「……お帰り」
「遠坂? どうしたんだ、こんなところで」
 衛宮邸の門をくぐると、凛の声が士郎を迎えた。
 声の方へと視線を向ければ、凛が庭に立っている。声をかけてきたものの、視線は士郎ではなく曇り空へと向いていた。
「別にどうってことないけど。ちょっと居辛くて」
 顔に浮かぶのは苦笑い。訳がわからずに士郎が疑問符を表情に浮かべると、
「ほら、一応わたし聖杯戦争の為に色々積み重ねてきたじゃない。それがいざ始まってみれば、こんな妙にほのぼのしてる状況なんで……ちょっと気が抜けちゃった」
「……遠坂は、アーチャー達を戦わせたいのか?」
「まさか。もう聖杯戦争がどうって状況じゃないでしょ? 勝ちを狙うも何もないもの」
「……そっか」
 理解できる、とは言わないがなんとなくわかる気がした。
「風邪引く前に入れよ」
「ええ。ありがと」
 一旦凛と別れ、玄関から入り居間へ行くと、かなりの時間が経ったがサーヴァント少女達のチェス勝負はまだ続いているようだった。ランサーが苛立たしげにちゃぶ台を爪で叩いている。
「あ、お帰りなさい士郎さん」
「お帰りなさい」
 入ってきた士郎に気づいた魔法少女コンビが声をかけてくれる。それに答えながら盤面を覗き込むと、どうやらランサーが劣勢のようだ。
「……これでどうよ」
 ランサーの小さな指が駒を摘み、動かす。
 随分と長考だったらしいが、対するセイバーはほとんど迷うこともなく、
「そうすると、こっちでチェックなんだけど……」
 と、申し訳なさそうに言いながらビショップを滑らせる。
「む」
 ランサーのむくれた顔が、ますます不機嫌に歪む。その様子を見て横から眺めてみたバゼットが、
「今のは最良の手と思いましたが……」
 などと難しい顔で唸っている。どうやら、主従揃って基本的な姿勢は『障害は見えてから踏み潰す』らしい。
「ふん、意見が合うわね……とりあえずそれは待ちなさい。別の手を考えるわ」
「あ、あはは……」
 待ったをかけるのが当然と言わんばかりの態度にセイバーは困ったなぁという風に微笑み、アーチャーは思わず苦笑い。
 その光景に和んでしまいかけた士郎だが、すぐに寒空の下でバーサーカーが浮かべた狂喜の笑みを思い出す。
「ランサー」
「なによ、今考え中なんだから。くだらないことだったらノすわよ」
「バーサーカー……お前の妹さんに会った」

『ねえイリヤ、サーヴァントとは弾幕ごっこしていいんでしょ? お姉様なら防いだりしないで、きっと楽しく弾幕ごっこしてくれる! ああ、楽しみ! ねえイリヤ、早くお姉様と弾幕ごっこしたい! 早く早く早く!!』

 姉であるランサーと戦うことを心待ちにしているその姿は、とても正気とは思えなかった。
 ランサーが自分のサーヴァントならともかく、イリヤがわざわざ姉妹対決を望んでいるとも思えないし、おそらくはこの聖杯戦争の異常に巻き込まれおかしくなってしまったのだろう。
 そう士郎は考えていた。ゆえに、バーサーカーがランサーと戦いたがっている、なんて伝えるのは心苦しい。
「ふぅん」
 興味無さそうに相槌を打つランサー。やけに無関心な態度を訝りながらも、
「それで……お前がいるって話したら、凄く嬉しそうに弾幕ごっこしたいって……弾幕ごっこって、魔術戦みたいなもんだろ?」
「そう」
「そうって……それだけか?」
「他に何を言えってのよ。煩いって言ってるでしょ」
 ぎろりと、ランサーが士郎を睨む。
「あのなランサー、俺の言ってることがわからないのか? 妹さん、お前と戦う気でいるってことだぞ!」
 ランサーのあまりの気の入らなさぶりに思わず怒鳴ってしまうと、当のランサーは何処吹く風で、むしろ傍観者……と言うか、士郎とランサーのやり取りをはらはらしながら見守っていたセイバーとアーチャーが縮こまってしまう始末。慌ててその二人に謝り、
「ランサー、真面目に聞いてくれ。俺は……その、出来ることなら戦いはそもそも嫌だし、ましてそれが姉妹同士なんて……」
「煩いなぁ。何をお節介焼いてるんだか。従者には向かない性格ね。……戦う? 何を寝ぼけたことを。弾幕ごっこは弾幕ごっこよ。戦いじゃないわ」
「でも、あんな……」
 昨晩のランサーの、バーサーカーの魔弾が思い出される。一撃一撃がまさに必殺。人の身ならざるランサー達ならばあるいは致命傷にはならないのかもしれないが……いや、ランサーがバゼットに令呪で呼び出される直前の一撃を考えれば、同じサーヴァント同士とて必死の術であろう。
「ふん、そいつらならともかくフランは"必殺"程度で死ぬようなタマじゃないもの。勿論、フランの"禁忌"や"禁弾"とて私を殺す運命には至れない。……それにしても、そう。フランが私と弾幕ごっこしたいって」
 瞬間、
《Stand by ready》
 硬質な男女の声が響いた。
 セイバーの右手甲と、アーチャーの胸元にそれぞれ金と桜の淡い光が生まれる。
 ほぼ同時に知性ある魔杖インテリジェントデバイスを宝具として担う二人も立ち上がり、即座にバリアジャケットを起動出来るよう身構えていた。
 そして、
「……っ!」
「…………」
 警戒するのは、その場にいる二人の魔術師も同様。
 腰を浮かせ拳を構えるバゼットと、やはり無手ながら身構える士郎。
 それら全ての警戒の元は、
「……ふ、ふふ、いいわ。面白くなってきたじゃない……!」
 薄く笑うランサー。彼女が発した一瞬の鬼気が、それだけの戦慄を呼び起こしたのだ。
「戦う気なのか……妹と」
「弾幕ごっこ、よ。三度は言わないわ。……いいわね、フランと遊ぶことなんて滅多に無かったもの。ここはうちじゃないんだから、ちょっと羽目を外して遊ばせてもらおうかしら」
「勘弁してください、ランサー。貴女に羽目を外されてはあたり一面が焼け野原だ……それにしても士郎君、バーサーカーがランサーと戦いたがったと言いましたけれど、ランサーの真名を明かしたのですか?」
「え……あ、ああ、苗字が一緒だったし、それで姉妹で戦いたくないと思ってくれれば、と思ったんだけど」
「それもわかりますが、結果が正反対では困ります」
「それは……面目ない」
 呆れ顔のバゼットだが、返す言葉も無い。
 そこに救いを差し伸べたのは、意外なことにランサーだった。
「いいじゃない、バゼット。どうせいつかは戦う相手でしょ? だったら、別に今日知れたところで不都合もないわ」
「それはそうですが……率先して狙われるのも、ぞっとしません」
「はん、臆病風に吹かれた?」
「何とでも言ってください。不要な戦いはしないに越したことはありません」
 言いながらバゼットは立ち上がる。何処へ行くのか、と疑問顔の士郎に、
「少し外の空気を吸ってきます」
「……ふん、嘘吐きめ」
 外へ向かうバゼットの背中を眺め、にやりと笑うランサー。
 バゼットは姑息に立ち回る性質ではない。ランサーという強大な力を仮にも従えている以上、その力と己の全力を以って戦うのを心待ちにしているはずだ。戦闘狂バトルマニアとまでは言わないまでも、真っ向からの戦いを忌避するタイプではない、ランサーはそうバゼットを評していた。
 故に今の言葉は自制として捉えるのが妥当だろう。
「さて、フランが相手ってことになると、こんな腰を落ち着けてる場合じゃないわね。軽く準備運動といきますか……アーチャー、貴女つきあいなさい」
「え、え? わ、わたし?」
「他にアーチャーがいるっての? ほらグズグズしない。さっさと行くわよ」
「ちょ、ちょっと待って! 準備運動と言われましても、私あんまり運動得意じゃないし……」
 困り顔のアーチャーに、呆れた眼差しを向け、
「運動苦手? あれだけ私の弾幕を防いでおいてよく言うわね」
「そ、それ運動関係ないー!」
「まあ苦手でもなんでもいいわ。あんまりグズグズするようなら今ここで始めるわよ」
 相変わらず傍若無人に振舞うランサーである。
 これに慌てたのは士郎だ。
「ランサー! お前、ひょっとして昨日の夜みたいな魔術戦を庭でやらかす気か?」
「魔術戦って……大袈裟ねぇ。軽く弾幕ごっこしただけじゃない。なるべく建物は避けてやるから安心していいわよ」
「あのなぁ、こんな昼間からあんなことしてみろ。人目について大事だぞ」
「何か問題でも?」
 心底疑問そうなランサーに、士郎は頭を抱えた。
「大ありだ! ランサーが元居た世界は知らないけど、人目につく所で魔術なんて使ったらここじゃ大騒ぎになっちまう」
「大騒ぎねぇ……そりゃ、騒がれるのは勘弁だけど」
「だろ? だったら」
「じゃ、弾幕使うのはやめておくわ」
 ふわりと、ランサーが翼を羽ばたかせわずかに舞い上がる。進む先は先ほどバゼットが向かった縁側だ。
「? ランサーさん、何処行くの?」
「何処行くの、じゃないわよ。なに呆けてるの。弾幕使うのはやめる、って言ったけど、準備運動そのものをやめるとは言ってないでしょ。さっさと来なさな」
 見るからに自信なさげなアーチャーだがランサーが待つはずもない。袖を引っ張るランサーの見かけによらない力の強さに、じりじりと引きずられてしまう。
「ちょっと待って、ランサー」
 立ち上がったセイバーが制止の声をかける。
「なによ。セイバーもソイツみたいにやめろって言うの?」
「ううん。それに、言ってもやめる気ないでしょ?」
 出会って間もないが、ランサーの思考パターンは大体読めてきた。尊大にして天邪鬼、とでも言おうか。
 苦笑い気味のセイバーに、ランサーはふんと鼻を鳴らしアーチャーの袖を離す。見透かされたのが面白くないようだ。
「それで?」
「うん。準備運動なら、私がつきあうよ。なのはは砲撃魔導師だから、接近戦は不向きだし」
「へえ……」
 なにげない素振りのセイバーだが、ランサーはそれを自信アリと受け取ったらしく、にやりと好戦的に笑い、
「ま、相手が誰でも準備運動になるなら構わないわ。早く来なさいよ」
 言って、一人居間をあとにする。
「だ、大丈夫なのか、セイバー。準備運動って言っても、アイツ相当強いだろ。熱くなりやすい性格みたいだし……」
 ランサーの強さは、本気ではないとは言え嫌と言うほど追い掛け回された士郎は身をもって知っている。そんなマスターにセイバーは穏やかに笑ってみせ、
「大丈夫、ついていけないほど強いってほどでもないから……ほら、昨日の夜ちょこっとだけ戦ったでしょ? あの時も本気じゃなかったと思うけど、あれくらいなら平気」
「あ」
 言われ、追い掛け回された自分を助けてくれたのが当のセイバーだったことを思い出す。
「それに戦闘訓練はクロノや艦の皆ともよくしたから」
「そっか……」
「それにランサー、乱暴そうに見えるけど傷つけたり殺したりするのが好きってわけじゃなさそうだし。ちょっとくらいの怪我なら魔法で回復出来るから、大丈夫」
 こうまで重ねて言われては士郎としても強い反論は出来ない。ちなみに、凛同様頻繁に出てくる魔法という特別な単語に多少の引っ掛かりを覚えていたりもするのだが、元より所謂魔術師とは異なる在り方をしている士郎である、凛ほど違和感を覚えているわけでもない。
「私はついていった方がいいのかな」
 昨夜の魔術戦の強烈なイメージが焼きついているアーチャーはそれでも心配そうだが、セイバーは静かに首を横に振る。
「ありがと、なのは。でも庭には凛さんもバゼットさんもいるから大丈夫だよ。それより士郎さんそろそろご飯の支度だろうから、それを手伝ってもらえるかな」
「え? あー、そう言えば大人数だしな。仕込みに時間がかかるものでもないけど、確かに手伝いは欲しいかもしれない」
「……わかりました。それじゃ、お手伝いしますっ」
「そっか。っと、アーチャーの背だと踏み台ないと辛そうだな。土蔵に丁度いいのがあったと思うから取ってくる……セイバー、外まで一緒に行くか?」
「うん」
 頷くセイバーを伴って玄関から表へ。
「でも、ほんとに気をつけろよ、セイバー。確かにランサーは悪いやつじゃないと思うけど、手加減とか苦手そうだからなぁ」
 ちょっと乱暴であるが、裏表の無さそうなランサーの性格はそんなに嫌いではない。士郎が苦笑いを交えて言うと、セイバーも困ったように笑って、
「加減が苦手、は私にも言えるかな。訓練の時、つい出力上げすぎちゃって、何度も結界壊しちゃったりしたから」
 などと失敗話を恥ずかしそうに教えてくれる。
 顔立ちと能力は勿論別物だろうが、いかにも優等生、といった感じのセイバーの失敗談に士郎は少し驚く。
「そっか。じゃあセイバーもやりすぎないように、色々気をつけてがんばってくれ。夕飯は豪勢……とまではいかないけど、美味しいの作ってみせるからさ」
「うん、ありがとう士郎さん」
 にこりと笑うセイバーに士郎がどきっとする間もなく、
「なにぐずぐずしてるの? ほら、晴れてきたら面倒でしょ、さっさと来なさいよ」
 などと、中庭に仁王立ちしたランサーがセイバーを急かしたてる。
「ランサー待ちくたびれてるね。それじゃ、行ってきます」
 金髪をなびかせ、走るセイバーの姿が一瞬光に包まれたかと思うと、次の瞬間には昨夜見た黒の戦闘着へと着替えが完了していた。
 手には金の宝玉を抱く黒杖。
 やはり心配ではあるが、それでも何時までも見守っているわけにもいかないし、ここは夕飯の支度をするのがセイバーを信頼しているということだろう。よしと気合を入れなおし、土蔵へ入りさっさと踏み台を持って士郎が玄関まで戻ると、
「士郎?」
「あれ、なんだ遠坂。まだ外にいたのか」
「今入ろうとしたとこ……士郎こそ何時の間に外に出たのよ」
「ああ、ついさっきだ。ほら、アーチャーの背だと台所に立つの辛いだろ?」
「それで踏み台を用意したってわけ? マメねぇ」
「遠坂もメシは食っていくだろ?」
「ん? そりゃ夕飯の為だけにうちに帰るのも無駄だしね、いただくわよ。まあお世話になりっぱなしじゃなんだし、明日はわたしが作るから」
「へえ、遠坂って料理出来るんだ」
「一人暮らしだもの。魔術師の家に家政婦上げるわけにもいかないし、当然でしょ?」
「…………」
 家政婦を雇わない理由が、魔術師である自分の家に人を入れるわけにはいかない、という一点に尽きると、口調が物語っている。士郎としては自分の家なのに他人に家事をさせるという時点で気後れしてしまうため、そもそも家政婦を雇う、という発想すら浮かばないのだが。
「……って、ちょっと待て」
 二人並んで家に入りながら、士郎はぴたりと動きを止める。
 さらりと流してしまったが、どうも凛の言葉に不穏当なものが混じっていたような気がする。
「なあ遠坂。今夕飯のためだけに帰るのは無駄、とか言わなかったか?」
「言ったわよ。それがどうしたの? 無駄でしょ」
 なんでもないようにさらりと言う。
「えーと、あのさ、遠坂」
「なによ」
「それは、家に帰らないって聞こえるのは俺の気のせいか?」
「何馬鹿なこと言ってるのよ」
「あー、はは、そうだよなぁ」
 同じ魔術師という共通項はあれど、凛は女の子である。学校でも親しくしていたわけでもなし、
(まさか泊まる、なんて言うわけないよな……いや、泊まられても困るけど)
 なにしろ化けの皮が剥がれ、本性あかいあくまが垣間見えたとは言え、凛が憧れの相手だったことに変わりは無い。それがいきなり同じ屋根の下で寝泊りする、なんて状況になったりしたらどう反応していいやら。
 などと士郎が一人得心していると、
「帰らないに決まってるじゃない。なに聞いてたの?」
「は?」
 何を今更、と凛は呆れ顔だ。
「あのね、協力するってのにいちいち別れてたら色々無駄じゃない。荷物だって昨日持ち込んだし……あ、言い忘れたけど別棟の部屋借りたわよ。空き部屋っぽかったから問題ないと思うけど、問題だったら移るから言って。あとエアコンの使い方教えてくれる? なんかスイッチ多くてよくわからないのよねー」
「ちょ、ちょっと待て! なんでそういうことになるんだ!? 協力って、別にうちに泊まらなくたって……!」
「拠点が一緒じゃなきゃ不便でしょ? 戦力は集中すべきだしね。夜回りに出たとして、帰る場所が二箇所あるんじゃ、一組だけで行動する時間が出てしまう。そこをバーサーカーにでも襲撃されたらどうするの?」
「う……」
 実利的な意見を出され、士郎は言葉に詰まる。なにしろ士郎が反対しているのは道徳上の観点……と言うか、照れてるからであって、そんな話を持ち出されては強く反論できない。
 黙ってしまった士郎に凛は意地悪く笑って、
「なに、もしかしていきなり女の子が増えたから緊張してるの、衛宮くん?」
 これみよがしに衛宮くん、などと呼ぶ。
「ば――馬鹿っ! んなわけあるか! ……まあ、確かに遠坂の言うことも一理ある。そう言えば、セイバーとアーチャーはどこで寝たんだ?」
「アーチャーはわたしと同じ部屋にいるわ。小柄だし、まあ一緒に寝てもそんな窮屈じゃないもの。セイバーは士郎の部屋の隣に布団を引いてたけど」
「そうか」
 ちょっと照れるが、セイバーくらいの年頃なら同じ布団で寝る、なんてことにならないかぎりはそれほど意識しない。
「……別棟の部屋って言ったよな。そっちは客室だから、自由に使ってくれ。エアコンは飯作ったら教えるよ。風呂とかは……遠坂のことだ、今更案内しないでもわかってるんだろ?」
「あら、わかってるじゃない」
 にっこりと微笑む凛を前に、士郎は思う。
(これは……勝てないな……)

prev index next
inserted by FC2 system