衛宮士郎の朝は早い。
 別に朝練のある部活をやっているわけでも、新聞配達などのアルバイトをしているわけでもないのだが、何故かやたらめったら早い。
 時刻は六時少し前。この季節だ、日が昇る前に起きることとなる。
「……はぁ。昨日は大騒ぎだったな」
 庭に出て、士郎はまだ暗い空を見上げながら嘆息した。
 なんとか凛やバゼット、セイバー達の逗留を認めさせたが、何を思ったか大河は突然泊まると言い出し、桜もそれに便乗。昨晩の離れは女の子――と言いがたいのが二人ほどいるが、まあ平均すればミドルティーンくらいに収まる――だけのパジャマパーティーという様相を呈していたのだろう。普段であれば学校があるため、一応教師の大河は早めの就寝を勧めただろうが(アレでもそのあたりのことは意外にきっちりしているのだ)原因不明の校舎半壊事件でしばらく休校なのだと、昨晩当の大河が告げたのだった。
 そのときの心底申し訳無さそうな顔のバゼットは、傍で見ている士郎の方が胃が痛くなりそうなほど。勿論、校舎半壊事件の犯人は開幕の景気づけとばかりに大魔術を叩き込んだランサーに他ならないのである。そしてこれも勿論のことながら……ランサーは反省なんぞ欠片もしていなかった。
「あ、士郎さん」
 道場に行く前に軽く身体を動かしているところに、後ろから可愛らしい声。
「セイバー? 早いんだな」
 言いながら振り向けば、そこには士郎に声をかけたセイバーに加え、アーチャーの姿まであった。
 二人とも凛から貰ったと言う、上品な服をお揃いで纏っており、手にはそれぞれの宝具、黒白と対照的な色合いの知性ある魔杖インテリジェントデバイスが握られている。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます、士郎さん」
 士郎の挨拶に、少女サーヴァント二人からも元気の良い挨拶が返ってくる。元気なのはよいことだと、士郎は満足げに頷きかけ、ふと昨日から抱いていた疑問を口にした。
「あのさ、アーチャー」
「は、はい、なんでしょうか」
「俺の気のせいかもしれないけど、アーチャーって俺の名前を呼ぶときなんかこう、照れてるって言うか、なんと言うか……言いづらそうにしてないか?」
「え……あ、ええと、ええと、それは……その、実は」
「うん」
「うちのお父さんの名前も、士郎っていうので……」
「……成る程」
 士郎は養父である切嗣のことを呼び捨てにしていたが、それはあくまでも特殊な例だろう。そもそも士郎くらい年の離れた男性を、十歳ほどの女の子が名前で呼ぶのも滅多にないケースだろうし、それが自分の父親と同じ名前ではなおさらだ。
「ちょっとだけ、呼びづらいかもです」
 照れ笑い交じりに言うアーチャーに士郎も笑い返し、好きに呼んでくれと告げた結果、
「じゃあ、衛宮さんで」
 そう呼ぶことに落ち着いたのだった。
「俺は軽く身体を動かしに来たんだけど……二人はどうしたんだ、こんな朝早く? その杖まで持ち出して」
「私達も似たような感じです。ランサーとは戦わずにすむようになったけど、残りのサーヴァント……バーサーカーとライダーは戦う気みたいだし、他の二人もどういうつもりなのかわからないから」
「いざと言う時に備えて、少しでも訓練しておこうと思いまして」
 幼い顔に凛々しい表情を浮かべ、二人は言葉を紡ぐ。
 少女達の決意に、士郎は少し驚いた。
 凛が言うには、サーヴァントとは本来英雄を再現する術による具現なのだという。例えどんなに幼い容姿であろうと、真っ当な聖杯戦争に呼ばれるものであれば、それはその英雄が駆け抜けた生涯分の経験と心を持っているのだと。だが、この二人やランサーはそうではないらしい。明確なタイミングまではわからないが、一生分の記憶を持っているわけではなく、ある時点の存在がそのままコピーされたようなもので、見かけどおりの少女のメンタリティであるはずなのに。
「凄いな。怖いとか、思わないのか?」
「それは……怖いです。ランサーやバーサーカーの魔法は、私達みたいに非致死性にセットしてないから、当たれば怪我するし、もしかしたら死んでしまうかもしれない」
 セイバーもアーチャーも、本気で殺しに来る相手との戦闘経験はない。恐怖はあると、セイバーは言った。だがその瞳には怯えの色は無く、静かに決意を湛えていた。
「でも、私には力があるから……こんな理不尽な戦いは、やめさせたい」
「……そっか」
 いくら力があるとは言え、自分より年下の少女が確たる想いを抱いていることに士郎が素直に感心すると、
「私は士郎さんの方が凄いと思うな」
 ふい、とセイバーが士郎を見上げ、そんな風に言ってきた。
「え? いや、俺は全然凄くなんかないぞ。魔術だって全然へっぽこだし、なにか特別な武術をやってるわけでもないし」
「でも、こんな理不尽に巻き込まれて、全然逃げない。真正面から見つめて、解決しようとしてますよね」
「いや、それは……」
 頭によぎるのは、地獄のような灼熱の景色。
 アレが聖杯戦争によってなされたのだと、あの陰気な神父は告げた。
 それを、あの地獄を生き延びた士郎が、どうして見過ごすことが出来るだろう。
 生き延びたからには、果たさねばならないことがあるのだ。それは、言葉に――否、心で形になることすらない、士郎の奥底に根付いた瑕。
「……一応、俺だって魔術師だしな。それにほら、セイバーも助けてくれるし、遠坂だって協力してくれるんだ。こんなに心強い味方がいて逃げ出したりしたら、それこそ正義の味方失格だ……っと」
 正義の味方。
 失言だったと思ったときには遅かった。士郎が口にした言葉に、少女達の好奇心が刺激されたのか、二人は興味津々に士郎を見上げてくる。
「衛宮さん正義の味方なんですか!?」
「すごい……」
「あ、いや、そんな大げさなもんじゃなくて、あくまでもなりたいってだけだよ、希望だって!」
「朝から賑やかですね」
 士郎が慌てて弁明しているところに、僅かな柔らかさを帯びた真面目な声がかかる。
 振り向いてみれば楽しげな笑みを浮かべたバゼットの姿がそこにはあった。
「おはよう、士郎君。セイバーにアーチャーも」
「ああ、おはようバゼットさん」
 士郎に続きセイバー達も元気な挨拶をする。
「それで、一体朝からなにを盛り上がっていたのですか?」
「士郎さ」
「ああいや、大したことじゃないんだ。ほら、セイバー、トレーニングに起きてきたんだろ? こんなところで立ち話してる場合じゃないぞ」
 幸いバゼットには先ほどのやり取りは聞こえていなかったようで、これ以上正義の味方云々が広まってはたまらないと、士郎は慌ててセイバーの言葉を遮り、二人を促した。わざわざ主張することでもないと思ったか、セイバーはそれ以上言及せずにやってきたバゼットに一礼すると、アーチャー共々宙へと舞い上がる。
 結界の生成音を聞きながら、士郎はバゼットに話を向けた。
「バゼットさん、アンタも随分早いじゃないか」
「ええ。トレーニングは日課ですから、周辺把握も兼ねて少し走ってこようかと……そう言えばこの家には道場がありますが、士郎君も何か武術を?」
「え? いや、弓道を少し齧ったくらいで特別何も。道場も目的があって建てられたものじゃないし」
「そうですか。……切嗣氏は銃使いと聞きましたし、確かに訓練するには道場は不向きですか」
 なんの気なしに出たバゼットの言葉に、士郎の表情が僅かに硬くなる。
「……ちょっと待て。バゼットさん、切嗣のこと詳しく知ってるのか?」
「詳しく、とまでは知りませんが。私が封印指定の任に就いた頃にはアインツベルンに招かれていたので面識はありませんし。そのすれ違いは幸いですね。彼は前回の聖杯戦争における勝者と聞きますし、職種がバッティングしていた以上下手をすれば剣を合わせることも……士郎君?」
 士郎の表情が凍る。
 バゼットの口から語られた事柄は、あまりにも衝撃的だった。
 アインツベルン。それは、己を『お兄ちゃん』と呼んだあのイリヤスフィールという少女が名乗った家名だ。
 そして、切嗣が聖杯戦争に関わっていたということ。
「大丈夫ですか、顔色がよくないようですが」
「あ……だ、大丈夫だ。少し、驚いただけだから。……そうだよな、親父は魔術師だったんだ。この冬木にいて、聖杯戦争と無関係だったはずない」
 十年前の大災害から自分を助け出してくれた切嗣。あの大災害が聖杯戦争によって引き起こされたというのなら、魔術師である切嗣がたまたま・・・・居合わせたなんて、都合のいいことがあるはずないだろう。
 だが問題は、
「バゼットさん、親父がアインツベルンに招かれたってのは本当なのか?」
「詳細は知りませんが。現に、彼は聖杯戦争に参加し勝者にまでなっている……ん?」
 言いかけ、バゼットは指先を顎にあて考え出す。
「そう言えば妙ですね。何故聖杯戦争の勝者がアインツベルンではなく衛宮切嗣・・・・・・・・・・・・・・・と報告されているのでしょう。両者はイコールのはずでは……」

『じゃあね、お兄ちゃん。夜に会ったら、殺してあげるから』

 士郎の頭に、白い少女の姿がよぎる。
 一片の曇りも無い透明な殺意。何故そんなものが向けられるのか。
 お兄ちゃんと呼ぶ妖精めいた声。何故そんな風に呼ばれるのか。
 そんなこと、もう自問するまでもなく理解してしまっていた。
 切嗣がアインツベルンに招かれたと言うのは十年以上前のこと。時間は、十分にあった。
「親父は……アインツベルンを裏切ったって、ことなのか」
 どんな理由があったのかは定かではない。だが、前回の聖杯戦争に参加した切嗣はアインツベルンのマスターとしてではなく、衛宮切嗣個人として、勝者になったということなのだろう。
「それは穏やかではない話ですが……士郎君、貴方は切嗣氏の養子なのですから、前回の聖杯戦争の様子など聞いていないのですか?」
「いや……親父は俺が魔術師になるのも反対してたし、親父が聖杯戦争に参加してたってのもさっき初めて聞いた」
「そうなのですか? 私はてっきり、貴方は切嗣氏の後継者として、魔術師殺しの教育を受けていたものだとばかり」
「ちょっと待った。なんだよその、魔術師殺しって」
「……? 言葉どおりですが。フリーランスの魔術師でしたから、能力の詳細までは残っていないようですが、彼に狙われて生き延びた魔術師はいない。"敵対する魔術師を殺す"事は折り紙付きだったとか」
「……なんだよ、それ」
 士郎にとって養父、衛宮切嗣とは正義の味方だった。瀕死の自分を救ってくれた、"誰かを助けることの出来る"正義の味方。
 バゼットの語る衛宮切嗣と、士郎の知る衛宮切嗣はあまりにも乖離している。バゼットが語る人物は、それではまるで殺し屋のようではないか。
「士郎君……? 貴方は……」
 唖然とするバゼットの気配が伝わってくる。
「……ああ。俺は、親父の魔術師としての顔はほとんど知らない。さっきも言ったけど、俺が魔術に関わることも嫌がってたよ」
「そうですか……屋敷の様子と言い、どうも私が聞き知った切嗣氏のイメージとは違いますね」
 士郎も驚きだろうが、バゼットの驚きも相当なものだ。まあ、士郎の物腰を見て「あの衛宮切嗣に育てられたにしては、なんと人当たりの好い少年なのでしょう」などと思っていたので、切嗣が士郎に魔術師の顔を見せたがらなかったと言うのはむしろ納得ではあるが。
「しかしそうなると……バーサーカーのマスターが士郎君を狙うのは、裏切り者への制裁という意味があるのでしょうね。切嗣氏自身が存命でないのだから、養子である士郎君に矛先が向くのも当然ですか」
「…………」
 バゼットの意見に、士郎は頷けない。
 あの少女の殺意は、裏切り者への制裁と言うよりはむしろ――
「イリヤ、か」
 商店街であった時、もう少し色々話をしておけばと、今になって悔やまれるが今更詮無いこと。
「……なあ、バゼットさん。そう言えばアインツベルンって有名な家系なのか?」
「え? ああ、士郎君は聖杯戦争について予備知識がないのでしたね。アインツベルンは遠坂、マキリに並び立つこの冬木における聖杯戦争の立役者で、しかもかつては魔法を体現した名家。"地上で最も優美なハイエナ"と謳われるエーデルフェルトや、魔法使いを輩出するアオザキに並び高名な家柄です。もっとも、今では冬国の穴熊扱いも同然なのですが」
 協会とは不可侵に近い状態であり、穴熊というのもあながち間違いではない。だが、彼の家が伝える最秘奥は失われたとは言え、それ以外の神秘は未だ色褪せることないのだ。かつて剣を合わせたアンツベルン製のホムンクルスを思い出し、バゼットはわずかに身震いした。
「じゃあ、ひょっとして何処を拠点にしてるとか、知ってる?」
「アインツベルンが、ですか? そうですね、こちらに根付いたマキリや元々この国出身の遠坂と違い、本拠こそ移してはいませんが、確か郊外の森に出城があるはずです。恐らくはそこを拠点にしていると思いますが」
 言われてみれば、イリヤがお城がどうとか言っていたのを思い出す。
「……そうか。けど、結構色々知ってるんだな、バゼットさん」
「それはまあ、下調べもしてきましたし。協会から任じられて来た身ですから」
 感心する士郎にどこか釈然としない様子で返すバゼットだが、言葉に出来ない違和感に突っかかるほど狭量ではない。話が一段落したのを察して、軽く手足を動かしつつ、
「それでは、私は少し走ってきます」
「ああ。……あ、道案内いるか? 邪魔じゃなければ一緒に行くけど」
「いいのですか?」
「たまには走るのも悪くないし。一人で行くよりは効率的だろ」
「そうですね……では、お願いします」
「ん……とりあえず、新都までの近道を教えようか」
 結界があるので届くか不安だったが、セイバーに走ってくると告げるとちゃんと、
「わかりましたー」
 と返事があった。
 バゼットと組んで軽い柔軟をしてから、二人並んで衛宮邸の門をくぐり、朝靄に煙る街へ走り出す。

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