「うわぁ……士郎さん、お料理上手なんですねっ」
 手際よく夕飯の支度をこなす士郎を見て、アーチャーは目をきらきら輝かせる。アーチャーも実家が喫茶店経営なだけあって母親から色々教わっていたのだが、それでも召喚された元の時間軸は見たまま小学生で止まっているため、大したことは出来ない。まだまだ料理道具が重く感じられてしまう年頃だ。
「ん? まあ、ずっと一人暮らしだったしな」
「え? こんなに広いおうちなのに、一人で暮らしてるんですか?」
「ああ。まあ、学生の身分には不似合いだとも思うけどさ。せっかく親父が遺してくれたものだし、放り出すのもな」
「あ……ご、ごめんなさいっ」
 口調のニュアンスから士郎が語る父親が亡くなっていることを察したのか、ぺこりと頭を下げるアーチャーに、士郎の方が慌ててしまう。
「あ、謝ることないって。親父が死んだのはもう何年も前だよ。全然気にしてない。そんなことより、ほら」
 言いながら士郎はアーチャーの前にボウルとひき肉、その他諸々の食材を滑らせた。
「アーチャー、これ捏ねてくれるか? 俺はその間につけあわせの支度するからさ」
「……はいっ、わかりました!」
 不器用ながらも笑ってみせる士郎に、アーチャーはしばし沈黙して明るく答える。ここで暗くなっては士郎の心遣いが無駄になる、ということを敏感に察せられたのは、アーチャーも心遣いが出来る優しい少女だからなのだろう。
「それにしても……派手にやってるなぁ……」
 ニンジンの皮を剥きながら士郎が苦笑する。庭の方から時折聞こえるのは、爆発音と聞き間違えんばかりの轟音だ。
「ううむ、このままじゃ近所迷惑な気が……」
「あ、それは大丈夫だと思います。多分、フェイトちゃんが結界を敷いてるだろうから」
「結界? へえ、そんなの作れるのか」
「はい。大規模砲撃魔法でも使わない限りは破れないので、格闘戦なら問題ないかと」
「……凄いな」
 異世界の魔術師とは言え、自分より遥かに年下の少女が、自分より遥か上のレベルで術を行使している。その事実に士郎は唸るばかりだ。
「アーチャーも出来るのか?」
「え、ええと、私の場合はレイジングハートがお願いするとやってくれるので、私自身が使える、というわけではないんですけど……」
「レイジングハート……その宝石だっけ?」
 士郎の言葉に応えるかのように、レイジングハートが柔らかな輝きを放つ。
「はい。大切な相棒です」
 そう言うアーチャーの顔は誇らしげだ。
「そっか」
 いい笑顔につられて士郎も少し笑顔になり、二人は料理の続きにとりかかる。
 作業を続けながらちらりとアーチャーを見ると、小さな手で一生懸命タネをこしらえていた。なかなか堂に入った手つきで、家でもよく手伝いをしていたのだろうと想像できる。
「しかし……なんか忘れてるような気がするんだよな」
 はて、と首を捻る士郎。つられてアーチャーも小首を傾げるが、それで思い出せるのなら苦労しない。思い出せないのなら大したことじゃないだろうと、
「まあいいや。さ、続き続き」
 言って促す。素直に頷いたアーチャーはミンチを捏ねる作業に戻る。
 途端、
「きゃ」
「な、なんだっ!?」
 屋敷を揺るがさんばかりの轟音。
 まるで庭に隕石でも落ちたかの衝撃だった。
 音は続かない。先程まで鳴り響いていた激突音も止んでいる。
「……今の庭から……だよな」
「……です、ね」
 士郎とアーチャーが顔を見合わせる中、
「ちょ、ちょっと何の音よ!」
 血相を変えて凛が飛び込んできた。居間でぼうっとしてるのも時間の無駄、とあてがわれた部屋で色々準備をする、と言っており、その証拠に何に使うとも知れない怪しげな紫の鉱石を手に掴んだままだ。
「た、多分セイバーとランサーが模擬戦してる関係だと思うんだが……行ってみるか」
「そ、そうね……って、セイバーとランサーが模擬戦!? 一体なんだってそんなことになってるのよ! 姿が見えないと思ったら……!」
「うるさいわねぇ。なに騒いでるのよ」
 怒鳴りかけた凛の言葉を遮ったのは、話題となっているランサー当人であった。
「……どうしたのよ、その格好」
 続けて怒鳴ろうとした凛だが、思わずぽかんとしてしまう。
 なにしろランサーの姿と言ったら、それはもう派手に土まみれになっているのだ。容姿の幼さともあいまって一日砂場で遊んでいたとでも言われれば納得してしまいそうなほどである。
 ランサーはつまらなそうにそっぽを向きながら、
「セイバーが思ったよりやるヤツだった、ってだけの話よ。それより汚れてしまったわ。湯浴みがしたいんだけれど、浴室はどこ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ランサー」
 ぎろりと士郎を睨んだランサーを後ろから可憐な声が呼び止める。
 誰何するまでも無い。声の主はランサーとともに庭にいたセイバーだ。居間にいた面々がそちらに視線を向けると、ランサーほどではないがやはりかなり汚れてしまっている。
「もう終わりにするの?」
「……ま、準備運動にはなったからね。ふん、思ったよりやるじゃない」
 それは、不機嫌さと御機嫌さが入り混じった奇妙な調子の声だった。
 先程の轟音と、二人の汚れ具合を考えるに、おそらくセイバーがいいのを一発入れ、ランサーがへそを曲げて一方的に終わりを宣言した、というような状況なのだろう。
「それにしても……妙ね。身体の動きが鈍いわ……」
 眉をひそめ、つぶやくランサー。言葉面だけ聞けば負け惜しみのようなセリフだが、本気で訝しがっているあたり本当に――少なくともランサーが想定しているよりは――身体機能が低下しているようだ。
「ランサーも空中戦の方が得意なの? なのははそうだよね」
 戦ったセイバーもそれは感じていたらしく、疑問を投げかける。
「私に苦手な場所なんて存在しないわよ。……ま、水の中は別だけどアレは私が苦手なわけじゃなし」
「じゃあ、なんでなんだろ……」
「それは、ライダーに受けたダメージが完治してないからでしょう」
 うーん、と首を傾げるセイバーの後ろから、バゼットが苦笑しながら現れる。
「本来の貴女がどれだけタフだったかは知りませんが、サーヴァントとして現界している今、勝手が違うのは仕方ありません」
「……傷を治した分身体を強化する魔力が落ちてるってことかしら?」
「だと思いますが?」
「……ふん、厄介なものね」
 舌打ちし、ランサーは再び士郎を睨みつけた。
「で? 湯浴みがしたいって言ったでしょ。さっさと浴室に案内しなさいよ」
「え? あ、ああ、悪い。女の子だもんな、そんな泥だらけじゃ気になるか。今案内するよ、ちょっと待ってくれ」
 エプロンで手を拭きながら台所を出る士郎。ランサーがその後を追うのは当然として、
「え、え? ら、ランサー、どうして私の手を引っ張るの?」
「咲夜代わりよ。湯浴みを手伝いなさい」
「ええっ!?」
 唐突な命令に目を丸くするセイバー。
「お前だって汚れてるんだし、いいでしょう別に。私の湯浴みを手伝えるなんて名誉なことよ? 認めてやってるんだから、光栄に思いなさい」
「わ、わわ」
「ちょっと待ちなさいよ。見かけどおりの年じゃないんでしょ、お風呂くらい一人で入ったら? 士郎がほいほい言うこと聞いてくれるから勘違いしてるのかもしれないけど、わたし達は貴女の従者じゃないのよ」
 相変わらずの強引な態度に、口を挟んだのはやはりと言おうか、凛であった。
「部外者が余計な口は挟まないことね。私はセイバーに言ってるのよ、お前の出る幕じゃないわ。……ほら、行くわよセイバー」
「セイバー、ランサーの言うことなんて聞く必要ないわよ。甘やかしたらいつまでも勘違いしたままだわ」
「黙ってなさい。お前の出る幕じゃないって言ったでしょう?」
「……む」
「ふん」
 睨み合う凛とランサー。どうも徹底的にソリが合わないらしい。
 間に挟まれたセイバーは困り顔だし、先導していた士郎も戻ってきて頭を抱えるが、一応家主として黙っているわけにはいかない。士郎としても凛の言うようにランサーの命令を好き好んでほいほい聞いていたのではなく、自覚しえぬ彼なりの気配りから聞いていたのであって、内心「わがままだなぁ」くらいには思っているのだ。こんなにぎすぎすした雰囲気になるのなら、一言くらい諫言せねば、と口を開きかけたところ、
「凛、セイバーも汚れているようですし、一緒に入るのはそんなに問題ではないでしょう。それとランサー、言い方というものがあります。貴女の言い方では角が立つばかりです。凛は協力者なのだから、そうそう喧嘩腰なのは困ります。ここは貴女のお屋敷ではないのですから」
「なによ、バゼットまで小煩いことね。私に合わせるのが当たり前だってのに……まあいいわ。ほらそこの赤毛、さっさと案内しなさいよ」
「あのなぁ、そこの赤毛呼ばわりはないだろ」
 流石に顔をしかめながら、それでも素直に先導してしまうあたり心底人が好い少年である。
 要求が通った形になり、しかもその場を離れてしまったランサーはともかく、その場に残された凛は大きく不満が残る。思わずバゼットを睨んだ。
 睨まれたバゼットは苦笑し、
「そう睨まないでください。別に風呂くらい問題無いでしょう?」
「ランサーの要求が通った、ということが問題なの。アンタね、いつまでわがまま許すつもりなのよ」
「わがまま、ですか。正にそのとおり、放っておいても実害はないでしょう。子供のやることだ、と笑って流してはもらえませんか?」
「ただの子供なら許しもするわ。でも、ランサーは違うでしょうに」
「まあ……ただ、風呂ばかりは大目に見てあげてください。ランサーはプライドが高い、自分からは言いたくなかったのでしょう」
「え? なによ、一人でお風呂入れないことに理由があるみたいじゃない」
「ええ、理由はあります。ランサーは吸血鬼ですよ、忘れたのですか?」
「それがどうか……あ」
 吸血鬼と言うことと、風呂に一人で入れないことになんの関係があるのか。問い質しかけた凛だが、すぐに納得した。
 一般的に言われる吸血鬼の弱点。日光、十字架や聖水、大蒜、そして、
「流れ水に弱い……じゃあ、ひょっとして」
「まったく身動きが取れなくなるほどではありませんが。シャワーを一人で浴びるのが苦手のようです。ホテル暮らしで私も手伝わされました」
「……って、いいの? そんな簡単に弱点を暴露して」
 無論吸血鬼と言う種族が明らかになっている以上対抗手段としていつかは思いついただろうが。
「さて。がら空きのボディーを狙っては手痛いカウンターが飛んでくるかもしれませんよ?」
「……食えないヤツね」
 読まれやすい弱点を備えている以上対抗策は万全だ、とでも言いたげな言葉に凛は小さく舌打ち。
「まあいいわ。それじゃ、わたしは部屋に戻るから」
 言って居間から出て行こうと踵を返すと、戻ってきた士郎とばったり行きあった。
「あ、遠坂。悪いんだけどさ、バスタオル持っていってもらえるか?」
「あら、マメな衛宮くんにしては珍しいわね。用意してなかったの?」
「そりゃこんな早くに入るとは思ってなかったからな。廊下の長持に入れてあるから、いいか?」
 それを断るほど凛も狭量なわけではない。
 凛がバスタオルを持って行くのを見届けて、士郎は居間へ入る。
「そう言えばバゼットさんはどうするんだ? 協力関係にあるんだから、寝泊りは同じ家の方がいいって遠坂は言ってたけど」
「士郎君に不都合が無ければ、私も泊めてもらえると助かりますが」
「そっか。じゃ、後で部屋は用意するから」
「ありがたい……ああ、タダ泊めてもらうのも悪いですね。何か手伝うことは?」
「そう言われてもな、晩飯の支度はアーチャーに手伝ってもらってるし……まあ、何か思いついたら言うよ」
「了解です」
 凛がいれば激怒しそうな簡単なやり取りでバゼットの衛宮邸滞在は決定した。士郎にとっては珍しい客人を泊める、という以上の意味合いはあまりないのだが、表に出さないだけでバゼットは多少の緊張を保っていた。なにしろ自分以外の魔術師の拠点である、いざと言うときに侵入者を殲滅するようなトラップが仕掛けられていることも少なくないのだ。しかもここは自分の着任以前に同様の任務についていた衛宮切嗣の屋敷だ。相当えげつない手段も平然と使ったという彼の噂は聞き及んでいる。そこに泊まるのだから、自分から言い出したとはいえ緊張も無理は無い。
 それでもバゼットが泊まることを決めたのは、トラップは無いと踏んだ自分の判断を信じているからだろう。それに加え、不思議なことにこの衛宮邸は訪れた人を安心させるような、何か温かな雰囲気がある。魔術師の家、という臭いはまったくしないのだ。まったくもって噂に聞き及んだ衛宮切嗣のイメージとかけ離れている。
 敷かれていた座布団に腰を下ろし、テレビをつける。簡単な情報収集と言ったところか。
 幸いと言うか、生憎と言うか、特に目立った事件は無さそうだ。ちょこちょこチャンネルを回すと、着物姿の男性数人が積み上げた座布団の上に乗っている奇妙な番組に出くわし、興味を抱いたバゼットはそこでリモコンを置いた。
「……渋い選択だなぁ」
 居間から聞こえてくる聞きなれたテーマ曲に、士郎は微妙な笑顔を浮かべる。士郎は楽しんでいる番組なのだが、若者向けとは言いづらい。まして外人のバゼットが見て面白いのやら。
「外人さんにわかるんでしょうか……?」
 同じ疑問を抱いたようで、アーチャーも似た笑顔でつぶやく。
「へえ、アーチャーの世界にもあったんだ、あの番組」
「え? はい。お兄ちゃんが好きで、私もよく一緒に見てました」
「異世界って言っても、色々一緒なんだな」
「そうみたいですね」
 そうこう言っているうちにタネが捏ね終わったらしく、アーチャーが次はどうしましょう、という顔で士郎を見上げる。
「ありがと。それじゃ、適当に形整えてくれるか?」
「はいっ。士郎さん、凛さん、バゼットさん、ランサーさん、それと私とフェイトちゃんだから、6人分ですね……あれ?」
 ボウルの中を覗き込んでアーチャーが首をかしげた。
 6人分にしては、タネの量がやけに多いように感じたのだ。アーチャーの家は5人家族、しかも父兄姉はわりと食べる方なので多めに作っている。そのため用意する食材はいつも6人分強くらいなのだが、それと比較しても多い。
「なんか多くないですか?」
「ん? ああ、あと二人いるからさ、問題ない」
「あと二人? それって……」
「そう言えば言ってなかったっけ。後輩と……もう一人はなんて言ったらいいかな」
 勿論もう一人は大河のことだ。担任、と言うのは嘘ではないが何か違和感がある。そもそもなんで担任が食事に来るのか、という話にもなる。
「……近所のお姉さん……うわ、似合わねぇ」
 似合わないどころか、あの大河に『近所のお姉さん』と言う響きは異次元めいていた。
「?」
「ええと……まあ、保護者代わりかなぁ」
 むしろ保護者なのは士郎の方な感覚なのだが、人に分かり易く説明するにはそう呼ぶのが一番しっくりくる。
「親父が死んだあと、色々面倒見てくれた人なんだ」
「そうなんですか……それで、近所のお姉さん?」
「……まあ。あの、あらかじめ言っておくとそういう響きとは無縁の人だから。むしろ虎と言うか」
「虎?」
「いや、なんでもない」
「? ?」
 首をかしげるアーチャーだが、下手なことを言っては身の安全に関わる。故に黙っているのが最良と判断。
 士郎が言いよどんでいるのを察して、アーチャーもそれ以上の追求はせずに、
「それじゃ、8つでいいですか?」
「ああ、頼む」
 すぐに話を切り替えてくれるのはありがたかった。問いかけに頷き、士郎も支度を進める。
 相変わらず何か忘れているような気がしているのだが、とりあえず無視。
 しばし、会話が途切れる。士郎はお喋りな性質ではないし、アーチャーもわりと年上の男性である士郎と一緒、と言うのはそれなりに緊張するのだろう。
 と。
 居間から流れてくるテレビの音にまぎれて、来客を告げる呼び鈴が響いた。
「士郎君、来客のようですが?」
「ああ。この時間に来るのは身内だから、気にしないでくれ」
 言って、士郎は作業に戻る。
「身内って……さっき言ったお姉さん?」
「いや、藤ねえはチャイムなんて鳴らさないから。今来たのは桜……ほら、後輩も来るって言っただろ?」
「桜さんって言うんですかー。私のお兄ちゃんの彼女さんの叔母さんも、さくらさん、って言うんです」
「へえ、偶然だな」
 などと雑談をしていると、
「ら、ランサー! ダメだよ、そんな格好で出ちゃ……!」
 悲鳴じみたセイバーの声が廊下から届く。
 一体何事か、と廊下の方を見てみれば、
「ぶっ!」
 唐突に視界に入った肌色に、士郎は思わず吹き出した。
 バスタオル一枚を身体に巻きつけ、まだ濡れたままの灰銀の髪から白磁の如きうなじへと雫が垂れるのも気にせず、
「流石に風呂に入るとちょっと暑いわね」
 などと言いながら、ぱたぱたと羽根を動かし自分へと風を送っている。
 この場にバゼットやアーチャーもいるとは言え、半裸の幼女が居間に居る、というのはどう考えてもあまりよろしくない未来図が描かれてしまう気がした。
「ランサー!」
 大きな声で呼びながら入ってきたのはセイバーだった。薄桃のリボンでサイド二つに分けられていた髪は、風呂上りだけに解かれたままで、しっとりと濡れている。タオルを構えるように両手に持っているのは、ランサーの髪を拭こうとしているのか。
「ふ、藤村先生っ、今の……!」
「金髪の女の子、だったような……」
 廊下から何か声が聞こえてくる。
(……やばい)
 その声は、何かヨクナイ予感を起こさせる。
 このままでは身の破滅だという、そんな予感が――
「ちょっと士郎ー、今ここに……」
「先輩っ、誰か……」
 時が凍った。
 ばたばたと駆け込んできた大河と桜がぴたりと動きを止める。
 居間には、座布団に座りテレビを眺めているバゼット、バスタオル一枚きりでぱたぱたと羽根を動かすランサー、そのランサーの髪へタオルを押し当てることに成功したセイバー。奥の台所には士郎と並んで料理中のアーチャー。
 はっきり言って、
「あ、あれ、わたしおうち間違えた……?」
「そ、そんなはずないと思いますけど……」
 なんて、大河と桜が言ってしまうくらい、衛宮邸の居間の景色としては異常であった。
「ぷあっ! ちょっとセイバー、なにするのよ!」
「もう、ダメだよランサー。女の子がそんな格好で人前に出たら。士郎さんだっているんだよ?」
「私の身体で欲情するような変態なら今すぐ縊り殺してやるけど、そういうわけじゃないでしょ。だったら問題ないわよ」
「よ、欲情なんてするかっ!」
「ほら問題ない」
「そういう問題じゃないよっ」
 言い合うセイバーとランサーを、桜は不安げな顔で、大河は目を白黒させて眺めていた。
 一瞬、「あ、このまま誤魔化せるかな」などと思ってしまうが、そんなに上手くいくわけがない。
「し、士郎がへんたいゆうかいまになっちゃったよぅ〜!」
「誰が変態誘拐魔だっ!」
 大河の当然と言えば当然の、だがあんまりと言えばあんまりな咆哮に、士郎も声を荒げて反論する。しかもそのセリフは何故だかアーチャーの声で言われるのがすんなりくるような気がする。
「だ、だってだって! おかしいじゃないっ、こんなちっちゃな子が三人もいるなんてっ!」
「……そ、そうですよ先輩! 実は普通の女の子には興味なくて溜まりに溜まった鬱憤がこんな形で発露してしまったんですかっ!?」
「待て待て待て待てっ! 桜まで何を言い出すんだよ! この子達はだなぁ!」
 勢い込んで言いかけたものの、続きが出ない。
(そうか……藤ねえたちにどう言い訳するか、全然考えてなかった……)
 むしろ思いつかなかったから考えないようにしていた、という方が正しいのだが。
「ちょっと、なんで黙るのよ」
「え? あ、いや、その……バゼットさんの妹なんだ、なあ!」
「バゼットさん?」
 士郎の同意を求める視線が、バゼットへと向けられた。
 ぎぎぎと、油の切れたブリキ玩具のような動きで、大河の首も回りバゼットをロックオン。
「……どなた?」
「え?」
 単純に問われ、勿論呆けた返事をするバゼットを大河が怪しむ前に、
「お、親父の知り合いなんだよ。旅行に行ってた時に知り合って、日本に来たついでに挨拶に来てくれたんだ……な、バゼットさん」
「え、ええ、士郎君の言うとおりです。彼女達は私の妹で、ランサーに、セイバー」
 ぎこちないバゼットに、内心士郎は頭を抱えた。根が真っ直ぐな性質なのだろうと思ってはいたが、こうまでアドリブが利かないとは。真名で呼んでくれればいいのに、クラス名では人の名前として怪しすぎる。案の定、流石の大河も怪しんだらしく、
「んー、変わった名前ねぇ。外国じゃ流行ってるの?」
 興味津々に風呂上りのサーヴァント二人を眺めた。
「は、はじめまして。セイバー・フラガ・マクレミッツです」
 慌てているのか、セイバーもトンチンカンな自己紹介をする。
「……先輩、そっちの子は?」
 桜の言葉が示しているのは、勿論残るサーヴァント、アーチャーだ。どう見ても日本人のアーチャーである、バゼットの妹を名乗らせるのは無理があるだろう。
「その子はアーチャーって言って……」
 しかも、先の二人がクラス名で紹介されたのに倣って、ついクラス名で呼んでしまう。士郎もバゼットをどうこう言えるほど、策略に向いた性格をしているわけではないのだ。マズイと思う間もなく、大河が小首をかしげた。
「アーチャー?」
「あ、いえ……」
「あ……は、はじめましてっ、凛さんの親戚で、あ……阿智屋なのはって言います!」
 ナイスフォローと思ったのもつかの間、
「凛さん……?」
 聞き慣れない名前に大河は首をかしげ、桜は僅かではあるが表情を曇らせる。
「凛さんって、もしかして遠坂さん? なんで遠坂さんの親戚の子がうちに来るの?」
「ええと、それはだな……」
「ちょっと士郎、なんの騒ぎ? 藤村先生の声とか聞こえたけど……あら?」
 この騒ぎにさらに凛まで現れ、士郎は頭を抱えた。これ以上事態をややこしくしないでくれ、と言うのが正直なところだ。
「あれ、遠坂さん? どうして遠坂さんがいるの?」
「それは昨日から衛宮くんの家に下宿させてもらってるからです」
「あ、そうなんだー。へえ、今日び下宿なんて珍しいわねー」
 にっこりと、面白いものを見た、という顔で頷く大河だが、
「……む? むむむ」
 すぐに凛の言葉の意味に気づいたようで、再び目を白黒手をじたばた。
「ねー、士郎。どうして遠坂さんがいるのよ」
「……いや、今遠坂が言っただろ。昨日から下宿するこ」
 言いかけて、士郎の身体が宙に舞った。
 達人は踏み込みすら悟らせない、と言うがその類の動きだったのか。
「ちょっと士郎。そんなとこに寝転がってないでちゃんとお姉ちゃんにわかるように説明しなさい」
「自分でやっといてそれはないだろこの大トラ……説明って言ったって、これ以上どう説明しろってんだ」
「むがーっ! 今のが説明になってると言うの!? なんで遠坂さんが下宿することになったのよー! 同い年の女の子を下宿させるなんてどこのラブコメだい。ええい、そんな性質の悪い冗談わたしゃ認めないわよぅ!」
「俺だってそんな冗談は認めないけど、生憎遠坂の下宿は事実ってか確定事項だ。文句は聞くけど変更は利かないぞ」
「変更利かないって、そんなの認めるわけないでしょー! わたしは士郎の保護者で、学校の先生なんだからね!」
 心情的にも、立場的にも認められない、と言いたいらしい。こうなってしまった大河はちょっとやそっとでは引き下がらない。もっとも、こんな状態になること自体滅多にないのだが。
「む……」
 相当無理を言っていることは自覚しているので、そう言われると士郎としても反論できない。
 黙ってしまった士郎の元へ凛が歩み寄り、
「援軍、要る?」
 意地悪く笑って囁く。どうも悪魔の契約とか、そんな物騒な言葉が浮かぶが、ここは凛に頼るしかない。多少強引であろうと、言いくるめのような感じになってしまうとしても、大河や桜には納得してもらった上で凛達を泊めたかった。
「……頼む。俺じゃ、どう考えても藤ねえ達を納得させられそうにない」
「オッケー。じゃ、サクッと認めてもらいましょうか」
 向こうでお話しましょう、と大河を伴って凛は再び今から出て行った。同席すると言ってバゼットもそれに続く。
 残されたのは少女サーヴァント三人と士郎、そして桜だ。
「…………」
 桜の表情は暗い。桜は人見知りする方だから、少女とは言え自分の生活圏内に見知らぬ人が大勢いる現状が不安なのだろう。そう考えた士郎は、
「ごめんな、桜。桜に相談せずに色々決めちまって」
 桜の前に立ち、深々と頭を下げた。
 この行動には、桜の方が慌ててしまう。
「そ、そんな、先輩が謝ることないですっ。ここは先輩のおうちなんですから、先輩の自由に」
「それは違うだろ。ここは俺と、藤ねえと、桜の家だ。図々しいかもしれないけど、俺は桜のこと家族みたいに思ってる。その家族に相談せずに決めたのは本当に悪かった。……でも、遠坂やこの子達が下宿するのはやましいことでもなんでもないし、必要なコトなんだ」
「……先輩」
「けど、桜がイヤだって言うんなら、やめる。家族が反対してることを押し通してまでは続けられないから」
 言い終えて、恐る恐る士郎が顔を上げると、先ほどとは違い桜の表情は穏やかなものになっていた。いつも見せてくれている、静かな笑顔に。
「ありがとうございます、先輩。そこまで言ってもらったら、反対なんて出来ません」
「え。じゃあ……」
「はいっ。遠坂先輩の下宿だろうとなんだろうと、許しちゃいます。何か目的があってのことなんですよね? 家族が頑張ってるコトがあったら、それを応援するのも家族の役目ですから」
「……そっか」
 桜の言葉に、士郎も微笑う。桜の方でも自分を家族と呼んでくれた、そのことに。
「――ありがとな、桜」
「お礼を言うのはこっちの方です、先輩。私とっても嬉しいんですから」
「? なんでさ。俺、桜を嬉しがらせるようなこと言ったか?」
「はい。とても嬉しかったです。……ところで、先輩。好奇心から聞くんですけど、もし私が認めなかったらどうしたんですか?」
「え? そりゃまあ、一緒に居ないと都合悪いって言うんだから遠坂の家に居候するハメになったか、どこかホテルでも借りることになっただろうな。いや、自分の家にいてもこうなんだから、もしそんなコトになってたらどうなってたか。ほんとに助かった」
 悪夢めいたイフの光景を想像し、士郎はため息を吐く。
 と、
「――良かったぁ」
 などと、桜の方も大きくため息を吐いていた。
 しばらくすると大河達も戻って来て、
「むう――遠坂さんの言うこともっともなんだもん。釈然としないけど、認めないわけにはいかないじゃない」
 大河が微妙に納得していない表情で凛達の滞在を認める宣言をし、士郎が衛宮邸で暮らし始めて以来最も賑やかな夕食を迎えることとなった。

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