「弾幕勝負なら――私が負けるわけないじゃない!」 雪崩となって襲い掛かる重力塊を前に、バーサーカーは楽しげに笑った。 勢いよく振り回した炎剣から火焔が解き放たれ、巨大な炎塊と化しほとんど壁となって立ち塞がる重力塊を焼き尽くす。元の姿を取り戻した黒杖を両手で構え、バーサーカーの魔力が爆発的に高まっていく。 膨れ上がる魔力は虹色だ。人類が未だ到達せざる幻想の光が現出する。幻想の虹は障壁となり、残った漆黒の魔弾をバーサーカーの元へと寄せ付けない。 「星虹よ砕け散れ、いっけぇーっ!!」 黒杖をフルスイング。 硝子を叩き割るような音と共に、砕け散った幻想の輝きが降り注ぐ。 「あはは、馬鹿じゃないの? もっとよく狙わなきゃ当たるわけないよ」 黒衣を纏った肉塊がボールのように跳ね回り、弾幕の隙間を掻い潜る。アサシンの言葉通り、七色の魔弾は数こそ膨大ながらまるで狙いを定める気がないように、滅茶苦茶に飛び回っていた。 「ええい小娘、アサシンの言う通りではないか! こんなに適当にばら撒かれては我らも近づけぬぞ!」 「ぶー、うるさいなぁ。弾幕はパワーなんだからこれでいいんだよ……きゃっ!?」 一瞬キャスターに気を取られた隙に、迸る蝕腕がバーサーカーのか細い足を絡めとる。 「隙だらけ。これでオシマイだよ」 「っ!」 みしり、と嫌な音。 「あは、柔らかい――後で美味しく頂いてあげる」 「アトラック=ナチャ!」 キャスターの幼い声が、アサシンの嗜虐に満ちた呟きを遮る。キャスターによってもたらされた術式が起動し、葛木の長髪が宙を駆け、バーサーカーの足を掴むアサシンの蝕腕を絡め取った。 「させんぞ、邪神の下僕めっ!」 「邪神? そんなの沙耶は知らないよ。邪魔しないで……貴方達は不味そうだし、さっさと捻り潰してあげる」 「なにっ!?」 二人を繋ぐ術式の糸を遡り、蝕腕が迸る。 だが、 「そんなこと――させないっ!」 《Round Shield》 バーサーカーを捉えたのとは違う、ただ殺傷のみを目的としているであろう錐じみた肉の腕は、しかしキャスター達を貫くことは無い。白い影が割って入り、桜色の魔法陣が展開する。 「貴方も邪魔するんだ……でもいいわ。貴方はただの邪魔者じゃなくて、美味しそうな獲物だもの――でもいいわ。まず、こっちの羽根が綺麗な子から片付けて――ガアッ!?」 余裕ぶった声が悲鳴に変わった。 バーサーカーの足を捉えていた蝕腕が消滅している。なんの前触れも無く、そんな破壊を為せるのは勿論ただ一人だけだ。 バーサーカーが持つ"ありとあらゆるものを破壊する程度の能力"はひとたび発動すれば、あらゆるものを消滅させる力。姉のランサーが持つ能力同様、サーヴァントとして現界する今は相応の制限を受けているが、それでも接触した蝕腕一本を破壊するくらいは可能なようである。 「バーサーカーちゃん、大丈夫!?」 「う、うん、平気っ! コイツ嫌い! 弾幕勝負なのにズルするし!」 口を尖らせながら、バーサーカーは宝石の翼を羽撃たかせ、アーチャー達に並ぶ。 「バーサーカー、汝の火力は理解しているが、あまり突出するな。その奉仕種族……アサシンはナコト写本を相当に使いこなしておるようだ。妾もナコト写本の全貌を理解しているわけではない。ある程度距離を取って射撃戦――汝の言う弾幕勝負に持ち込め。ただ、もう少し狙いの精度をあげろよ。我らが彼奴に近寄れん。宗一郎ではクトゥグアやイタクァを顕現出来ぬからな」 「んんー、よくわかんないけど、やってみる」 一対一が基本の弾幕勝負においては前線の味方を心配する必要などないので、バーサーカーが扱う術式と言うのは狙いの精度が非常に低い。自分の前方全てを薙ぎ払う圧倒的な弾幕が基本なのだ。ゆえに、キャスターの要求はどうにもピンと来ないものなのだが、理解出来ないではないのでバーサーカーは素直に頷いた。 「アーチャー、汝は援護を。さっきの防禦は良かった、なかなかの戦闘センスだ。その調子で頼むぞ」 積み重ねた戦いの年季の差からか、自然と指揮官的に振舞うキャスターの言葉に、アーチャーもまた頷く。急ごしらえのチームの割に、アーチャー・キャスター・バーサーカーの連携はそれなりに上手くいっていた。 一方、 「――無様。そんなことじゃ、郁紀とやらに向ける想いもたかが知れてるのではなくて?」 「な――! なんで貴方にそんなこと言われなきゃいけないの!? 沙耶は、ほんとに郁紀のこと愛してるんだからっ」 「なら、余裕ぶってないで必死になるのね」 ライダー・アサシンのコンビは明らかに精神的な足並みが揃っていない様子だ。流石に大声で罵り合いはしないが、囁き合う声は険悪と言っていい。 「そう言うのなら、貴方ももっと手の内を明かしてよ。沙耶わかってるんだよ、まだ何か隠してるでしょ。それを見せて、私なら上手く使いこなして見せるよ?」 「…………」 アサシンの言葉通り、ライダーは己が記述の閲覧を全て許したわけではなかった。その範囲は桜に授けていた術式よりも狭い範囲だ。アサシンを見下している、と言うことも勿論ある。だがライダー自身も自覚しえぬ理由があった。 本来ライダーはアサシンのような存在を使役する側にいる。そんなライダーをしても、アサシンに対しては言い知れぬ違和感がつきまとうのだ。存在を理解し切っていない、アサシンの底が見えない。 だが出し惜しみ出来る状況でもないことは、高慢なライダーも薄々察していた。宿敵とも言えるキャスターは本来の主と共にいる時に比べ遥かに弱体化しているようだが、アーチャーとバーサーカーはそれぞれが卓越した術者であり――特にバーサーカーは人類有史以前から存在しているライダーの知識にも無い異質な存在だ。 「……いいわ。術式を解放する。やってみせなさい」 「…………」 双方の密談が終わったのはほぼ同時だった。 「ゆくぞ宗一郎、アトラック=ナチャ!」 「ディバインシューター……シュートっ!」 葛木が長髪を張り巡らせながら駆ける。並走して宙を翔けるのはアーチャーが放つ桜色の魔弾だ。葛木の左右を守るように二発、大きく弧を描いて死角を突くように放たれる二発。更には高速の一発が真っ直ぐアサシンへと向かう。 多腕を持つアサシンとは言え、この複合攻撃を凌ぐのは難しいだろう。特にアーチャーの魔弾の誘導性は抜群だ。直撃を避けようとすれば機動は大きく制限される。ましてアトラック=ナチャが張り巡らされた中だ、回避も困難に違いない。 どう避けるか考えあぐねているのかアサシンに動きは無い。まずは初撃、ハンドボール大のアーチャーの魔弾が、 「なにっ!?」 音も無く、真っ二つにされた。 空間に残るのは黄金の軌跡だ。 軌跡は一筋だけではない。同時に二つ、四つと増え空間を黄金の格子が裁断する。 「宗一郎!」 キャスターの咄嗟の叫びに、葛木は立ち止まり右手の掌底を前に突き出した。 魔術的な素養の無い葛木はキャスターの記述を使うことは出来ない。だが、葛木の挙動はキャスターの意志を伝える砲身のようなものだ。的確な動きは術式の助けになる。 五芒星を象った防禦陣が黄金の悪意を真っ向から受け止める。硝子同士をぶつけた様な耳障りな衝撃音が響くが、防禦陣は大きく揺らぐも壊れる気配は無い。 だが、その安定も一瞬。 四刃で駄目ならば、倍の八刃をもって、それでも駄目ならば十六刃をもって。 多数の蝕腕と莫大な魔力を持つアサシンにとって手数を増やすと言うのはもっとも単純にして効果的な戦術だ。 掌に防禦陣崩壊の気配を感じた葛木の判断は早かった。僅かな躊躇いも無く詰めた距離を再び離す。そして、その判断は正しい。 術衣形態となり、伸びた葛木の髪が機動に取り残され、靡く。それを、十六条の黄金が切り刻んだ。 防禦陣を構築していた魔力の残滓が純白の霧と煙る彼方から、退避する葛木をも切り裂かんと閃く黄金。 だがそれを阻むものがあった。 《Divine shooter》 「フルパワーっ!」 硬質の声と、それに繋がる少女の凛とした叫び。 葛木の背後から高速で桜色の輝きが翔け抜ける。常人であれば反応する間もなく打ち倒されかねないその威力もまた、アサシンの前ではただの的に等しい。 「無駄だよっ」 舌足らずな声が嘲笑をもって迫る魔弾を迎えた。 自在に動く多数の蝕腕が十字の黄金剣を振るい、淡い輝きを次々と真っ二つどころか微塵と化すまで切り裂いていく。ほとんど足止めにもならないが、追いすがるアサシンへと更に魔弾が降り注ぐ。多色の魔弾を撃ち出した術の紡ぎ手はバーサーカーだ。 「近寄らないで、変なのっ!」 嫌悪感剥き出しの声と共に、魔弾が次々と撃ち込まれる。 バーサーカーの弾幕生成能力は圧倒的の一言に尽きる。撃たれる側から見れば迫る弾幕は最早壁に等しいだろう。 「無駄だって言ってるのわからないかな。貴方達の攻撃や防御なんて、悪あがきにすぎない!」 事実、今のアサシンには壁が迫ったところでどうと言うことも無い。禍々しい黄金の十字剣の前には鉄すらもバター同然、まして圧倒的な魔力によって生成された魔刃は一振りや二振りではないのだ。あらゆるものを裁断する魔刃十六振りを携えたアサシンを、所詮は魔力の塊に過ぎない魔弾で阻むことが出来ないのは厳然たる事実だった。 「くっ、確かに術式の同時多数召喚は術者によっては有り得るが……こやつっ!」 例えば、キャスターがかつての戦いで共に戦った術者の中にはキャスターの記述の一つ、バルザイの偃月刀を得意とする者がいた。通常ならば一振りを手にし、魔術師の杖、あるいはその名の通り剣として使うバルザイの偃月刀を十刃も呼び操る、邪神に対抗する戦士が。 だが、彼とてなにも十刀流などという無茶をしでかした訳ではない。その運用法は、あえて言うならばバーサーカーが扱うスペルカードに近い。 だがアサシン、目の前の怪異はまさに十六刀流とでも言うべきか。一振り一振りの動きは稚拙だ、剣術のけの字も無い。だが、人外の身体能力に裏付けられた剣速は迅く、かつ十六振りは全てアサシンの意志通り自在に襲い掛かってくる。 近づかれては必殺、かと言って遠い間合いにおいても怒涛の如き魔弾を操るアサシンに真っ当な弾幕で抗するのは難しい。全力で放った誘導弾を斬り捨てられたアーチャーは一瞬でそれを悟ると、戦術を即座に組み直す。 死角を狙って放ったつもりの魔弾すら切り払われたとあれば、アーチャーが得意とする誘導弾で相手の機動を制限する戦術は通用しないと言っていい。ならば、アーチャーに出来ることはただ一つだ。 「レイジングハート!」 《Shooting Mode》 アーチャーの意を受け、愛杖が一瞬にして形態を組み替える。弧を描いて赤い宝玉を抱いていた先端が変化し、二叉の槍めいた形状と化す。アーチャーが握る純白の柄は砲身、二叉の間から覗く宝玉は砲口だ。 環状魔法陣が回転し、魔力を奔らせる。桜色の魔力光が膨れ上がり、レイジングハートの先端に光球となって顕現した。 「キャスターさん達、避けて!」 そう叫んだ時には、既に術式は完成していた。 視界に映るものが咄嗟に翼を広げ飛び上がった葛木の背中から、数多の蝕腕に黄金の十字剣を携え破壊を撒き散らす黒衣に包まれた肉塊になる。一歩間違えれば微塵に切られかねない彼我の距離に臆することなく、アーチャーは己が宝具をより強く握り締める。 《Divine》 「バスターっ!!」 光の奔流が噴出する。 「!?」 迫り来る柱の如き莫大な魔力を前に、アサシンは己が慢心を痛感した。元よりアサシンの性能は人間の遥か上を行っている。ましてライダーと言う協力者を得た今、十歳やそこらの少女など敵ではない――そんな思いがあったのだ。アーチャーの砲撃魔術を目の前にしても、先程離れた物陰から見ていた時には大したことが無い様に見えたから脳内でしきりに警告するライダーの声を無視して、アーチャーを膾切りにせんと走った。その結果が、この驚愕だ。 手数などいくらあっても無駄、この奔流を剣をもって防ぐには瀑布をも逆流させるだけの冴えが必要だろう。――そう、昇龍の如き一撃が。 避けるにはあまりにも距離が詰まりすぎている。避けられないのならば、防ぐしかない。 咄嗟に黄金剣を手離し、全ての蝕腕を前面に突き出す。全身を包んだ術衣が動作と意志に呼応し、防禦の術式を編み出した。 薄暗い魔力が固まり、眩い輝きからアサシンの身を守る。 「あぐっ……!」 苦悶の声が漏れる。膨大な魔力をその身に秘めるアサシンだが、そのアサシンをしてもこの一撃から受ける衝撃はとても無視できるものではなかった。確実に受け止めていると言うのに、まるで栓でも抜かれたかのように魔力が失われていくのを実感出来る。全体量からすれば致命的と言うほどではないが、それでも無視出来るほどのものでもない。 このまま受け続けては消耗させられるだけだと判断したアサシンは蝕腕を強引に大きく振り回す。 出力を増した防禦術式に支えられた動作によって、桜色の輝きの流れが反らされる。結果、魔砲は境内を囲む林を直撃した。木々がへし折れる轟音が響く中、魔力の残滓を目くらましに一旦大きく距離を取ったアサシンが寸前まで居た場所を、大小取り混ぜた多色の魔弾が爆撃する。 「バーサーカーっ!」 慎二を仮の主にしていたとは言え、一対一の直接対決で一度自分を破った狂戦士のサーヴァントの仮初の名を、ライダーは忌々しげに叫ぶ。 「あれ、当たらなかった。なんだ、避けられるんじゃない。最初っからそうやってくれればちょっとは楽しかったのに」 でも、とバーサーカーの小さく艶やかな唇が言葉を続ける。 「今はイリヤを迎えに行かなきゃいけないんだよね。だから、私が楽しいだけじゃダメだから――さっさと堕ちちゃえ」 バーサーカーの周囲に人間一人を丸呑みに出来るほど巨大な魔弾が浮かぶ。黒杖を振りかざすと共に、それが花火のように弾け飛んだ。だがはかなく消えゆく花火とは違い、弾け飛ぶ火の粉のように広がる魔弾は勢いよく突き進む。 「くっ……ン・カイの闇よ!」 咄嗟に紡ぎ出したのは漆黒の重力塊。あらゆるものを飲み込み、捻じ切る悪意の渦だ。 赤と黒が激突し、魔力の余波が暴風を巻き起こす。圧縮した魔力の残滓を排気し、アーチャーはその風に負けないよう足に力を込めて踏ん張る。周囲に無差別にばら撒かれた黒の魔弾を防御の魔法陣で防ぎ、次の一手を放つべく思考を廻らせる。 カウンターで上手く直撃を奪えたが、アーチャーの主砲は直線的な攻撃で、距離を取った相手へまともに当てるのは案外難しい。一撃一撃で消費する魔力もかなりのもので、無駄撃ちは避けたいところだ。まして昨日桜が放った魔術で未だ魔力を消耗したままの身である。 だが、今のアーチャーは自身から生まれる以外にも魔力の源を手にしていた。正直使わずに済むのならそれに越したことは無いと思っていたが、そうも言ってはいられない。 「レイジングハート……凛さんが預けてくれた宝石、使うよ!」 《All right my master》 レイジングハートの先端に飾られた赤い宝玉から、色とりどりの宝石が飛び出す。元は凛がレイジングハートを借り受けた時に術式を使う為に収めていたものだが、持ち主へと返した後もアーチャーの魔力回復が完全ではないのを見て取った凛は半数を残しておいたままにしておいた。急造のコンビであった凛では直射射撃や属性に合った防御に転用するのがせいぜいであったが、本来の主であるアーチャーが手にすれば、宝石が持つ魔力の用途は広がる。 凛帰宅から教会へ到るまでアーチャーとレイジングハートが相談し、組み上げた術式が走る。 魔力を小分けにして形作る、という面倒な作業は必要ない。宝石を自壊させ、込められた魔力でスフィアを形成すればよい。まあ、何十万とする宝石が煌々と砕けていくのを見るのは平時であればかなり胃が痛くなりそうだが。 アーチャーの背後に砕けた宝石と同色の光球が浮かぶ。その数、六。それ以上になると流石のレイジングハートも射撃制御が出来ない。小威力でも砲撃を扱うのは細心の注意が必要なのだ。同時に六門でさえ、既に暴発や不発を抱えた危険な領域にある。 だが、 「行くよ、レイジングハートっ!」 そんな危険を恐れるコンビではない。今の一人と一機は合わせて一騎だ、いつにもまして心は通じ合っている。防御の魔法陣を維持したまま、目を閉じて精神集中。スフィア全ての狙いをアサシンへと向け、機械の声が高らかに術式を謳いあげた。 《Kaleido spark》 「シュートっ!!」 万華の光芒の名付け通り、多色に彩られた輝きが宙を疾る。六条の閃光は空間を歪め行く手を遮る重力塊を易々と貫き、アサシンへと収斂する。 「くっ……!」 跳ね回るように、跳び回るように、バーサーカーの弾幕を避け、防ぎ、相殺し、あるいは切り払っていたアサシンだが、アーチャー達へ払う注意を怠っていたわけではない。十分と思うだけの魔弾をアーチャーへと向けていたつもりであり、事実アーチャー自身は防御の術式を展開し、先程の砲撃を放つ余裕は無かった。だが彼女が手にするのは知性ある魔杖だ。自立思考し、アーチャーを助ける ――つまり、攻撃の意志が一騎には二つ存在する。迫る光芒は先の砲撃に比べれば大したことの無い一撃だが、照射時間の長さゆえにどの道切り払えない。蝕腕を向け、防禦陣を展開させる。 そうして足を止めたアサシンへ向けて、バーサーカーの魔弾が降り注ぐ。その光景はまさに爆撃だった。 元々バーサーカーは精密射撃が苦手で、どうしても大雑把なばら撒くような弾幕展開になってしまうが、相手が動かないとなれば話は別。適当に叩き込むだけで圧倒的な密度の弾幕となる。 細身の砲撃を複層の防禦陣で防ぎながら、降り注ぐ弾幕を黄金剣で切り払い、重力塊で相殺するが足を止めた状態では限界があった。 「あああああああっ!!」 その叫びは苦しみからか。 悲鳴とも雄叫びともつかぬ少女の絶叫に、アサシンの周囲の空間が揺らぎ、歪む。 「あれは……重力結界か!」 かつての戦いでそれと似た光景を見たキャスターが、一瞬でその正体を看破する。魔力で編まれた超重力の空間は侵入するもの全てを押し潰す。それは光すら例外ではない。 アサシンの周辺空間がひしゃげ、暗闇に包まれる。本来相手を捕縛し、圧殺する為の術式を防御に転用した機転にキャスターは思わず唸るが、それ以上にその術式展開に驚愕するものがいた。 (こいつ……私が許可していない領域に……!?) それはライダーだ。確かに僅かばかり閲覧出来る領域を増やしたが、今の術式はそこに書かれていないはず。 (さっき閲覧領域を広げた時に重力結界も見せてしまったのかしら……迂闊。無闇に知恵を増やされても面倒ね) アサシンに届かないように注意を払いながら、ライダーは一人思考する。 協力体制にあるとは言え、特にライダーにしてみればアサシンはただの道具に等しい。所詮たかが奉仕種族だ。人類同様ライダーにとっては哀れな――いや、哀れむ価値すらない下等種族にすぎない。 とは言え、アサシンが有用な術者であることに変わりは無い。今はまだ勝機もある。後のことを考えて下手に制限し、この場が敗北に終わるのもそれはそれで面倒と言える。 「アサシン、もう少し記述を授けてあげる。私を読み解くことを許すのよ、迅速に、確実に、奴らを殲滅しなさい」 「言われなくたって……!」 自身が読み解かれていく感覚を、ライダーはつぶさに観察する。不要な域まで踏み込まれないように監視を巡らせ、だが有効な術式をアサシンへと授けていく。 これで桜に与えていたのとほぼ同一の術式がアサシンには授けられていた。ただ一人の主のものである己が身を、ここまで下等種族に晒さねばならぬ事実に、ライダーは音にならない舌打ちを鳴らす。だがまだいい、これらはただの邪神やその眷属の記述にすぎない。彼女自身を象徴するとも言える、最秘奥の術式を明かしたわけではないのだ。 アサシンを囲む暗闇の中で黄金の輝きがはじける。 昏い輝きは弧を描き、弦を張り、武器としての形を作った――弓だ。 蝕腕が一斉に生成された黄金の弦を引く。防御の為に展開された厚い重力の壁が取り払われた瞬間、弦にかかった肉指は離された。 放たれるのは光の矢、ただ一矢放たれるだけで雨と降り注ぐ魔の一矢。 「まずい……距離を取れ宗一郎、アーチャー! デカイのが来るぞ!」 アサシンが持つ黄金弓が、より強力な一撃を撃ち出す兵装であることをキャスターは識っていた。キャスターだけではない、レイジングハートもまた凛に振るわれた時に、兇悪な術式を放った光景を記録している。 昏い黄金の雨を降らせながら、アサシンはさらに言葉を紡ぐ。 「アルゲンティウム・アストルム……天狼星の弓よ!」 黒い術式が黄金を昏く塗り替えた。顕現した黄金の弓の半数が長大な、重厚な、黒き龍の躰を得る。 一つ一つが己が砲撃魔術に匹敵する術式が次々と編み上げられていくのを見て、アーチャーはレイジングハートを両手で持ち、構えた。しっかりと大地を踏み締め、高速で、全力で術式を走らせる。キャスターも葛木の肩で己が記述から術式を編み上げる。 「悪神セト……蹂躙せよ!!」 声を引き金に、超熱量が放たれた。 悪意と殺意をミックスして、邪龍という形を与えられた破壊が空間そのものすら灼熱させ、沸騰させ、荒れ狂う。 その暴虐に、 「レイジングハートっ!」 アーチャーは己が相棒の名を叫び、魔力を解放し、魔術を駆動させる。 《Round shield》 展開した桜色の魔法陣が注ぎ込まれた魔力に応じ、広く厚く、輝きを強めた。 「侵せ……侵せ冒せ犯せっ!」 怨嗟の篭った声に加速されるように黒龍が空を翔ける。 少女に喰らいつき、丸呑みにせんと巨大な顎が開かれ、大人の腕もほどある牙が防御の魔法陣を割り砕くべく襲い掛かる。 破砕は一瞬で成った。軋むことも、耐えることも無く、澄んだ音を立てて桜色の魔法陣が容易く砕け散る――否、砕け散ったのは魔法陣だけではない。防御の術式を支えるレイジングハートもまた、粉々に煌めく破片と化した。脆いものだと、アサシンの唇に浮かんだ嘲笑が、しかし即座に驚愕に取って代わられる。 崩壊はレイジングハートに留まらない。アーチャーの両手に皹が入り、全身へと広がっていく。少女の像が、砕ける。 「な……!?」 「ニトクリスの、鏡!?」 灼熱の黒龍が虚空を焼却しながら翔け抜けていく。 陽炎に歪む中、アサシンの視界に映ったのは背後に万華鏡の輝きを携え、赤い宝玉の見える先端を己へと向けるアーチャーの姿だ。 「ディバインバスターっ!!」 《Kaleido spark》 邪な術に汚された大気を、桜色の奔流を中心に、六色の光芒と化した清廉な魔力が貫く。弦を引いていた黄金の弓を向けるも、天狼星の弓から放たれる黒龍の一矢ならばともかく、雨と降る魔力矢ではどれだけ撃ち込んでも濁流に小石を投げ入れるようなもの。 「ああああああああああっ!!」 なりふり構わぬ絶叫。 言葉にならぬ叫びは意志そのものを叩きつける、防禦術式を望むものだ。 昏い防禦陣が幾重にも浮かび、アサシンの身を包む。 再度の直撃。距離こそ今回の方が離れているが、勝利を確信した直後の隙を突かれた状態では防禦術式の精度が違った。 「くっ、あ、あああああああっ!!」 叫ぶ声に更なる力が篭る。 防禦陣は輝きを強めるが、それでも既に始まった崩壊は止まらない。綻び始めた術式は虫に食われたかのように穴開きと化す。 (……頃合いか。もう少し粘るかと思ったけれど) 嘲りを隠し、親切めかした調子でライダーは意志を紡ぐ。 「アサシン、これを防ぎきるのは無理よ。上からバーサーカーも狙ってる。多少のダメージは覚悟して後ろへ跳びなさい」 「……わかった」 僅かな逡巡が感じられたが、アサシンはその提案に素直に同意した。防禦陣の維持を止め、大きく跳び退る。 注ぎ込まれる魔力が無くなれば、防禦陣の崩壊は一瞬だった。昏い輝きを撃ち破り突き抜ける光、中心の奔流はかろうじて避けられたものの、周囲を取り囲む万華の光芒の内三条が直撃する。 「あぐぅっ」 「くっ……」 元よりアサシンの身体は衝撃に対しては非常に強靭な作りになっている。そこにライダーによってもたらされた術衣があるのだから、その防御力はかなりのものだ。人間の頭部のように明確な弱点が無いこともあって、相当なダメージにも耐えることが可能。ゆえに、並の相手ならば再起不能とまではいかないまでもそれなりの痛手であったであろうカレイドスパークを受けても、即座に次の動作へと移ることが出来る。 上空のバーサーカーを警戒し、ジグザグの機動で後退し、そして、 「……え?」 肉塊を覆う黒いページが剥がれていく。 渦のように纏まったそれは、すぐさま黒い少女のカタチを作る。 「ライ、ダー?」 「これ以上つきあっていられないわ。負けは見えているものね」 「術者を見捨て逃げるか、ナコト写本っ。この場を離れては汝も姿を保っていられまい!」 敵意を剥き出しにしたキャスターの声を鼻で哂い、 「何故? 食事なら世界中に溢れているじゃない。私の目的の為には聖杯なんてモノに頼る必要はない。星辰の巡りが揃うまで、いつまででも待てばいいのよ――こんなくだらない戦いに、これ以上つきあう気はないわ」 ふわりと、闇色の空に黒衣が舞い上がる。 「逃げるの!? そんなのズルだよ!」 咄嗟にバーサーカーが弾幕を撃ち下ろすが、ライダーもまた魔力を威力へと変え、解き放つ。黒い風めいた魔力の波が、バーサーカーの弾幕を反らし、打ち消した。 「せいぜいそこの肉塊と戯れているがいい。さようなら、道化のお嬢さん達」 嘲笑を混めた慇懃な声と同時に紡がれる意志が昏い輝きを物質化する。轟音と共に顕現するそれは、ライダーの宝具だ。 スロットルを回し、雄叫びの如く周囲を威圧する排気音。それに紛れ、声が流れる。 「勝ち逃げはずるいと思わない? ――古本女!」 支配者の貫禄を秘めた幼い声。咄嗟にライダーが見上げた空が――紅く染まっていた。 色彩の源は少女――ランサーが持つ物だ。 それは槍、真紅の、深紅の、少女が持つ――否、人が持つにはあまりにも長大なサイズの、巨槍。古の城壁すら容易く貫き通すであろうそれは、人を倒す為に人が振るう物ではない。魔を討つ為に、神を討つ為に、神が振るう物にすら匹敵する。 ゆえに、その術式はこう名付けられているのだ。 「"神槍"――スピア・ザ・グングニル!」 投擲。大気を割り砕き、紅が疾る。 それは因果逆転など特殊な概念を持たないただの投擲だ。必中を約束されているわけではない――が、迅い。ただひたすらに高速。その速さは最早神速の域に到っている。 「ちいっ!」 実体化させたばかりだが、位置が悪い。ハンティングホラーの機動では迫る一撃を避けられないと判断したライダーの行動もまた迅速だった。迷うことなく宝具の実体化を解き、己が身を重力に捕らわれるに任せた上に、更に魔力で落下を加速させる。 その身体を、柔らかく受け止めるものがあった。だが、ただ受け止めるだけにとどまらず、ライダーを抱きかかえるように濡れた感触が彼女にまとわりつく。 「っ!? アサシン! 一体なんのつもり……がっ!?」 自らの胸から生えるものを、信じられないと言った眼差しで見るライダー。そこにあるのは、血に濡れた、鋭く尖った肉の槍だった。アサシンの、蝕腕の一つだった。 「き、さま……」 『ザァギビゥルギッタヴォハバナタダァヨゲ』 聞くもおぞましい錆びた鉄同士を擦り合わせたような、人の耳には判断不可能なアサシンの声。 その異様な光景は、外道を見慣れた筈のキャスターですら、情感などとうに朽ち果てた葛木ですら、この世に畏れぬものなど無いランサーとバーサーカーの姉妹ですら、嫌悪も恐怖もねじ伏せて立ち向かうことが出来るアーチャーですら――そう、この場にいる普通の人間よりも遥かに異常への耐性を備えている彼女らをもってしても、たじろがざるをえないものだった。 アサシンの蝕腕が、ライダーを抱え込む。まるで周囲の視線から隠すかのように、蝕腕で――果たしてそれが腕に該当するものなのか、あやしいものだが――ライダーをミイラのように巻き取る。 「下等な奉仕種族の分際で……この、最古の魔導書ナコト写本を……!」 苦しげな声が、湿った音にかき消される。 『ダァラ、ザァアハザァアヴァッデェ。ゾオンヌァノヴィラァアイ』 嫌な音が響いた。 真っ当に暮らす人間ならけして聞くことの無い死と破滅に属する音、それは肉を千切る音だ。血が通う肉を、生きた肉を齧り、引き千切る音色だ。骨を割り、骨髄を啜り、内臓を掻き出し、咀嚼する音だ。 あまりにも隙だらけの状態だが、肉塊の食事風景は同時にあまりにも凄惨すぎた、陰惨すぎた。 相棒の先端にチャージした魔力を放つことも忘れ、アーチャーは思わず顔を背ける。キャスター達もまた、ピンク色の肉塊から顔をそむけることこそないが、不愉快そうに、あるいは不気味そうに顔をしかめ、眉をひそめていた。 どれほどの時間が経っただろう。 「……不っ味いの。見た目は美味しそうだったのに、そんなのってインチキだよね」 淡々とした、だがどこか浮かれたような響きを帯びた呟きは、再び真っ当な声としてアーチャー達に届いた。 「ズルイなぁ、まだこんなに色々隠してたんだ。最初っから教えてくれてれば、仲良くやれたのに」 隠されていた宝物を見つけた子供のような、無邪気な声。 おぞましい魔力が押し広がる。 空間を変容させていくその術式を、キャスターは瞬時に理解した。 「アーチャー、砲撃を放て! あの術式を完成させてはならんっ!!」 「遅いよ」 キャスターの声に後押しされ、アーチャーが己が宝具を改めて構えると同時に、アサシンの静かな呟きが広がった。 「ディバイン……!」 《Buster》 轟、と音を鳴り響かせ、桜色の輝きが迸る。 それを、何かが防ぎ止めた。 輝きが塞き止められた空中にはなにも見えない――だが、其処には、確かに何かが存在した。 実在と非実在の揺らぎ、実体と非実体の狭間、不可視の有、可視の無、術式が完成し、それは実体化する。 腐肉めいた悪臭を伴い、顕現するのは巨大な掌だった。腐り果てた血のような、どす黒い赤の色彩を持った手首が続く。 顕現する腐肉の躰を持った鋼の巨人、それを為す術式をキャスター達はこう呼び習わしていた。 『機神招喚』と。 |