「……夢、か」 見慣れた天井を眺めながら、士郎はつぶやく。 おそらくはセイバーの記憶なのだろう。走馬灯のような、めまぐるしい景色だった。 厳しくも優しい、保護者でもあり師でもあった女性。妹で娘で、姉のような使い魔。黒い愛杖。冷たい眼差しの紫の魔導師――母親。 そしてセイバー自身の哀しい瞳。 心を伝えたくて、だが何も言えずにいる、想いを秘めた瞳。 なによりもその瞳が、心に残っている。誰かに似た赤い―― 「なんか、今のセイバーとイメージ違うな……?」 それほど長いつきあいではないが、セイバーは控えめではあるものの、あんな哀しい瞳の少女ではないと断言できる。やわらかく微笑み、誰かに優しく出来る、そんな少女だ。 「……ま、過去を覗き見してるようなもんだし、あんまり詮索するのも失礼か」 起き上がり、のびをする。時計を見れば、まだ六時を少しすぎたところだった。世間的には十分早いが、士郎にしてはやや寝坊と言ったところか。軽く身体を動かしながら、部屋を出る。静まり返った家の中、士郎以外の住人――まあ、ほとんどは客人だが――が起きている気配はない。 「昨日は色々あったからな……」 昨日の経緯は気になるが、叩き起こしてまで聞くことでもないと考え、士郎はいつも通り道場で簡単に身体を動かし、着替えて台所へ向かう。 と、居間へ近づくと、廊下まで僅かに音が漏れている。話し声ではない。おそらくはテレビの音だ。誰か起きてきたか、と思いながら入ってみれば、 「……衛宮か」 「早いな、小僧」 葛木とキャスターが並んでテレビを眺めていた。貸した揃いの柄の浴衣を着ているのが、かえってシュールで妙な光景だった。 「おはよう。葛木、キャスター」 もう小僧呼ばわりされるのはどうにもならなさそうなので無視。ランサーの赤毛呼ばわりよりはマシだろう。何を見ているのかとテレビを覗いてみれば、やはりと言おうかニュースが流れている。 「……まずいな」 険しい表情で、キャスターがつぶやいた。ニュースは地元の話題で、新都のあちらこちらで昏睡状態で倒れている人が発見された、という物騒な話題が流れている。不良なガス管の配管によるガス漏れ事故ではないかと語っているが、 「まずいって……ひょっとして、この事件」 「ああ。おそらくだがナコト写本の仕業であろうな。彼奴め、学園があの有様なのを見て別の手段に切り替えおったか」 「別の手段?」 士郎が首をかしげると、一瞬風が渦巻いたかと思えば、キャスターの片手に数枚の紙片が握られている。 「それ……?」 「妾の断片だ。昨日説明したであろう。こうして人の姿を取っておるが、妾は魔導書、本質は様々な記述を束ねた書物」 昨晩、お互いに経過を説明した中でキャスターのことも聞いているから、士郎は素直にうなずく。 「記述の中には、魔力を通せば術式として起動するものがいくつもあってな。昨日使ったアトラック=ナチャや、ニトクリスの鏡などがそうなのだが……アレらは術式であると同時に仮初の命を備えた怪異としても機能している――そして、ナコト写本もまた、妾同様異界外道の知識を連ねた魔導書だ。この意味、わからんではないだろう?」 正直初めて聞く単語が多く、かなり混乱したが順を追ってキャスターの言ったことを整理し、 「ええと、つまり……キャスターやライダーは自分の知識を使い魔に出来るってことか?」 「まあ、細かいことを抜きに言えばそうなる。もっとも、術者との相性や魔力量……今の妾では無理だが、どうやらナコト写本には可能なようだ」 鋭い視線が、テレビの中の中継画面を射抜いている。 「そいつらって、強いのか?」 「そうだな。普通の人間では勝つのは困難だろう。昨日の小娘――ランサーだったか? あれほどの力があれば、難無くとは言わんが倒せるだろうが」 ランサーでも楽勝とは言えない、と言われ士郎は顔をしかめた。あれほどの力を持つランサーがそれなりに手を焼くのであれば、凛ならともかく士郎になにが出来ることやら。 「厄介だな」 「まったくだ」 士郎のつぶやきに、キャスターもため息を吐きつつ頷く。 そこに、 「……おはよ」 昨日の疲労が残っているのか、なかなか壮絶な顔をした凛が顔を出した。 既にあらかた壊れたイメージの最後の破片が崩れる音が、頭の中で響いたような気もするが、この際気にしないことにする。と言うか、そうでないとやってられない。 「おはよう、遠坂……あー、なにか飲むか?」 「ん……牛乳ある?」 「ああ。……っと、葛木とキャスターもどうだ?」 「いただこう」 「うむ」 人数分のカップに牛乳を注ぎ、皆に振舞う。 「そう言えば、朝飯はおかゆとかにした方がいいのか?」 「病気ってわけじゃないんだから、そこまで気を遣うことないと思うけど……そもそもサーヴァントは食事いらないんだし」 「いや、でもイリヤもいるし」 朴訥とした士郎の言葉に、凛はわざとらしく大きなため息をついてみせる。士郎がむっとした顔で反論しようと口を開きかけたところに先んじて、 「あのね……あの子にこそ気を遣う必要ないでしょ。なし崩し的に連れてきちゃったけど、あの子はマスターなのよ? 大体士郎だって殺されかけたでしょう。忘れたの?」 「それは……」 『じゃあね、お兄ちゃん。夜に会ったら、殺してあげるから』 つい数日前、公園で向けられた透明な殺意。あれを忘れるはずはない。ましてイリヤには士郎を狙う理由があることを、今の士郎は知っていた。 「……でも、俺は」 「……ま、いいけどね。味方が欲しい状況なのは確かだし」 口元を拭いつつ、凛は立ち上がった。どう言葉にしようか迷う士郎の肩を叩きつつ、軽やかに向かう先は台所だ。 「遠坂?」 「中華風になるけど。ま、病人食は医食を同源とする中華三千年の得意とするところだし、かまわないでしょ?」 「素直でない小娘だな」 ぼそりと呟いたキャスターの声は、幸い凛には聞こえなかったようで、 「……ありがとな、遠坂」 士郎の素直な感謝に、凛は僅かに頬を赤らめた。 「じゃあ、俺はちょっとセイバー達の様子見てくるよ」 言って、士郎は居間を後にした。 静かな廊下を歩きながらも頭に浮かぶのは、出掛けに口にした己がサーヴァントのことではなく、 「…………」 知っている、と言えるほどのつきあいではない。もっとも、だからこそ知りたいと思うのだが。その欲求はかつて憧れの対象であり、今もその威風堂々とした姿に感心している赤い少女に対するそれよりも強い。 昨夜も一度訪れた客間の前に立ち、ノック。同じようにランサーからの許可が出るかと思ったが、沈黙に続くのはやはり沈黙であった。 少女が寝ている部屋に無断で侵入するのは気が引けるが、ここで立ち往生していても始まらない。 意を決して入ってみれば、聞こえるのは静かな寝息。一晩眠って疲れも抜けたか、少女達がそれなりに安らかな寝顔なことにほっと一息。さてランサーはどうしているのかと思えば、バーサーカーの枕元で眠りこけていた。種族的なことを考えれば、早朝の今は深夜にあたるし、 「そう言えば、雨の中をバーサーカー背負って帰ってきたっけ……」 吸血鬼といえば流水に弱いと相場が決まっている。そんな中を大橋近くから衛宮邸まで帰ってきたのだから、その疲労たるや並ならぬものがあったのだろう。 音を立てないように押入れからタオルケットを引っ張り出し、そっとランサーの小さな身体にかけておく。 「イリヤも、大丈夫みたいだな」 少女サーヴァント達同様、穏やかな寝顔のイリヤ。意識を失ってた上に雨に打たれていたから風邪でも引いてないかと心配していたが、呼吸も平常だし顔が赤いということも無い。一応念のため額に手を当てて熱を診てみる。 「……ん」 と、イリヤが小さく身じろぎ。 「……リ……グ?」 「え?」 夢を見ているかのような、呆とした呟き。慌てて手を離せば、赤い瞳がぼうっと士郎を映していた。 「……え? おにい、ちゃん……? どうして」 「悪い、起こしちゃったか」 「起こしちゃったかって、え、私……! バーサーカーは!?」 意識を失う前のことを思い出したのか、がばりと起き上がるイリヤ。寝乱れた浴衣から露出する白い肌に、士郎は思わず視線を逸らしつつ、 「だ、大丈夫だ。無事だよ。隣に寝てる」 「……よかったぁ」 安心して力が抜けたか、そもそも起き抜けでいきなり動いたのがまずかったか。ゆらりと倒れかけたイリヤの身体を慌てて支える。 「おっと、大丈夫か?」 「わ。う、うん、ありがとおにいちゃん。安心したら、ちょっとふらっとしちゃった」 声は意外にしっかりしている。これは大丈夫か、と安心した士郎だが、何故かイリヤはぎゅっと抱きついたまま離れてくれない。 「……? イリヤ?」 「……久しぶり。起きたとき、誰かが側にいてくれるって」 誰を想っているのか。起き抜けの呟きを思えば考えるまでもない。それに気づかないほど士郎も鈍感ではないのだ。どうするか一瞬迷ったが、そっとイリヤの小さな身体を抱きしめる。 「……あは」 それが嬉しいのか、猫のように頬を擦り付けるイリヤ。 くすぐったいやら恥ずかしいやらで、士郎の顔はまるで茹蛸のようだ。 しばらく士郎のぬくもりを楽しんでいたイリヤだが、満足したか硬直している士郎の腕からするりと抜け出し、立ち上がる。 「イリヤ……?」 何を、と首を傾げる士郎の前で、イリヤはついと浴衣の裾を軽く持ち上げ、恭しくお辞儀をする。 まるでちぐはぐな衣装だが、それは淑女の礼に他ならなかった。 「礼を言います、セイバーのマスター。敵である私を、そしてバーサーカーまでもこうして介抱してくださった心遣い、心より感謝しますわ」 「あ――う?」 あまりにも優雅な一礼に、思わず呆然としてしまう士郎。そんな士郎の反応が面白かった、というわけでもないだろうが、イリヤはにこっと曇りのない笑顔を浮かべると、 「ほんと、ありがとお兄ちゃんっ」 再びがばっと抱きついた。 「わ、った、ちょ、イリヤ……!」 慌てるが、セイバー達が眠っている手前あまり騒ぐわけにもいかない。立ちたい、と言ったら一度は離れてくれたものの、間を置かずに今度は背中にべったりだ。結局士郎はイリヤをおんぶして居間まで戻ることになった。 当然――凛には心底呆れた目で睨まれた。 |