「な、なんだコレ・・は……!?」
 自身もまた特級の怪異の産物であり、ありとあらゆる怪異に遭遇してきたという自負のあるキャスターの唇から、ありえない言葉が漏れた。
 機神招喚もまた魔術。扱う術者の属性タイプ位階レベル能力アビリティーによって、同じ魔導書から招喚される鬼械神であっても変化が生じる。
 そんなこと、他の誰よりも魔導書の精霊であるキャスター自身が理解していると言うのに――!
 目の前に現れたモノは、あまりにも異質過ぎた。
 全長は10mにも届くまい。5mほどと鬼械神としては極めて小さいサイズだ。第一印象は――おぞましいことに、少女・・だった。何に見えるか、と聞かれれば誰しも人体標本と答えるだろう。皮膚を剥がされ、筋肉と血管を剥き出しにした模型が、ソレの外見を説明するには一番相応しい。
 だと言うのに、同時にソレを見た者はその異形に少女の面影を見出すだろう、そんなことを思わせるカタチはどこにも無いと言うのに!
 ――その巨体は、アサシンそのものだった。
「……ふん、デカイだけ、ってわけじゃあ……なさそうね」
 空から巨体を見下ろすランサーが呟く。その額には、うっすらとではあるが汗がにじんでいた。
 事実圧倒的な能力を持ち、少女の見かけどおり幼い暴君として君臨するランサーではあるが、同時に500年以上歳を経た老獪な吸血鬼でもある。相手を必要以上に過小評価することはない。
「あは」
 息を吐くような笑い。
 それは、次の瞬間には、
「あはははははははははははははっ!!」
 大気を震わす哄笑となって響き渡った。
「凄い凄い、本当にずるいなー。こんな色々隠してたなんて。馬鹿な子、最初から教えてくれてれば、沙耶だってもう少し優しくしてあげたのに」
 巨体が動く。天にかざした手に濁った黄金の光が集い、剣と化す。
 ナコト写本が召喚する黄金の十字剣。
 それを見て確信を得たキャスターは、衝撃から回復し思わず叫びを口にした。
「汝ぇ……ナコト写本を食った・・・のか!?」
 倒したモノの力を得る為にその血肉を口にする、と言う呪術儀式は迷信ながら様々な場所に伝わっているし、それを事実とする魔術的手段も確かにあることはあるのだが、ナコト写本ほどの存在を取り込む――それも機神招喚まで可能とするレベルで――のは、最早術式がどうと言う段階の話ではない。
 それを可能とするだけの異能と、人類であれば僅か1ページに触れただけで発狂しかねないナコト写本を丸ごと己が物とする精神の異常性。
 戦慄にミニサイズでデフォルメされた顔を青褪めさせるキャスターに、応えるのは笑いを含んだ声だ。
「そうだよ。美味しくなかったけどね。あの子も素直に色々教えてくれてたら、別に食べる必要なんて無かったのに……ああ、でも全部食べちゃわなければ生きてたのかな、あの子。それなら取っておいて飼ってあげれば良かったかも」
 腐り果てた鋼の眼球がその場にいる少女サーヴァントたちを順に見る。
「安心して。あなたたちはすぐには殺さないから。美味しそうだし、沙耶一人で食べたらもったいないもん。壊して、飼ってあげる。それでね」
 ゆらりと、黄金剣を持つ腕が動いた。
 いかなる速度で動いたのか、腕は軌跡の上に複数の残像を残す。
 ――否。
「郁紀と再会した時に、記念のディナーにしてあげる……!」
 残像ではない。
 生身で行ったのと同様、最早アサシンそのものである巨体の腐腕が黄金剣と共に増殖しているのだ。流石に機神招喚と並行して先ほどと同じ処理は難しいのか、その数は生身の時から半減した8本。
 穢れた黄金が風を切って走る。
「っ! 散開せよ!」
 キャスターが声を上げるまでも無い。
 腐敗の巨体、異形を前にしたところでキャスターはその手の怪異に対する専門家だし、葛木は情動に関しては涸れ果てている。ランサーも性格はほぼ見かけどおりとは言え、メンタリティに関しては500年分の積み重ねがあり、人のそれを超越していた。バーサーカーも同じようなもので、その上少々気が触れているため、みな受ける衝撃は少ない。
 唯一衝撃から脱しきれないのがアーチャーだが、そこは人機一体のサーヴァント。アーチャー自身が反応できなくとも、相棒であるレイジングハートが迅速に、的確に反応する。
《Flier fin》
 魔杖の意志に反応し、空中機動の制御補佐を行う小さな羽が羽撃たく。
 後退の動きで生まれた風を頬に感じ、僅かな間霞んでいたアーチャーの瞳に再び強い意志の光が戻った。
「ありがとう、レイジングハート! もう……怯まない!」
 言葉と共に愛杖を振りかぶり、砲撃の術式を組み上げる。環状魔法陣が展開し、紅玉を抱く白杖の先端に魔力の輝きが集約。一撃必倒を約束された、いかなる困難をも撃ち抜くはずの魔砲。
「ディバインバスター!」
 叫びをトリガーに、轟音を奏で桜色の魔力が迸る。
 それが炸裂したのはアサシンの遥か手前の空間だった。
 盾――否、壁と言うべきか。アサシンの全周を薄暗い力場が取り囲んでいる。僅かな動作も、詠唱も無く、まるで見えなかったものが見えるようになっただけ、とでも言うように現れたそれが、揺らぎもせず、アーチャーの魔砲を受け止め、弾き散らした。
「防禦結界……! だが、この出力は……」
 先ほど生身の状態で同じ魔砲を受けたときは、防御の上からでもかなり魔力を削られていたと言うのに。恐るべきナコト写本が宿す鬼械神――そして、それを使うアサシンの能力である。単なる奉仕種族ではないと感じたが、キャスターの想像をはるかに超えた化け物ぶりだ。
 無論無限螺旋の中で対峙した、ナコト写本の真の主マスターテリオンに比べれば、その底知れなさ、得体の知れなさはたかが知れている。だがそれでも、キャスターをして戦慄を隠せないのは、
似ている・・・・……! 姿も、気配も、何一つ類似は無いと言うのに、あの獣と……!)
 それは、世界との相容れなさとでも言うべきか。
 この世全ての敵。
 存在の根底から、世界と対立するという印象。
 ライダーを取り込んだアサシンは、白紙に落ちた一滴の墨のように、周囲に対する絶対的な異物として存在していた。
 だが、
「また防ぐー。つまんないっ」
「ぼやかないのフラン、コイツを同格の相手と思うのが間違いよ」
 吸血鬼姉妹はそんな戦慄とは無縁のようだった。
 アサシンが防禦結界を張ったのをいいことに、雨霰と魔弾を降らせる。真紅と虹色が地上を埋め尽くすほど降り注ぐが、しかし爆炎は地上よりも遥か上で起こるばかり――それはすなわち、二人の弾幕が巨体の防禦結界を貫けないことの証明にすぎない。
「通常弾じゃいくら撃っても無駄、か……ふん、無闇に頑丈なのは下っ端だけじゃあないってことね」
 ならば、とランサーは片手を天にかざし魔力を凝縮させる。
 紅の魔力が形作るのは、
「――神槍」
 何もかもを貫き通す、圧倒的な暴力の体現。"永遠に紅い幼き月"レミリア・スカーレットがランサーとして顕現した最大の要因。
「"スピア・ザ・グングニル"!」
 紅が疾る。
 大量に降り注ぐ魔弾と違い高密度の魔力が圧縮されて形作られた魔槍には、さしものアサシンの防禦結界も効果がない。水溜まりに張った氷を割るのと同じくらい容易く防禦結界を割り砕き、淀んだ魔力に満ちた空間を真っ二つに切り裂きながら狙い違わず巨体の、人間であれば心臓がある場所へと突き進んだが、
「無駄だよ!」
「な……!」
 アサシンの高らかな宣言が示すとおり、あろうことかそれを防いだのは防禦結界などではなく、手にしていた黄金剣を投げ捨てた腐腕のうちの一本であった。
 投げつけられた槍を素手で掴み取るなど、曲芸と言うのも生ぬるい。ましてその槍はランサーの魔力を凝縮した破壊の塊だと言うのに。事実鷲掴みにした腐腕と槍の間で魔力の反発が火花を散らしている。
「だ、だが防禦結界が崩れた今……!」
「もう防げないよね! 無敵モードはおしまいっ!」
 キャスターが叫び、バーサーカーが歓声をあげてさらに弾幕を厚くし、必殺を超える神槍を防がれ流石に驚きを隠せなかったランサーも、すぐに気を取り直して大小取り混ぜた魔弾を投げかける。降り注ぐ紅と七色は、今度こそ確かにアサシンの巨体を満遍なく滅多打ちにしていた。
 その光景に、ディバインバスターの再チャージに入っていたアーチャーは僅かな引っ掛かりを覚える。
 爆撃とも言える弾幕に滅多打ちにされているにしては、爆炎からいまだ見えているグングニルがあまりにも揺るがないのは不自然ではないだろうか、と。
 それでは、グングニルを鷲掴みにしているアサシンの巨体はどういう状態で、と思考した瞬間だった。
 グングニルが僅かに揺れるのを、アーチャーは凶兆と判断し、
「ランサーさん、バーサーカーちゃん、離れてっ!」
 叫びは一瞬遅かった。
 グングニルが嫌な音を立てながらへし折られ、紅の魔力が形を失って霧散するのと同時に、地上を支配していた爆炎の赤と弾幕の虹色が漆黒に塗り替えられた。
 漆黒の正体はアサシンが"ン・カイの闇"と呼ぶ重力塊の魔弾だ。
 高密度すぎてもはや壁と見まごうばかりの状態の魔弾を、射撃に集中していた吸血鬼姉妹が避けるすべはない。
 超重力が幼い身体を蹂躙する。
「あははっ、あとで食べるんだからひき肉ミンチにはならないでよね!」
 アサシンの哄笑が響き渡る。
 腐腕が空気をかき分け、弾幕の残滓を振り払い、姿を現したのは、
「無傷!?」
 爆撃とも言える魔弾を受けて傷ひとつついていない巨体の姿だった。
「どうして……?」
 アーチャーの唇から呆としたつぶやきが漏れる。防禦結界は確かに崩壊したはずだった。だと言うのに、無傷という結果になったのは、
「装甲だけで防いだと言うのか!」
「しかし、では何故防御の術を……」
「そんな簡単なことも分からないの?」
 続くキャスター主従の言葉にアサシンの嘲りを含んだ声が応える。
「人間って雨で傷つく? 傷つかないよね? じゃあなんで傘なんかさすの?」
 その言葉はすなわち、
「ランサーさん達の魔法を……雨粒程度にしか思わないって、ことなの……?」
 アーチャーの防御術も鉄壁を誇る。防御専念すれば、おそらくはランサー達の弾幕を防ぎきることは出来よう。だが、それはあくまでも"防御術"の話だ。身に纏う防護服にそこまで強力な性能は備わっていない。
 だが巨神と化したアサシンは、術式を使うことなくランサー達の弾幕を「ただ鬱陶しいだけ」とまで言ってのけた。
「そうだよ。あなた達なんて、相手にならない。すごいんだよ、この力! もう、何も諦めることなんてない」
 語るアサシンの口調は、今までと一転、嘲るような調子はなく、無邪気に浮かれたようなものだった。それはまるで、夢を語る子供のように、恋を語る乙女のように、
「今なら郁紀を迎えに行ける。郁紀ときっと幸せに暮らせる。――ううん、それだけじゃない」
 鋼の腐った巨体が囁く。とても大切な秘め事を、恋人に愛を語らうように、
「きっと郁紀になんだってあげられる。――この星だって、丸ごと」
 唄う。
 それは、夢。それは、希望。
 なにもかもを犯し尽くし、蹂躙し、ただ一人へと捧げられる、無償の愛。
 いつか、別の世界で高らかに唄われた、アサシンの愛。
 沙耶の――唄だった。
 世界すら侵すその唄を、
「そんな、そんなの……違うよ!」
 凛とした幼い声が打ち破る。
 血の気が失せるほど強く、相棒を小さな手に握りしめ、紅玉を抱く先端をアサシンへ向けながら叫ぶ声は哀しみに満ちていた。
「誰かを傷つけて、それが誰かの為だなんて、そんなのは間違ってる! 貴方の言う、ふみのりさんだって、そんなのは……!」
「あなたに、沙耶と郁紀の何が分かるの!?」
 巨体ならではの声量は衝撃すら伴っている。否定の声に打ち据えられて、だがアーチャーの言葉は止まらない。
「分からないよ。お話してくれなきゃ、何も分からない! だけど! 貴方が、貴方の大切な人が、どんなに悲しくたって、辛くたって、やっちゃいけないことが、選んじゃいけないことがある!」
「綺麗事を言わないでっ!」
「言うよ! 何度だって言う! お話してくれれば、一緒に探せるよ、正しいやり方だって!」
「だから――」
 アサシンが口走る。
 最早怨嗟そのものの言葉は、自身が喰らい尽くしたはずの悪意を色濃く映していた。
 意識は無く、意志が絶え、意図を違えど、アサシンとライダーは極めて親しい存在だった。世界に紛れ込んだ異物だった。白紙の中に穿たれた黒点だった。在るだけで他の全てを否定する――世界の敵だった。
 だからその言葉が、アサシンの中にあったものなのか、ライダーを取り込んだために生まれたのかは分からない。
 その言葉は、
「その自分が正しいという思い込みが……虫酸が走るの!」
 必死で想いを届けようと叫ぶアーチャーを全否定するものだった。
「一緒に探す? 間違ってる? 正しいやり方……? 何様のつもり!?」
 昏い黄金が振り上げられる。
「沙耶は、沙耶は! 郁紀に会いたいだけなのにっ、郁紀と幸せになりたいだけなのにっ!」
「ならっ、お話聞かせて! 貴方の、さやさんのこと! ふみのりさんのこと!」
 八つ当たりじみて荒らげられる声に、だがアーチャーは怯みもしない。幼さからくる部分が大きいのだろうが、アーチャーの信条は清廉すぎるのだ。話せば分かるという夢の様な理想を信じている。
 とは言え、
「何も話したくないって駄々をこねるなら、少し頭冷やしてもらうからっ!」
 対話の為の実力行使を問わない、というあたり並の平和主義ではない。
「レイジングハート!」
《Charge complete》
 相棒の名を呼べば、即座に答えが返ってくる。
 術式はずっと維持されていたのだ、トリガーさえ引かれれば力ある一撃はいつでも放たれる。
「ディバイン……バスターっ!」
「そんな……豆鉄砲なんか!」
 桜色の奔流は、しかしアサシの巨体には届かない。先刻叫びと共に振り上げられた黄金剣のうち一本が、熱したナイフがバターを切るかのように、いとも容易く強大な魔力を秘める砲撃を切り裂いたのだ。
 さらにアサシンは手にした一刀をアーチャーへ向けて投げつけた。
 鋭い切っ先が空気をパクゥーと文字通り切り裂き、真空を生み出しながらアーチャーへと迫る。だがアーチャーは砲撃の直後、防御も回避も難しいタイミングだった。八刀をも備え、それぞれがアーチャーの砲撃を切り裂くことすら可能な魔刃だからこその芸当だ。
 だがアーチャーとて人機一体の英雄サーヴァント
《Round shield》
 砲撃を放ち終えた直後、刹那の間すら置かず、レイジングハートの前に魔力の盾が生み出される。至近でなければ星の光すら防ぎきる鉄壁の防御は、妖かしの切れ味を持つ魔刃をもってしても断ち切ることが出来ない。
 けれど、
「残り六本、防げないよね!」
 アサシンが喜色を浮かべて叫ぶとおり、残りが殺到されて防ぎきれるほどではない。アーチャーが対応を、手を出しあぐねているキャスター主従が介入を、それぞれ考える間を、無論アサシンが与えてくれるはずもなく、淀んだ大気を掻き切って投じられた黄金は、
「!?」
 その光景に、誰もが目を見開き驚愕する。
 迅雷もかくやという速度をもって投じられた六刀がアーチャーへ届くことはなかった。
 弧を描いて天へ向けて、その軌跡がまるで月すら割断したように見える一撃が放たれたのだ。先程アサシンがグングニルを掴み取ったのを神業と称するならば、これもまた神業。
 ――否。
「一回地につけたくらいで、勝ち組気取りはやめてもらおうかしら……このレミリア・スカーレットを差し置いて話を進めるなんて、百年は早いわ」
 それをなしたものを考えれば、悪魔の所業と言うべきか。
 服は汚れ、破れている部分も目立ち、灰銀の髪を飾っていた帽子も無くなっているが、その身を包む紅の魔力は、王の威厳を備えた瞳の輝きは、僅かにも失われてはいない。
「へえ、よかった。あなたとっても美味しそうだもん。……沙耶ね、吸血鬼って食べたことないから、とっても楽しみ」
「強がるねえ。内心戦々恐々なんじゃあないか?」
 汚れを手ではたき落としながら、言葉を続ける。
 5mもの巨体と、1m程度の小柄な少女だ。アサシンがその気になれば、踏み潰せるといっても過言ではないほどの体格差。
 だと言うのに、
(なんなの、いったい……?)
 先程は浮遊していたランサーが上、アサシンが下だった。その時には感じなかったプレッシャーがある。見上げられているはずなのに、自分の方が下だと思わされるほどの威圧感。
「直撃から逃げたねえ……私の"神槍"に、そこの白いのの魔砲も」
 言いながらも、ランサーはアサシンの方を見ようともしない。ランサーと同じく無傷なようだが、こちらはいまだ目を回しているらしいバーサーカーを片手で引っ張り起こし、
「つまり、お前は自分の装甲に自信がないってわけだ。適当に撒いてる弾は防げても、こっちがちょいと力を入れたら話は別」
「……だから、なんだって言うの。結局負け惜しみじゃない。防ごうが避けようが、あなた達が沙耶をまともに攻撃できてないのには変わらないでしょ」
 言っている内に自分の言葉に勇気づけられたか、やや勢いのなくなっていた声に、先程までの余裕が戻ってくる。
「時間稼ぎってわけ? いいよ別に。その硬そうな羽根の子も起こして、また一緒にかかってきなよ。どうせ沙耶には勝てないって、すぐに教えてあげる」
 基本的なメンタルが少女ゆえに、ランサーの態度に飲まれそうになったが、現実の経緯を思い返しアサシンは嘲笑をあらわにする。
 確かにランサーのグングニルやアーチャーの砲撃は厄介だ。前者は防禦結界をいとも容易く貫いてきたし、後者も結界なしに直撃を受ければ痛手だろう。
 だが現実として、グングニルは今のアサシンの能力であれば直撃前に掴み取ることが出来るし、後者に関しては防禦結界さえあれば難なく防ぎきれる。仮にグングニルと連携して放たれたところで、今しがたのように黄金剣で切り払うことも、絶対零度で凍てつかせることも可能だ。
 そう、ライダーを喰らい尽くした今、最早敵はいない。まだ感覚としてしか扱えないが、一体化したナコト写本の知識を完全に扱えるようになれば、元より生物としてはほぼ完全だった自分は、
「不死身ッ!! 不老不死ッ! ふふふふふふふふっ、ナコト写本の能力ッ!! あなた達をお土産にして会いに行った時の郁紀の顔が楽しみ! きっと喜んでくれるだろうなあ!」
 恋に融けた声で、アサシンが笑う。
「おっと、そいつは私のセリフじゃあないかしら? 不死身? 不老不死? ええ、それは吸血鬼わたしのものと昔から決まっているのよ。ついでにもう一つ"無敵"ってのが加わるけどね」
 引き起こし、まだふらふらしているバーサーカーの頭を「しっかりなさいよ」などと言って小突きつつ、ランサーもまた笑う。少女でありながら、野獣が牙を剥いたような印象を抱かせる、攻撃的な笑みだった。
「他にも"最強"とか"最速"とか、私に似合う言葉は色々あるわねえ。いきなりでっかくなったから、さっきはちょっとびっくりしたけど、よくよく見れば大したことないじゃあない」
「……言うじゃない」
 落ち着き払ったランサーの挑発的な言葉に、だがアサシンは激昂することもない。身の程をわきまえない小さい存在が囀っているという認識だ。
 だがその尊大な物言いが癇に障るのも確か。
ひき肉ミンチにするわけにはいかないけど」
 言いながら、アサシンは巨体の腕を天にかざす。
 人間離れして何本も備えられた触腕に集まる魔力が形作るのは、淀んだ黄金の刃だ。
「食べやすいサイズに解体バラしちゃうのは、悪くないよね。指一本くらい味見して、一番美味しい食べ方、考えてあげる」
 振り下ろされれば間違い無く己を寸断するであろう凶刃を前にしても、ランサーは気に留めなかった。
 それどころか繊手をおとがいへと当て、
「……食べても、いいのよ」
 などと艶めいた言葉で挑発までする始末。さらにランサーの言葉は止まらない。いかにも馬鹿にしたように鼻を鳴らし、
「でもねえ。いきがってる割には、ひき肉ミンチにするだの、解体バラすだのは、ちょいとばかりママッ子マンモーニな物言いじゃあないかしら……?」
「覚悟がないのね、お姉様!」
 きゃらきゃらと笑いながら、ランサーの隣に立つバーサーカーが言う。
「ええ、スゴ味がないわ。薄っぺらいのよ、お前。どうも上っ面だけめいてる……そのハリボテ姿がその証拠なんじゃないの?」
「……そう。言いたいことはそれだけ? ペラペラ喋るのって三流の悪役みたい」
「あら、これは一本取られたわ。確かに語りが長いってのは、二択のどちらかね」
「二択? ちょっと気になるから、最期に聞いてあげる」
「決まってるじゃない。三流ザコか、黒幕ラスボスか、よ」
「それなら、黒幕ラスボスのあなたを倒して、沙耶のハッピーエンドに決まりだね!」
 話は終わりだとばかりに、黄金剣が振り下ろされる。
 空間そのものを切り裂くような斬撃は、直撃すれば確かに幼い身体を分断していただろうが、ランサーもぼんやりと見ているはずがない。屈伸から繰り出された魔力を纏う爪撃が真正面から受け止めていた。
 受け止められたのを見るやいなや、アサシンは即座に更に二本の巨腕を振り下ろす。人あらざる構造のため、やろうと思えば八本全てを一箇所に集中させることも可能だが、敵はランサーだけではないのだ。離れたところにいるアーチャー達も会話に気を取られていたのか横槍を入れてくる気配はないが、放置していい相手ではない。
 既に片手は封じている。もう一刀はともかく、さらに一撃を加えて避ける術はなかろう。
 僅かに先んじた一刀を紅の魔力で覆われた吸血鬼の爪が受け止める。
「勝った! 聖杯戦争、完ッ!」
 そう判断したのは、やはりアサシンがまだランサーを侮っている証拠に他ならなかった。
 十歳足らずの幼子に見えても、ランサーは齢五百を超える夜の王デーモンロードなのだ。
 真正面からランサーを真っ二つにするために迫る魔刃。それを防いだのは、
「蹴っただと!?」
 後ろで見ていたキャスターにはよく見えていた。ロケットめいた爆発力で蹴りあげられたランサーの爪先が、真っ向から魔刃を迎え撃ったのだった。
「貧弱! 貧弱ゥ!」
「余裕ぶって!」
 さらなる挑発に、流石に耐え切れなくなったのか声を荒げたアサシンがさらに刃を叩きつける。同時に漆黒の重力塊を全周囲に向けてまき散らした。
 途端、ランサーに受け止められていた刃から返ってくる圧力が失せたことに、だがアサシンはランサーを倒せたなどと油断はしない。
 一応人の形をしているとはいえ、その感覚器などは人間とはほど遠い。例え見かけ上は後ろに思える位置に回り込もうとも、
「お見通しだよ!」
 巨人の背から幾本も長大な腐肉の鋼槍が突き出し、空間を蹂躙する。
「おおっと、危ないじゃない!」
 鋼を叩く音と粘着質な音の混じった耳障りな音が響き、ランサーの少々慌てた声がそれに唱和する。硬質化させた翼を振り回し、鋼槍を弾いて回避したらしく、今はアサシンよりも僅かに上の空中にその身をおいている。
「ふうむ、やっぱりこういう位置の方が落ち着くわねえ。私が上、お前が下のこの位置が」
 得意げな顔のランサーにアサシンは最早言葉も返さなかった。
 背中から生やした腐腕の鋼槍を束ね、ランサーへと横殴りしつつ、全周囲へとまき散らしたン・カイの闇から退避していたバーサーカーへ向けて黄金剣を振り下ろし、武器の届きづらいアーチャーとキャスター主従へは圧縮した体液を噴射する。
 狙いすますに越したことはないが、アサシンは己の最大の武器を改めて定め直していた。喰らったライダーの知識は強力ではあるが、アサシン自身が知識としてはともかく実感として理解していないため頼り過ぎない方がいい。今のアサシンの最大の武器は、実に単純に、
「あはっ。弾幕ごっこっぽくなってきた!」
「こんな無様な弾幕、点数はこれっぽっちもあげられないけどねえ。美しさの欠片もない」
 バーサーカーは嬉しそうに、ランサーはうんざりとつぶやくように、アサシンが選んだのはただひたすらに大量の魔弾による攻撃だった。
 物量による飽和攻撃こそが最良。
 そう、なにも大袈裟なことをする必要はない。元よりアサシンは狩りならともかく、戦いを楽しむ趣味はないのだから。加えてライダーを取り込んだ今、アサシンには聖杯などという物も必要ない。ただこの場を離脱する為に戦わなければならないなら、確実な手段を取るのが一番だ。
「まずいな……こうン・カイの闇を撒き散らされては、そうそう近づくことも出来んぞ!」
 ぬいぐるみめいた姿のキャスターの顔に焦りの色が濃くなる。特に他のサーヴァントと違い、キャスター主従は徒手空拳の上に、魔力を物体化したり放射する能力がないに等しい。防御も攻撃もマギウススタイルとなった葛木の手足で行わなければならないので、巨体と化したアサシンに対しては絶対的に相性が悪いと言える。
「……キャスターさん! ここは私たちに任せて、凛さん達を追ってください!」
 アーチャーの前に陣取り、手足の届く限り魔弾を迎撃していた葛木にアーチャーからそんな声がかかった。
「成る程。私とキャスターでは、あの巨体に対して有効な攻撃手段が無い。近づいて殴る程度では、射撃主体で戦うお前達の邪魔になる――それなら、衛宮達の加勢に向かうべきというわけか」
 振り返りもせず、葛木は冷静に状況を分析する。キャスターとてその程度のことは分かっているが、心情的には離れがたい。なにしろ眼下で暴れまわっているのは、自身と同じ出自の怪異だ。今でこそ黄金剣とン・カイの闇での攻撃にとどまっているが、特別な対処が必要な記述を繰り出してくる可能性もあり、その時自分がいれば素早く対応可能だ。
 しばしの逡巡の後、
「……分かった。奴がどこまでナコト写本を理解しているか分からぬが、まだ見せていない切り札があるはずだ。弾幕が途切れても接近は避けるべきだと、あっちで暴れてるのにも伝えてくれ!」
 キャスターは離脱を選んだ。対応可能とは言え、結局のところ事前に封じることは出来ず対処療法にしかならないのも確か。ならばその助言のためにこの場にとどまるよりは、事態全体の解決のために士郎たちへ加勢した方が結果としては良策だと判断できる。
 距離を取ってから大回りで離脱していくキャスター主従の姿を、アサシンは視界に収めていたが、妨害しようともしなかった。今の頭数が減ってくれるに越したことはないし、聖杯不要の今となっては召喚主である言峰もどうなろうと構わない。そもそもアサシンの実体は既にこの場に存在している。
 己の肉体と、ただ一人の男への愛しか持たぬアサシンの宝具――それはアサシンの肉体そのもの。世界を侵す愛を撒き散らす母体こそがアサシンをサーヴァントとして存在せしめているのだった。
 ゆえに、アサシンがなすべきことは最早一つ。この聖杯戦争の勝利などその為の過程にすぎない。
「早く死んじゃってよ。沙耶は、郁紀を探すんだから!」
 叫び、一斉に繰り出した冥い黄金はさらなる速度を得ていた。
 思わぬ速度に順調に捌いていたランサーとバーサーカーの態勢が崩れる。ランサーが己の不覚に顔を歪め、バーサーカーの不思議そうな表情が浮かべ、アサシンの勝利を確信して笑うのはまったく同じタイミングの一瞬だった。
 次いでアサシンの巨体から直接生えた腐鋼の槍が、
「あ? あ、ああああああっ!」
 アサシンの持つ黄金とは違う色彩の、清らかな輝きによって撃ち貫かれた。

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