「これって……!」
「侵入者を知らせる結界だ……くそ、こんな真昼間から仕掛けてくる気か!?」
 弾かれるように立ち上がる二人。慌てて飛び出そうとした士郎の腕を凛が掴んだ。
「士郎っ! 貴方一人で出て行って何が出来るのよ、ここはわたしとあの子達に任せておきなさい」
「け、けど、遠坂達ばっかり戦わせるなんて、そんなこと……!」
「あのね、まだわかってないの!? 貴方ははっきり言って足手纏いなのよ! 貴方が矢面に立っても出来ることなんて盾代わりくらいのものでしょ」
「っ! そ、それはそうかもしれない。……でもっ」
 なおも言い募ろうとした士郎だが、凛の冷たい眼光がそれを妨げる。
「士郎。これ以上の問答は無意味よ」
 掲げた左手に、ぼうと燐光が浮かんだ。
 正統な血脈を受け継ぐ魔術師ならば誰もが持つと言う、魔術刻印。
「まだごたごた言うようなら、ちょっと眠っててもらうわ」
「……本気か、遠坂」
「本気よ。無駄死にしに行くのを見過ごせるはずないじゃない」
 二人の視線が正面からぶつかった。
 どちらも退く気など欠片も無いと、瞳が主張している。
「ふ、二人ともなにしてるんですかっ!」
 と、その緊張を横から幼い声が打ち破った。
 ぶかぶかのエプロンを身につけたアーチャーが二人の間に割って入ろうとして、
「にゃっ?」
 転んだ。
 頭から、それはもう「これが転ぶということですよー」と言わんばかりに。
「…………」
「…………」
 唐突な闖入者に、緊迫していた士郎と凛の表情も一瞬ぽかんとしたものになり、
「あ……だ、大丈夫か、アーチャー?」
「ちょ……な、なんでこんななにもないところで転ぶのよ……」
 毒気を抜かれた二人は揃ってアーチャーを抱き起こした。
 アーチャーは照れ笑いを浮かべ、
「あ、あはは……ご、ごめんなさい、ドジで……」
 その姿は、どう考えても昨夜ランサーやバーサーカーと華麗に空中戦を繰り広げていた少女と同一人物とは思えない。
 幸い鼻の頭が若干赤くなっていたが怪我はないようで(もっとも、転んだだけで怪我をするサーヴァントと言うのもありえないが)マスター二人はこれまた揃って安堵の吐息を吐き出す。
「そ、それはともかくとして、お二人とも、ケンカはダメですっ」
 照れ笑いから一転、きりりとした表情を作ったアーチャーは「めっ」とでも言いたげな調子で言葉を紡ぐ。
「ケンカじゃないわよ。物分りの悪い士郎にちょっとお説教してあげただけ」
「む。物分りが悪いのは遠坂の方だろ。確かに役立たずかもしれないけど、俺でもなにか出来ることがあるはずだ」
「だーかーらっ、アンタが行っても盾にしかならないっての! 何か出来ることって、その何かを明文化してから言いなさいよ!」
「それは……ほら、注意を引いたり、とか」
「ああ、そう。確かに注意は引けるかもしれないわね。で、ランサーやらバーサーカーやらが相手だったら、結果士郎は蜂の巣にされてオシマイ、ってのが妥当な未来予想図かしら」
「そ、そういう言い方はないだろっ」
「どう言おうと同じことでしょ。大体アンタは……」
「凛さんっ! 士郎さんっ!」
 再び始まった口論に、アーチャーが強い語調で割り込んだ。
 なにせ十歳程度の少女である、精一杯怒った顔をしているのだろうが、当然のことながらあまり迫力は無い。むしろ怒り顔も可愛らしいと言うか。
「ケンカはダメって言った矢先に、どうして始めちゃうんですかっ」
「いや、だからケンカって言うか……」
「貴女も見てたでしょ、アーチャー。今のは士郎が悪いのよ」
 気まずげな士郎に、開き直ってる凛。
「どっちもどっちですっ」
 同意を求める凛の言葉をぴしゃりと否定し、なおも言葉を繋ごうとしたアーチャーを遮ったのは、
「あの……」
 控え目なセイバーの声だった。
 アーチャーと共に台所に向かったはずなのに、何故か廊下側から顔を出している。
「お客様……みたいなんだけど」
「客?」
 士郎と凛の言葉が重なる。
 このタイミングで客など、どう考えても妙だ。
「……わかった。ただし、わたしとセイバーが先行、士郎はその後。殿はアーチャー、貴女に任せるわ」
 それから、と前置きして、凛は士郎へと視線を向けた。今まで以上の鋭い眼差しで、
「絶対に、無闇に飛び出したりしないこと。それが守れないようなら、本気で眠っててもらうからね」
「……わかった」
 士郎が神妙に頷くのを見て、凛はアーチャーとセイバーを視界に収め、
「ケンカ云々の話は後よ。さっきの警鐘は二人も聞いたでしょう? 玄関から客を装って来たんでしょうけど、ソイツは敵よ。今言ったようにわたしとセイバーで前を固める。二人とも、いつでも戦えるように準備を」
「敵って……でも、普通の人に見えました」
「見かけからして怪しいヤツなんているわけないでしょ」
「…………」
「…………」
 凛の言葉に、セイバーとアーチャーは揃って沈黙した。二人の戦闘服バリアジャケットは、見るからにわりと怪しい。まあ、戦闘時でなければ普通の格好なので、確かに平時から怪しい格好をしている者もいないだろう――と、セイバーはかつて母と呼んだ人を思い出し、少し寂しげな表情を浮かべた。いくら人に会わぬとは言え、平時から大仰なマントやら何やらを身につけていたのは、はたして如何なる意味合いだったのか。
「……行くわよ」
 言って、凛はスカートのポケットに手を入れながら居間を後にする。我に返ったセイバーが慌ててそれに続き、さらに士郎、アーチャーと続く。
「……これはまた。剣呑なお出迎えですね」
 玄関への視線が通った瞬間、凛達を迎えたのはそんな言葉だった。不機嫌を隠そうともしない、だが不思議と真っ直ぐな印象を受ける声。
 視線の先に立つのは、濃紺のスーツを纏った麗人だった。
「敵意を以って客人を迎えるのが、この国の礼儀なのですか?」
「害意を以って来宅するのが、そちらの国の礼儀なのかしら?」
 咄嗟に口から漏れた反論。その意味を吟味するまでもなく、凛は直感した。こいつは気に食わない、と。
「害意とは穏やかではありませんね。争うつもりはないのですが?」
「ふん、どの口で言うのだか。真正面から来て、どういうつもり?」
「どういうも何も、提案があって来たのです。玄関先でする話でもないでしょう。出来れば上げて欲しいのですが」
「お断りよ。やりあうつもりがないなら、今すぐ回れ右して帰りなさい」
「ちょ、ちょっと待て遠坂。なんでそうケンカ腰なんだ」
 慌てて制止する士郎を、来客に向けた剣呑な眼差しそのままで睨み付ける。
「この家の結界、少し調べただけでも確かなものだとわかるわ。それがソイツの敵意を感知したということは、いくら口先で並べ立てようとソイツの悪意は明白ってことでしょ。それともなに、士郎は隙あらばこっちの首を掻き切っろうとしているヤツを家に上げてもいいっていうの?」
「敵意を感知……? ……貴女の仕業ですね、ランサー」
「この程度の挑発で本気になる方がどうかしてるのよ」
 言葉と同時に、うっすらと漂う程度だった重圧が形となって士郎達を襲った。
 烈風が巻き起こったと誤解させんばかりの、衝撃を伴った現出。それは少女の持つ圧倒的な存在感ゆえに他ならない。
 異形のパーツを背に負った姿は、まさしく昨晩アーチャーと戦い、士郎を追い詰め、セイバーへ魔弾を向けた、ランサーを名乗るサーヴァント。
「っ! アンタは……!」
「失礼。名乗りが遅れました」
 ランサーを傍らに連れた麗人は表情を引き締め、
「私はバゼット・フラガ・マクレミッツ……見ての通りランサーのマスターです」
「誰がマスターだって?」
「バゼット・フラガ・マクレミッツ!?」
 びしりと決めた名乗りの直後、不機嫌と驚愕の声がそれに被さる。
 バゼットと名乗った麗人はきょとんとして、まずランサーを見下ろし、
「そう不機嫌にならないで欲しい。聖杯戦争の舞台に乗った以上、この名乗りが手っ取り早いのですから。何も貴女を従えている、などと思ってはいません」
「ま、当然ね」
「ところで……そちらの彼は衛宮切嗣氏の養子と思いますが、貴女はアーチャーのマスターですか。私の名前に何か問題でも?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 言って、訝しげなバゼットを――ついでに事態についていけてなさそうな親友同士のサーヴァントも――置いて凛は士郎を引きずるように衛宮邸の奥へと走り去る。
「お、おいどうしたんだよ、遠坂」
「……信じられない。バゼット・フラガ・マクレミッツ? 冗談じゃないわよ、なんで封印指定の執行者が聖杯戦争に出張ってくるの……!」
「遠坂ってば!」
 なにやらぶつぶつと言っている凛に、士郎は語気を強めて呼びかけた。自分から引っ張り込んだくせに、ようやく士郎の存在に気付いたとばかりに凛が顔を士郎の方へと向ける。
「どうしたんだよ、一体。あの人のこと知ってるのか?」
「……まあ、名前と役職だけなんだけど」
「なんだそりゃ。知らないようなもんじゃないか」
「それだけ知ってれば十分なのよ。バゼット・フラガ・マクレミッツ……封印指定の執行者よ、あのひと
「封印指定……の、執行者?」
「いくら衛宮君がモグリでへっぽこの魔術師でも、封印指定が何かくらいはわかるでしょ?」
 封印指定。それは、魔術師にとって最高の名誉である。後にも先にも現れない神秘を体現するものを、失わせない為に保護する――と言えば聞こえがいいが、実際にはホルマリン漬けにして保管するのと大差は無い。故に、それは最高の名誉であると同時に死刑宣告のようなものだ。
「ええと、つまり執行者ってのは……」
「封印指定の拿捕を任務とする、魔術協会における武闘派の切り札エースよ。わたしと士郎じゃ、三分も経たずにサンドバック詰めにされるのがオチってくらいデタラメな相手。いい、命が惜しかったら下手なことは言わないことよ……!」
「……うん、まあ、わかった」
 どっぷりと魔術そちらの世界に浸かって生きてきた凛とは違い、士郎の感覚は比較的一般人よりである。封印指定が凄いことなのはわかっているつもりだが、凛とは違い実感がない。したがって、それを拿捕する執行者であるというバゼットに対する凛の畏怖にも似た感情もいささか共感しかねる、というのが実情だったが、それを口にしたら凛からお叱りを受けるのは目に見えている。素直に頷き、バゼット達の待つ玄関へと戻るその途中、
「それにしても……バゼット、本気なの? こんなガキどもと手を組む、なんて」
「が、ガキって……」
 なにしろ見た目十に届くかと言った見かけの少女である。如何に見かけに似合わぬしっかりとした口調であろうと、明らかに見下された調子で呼ばれては立たぬ角も立つと言うものだ。
 下手なことを言えば命が危うい、などと言った矢先だったが、かちんときた凛が反論するより早く、
「彼らとて聖杯戦争の参加者です。それに、事態が事態ですし、速やかな解決の為には協力が必須でしょう」
「……ふん。まあ、いいわ。私を退屈さえさえなきゃね」
 言って、ランサーはふわりと翼を羽ばたかせると、衛宮邸の廊下に降り立った。ちなみに靴は着地前に消してある。
「邪魔するよ」
「ちょっ……止めてください、ミス・バゼット!」
 バゼットを頼る凛だが、バゼットは申し訳無さそうな顔で、
「申し訳ありません。彼女の勝手気侭は既に何度か諌めたのですが、まったく効果無しで」
「大体お前は家主じゃないだろ。すっこんでなさい。それよりこの家は客に対して愛想がないわね。お茶の一つも汲みなさいよ」
「〜〜っ。なにをぬけぬけと……!」
「いや、遠坂が家主じゃないって事実だし」
 いきり立つ凛の肩を士郎が軽く掴んで引き寄せる。
「とにかく今は話を聞こう。さっきあの人、俺のことを切嗣の養子だって言い当てた。つまり切嗣の……魔術師の家だってわかって来たってことだろ? 確かにこの家には警報くらいしかないけど、普通魔術師の家ってもっと罠とかがあるもんだ。そこにわざわざ真正面から踏み込んで来るってことは、少なくとも今は戦う気はないってことだろ」
 素早く囁かれたそんな意見に、凛はなおも不服げにランサーの後姿をしばらく睨んでいたが、
「……わかったわ」
 ため息を吐いて、士郎の意見を認めた。
「ええと……バゼットさんだっけ」
「ええ」
「……上がってくれ。話を聞くよ」
 士郎の許可にバゼットは笑い、靴を脱いで衛宮邸に上がりこんだ。
 上げたとは言え、凛が警戒を解いたわけではない。サーヴァント達にバゼットを先導させ、自分と士郎はその後ろに続く。バゼットが妙な動きをしても、それなら素早い対応が可能だろう。
 もっとも、バゼット自身の言葉通り他意はないのか、結局先導されるまま大人しく居間へと入って行った。
「……警戒しすぎじゃないか、遠坂?」
「アンタが警戒しなさすぎなのよ……いい? 彼女がその気になったら今の状態からでもわたし達の首くらい簡単にへし折ってくる。それに、確かに異常なサーヴァントが現れてるから聖杯も何らかの不具合をきたしてると思うけど、それでもこの戦争はあらゆる願いを叶える、と謳われる聖杯を巡る戦いなのよ。なんらかの異常があるとわかっていてなお、それを求めるヤツがいてもおかしくないわ」
「……それは」
「わたしは元々聖杯に大した拘りがない。士郎もそうでしょ? けど、そうじゃない連中だって、きっといる。全ての希望が絶たれ、聖杯なんてモノにすがるしかないって人が」
「…………」
「……ま、とりあえず話を聞きましょ。わたしだって、封印指定の執行者を敵に回すなんて真っ平御免だもの」
「……ああ」
 囁きを交わした二人が揃って居間へ入ると、
「……お茶はまだ? まったくトロいわねぇ」
 なんて偉そうにのたまう上座に座ったランサーの姿と、
「ご、ごめんなさいっ。今淹れますから……」
 その態度に威圧されてるらしく、お茶を淹れに台所へ走るアーチャーの姿が。
「……ミス・バゼット、サーヴァントにどういう教育してるのよ」
 思わずじと目で睨む凛にバゼットは心底申し訳無さそうに、
「つくづく申し訳ない。ランサーはお嬢様育ちのようで、人を使うことを当たり前と思っている節が……」
「なにか文句でも? 客をもてなすのはホストの義務でしょうが」
 不機嫌そうに凛へと言葉を投げるランサー。あまりの唯我独尊っぷりに、凛は呆れて、
「客って言っても招かれざる客でしょうが、アンタたちは……」
 などと呟くだけであった。

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