唖然とした様子のセイバーにランサーは口を尖らせ、
「なによ気が利かないわねえ。そこは『お前の強さに私が泣いた』とか言うのが流行トレンドよ?」
「え……あ、よ、よくわからないけど、ごめん……」
「ま、先に来て場を整えてたことに免じて許してあげる――前言撤回。気が利かないと言うか、融通が利かないのね、お前」
「う……」
 わりと自覚していることを言い当てられ、セイバーは思わず唸る――が、すぐにこんなのんびりしている場合ではないと、はっとなる。
 だが眼下へ視線を遣る前に気づいた。敵意が向けられていない。
 疑問に思うも動作は継続。足元に広がる街を見れば、
「蟲が……散らされてる?」
 呟きの通り、蟲は不自然な動きを取っている。蟲で黒く埋め尽くされた空を斬り裂くように、赤い光が飛んでいた。光の中に影が見える、一度だけ見かけたことのあるランサーの使い魔だ。
「さて、ちゃっちゃと片付けるわよ。仔細はわからないけど、空間隔離だか遮断だかが施されてるんでしょ? ここならどれだけやっても問題ない、と」
「あ、あんまり派手にやると結界がもたないかもしれないから……ほどほどにね、ランサー。残された人も保護してるし」
「あ?」
 セイバーの言葉に、ランサーは眉をひそめながら周囲を見回し、宙に浮かぶセイバーの防御魔術に守られた由紀香の姿を認める。
「詰めが甘いわね。舞台を整えておくなら、きっちりやっておきなさいよ」
 そもそもこの騒ぎ自体ランサーが慎二を挑発したから起こっているようなものなのだが、その辺は綺麗に棚に上げて嘆息。実際ランサーにしてみれば人間、しかも面識の無い連中がどれだけ死のうが特に大した感慨もないのだ。ただ、その展開はランサーが蔑視する慎二の思い通りであるから、それが気に食わないのでわざわざ自ら出向いたのである。
「いいわ。なら、その人間をさっさと安全なところまで連れて行きなさい。たかが的当て遊び、私一人で十分よ」
「……ランサー、貴女が強いのはわかるけど、あまり侮らない方がいい。コイツら数も」
「意見は聞いてないのよ、小娘」
 語調を強め窘めるようなセイバーの言葉を、だがランサーは一蹴する。
「ノーという返事も聞かないわ。邪魔なの、何の力も無い人間なんて脆いモノがいると。この私が気を遣ってやってるのよ? 素直に『畏まりましたお嬢様』とでも言って従いなさい」
 言葉こそ乱暴だが、納得出来ない意見ではない。由紀香を守る必要が無くなれば、もう少し自由に戦えるのも事実だ。一人残るランサーの身が心配ではあるが、
「……わかった。この場は任せるよ、ランサー」
 ここは信頼するべきだと判断。過剰な心配は相手の為のものではなく、相手を案じる自分の為のものになってしまう。
 身を翻し、由紀香のもとへ向かうセイバーを満足げに見送り、ランサーは改めて周囲を見渡す。
「はン――グレイト、数だけは多いわ! とでも言うべきところかしらね」
 実際、数だけは大したものだ。
「けど、私は量より質を取る方なの。同じ蟲なら、あの蛍娘でも相手にした方がまだマシね」
 身体に満ちる魔力を確認。自分を恐れる人間からしか吸わない、という主義を曲げてまでいただいた甲斐があったか、と思う。桜の血は味わい最低ながら栄養としてはかつてないほどのものだった。術式を振るうには十二分な魔力がある。
「フランのことも気になるし、あの黴女に一撃くれてやらないと気がすまないわ。だから、今は的当て遊びをゆっくり楽しむつもりは無い」
 ランサーの指先から不可視の魔力が迸る。蟲達を撹乱し、ランサーへ攻撃を向けさせないように誘導する蝙蝠の従者サーヴァントフライヤーへと術式が送られていった。
「覚悟なさい――と言っても無意味だろうけど。今宵の私に通常弾幕前振りは無いわ。最初っから最後まで、徹底的にスペルカード発動クライマックスよ!」
 言葉と同時に、術式を完成させる。
 今まで直線的に飛んで、稀に赤い弾幕を吐き出すだけだった蝙蝠達の動きが激変した。
 まるで酔っ払ったかのように身体を紅くし、不規則な機動でただ飛び回る。端から見たらほとんど格好の餌にしか見えず、事実蟲はそう認識したらしい。大きな顎を限界まで開き、追い回された恨みと言わんばかりに一飲みにせんと迫るが、
「お前達に飲み込めるかねえ……それは私の眷属、私が支配する夜ヴァンピリッシュナイトそのものだよ」
 蝙蝠に喰らいついた蟲の身体が、一瞬で切り刻まれる。食事時には絶対に見たくない血みどろの光景だった。
 ナイフの輪郭を持った紅の魔弾が魔力で構成された蝙蝠の身から分かれ、周囲へとばら撒かれる。輪郭そのものの鋭利さをもって、魔弾は突き進む先にあるもの全てを貫いていく。
 そうして次々と仲間が切り裂かれていくのを尻目に、蟲達は先ほどセイバーを相手にしていた時の動きを取り戻していた。ランサーへの恐怖を克服したわけではなく、単にランサーが匂いや視覚で認識出来るところまで近づいたことで食欲が本能的な恐怖を上回ったらしい。
 奇声があげられ、ランサーへと異形の攻撃が迸った。
 迫る雷を、毒を、ランサーは唇を嘲笑の形に歪め迎える。僅かに肌を覆うだけだった真紅の魔力が一気に膨れ上がり、まるで鎧のようにランサーを包む。一瞬の間もおかず、黒翼を持った少女は矢の如く夜空を駆け抜けた。
 直撃すれば感電死へと到るであろう雷、体組織を溶かしかねない猛毒、いずれもランサーを侵すことは無い。
 紅の魔力は実体がないにも関わらず、ランサーを傷つけようとするあらゆるものから彼女を守る。セイバーのように防御の術式を介するわけではない。魔力そのものが防御の機能を有しているのだ。
 そう聞くとランサーの方が異様に有利に思えてしまいそうだが、現実はそう甘くはない。術式を介さないならば、強化の余地もほとんどない、ということだ。意識を集中して多少硬度を高める程度なら出来るとは言え、ランサーの防御出力はけして高くない。せいぜいがセイバーのオートガード程度か、やや硬いか、くらいだ。被弾時に消耗がない為蟲の攻撃程度は難無く防いでいるが、それでも多少の衝撃はあるし、気が緩んだ時に大きいのを直撃されればそれなりに危ない。加えて、例えばアーチャーやセイバーが放つ砲撃を真正面から受けることはかなり厳しいだろう。
 これは初戦時にバーサーカーが口にした言葉だが、『弾幕は防ぐものではなく、避けるもの』という認識を同郷のランサーも持っている。それゆえに防御用に術式を研鑽する必要をあまり感じていない。そもそも、当てられるより先に当ててしまえば勝ちと思っている風でもある。ハイリスクハイリターンな生き様なのだ。
 そんなランサーだからこそ、蟲達相手の今の状況を『的当て』と言い捨てられる。
 余裕のある時ならばその行為自体を遊興としてもよいのだが、今はそういう場合ではない。十二分に満ちている魔力をいいことに、とにかくさっさと終わらせるべく術式を紡ぐ。
 弾幕ごっこであれば反則と文句を言われかねない、複雑な魔術式スペルカードの連続行使。既に展開している術式に重なるように次の術式が起動した。
 紅の魔力へと霧散した魔弾が術式を受けて再び形を得ていく。
 地表近くをたゆたう紅霧が更なる惨劇を作り出す。"獄符"と名付けられた術式は、まさに地獄の光景を生み出した。
 天へと切っ先を向ける、畳針すら待ち針に見えるほどの凶悪なサイズの紅で彩られた針。その数、かっきり千本。微妙な長さの違いで遠目で見れば山の形を成しているはずだ。それはまさしく、地獄に存在するという針山の如く。
 次々とその身を貫かれ、痙攣するだけの肉塊へと化していく蟲を見下ろし、
「貧弱、貧弱ぅ!」
 嘲りながらついでに間近に迫った蟲を爪で三枚に下ろす。
「的当てにしてももう少し歯応えと言うものが欲しいわ……まあさっさと終わるにこしたことはないけど……っ!?」
 咄嗟に黒翼を羽撃たかせ、回避行動。
 蟲の群れの彼方から伸びた黒光りする触手じみたものが、ランサーが居た空間を横薙ぎにしていた。凶悪な棘を具えたそれは、軌道上にいる同族の身体をも裂いて再び群れの彼方へ姿を消す。
「……へえ。大物がいるみたいね」
 薙ぎ払われた触手はランサーの腰よりも遥かに太かった。末端でそれほどのサイズならば、ランサーを囲んでいる蟲と思えぬ巨体を持つものと比してなお、巨大と言えるほどの体躯を誇っているだろう。
 剥き出しの殺気で肌がちりつく中、一際強烈な気配を確かに感じる。迫る蟲を捌きながら、精神はそちらに集中。
「――来た」
 呟きと同時に、再び黒い横殴りの一撃が飛来する。
 速く、重い一撃だ。
 クレーンに巨大な鉄球を取り付け、振り回したのにも等しく、しかもそれより柔軟な動き。
 だがそれを、
「ふンッ」
 幼女の小さな掌が、真正面から押し止めていた。
「……っ」
 ぎりぎりと受け止めた尻尾を締め上げながら、ランサーは眉をひそめる。予想以上に衝撃が大きい。回復が間に合う程度ではあるが、手首へ強烈な負担がかかっていた。
(……重い。相当のデカブツね、こりゃ)
 力任せに引っ張り上げ、振り回して投げ飛ばしてやろうと力を込めるも根でも生えてるかのようにぴくりとも動かない。見掛けは幼女のランサーだが、その力たるや工事用の重機に匹敵する。
 集ってくる蟲が鬱陶しいこともあり、このまま片手で押し合いしていても無意味と判断し、手を離し高度を取った。
 手離された尻尾が次々と蟲を巻き込み叩き落していく様子に、ランサーの顔に呆れの表情が浮かぶ。
「所詮蟲ね……図体ばかりデカいだけじゃ、到底私の満足には遠い」
 呟き、片手を握り締める。
 開いた時の光景はまるで手品だ。ずらりと手に広げられるのは、たった今殺人でも為したかのようにぬらりと鮮血に光るナイフ。下から上へ腕の一振りで、それが信じられないほど広い範囲へと撃ち出される。魔術によって生成された刃は切れ味の衰えを知らぬように蟲を貫きながら空を奔る。
 投擲のアクションは大きく、ランサーに大きな隙が生じた。それを好機と感じたか、ナイフの直撃を免れた蟲が殺到するが、その尽くが見えない壁にでもぶつかったかのように空中で跳ね、落ちていく。
 暗い空に、赤い雫が浮かんでいた。
 頚動脈を掻っ捌いた瞬間で時間を止めたかのように、鮮血が空中で静止している。血滴は強い魔力を秘め魔弾として機能し、襲いくる蟲を近づけさせない。
 投擲は一度だけではなく、投げ切って空になった手が戻りの動きを取った時には再びナイフが握られていた。振り下ろす動きをもって再度の投擲。腕の動きは更に続く。一振りで十に近い数が投じられ、総数が百に届こうかという時に至りランサーの動きは止まった。
 今度こそ隙だらけとなったランサーだが、蟲達は近寄らない――否、近寄れない。留まる血の雫は全て魔弾の性質を帯び接触した蟲を打ち倒す。まるでランサーを守る鉄壁の防御陣だが、それは言うなればオマケ程度の効果に過ぎなかった。刃の魔弾によって描かれる血の魔術は、防御ではなく、より攻撃的なもの。
「さあ、一掃するわよ……!」
 ランサーの声と共に紡がれた魔力を起動の鍵とし、空を埋め尽くさんばかりに展開する血滴で結ばれた巨大な魔方陣ブラッディマジックスクウェアが一斉に魔弾を吐き出した。
 それは爆撃と呼ぶのが相応しい光景。
 天空から降り注ぐ紅光が、街を覆う暗雲と激突する。一撃一撃が砲弾に匹敵しようという魔弾の豪雨に、群れる蟲どもは抗う術を持たない。次々と撃ち抜かれ、黒一色だった眼下があっという間に虫食いになっていく。
 やはり歯応えが無い。退屈でしかめられていたランサーの表情が、
「っ!?」
 変わる。
 術式を構築する血滴の繋がりを断ち切りながら、黒い一撃が来た。
 構築した術式スペルカードからの切り替えが間に合わない。咄嗟に両手を前面に回し防御。
「く、あ……!?」
 痛みに思わず呻き声が漏れる。
 一瞬眩んだ視界に映るのは、蠍の如き鋭い毒針を具えた巨大な黒い尻尾だった。届かないように高度を取ったはずなのに何故、と思考する間もなく、強烈な衝撃に小柄な身体は軽々と吹っ飛ばされる。
 だが、その程度で意識を失うほどランサーも柔ではない。翼を使い体勢を立て直さんと試みる――が、むしろ吹き飛ばされておくべきだったのかもしれない。
 なんとか静止したランサーへ、更に迫るものがあった。
「ちぃっ!」
 舌打ち一つ、視界の両側から襲いくるものを受け止める。
 人間の身体を両断しかねないサイズの、最早兵器と言えるほど巨大な――蟲の、鋏。その持ち主が視界へ映った。
「……は。図体だけは本当に大したもんじゃないの」
 それは、異形が跋扈するこの夜においてなお異形。本人も吸血鬼というランサーから見ても、なおバケモノだった。
 尻尾を含めれば楽に50mを越えようかというあまりにも巨大な黒光りする身体。それが飛行していると言うのは、一体如何なる世界の法則に従っているのか。
 見かけのイメージは蠍に近いが、悪意ある意志が干渉したかのようにその形状をより凶悪に、狂暴に変貌させていた。幾対もあるあしはまるで断頭台の刃のように剣呑な輝きを放っている。
 鉄板を切り裂き、巨木すら打ち倒すランサーが力を込めているにも関わらず、鋏はびくともしない。強度も相当なものらしく、握った部分は割れるどころかへこみもしなかった。
「チタンででも出来てるっての? ……馬鹿らしいほど頑丈ね」
 毒づくが、それで状況が変わるわけではない。視界の端に映るものに、ランサーの表情が流石に少し厳しくなる。先ほどから振り回されている黒光りする凶器が、鎌首をもたげていた。獲物を捕らえた興奮からか、先端から滴り落ちるほど毒物を分泌している。
「うわ、流石にヤバ……!?」
 咄嗟に蝙蝠へ変化してやり過ごそうとするが、それよりも速く闇を切り裂く光が降り立った。
 神の鉄槌と謳われた黄金の雷霆を脳天に叩きつけられた巨蟲は、脳震盪でも起こしたかのようにぐらりとその身をゆるがせる。
「ま、マスタースパーク!?」
 力を失った鋏から抜け出したランサーは思わずよく知る黒魔砲使いが放つ魔術式の名前を叫ぶが、勿論術の紡ぎ手があの星を使う少女であるはずがない。
「ランサー、大丈夫!?」
 いまだ腕に残る環状魔法陣の残滓を振り払い、滑るように黒衣の少女が高度を下げてランサーの視界に入る。
「……随分早いお帰りじゃない。あの人間はちゃんと適当な場所に置いてきたんでしょうね」
「大丈夫、ちゃんと結界の外に送り届けたよ――それより、凄いのが出てきたね……」
「はっ。これくらいのが出てこなきゃ単なる的当てと言っても歯応えが無さ過ぎってもんね。硬くてデカくて速いなんて、悪くないじゃない」
 妹であるバーサーカーのことは気になるし、依然ライダーに一撃くれてやらないと気が済まないという思いは変わっていないが、単調な的当てと化していたこの掃討戦に正直退屈していたところではあった。
「でも……マズイな。プラズマスマッシャーでほとんど無傷となると、無詠唱の魔法じゃ防御を抜けない……」
「別にお前にゃ期待してないよ。私の神槍グングニルに貫けないものは無い。一撃で串刺しにしてやるわ」
 逃げ出そうとする巨体へ鋭い視線を向け、ランサーは右手を掲げる。
 紡がれる呪言が真紅の魔力を術式へ注ぎ込み、高密度の何か・・と化して具現化しようとしていた。
 その圧倒的な魔力の胎動に息を飲んだセイバーは、しかしそれに気を取られること無く自分達に向けられた悪意に気づく。咄嗟に高速移動の術式を発動。精神集中するランサーを横抱きにしてその場を大きく離れる。
「っ!? なにするのよ!」
「ご、ごめん。でも……見て、ランサー」
 視線で示された方向を向き、ランサーは眉を顰める。
 スペルカードで一掃したはずの蟲達が、早くも眼下の空間を占拠し始めていた。よく見れば、さっきまで二人が居た空間を雷やら毒液やらが通過している。全身に魔力を纏った状態ならともかく、スペルカードの起動に集中し始めていた状態で食らえばそれなりに痛い目を見ていたことだろう。
「……やれやれ、きりが無いわね」
「なんだか、あの大きなのを助けに来たみたいだね。……さっきまで連携なんて取れてなかったのに。この短期間で成長……ううん、進化してる?」
「進化、ねえ。そんな大仰なもんは見えないけど。どうせ撃てば落ちる連中よ。大したことはないわ」
「けど、この短時間で知恵の無いような蟲が連携じみた動きを見せるようになったんだ。時間をかけたら、どう化けるかわからない。ランサー、少しの間ガード頼めるかな。大技で一気に片付ける」
「なんでそんな面倒なことを私が……と言いたいところだけど、お前の大技とやらにはちょいと興味があるわ。いいわ、一発ぶちかましなさいな。ただし、このレミリア・スカーレットが時間稼ぎするんだから、相応のデカイ花火を頼むわね!」
 黒翼を広げランサーが蟲群へ躍り掛かるのを視認し、セイバーは足元に実体魔法陣を作り着地する。集中と詠唱を必要とする術ゆえに、飛行に回すリソースすら惜しい。由紀香を送った時に補充したカートリッジを二発ロードし、魔力をチャージ。これからの戦いを考え、自身の魔力消費は極力避けたいという判断だ。
「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ」
 詠唱を紡ぐのに従い、周囲の空間へ術式が構築される。
 スフィアと呼ばれる魔弾の発生術式がセイバーの周囲へ次々と姿を現す。
「――バルエル・ザルエル・ブラウゼル」
 生み出されるスフィアの数は38基。
「フォトンランサー……ファランクスシフト。撃ち砕け、ファイアっ!!」
 密集陣形戦法ファランクスシフトの名の通り、全てのスフィアが一斉に魔弾を撃ち出した。
 秒間7発と言う高速連射によって形成される弾幕は、最早魔弾の群と言うより一筋の閃光だ。
 その光景に、ランサーは短く口笛を吹いて賞賛の意を示す。
 ランサーが使うのは主に全方位へとばら撒く類の術だが、弾幕を集中させる術式を知らないわけではないし、そう言った術式を好む術者のことも知っている。だが、一撃一撃が重みを持つ魔弾をこれほど連射出来る術の使い手はランサーが知る限りでもそうはいない。
「大したものね、たかが人間が。それに密集陣形ファランクス……大技とか言うだけあって面白いじゃない」
 射撃時間はたった4秒……だが38基から秒間7発という高速で射出される魔弾は総計1064発にもなる。それら全てが狙い違わず頭を直撃しては、さしもの巨体を誇る黒蟲と言えどひとたまりもなかったようだ。頑強な外骨格はセイバーのかけ声通り打ち砕かれ、脳漿ともなんとも知れぬ体液をぶちまけながら落下していく。
「……やった……けど」
 僅かに荒げた息を整えながら、セイバーは膨らみ続ける疑問に顔をしかめた。
 途切れることの無い蟲の群れ。その数、あまりにも莫大すぎるのではないか。
 蟲の数があまりに多くとも、元は間桐邸の地下に棲みついていたものだ。いくらなんでも、これだけの蟲が棲むほどの空間が広がっていたとは思いがたい。
「ちょっと、なにぼーっとしてるの。さっさとコイツら片付けてフランのとこへ行くわよ」
「あ……待ってランサー。考えてみれば蟲の数が異常すぎる。多分、現れた端から潰していっても無駄だ。卵か女王蟲かわからないけど、きっとそう言うのがいて増え続けてるんだよ。元から断たないと」
「……増え続けてる? そうかしらねえ。まあ、待ち構えるより攻めってのは同意ね。で、コイツらの巣ってのは何処なのよ……って、聞くまでもないか」
「え?」
 忌々しげにランサーが舌打ちする。その視線が向けられている方を見て、セイバーは言葉を失った。
「な……なに、あれ」
「お前が今言ったじゃない。女王でしょうね」
 それは、動く山だった。巨大などという次元の話ではない。如何なる法則に従えば、あれほどの巨体を地下に収められると言うのか。そのサイズだけで、既にそれは異界のシロモノだ。
 基本的な姿はシロアリの女王に近いとも言える。膨れ上がった下腹部はブヨブヨと白く弛んだ肉塊となっており、目を凝らせば時折、
「……うわ」
「ふん……」
 泡状の表面から、粘液に包まれた半ば透明な蟲が零れ落ちるように這い出てくる。そのあまりの不気味さにセイバーは身を震わせ、ランサーもまた不快げに眉をひそめる。
「何考えてるのか知らないけど……ま、蟲だけに何も考えてないのかしら。のこのこ姿を現したのが運の尽きね」
 言葉と共に空中に線を引くかのように鋭い爪をすーっと動かせば、次々と魔弾が生れ落ちる。ランサーの意志を受け、現れた端から魔弾は飛翔し、眼下の女王へと降り注いだ。
 だが、
「む」
「コイツら……あの女王を庇ってる!?」
 女王へと向かう弾幕は、その尽くが蟲の身体に阻まれる。
 見れば、周囲の空間を埋め尽くさんばかりの蟲達は明らかに統制の取れた動きを取りつつあった。
「単なる集団じゃなく、明らかに群れとして機能し始めてる……早くなんとかしないと」
「なんとかする? は、そんなの決まってるじゃない。10発防がれるのなら、100発食らわせてやればいいのよ。簡単な算数ね」
 言って、ランサーがほっそりとした少女らしい腕を伸ばす。まるで何かを差し出すように広げられた手の平が霞んだかと思えば、そこから大量の紅い蝙蝠が飛び立った。
 瞬時に百を――いや、千を越えるほどの数に膨れ上がった蝙蝠は、その身を魔力の輝きに染め、ランサーとセイバーの周囲を旋回する。真紅の光跡を残し何重にも回転する蝙蝠達の姿はまるで竜巻だ。触れるもの全てを打ち砕く自然の猛威そのものが、暴れる範囲を徐々に広げ蔓延る蟲を八つ裂きにしていく。だがランサーが操る術式の暴虐はそれだけに留まらない。さらなる破壊を振りまくべく、竜巻めいた回転の規模はより速く、より大きくなっていく。
「さあ、見せてやりなさい――全てを埋め尽くす悪夢全世界ナイトメアを!」
 ランサーの高らかな宣言と共に魔力で構築された蝙蝠達はその身を凶器と化し、四方八方へと飛び去っていく。その光景は極限まで膨れ上がった風船が爆発するかのようだ。爆発的に広がったが為に蝙蝠達の間に大きな隙間が出来、攻撃密度はむしろ減少してしまっているのでは、とセイバーが一瞬疑問を抱くが、その疑問は即座に氷解した。
 円形の軌道から解放された蝙蝠達は、凱歌でも歌うように大きくあぎとを開き、声の代わりに鋭く尖った魔弾を撒き散らす。
 紅い悪夢が虫食いになった空を塗り替えていく。
 三千世界全てすら飲み込まんとばかりに、紅く、紅く、紅く。
「ほら、ね。単純な算数だったでしょう?」
 紅が空の果てに消える頃、ランサーがやや得意げに言う。
 まさに宣言通り。空も、街も、紅の暴力に洗い流されたかのように蟲達の姿は影も残っていない。ただ一匹、女王らしき巨体を除いては。
「……ふん、流石にあれだけデカブツだと生き汚いわね」
 とは言え、既に盾となる蟲も無く、全身激しく傷つき禍々しい色彩の体液を垂れ流してるような状態だ。なにも手出ししないでも遠からず息絶えるように見える。
「ま、さっさと片付けて今度こそフランのとこに急ぐわよ。どうにも妙な感じがするのよねえ……」
 ランサーの本来の能力は"運命を操る程度"の能力。世界を異とする今はその能力は大幅な制限を受けているらしく、因果の流れを見ることすら困難な状態であるにも関わらず、自分達を絡め取ろうとする妙な流れを感じる。
 手を伸ばし術式を紡ぐ意志一つで、空中に十を越える巨大なリング状の魔弾が発生した。
 最早何処へ当たっても致命傷だろうと判断し、適当に地上へ向かって放つ。
 だが、
「む!?」
「嘘……弾いた!?」
 既に死に体、そもそもあのようなブヨブヨした外皮で何故魔弾を防ぐことが出来るのか。
 セイバーが戦慄の響きを帯びた呟きでその答えを口にする。
「流れ出た体液が瘡蓋みたいになって……!? あれだけの傷を受けてまだ再生進化するなんて……闇の書の意志ほどじゃないだろうけど、一撃で片付けないとイタチごっこだ」
 こうなれば己が切り札で一刀両断する他無い、そう決心し相棒を強く握り締めたセイバーの襟首がぐいと掴まれ、後ろに下がらされる。
「ら、ランサー?」
「何勘違いしてるの? まだ私の攻撃ターンは終了してないわ」
「で、でも」
「まさかお前、私にあんな蟲如きを潰すだけの火力が無いとでも思ってるんじゃあないでしょうね。確かに私の悪夢全世界ナイトメアを耐え抜いたのは意外だったけど、今度はちゃんと念を入れて撃ち潰してやるわよ――っと、いい具合に面白そうに変わってきたじゃない」
 思わせぶりなランサーの言葉に視線を女王蟲へと向けたセイバーは、湧き上がってくる吐き気を懸命に抑えざるをえなかった。
 瘡蓋のようになっていた体液はますます硬化を強め、ブヨブヨしていた下腹部はその印象を一転させ、堅牢な要塞じみた様相を呈している。
 幾層にも重なった甲殻の隙間からは何十と言う触手がうねり、先のランサーの術式で撃ち落とされた蟲達を絡め取り、先端にある大顎で咀嚼している。
 かつてセイバーが友人達と共に戦った闇の書の意志も、再生進化を繰り返す様々な生物の姿を混合した禍々しい怪物のようだった。
 だが、この女王蟲はことおぞましさと言う点ではあの巨大な災厄を越えている。目に見える不気味さなど二の次、目にした瞬間に直感できる生命としての在り方そのものが歪められていることが、気丈なセイバーをしてこれほどの吐き気と悪寒をもよおさせるのだ。
「時間を稼ぎなさい、セイバー。コイツを撃つのにはちょいと時間がかかるわ」
 紅の魔力がなにやら剣呑な形を取ろうとしている。今までの戦いを見てランサーの言葉が信頼に値することは十分理解していた。
「――わかった。任せるよ、ランサー。確実に、お願いするね」
 幸いにも触手を備えた相手との戦闘は経験済みだ。
「はあああっ!」
 気合の叫びと共に急降下。振りかざした黄金の刃を抱く大鎌を凶悪な面相へと振り下ろす。外皮は恐らく鋼の如き硬度だろう。
 ならば、
(狙うは甲殻の無い部分!)
 巨大な複眼まで鋼の硬度を備えているはずはない。
 思惑通り、黒柄を通じて伝わってくる言い知れない嫌な感触。背後から強烈な殺気が迫るのを感じ、振り向くこともせずに高速移動魔術で空中へと舞い戻る。攻撃対象を失った触手は勢いを止められず自身の頭部を殴打した。耳障りなほとんど超音波のような悲鳴と衝突音に、秀麗な眉を僅かにひそめつつ、手にした相棒へと意志を伝える。
《Plasma Lancer》
「ファイアっ!」
 絶妙なコンビネーション。一分の隙も無く、鋭い魔弾が女王の周囲へと降り注ぐ。直接当てても効かないのは目に見えているので、少しでも動きを阻害できるようにするためだ。
 根元からへし折れた電柱が女王の身体にのしかかるが、小山ほどある相手では所詮足止めにもならない。迫る触手を高速機動で避け、あるいは雷刃で両断しながら、女王の周囲を付かず離れずで飛び回る。
「とりあえず、もう片方の目も潰せば――ええっ!?」
 視界を潰せば有効な時間稼ぎになるだろうと考え、女王の様子を窺っていたセイバーは思わず目を見張った。
 先ほど魔力刃を突き込み、確かに潰したはずの複眼が再生している。しかも潰した部分の肉が膨れ上がり、その部分にも新たに眼球が備わっている。
「……やっぱり下手に傷つけたら、その分再生進化するんだ――すずかが貸してくれた本に、そういう怪物が出てたっけ」
 ギリシア神話に登場する九頭の怪蛇ヒドラは、例え首を刎ねても切り口から二股になって再生すると語られている。その怪物であれば切り口を焼けば再生しないのだが、生憎とこちらは熱を備えた雷光の刃で傷つけても際限なく再生するようだ。不死身の首を倒すのに大岩の下敷きにさせたエピソードもあるが、この巨体を下敷きにするなど不可能。世には巨大な岩山を転移させて対象を押し潰す術などもあると聞くが、勿論セイバーは使えない。なんとなくだが、義兄なら使える気もしたりするが。
「地道に注意を引くしかない、か……」
 粘液にぬめる触手を二本、三本と寸断し、セイバーは女王と距離を取る。
 そこで、女王の身体を俯瞰したセイバーは奇妙な変化に気づいた。黒々と変化した背に、さっきまであんな傷があっただろうか。いや、傷にしては不自然に直線すぎはしないか。
 もっとよく観察しようと試みるも、のたうつ触手に阻まれ一所に留まることは許されない。しかも、さきほどまで軟体だった触手が、徐々に堅牢な甲殻を備えたものへと変化しつつある。
 更には、背にあった亀裂はやはり傷ではなかった。透き通った羽根がそこからゆっくりと広げられていく。体液に濡れ、萎びているように見えるが今までの急速な変化を見るに下手をすれば1分と経たずに空へと侵攻してくるだろう。
「いくらなんでも、飛ばれるわけにはいかないっ……!」
《Load cartridge》
 セイバーの意志を受け、バルディッシュがカートリッジを消費。一瞬で発生した莫大な魔力を注ぎ込み、術式を速く、鋭く、強く強化する。
「ハーケンセイバーっ!」
 強大な魔力を受けた金色の三日月が、真円へと姿を変えながら夜闇を疾走する。触手が防御に割ってはいるが、カートリッジによって強化された魔力刃を止めることは叶わない。
 萎びた羽根を切断する瞬間を待って、セイバーは新たな術式を高らかに叫ぶ。
「セイバーブラスト!」
 キーワードに従い、魔力刃が爆散した。背中の亀裂の直上での爆裂だ、恐らく硬い甲殻に防がれることなく体内を焼いたのであろう。女王の巨体が周囲の家々を破砕しながらのたうちまわる。
 そこに、
「セイバー、時間稼ぎご苦労だったわね。死にたくなきゃそこをどきなさい」
 ご苦労、と言ってるわりにまったく労ってる感の無いランサーの言葉が降りかかる。手にした相棒もランサーの問答無用な性格はわかっているらしく、
《Sonic Move》
 自発的に高速移動魔術を発動させ、セイバーの身体を安全圏に退避させる。
 ようやくランサーが何をしていたか確認する余裕が生まれ、視線を向けたセイバーは絶句した。
 ランサーの前面に、20基ほどの魔法陣が展開されており、それら全ては中心に剣呑な輝きを秘めた紅い刃じみた魔弾を宿している。恐るべきはその魔弾の構成密度――一撃一撃にセイバーが放つ砲撃魔術に匹敵しようかと言う魔力が感じられた。
 こんな魔術を展開するのにたったこれだけの時間しか要さない事実に、セイバーは改めてランサーの出鱈目さに戦慄する。
「お前の大技、なかなか面白かったから真似させてもらったわ。この私の術式スペルカードに名前を使ってやるんだから、光栄に思いなさいな」
 言って、ランサーはセイバーから女王蟲へと視線を移す。養豚場にいるブタを見るときでももっと温かみがあるだろうと思えるほど冷ややかな眼差しで、処刑宣言に等しい術式起動の言葉を口にする。
「"神槍"スピア・ザ・グングニル――」
 声に押し出されるように、魔法陣の中心からじりじりと魔弾が現れる。神槍グングニルの名前通りの形をした、鮮血に濡れたかのような魔弾。
「――ファランクス、シフト!」
 それが、一斉に放たれた。
 爆撃と呼ぶのも生易しい。その光景を説明するにはただ一言あればよい。すなわち――破壊、だ。
 ただの一撃ですら太古の輝石を、星屑の群れを、強固な結界を撃ち砕き貫く悪魔が振るいし神槍。その掃射を受けて生き延びられるものがいようはずもない。
 だがその紡ぎ手と言ったら、
「威力はぼちぼち……けど、やっぱり時間がかかりすぎね。弾幕ごっこにゃ、とても使えないわ」
 などと涼しい顔で呟くだけだった。

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