真っ二つにしたであろう一撃。
 だがそれは、胴を薙ぐ前に何かに腕を挟まれて停止している。
 それは、いかなる奇術なのか。疾風にも等しい――いや、ともすれば雷に匹敵する速度で放たれたランサーの爪撃は、葛木によって止められていた。
 肘と膝。
 高速で薙ぎ振るわれた腕を、葛木は片足の膝と肘で挟みこむように止めていたのだ――!
「――――」
 刹那、ランサーは呆然とする。
 莫大な魔力と、生まれついての身体能力。まともな格闘術など修めていないランサーである、無論このような奇妙な体術を知るはずは――館の門番あたりなら出来る可能性はあるが、少なくともランサーは見たことがない――なかった。
「侮ったな、サーヴァント」
 揺ぎ無い葛木の声がランサーを正気に戻すと同時、
「っが!?」
 ランサーの後頭部を、正体不明の衝撃が襲った。
 眼前に敵がいるのに何故背後から、そう疑問に思う間もなく、
「落ちろ」
 閃光のような爪先が、ランサーの華奢な身体を撃ち抜いていた。
「ランサー!」
「ランサーさんっ!」
 咄嗟にアーチャーが飛び出し、ランサーを受け止める。
「肘と膝で受け止めるとは……執事は歯で刃を止めたと言うが、彼奴ほどではないにしても、汝もなかなか滅茶苦茶だな……だが気を抜くなよ、宗一郎。ナコト写本がおらん」
 可憐な声が、地上の士郎達の姿を認め葛木に注意を促す。
「お前と同郷のサーヴァントだったな、心得た……だが、遠坂と衛宮がマスターとはな。魔術師とは因果なものらしい」
 その呟きは、士郎達には聞こえない。
 同様に、
「……まずいですね。どうやらあの奇妙な姿、ライダーの能力に因るようですが、マスターの身体能力を極端に増幅するらしい。先日の少年程度なら問題ありませんが、今の動き……ランサーの油断があったとは言え」
「でも、下手な攻撃はあの防御魔法に防がれちゃう……あれ、凄く強力だよ。私のスマッシャーかなのはのバスターが直撃するくらいじゃなきゃ、きっと破れない」
「遠近どちらも死角はなし、か……とりあえずセイバー、アーチャー達の援護に向かって」
 凛達のやり取りも、空中の葛木には届かない。
 凛の言葉にセイバーは頷き、黒杖を握り締め舞い上がる。
 セイバーを不安げに見上げながら、
「なあ遠坂、なんだか妙じゃないか?」
 そんな言葉を、士郎は口にしていた。
「妙って……なにが?」
「いや、何がって言われると説明できないんだけど……学校の結界って、本当に葛木が張ったのか」
「何よ今更。実際葛木はマスターだったじゃない、しかもライダーの。そうなると、慎二を巻き込んだのは葛木の可能性が高いわ」
 そうだとすれば、間桐家は今回の聖杯戦争とは無関係の可能性も出てくる。その予想に、凛は知らずの内に安堵の息を吐いていた。
「でも、バゼットさんが話したライダーとはなんか印象違わないか? 襲われたから、自衛で戦ってる。そんな感じも」
「きゃあっ!」
「!? アーチャーっ!」
 士郎の言葉を遮ったのは、アーチャーの悲鳴だった。早くも一撃受けてしまったか、と焦って空を見上げる凛達が目にしたのは、吹き飛ばされたのをセイバーに抱きとめてもらい、目を回しているアーチャーと、
「二度……この私を、二度も吹き飛ばすなんてね」
 目に見える形で大気を歪めているランサーの姿だ。
 溢れ出る真紅の魔力は、最早大気を侵す毒と化していた。
「この屈辱――最低でも倍返しさせてもらうわっ!!」
 少女の姿に似合わぬ咆哮。
 それはランサーの意志を正しく伝え、魔力を変質させる。
 すなわち、攻撃のカタチに。
 ランサーを中心に、全方向へと光の帯が奔った。
「防禦をっ!」
 叫び、再び先程ランサーの魔弾を防いだ防御魔術が展開される。
 それとほぼ同時に、
「バルディッシュ!」
《Defencer》
「くっ……!」
 空中で、地上で、防御の意を持つ言葉が発せられていた。
 光の帯が迸るは全方向。それは勿論、士郎達やセイバー達を避けるなんて器用な真似はしてくれないのだった。容赦なく身を貫こうとする紅の閃光をセイバーは防御魔術で、士郎達は上手く隙間を見つけることでそれぞれ防ぐ。
「ランサー、下がりなさい! セイバー達と連携して……」
「黙りなさいバゼット。連携? は、お断りよ。私の屈辱は、私が晴らす……そこで見てなさい」
 幼い声でありながら、まるで威圧の魔術が込められているかのような響き。士郎や凛はおろか、相当の修羅場をくぐってきたバゼットすら、反論することも出来ない。
「仲間も巻き添えとは……! ええい、この無闇に被害の大きい術式を止めよ! 如何に続けようと、妾の防禦陣は破れんぞ!」
「は? たかが導線を逸らしている程度で、囀らないで欲しいわね」
 ランサーが嗤う。途端、バゼットの身体からごっそりと魔力が抜けていく。
「まず……アイツ、なにをやらかす気だ」
 冷や汗を流し、士郎が呟いた。
 大気は震え、大地は揺れる。人目を逸らす結界が無ければ、一体どんな天変地異が起こったかと相当な騒ぎになっていただろう。いや天変地異どころの騒ぎではない。天が叫び、地が轟くその様子は、世界の終末を思わせる光景と言っても過言ではなかった。
「さあ、その薄っぺらい盾ごと吹き飛ばしてあげる……!」
 ランサーの可憐な唇が、
「"神鬼"――レミリアストーカーっ!」
 破滅の起動を紡ぎ出した。
 瞬間、世界が紅に染まる。
 ランサーから全方向へと伸びた光の帯を導管にして、莫大な魔力が放出された。
 あまりにも単純明快。その魔力には余計な用途など付加されていない。例えるならば巨大なハンマーの一撃だ。振り上げて、振り下ろして、壊す。ただそれだけの機能しか存在しない。
 だが、それゆえに効果は明白で絶大だった。
 真紅の光線に穿たれていた場所が、大型トラックの激突でも受けたかのように轟音を立てて吹き飛ばされる。
「こ、校舎が……」
「馬鹿! 校舎なんか気にしてる場合じゃないでしょ!」
 外壁が崩壊し、外から教室が丸見え、という惨状に士郎が呆然としていると、凛の怒りが飛ぶ。
 先の光の帯は咄嗟に避けさられたものの、次いで発せられた極太の破壊閃光はそうはいかない。バゼットが張ったルーンの結界に、さらに凛が補強しなんとか防いだ、という状態だ。ランサーの戦闘がバゼットの魔力を削っているのだから、何度も繰り返されては防げまい。
「バゼット、ランサーを止めなさい!」
「先程から止めています。ですが彼女は、こちらの念話を完全に無視している!」
「だったらっ、令呪でもなんでも使って止めなさいよ! このままじゃわたし達まで粉々よ!」
「無理です! 彼女の気性はわかるでしょう、下手に止めれば苛立ちのあまり私達に向かってきかねない!」
「……確かにね。けど、アーチャーやセイバーが加勢してもあの子達まで撃ちかねないし……」
「ですが、ラインを通じて私の魔力はこうしている間にもランサーに吸われています。まずいですね、このままではルーンの守りも長くはもたない」
「それなら、俺に考えがある」
「え?」
「本当ですか、士郎君。ランサーを止める手立てが?」
 凛の疑わしそうな、バゼットの期待に満ちた視線を受けて、士郎は少し慌てて、
「あ、いや、ランサーを止める方法じゃなくて、ランサーのあの魔術を防ぐ方法。さっきの一撃で気付いたんだけど……見てくれ」
 言って、士郎はランサーを示した。
 その瞬間、再びランサーから強烈な閃光が迸る。
 二度目の大衝撃に、校舎は再度激震。外壁どころか廊下側の壁すら突付けば崩れそうなほどに崩壊している。校舎全壊も間近に思えた。
 だが、
「……なんか、破壊痕が飛び飛びに……?」
 凛が呟いた通り、校庭を轍のように抉る破壊の跡は定規で引いたかのように等分に分かれている。
「あの魔術、今も見えてる赤い光に沿って放たれるんだ。それも扇形に広がる、とかじゃなくて、一定の太さの魔弾が走るような形で。だから」
「赤い光が放射状に展開している以上は、距離を取れば取るほど大きな隙間が出来る、ということですか!」
「成る程ね……ま、ランサーもそれは承知しているみたいよ」
 感心しているようではあったが、同時に凛の声は苛立ちを含んでいた。変わらずランサーへと向けられている視線、それにつられ士郎達も空を見上げれば、
「い!?」
 バゼットが言った『大きな隙間』を埋め尽くさんばかりに、更なる魔弾がばら撒かれていた。
 小さな刃物にも似た魔弾は、狙いをつけていないのか出鱈目に飛び回り、そこかしこの植木や校舎の壁に突き立っている。その様子を見れば、わざわざ己が身で受けてみなくとも威力は嫌でも思い知らされた。
「とは言え、この程度なら打ち払える――! 凛、後退しましょう!」
 言いながら、実際バゼットは皮手袋を嵌めた両の手で、迫る魔弾を鋭く打ち抜いている。
「……そうね。少なくともあの閃光を防ぐのは下策、か。いいとこに気がつくじゃない、士郎」
 言って、凛もガンドを放ち、退路を確保する。
「セイバーっ! 下がれるか!?」
「な、なんとかっ。なのは、大丈夫?」
「う、うん、へーきっ! ごめんね、ありがとフェイトちゃん!」
 まだ少々ふらふらしているが、セイバーの呼びかけにはっきりとした声で応え、アーチャーはふわりとセイバーの腕の中から浮き上がる。向かってくる魔弾を球状の魔力壁が弾いているところを見ると、言葉通り問題なく動けるのだろう。
 再三、閃光が放たれた。
 ガラスが砕けるのにも似た澄んだ音を立てて、葛木を守っていた防禦陣が瓦解する。
「は。なかなか頑丈だったわね……でも、もうその盾も無くなった!」
 四度、迸る閃光を、
「戯けめ! 既に見切っておる、宗一郎!」
「うむ……ニトクリスの鏡」
 葛木は呟きを以って、反射・・した。
「嘘っ!?」
 ランサーの叫びは憎憎しげでも、苦々しくもない、素に近い驚きの声だった。
 咄嗟に翼を羽撃たかせ舞い上がり、かろうじて撃ち返された閃光はかわしたものの、術式は停止し、導線と呼んでいた放射状に広がる紅い光の帯も消え去ってしまう。
「光に近しい特性が仇為したな、サーヴァント。光であれば、鏡で反射出来ぬ道理は無い」
 呆然とするランサーに、まるで生徒から受けた質問に答えるかのように淡々と解説する葛木。
 その余裕ぶったとも思える態度に、しかしランサーは、
「……ふん、わざわざの解説痛み入るわね」
 睨みながらではあるが、激昂することも無く応じた。
 必殺を期した術式が避けられたことで、逆に冷静さが戻ったか。
「そもそも古本相手なんだもの」
 言ってかざした手に浮かぶのは、炎。
「火が一番有効に決まってるわね」
 握り拳大の炎が、ランサーから無数に噴出する。
 その様子を地上から見上げる凛は、
「アイツ……っ! ちょっとは冷静になったと思ったのに、まだ一人で続けるつもりなの!?」
「プライド相当高いみたいだからなぁ……でも、このままじゃマズイぞ。サーヴァントだけならともかく、葛木も一緒に吹っ飛ばしちまいかねない」
「それに何か問題あるのですか?」
「あのな。さっき言っただろ、なんか妙だって。ライダーの方にはランサーに恨まれる覚えなんか無いって感じじゃないか? なあ遠坂、二重人格のサーヴァントとかありえるのか?」
「二重人格のサーヴァント?」
「そうでなきゃ双子とか。異世界の連中なんだ。そんなサーヴァントとかいてもおかしくないだろ」
「……まあ、このイレギュラーな状態だし。いないとは言わないけど……つまり、ライダーは二人で一人のサーヴァントとでも言いたいの?」
「ありえないかな」
「絶対無いとは思えませんが、難しいでしょう。噂に聞くエーデルフェルト家の双子当主ならば、あるいはそのようなことが可能なのかもしれませんが」
「エーデルフェルト?」
「あ、バゼット、士郎はほとんど素人同然だからエーデルフェルトなんて言ってもわからないわ……けど、なんにせよランサーを落ち着かせないことにはどうにもならないでしょ? 少しは冷静になったみたいだけど、アーチャー達が割り込んだりしたらすぐにでも沸騰しそうよ」
「そうか……」
 とは言え、マスターであるバゼットにも止められないのに、魔術的に素人同然である士郎が止める方法を思いつくはずもない。
「ランサーさん……やめるつもり、ないみたいですもんね」
 アーチャーが空を見上げ呟く。その困り顔が、静かな決意を秘めた表情に変わっていく。
「だから、止めます。私とフェイトちゃんで」
「え?」
「だって、衛宮さんたちの学校、めちゃくちゃになっちゃったじゃないですか! ランサーさんの負けて悔しい気持ち、私にも少しだけどわかる。でも、それでまわりをこんな壊しちゃうの、間違ってます!」
「アーチャー……まったく、とんだお節介者ね」
 やれやれ、と凛はため息。幼いゆえの正義感は、現実主義者を自認する凛にとって呆れてしまうようなものだ。相応の実力もあるとはわかっているが。
「……そうだね。ランサー怒るだろうけど、それでも止めなきゃ」
 アーチャーの言葉にセイバーが頷き、彼女の持つ黒杖が主の意志に呼応して、
《Scythe form. Set up》
 鋼の声で宣言し、金色の刃を生成する。
「行こう、なのは」
「うんっ」
 セイバーがマントを揺らしながらふわりと飛び上がり、アーチャーもまた靴に小さな桜色の魔力翼を生んで戦いの場へと赴こうとする。
 それを、
「……待ってください」
 バゼットが静かな声で呼び止める。
「バゼットさん?」
「ランサーを止めるのは、仮にもマスターである私の役目でしょう。貴女達に押し付けるわけにはいきません」
「で、でも……」
 ほぼ自在に空を機動し、戦闘に特化した魔術を使うセイバー達と違って、いかに封印指定の執行者と言えど、バゼットは人間だ。サーヴァントとは大きな隔たりがあるはず。
 バゼットが止めるのは無理がある、やはり自分達が、と申し出ようとしたアーチャー達の言葉は、だがバゼットの耳に届くことはなかった。
 突如、響き渡る轟音。
 ランサーの戦いが発した音ではない。音は遥か遠くから聞こえてきた。
 同時にアーチャー達の鋭い魔力感覚に引っかかる、莫大な魔力の存在。
「こ、これ……っ!」
「フランの、魔力……?」
 矢継ぎ早に火炎を放っていたランサーだが、感じ慣れた魔力の波動に思わずその手を止めてしまう。
 その隙を、葛木が見逃すわけはなかった。
「ゆけっ、宗一郎!」
 その身を覆う漆黒のボディスーツを構成するのは本のページでありながら、ランサーの炎を受けても葛木は焦げ一つすらない。もっとも、流石に無傷というのは火炎に強い弱い以前の問題だ。おそらくは先程の防禦陣を張っていたのだろう。
 少女の声に押され、葛木がページの翼を羽撃たかせランサーへと迫る。
 近接戦闘の異常は初撃で嫌というほど思い知らされた。ランサーも己が翼を大きく振り、高速で後退する。
「逃さんっ! 宗一郎、術式の起動を行うぞ!」
「ああ」
 葛木が頷くと同時に、その髪が踊った。
「っ!? また奇妙な真似を……!」
「アトラック=ナチャ!」
 空を蜘蛛の巣のように、葛木の髪が奔る。元は短髪の葛木だが、この術式を紡ぐ為なのか、先の慎二と同様に長髪になっていた。単に葛木が髪を伸ばしただけだとしたら相当不似合いだろうが、黒のボディスーツ姿とあいまって、妙に似合って見える。
 もっとも、相対しているランサーは葛木のことを知らないし、知っている士郎達とてそんな悠長な感想が抱ける状況ではないのだが。
「何事なの!?」
「わ、わかりません。多分、バーサーカーちゃんが戦ってるんだと思うんですけど……」
「あのバーサーカーと戦ってる……!? 残りのクラスはキャスターとアサシンよ。どちらもバーサーカーと正面からやりあえるとは思えないのに」
 キャスターにせよアサシンにせよ、直接戦闘は苦手なクラスだ。真価はマスター狙いと言っても過言ではない。それが、こと戦闘においては並ぶ者無しと思われるバーサーカーと戦うなど自殺行為のはず。
「でも、確かに感じますっ。バーサーカーちゃんに匹敵するほどの、莫大な魔力反応……!」
「……どうする、遠坂」
「正直バーサーカーと互角って言うなら共倒れになるのを祈るのが一番だけど、そんな楽観は捨てるべきか。……バゼット、ランサーを止めると言ったわね」
「ええ。それはマスターである私の責務ですから」
「……なら、アーチャーとセイバーはバーサーカーのところに先行しなさい。可能なようならバーサーカーに加勢して」
「え?」
「それ、どういうこと……?」
 アーチャーとセイバーが揃って首を傾げるのも無理は無い。バーサーカーは今交戦中のライダーと並んで目下の敵だったはずだ。それを助けろ、と言うのは理屈に合わない。
「バーサーカーは確かに難敵だけど、幸いイリヤスフィールはルールを守るマスターよ。でも、もしバーサーカーと交戦中のヤツが魔術師として外道だったら」
「……イリヤ以上に見過ごせない敵になるってことか」
「そういうこと。潰せる時に潰しておくべきね。だから、急いで」
「でも、ここは……」
「貴女達が抜けてもサーヴァントの数が同じになるだけ。最悪離脱は可能よ、万が一の時には令呪もあるし」
「…………」
「……行こう、なのは。凛さんの言うとおり、時間は無駄に出来ないよ」
 セイバーに促され、ようやくアーチャーは頷いた。
 対照的な色合いの少女サーヴァント達が飛び去る風切り音に混じり、
「くっ……! こ、このっ……!」
 響くランサーの苛立たしげな声。
 空を見れば、網目状に張り巡らされた髪が、徐々にランサーの動きを制限していた。
 ランサーも魔弾を放ち、爪で束縛を振り払おうとしているが、葛木は髪をめぐらせながらも魔力波を放っており、ランサーは思うように動けないでいるようだ。
「押されてる……? 今なら言い訳が立つんじゃない、バゼット?」
「まだやれた、と言われそうですが……確かに、劣勢に見える今が好機ですか」
 言うが早いがバゼットは嵌めていた皮手袋を脱ぎ捨てる。甲に浮かんだ令呪は、残り二画。
「ランサー、戻りなさい!!」
 叫びと同時に赤い光が爆裂し、令呪の一画が消え失せる。
 古の大英雄すら従える令呪の働きは正しく作用し、バゼットの命令を実行した。髪に捕われかけていたランサーの姿が赤い光に包まれて掻き消え、次の瞬間にはバゼットの側で実体を結ぶ。
「っ!? バゼット、何を余計なことを……!」
 予想通り、噛み付いてくるランサーに、
「いい加減にしなさいランサー! 周囲の惨状を見なさい。これ以上貴女に独断で動かれては、あたり一面焦土と化してしまいます――!」
「……ふん、そんなの私の知ったことじゃないわ。下手な手出しはしないでちょうだい」
 言い捨て、再び舞い上がろうとするランサーの手を掴んだのは、
「待て、ランサー」
 マスターであるバゼットはなく、士郎だった。
 無論、そんなことをされてランサーが気をよくするはずが無い。むっとした顔で士郎の手を振り払おうとするのだが、
「頼むから、待ってくれ。ひょっとしたら、とんでもない勘違いをしてるかもしれないんだ」
「とんでもない勘違い……?」
 その言葉に興味を引かれたのか、顔をしかめてはいるが翼を畳み、
「言ってごらんなさいな。面白い話なら、少しは待ってあげてもいいわ」
 地面に降り立った。
 せっかくランサーが気まぐれを起こしてくれたのだ、この機を活用しないわけにはいかない。
 士郎は一歩前に出て、
「葛木、一つ聞かせてくれ!」
 髪を引き戻している葛木へと、大声で呼びかける。だが、今の今まで戦っていた相手の制止を鵜呑みにする者もそうはいない。案の定少女の声が飛んだ。
「時間稼ぎか? 妾に勝てぬと踏んで、先程離脱した者達はナコト写本を連れに帰ったのであろうが、そうはいかんぞっ」
「待て、キャスター・・・・・
 地の底から響くような葛木の言葉に、士郎達の表情が凍る。
「な……き、キャスター、ですって?」
「そんな馬鹿な。ですが、あの声は確かに」
「……? 何を驚いておるのだ、汝ら。ナコト写本から妾のことを聞いてるのだろう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、キャスター? お前、ライダーじゃないのか」
 確かに態度こそ違うが、声も、葛木の姿も、ランサーが先日交戦したライダーが備えていた特徴だ。
 だが、葛木曰くキャスターは、ライダーとまったく同じ声でそれを否定する。
「汝らこそ何を言っておる。ナコト写本と組んで妾を狙ったのではないのか?」
「だから、そもそもそのナコト写本ってのはなによ、古本女」
「む。古本女だと? まったく、覇道の小娘のような口を利きよって……口の利き方をわきまえよ、小娘!」
「そちらこそ、貴族ノウブルである私に対する言葉遣いがなってないんじゃあないの? 大体、姿も見せずに人を小娘呼ばわりとは大したご身分だこと」
「ふん! 汝の目は節穴か? 先程から妾はここにおるではないか」
 言われ、士郎達は声の源を探る。
「……え?」
 ソレは、地上に降りて以来微動だにしない葛木の肩の上に居た。
 そのアンバランスさに、士郎と凛は呆気に取られ、
「……は。そんなチンチクリンでよくもまあ人のことを小娘だなんて言えたものね」
 ランサーは不機嫌そうに吐き捨てる。
 無闇に重々しい葛木の表情の横に、掌ほどの大きさの妖精が浮かんでいる。
「こ、こいつがサーヴァント!?」
「宗一郎がマギウス化しておるのだ。妾がこの姿なのは仕方あるまい……ふん、だが姿で侮られるのも不快だ。宗一郎、マギウス化を解くぞ」
「ああ」
 葛木が頷き、途端葛木の周囲を紙片が舞った。
「……こいつ」
 現出したその姿を、ランサーが睨む。
 風に流れる不思議な艶を持った銀の髪。見つめれば吸い込まれてしまいそうな翡翠の瞳。
 過剰なまでに装飾された純白のワンピースに、そこかしこを飾る赤いリボン。
「やはりライダー……? いえ、ですが色が違う」
 バゼットの呟き通り、ライダーがネガとすれば、こちらはポジ
 確かに色以外違う点はないように見える。声も瓜二つだし、奇妙な黴臭さが漂うのも同じだ。
 だが、
「ちっ……別人だなんて、馬鹿馬鹿しい。あっちの古本女はもっと冥く澱んだ目をしてたものね」
「なんだと? 汝……ひょっとせずとも、妾とナコト写本を間違えておったのか!?」
 頭身が伸びた為か、若干凛々しくなった声がランサーを問い詰めるが、無論それで悪びれるような可愛げのあるランサーではない。ふんとそっぽを向いて、
「は。紛らわしいお前らが悪いのよ……まったく、とんだ無駄骨。フランの様子を見に行くんだったわ」
 などと、さも葛木側に全責任があるのだと言わんばかりだ。
「な、汝ぇ……問答無用で襲ってきてその態度。まったく反省しておらぬな!?」
「ふん、何を反省する必要があるんだか。怪しまれるような真似をしたのはそっちだろうに」
「なんだとーっ!?」
「なによ!?」
 先程のように魔術行使まではいかないが、険悪なランサーとキャスターの視線がぶつかり合う。火花でも飛びそうな勢いだった。
「――遠坂」
 そんなサーヴァント同士のやり取りを完全に無視して、葛木が士郎達の側へと歩み寄る。
 いかにキャスターの力を借りてのこととは言え、ランサーを一度は退けた体術に凛とバゼットは当然警戒し、近づかれた分だけ距離を取った。士郎はと言えば、なんとかランサーとキャスターを仲裁できないか考えをめぐらせているらしい。凛が慌てて片手を掴んで距離を取らせる。
「そもそも、何故私を襲った」
「それは……今朝アンタと会ったからよ。こんな状況で学校に来て、わざわざ屋上まで行くなんて理由は一つしかないでしょ」
「なるほど、そういう事か。私が結界の様子を見る為に訪れた、そう思ったのだな」
「……ああ。いきなり攻撃したのは乱暴なやり方だったけど、事実アンタはマスターだった」
「ふむ――キャスター、どうやら衛宮達も私達と同じなようだ」
「……らしいな。釣ったつもりが釣られたと言うか……やれやれ、だが汝らは短絡過ぎるぞ」
 ランサーと口喧嘩寸前だった為声を荒げたまま、キャスターは呆れ顔で士郎を睨む。
 だが、そこには既に戦う意志は感じ取れなかった。
「な、なに。どういうこと……?」
「葛木、つまりアンタも遠坂と同じで結界を消す為に朝学校に来たってことなのか」
「そうだ。発動すれば学校丸ごと食い尽くす代物だと、キャスターに聞いた。聖杯戦争などに興味はないが、私は私の日常せいかつを阻むモノを殺すだけだ」
「殺すって……物騒だな」
 思わず顔をしかめた士郎に葛木は変わらぬ表情で、
「魔術師ではないとは言え、私はそこらにいる朽ちた殺人鬼だからな。物騒なのは当然だろう」
 そんなとんでもないことを口にしていた。
「――は?」
 ぽかんとする士郎達には目もくれず、
「キャスター。あの結界を仕掛けたのではなく、しかも術者を倒そうと踏んだ遠坂達は放置しても問題あるまい」
「む……そうだな。先程の巨大な魔力反応を調べるのが先決か。宗一郎、体調に問題はないな?」
「ああ」
 葛木が頷くのを確認すると、キャスターの小柄な身体が紙片へ変じ舞う。
 瞬きの後、葛木は先程と同様の黒いボディスーツ姿へと変わっていた。
「では行くぞ宗一郎、マギウス・ウイング!」
 巨大な本のページじみた翼が風を巻き起こし、宙へ舞い上がる。
 別れの言葉も無い。
「な、なんだったのよ……」
「完全に勘違いだったと言うか……っと、そんなことより遠坂、セイバー達が心配だ。俺達も……」
「そ、そうね、急ぎましょう!」
 士郎の言葉に頷き、先陣を切って走り出す凛。その頭上を、
「お先に」
 と言い捨ててランサーが飛翔していった。
 施術者がいなくなれば結界は消失する。戦災にでもあったかのような校舎を見て深山町はそれなりの騒動になり、藤村組総動員のパニックになったりもしたのだが、この場を離れた士郎達にはあずかり知れぬことであった。

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