やはり、身体にかかる負担が大きい。
 不敵に笑ってみせながらも、凛は内心舌打ちしていた。事前に起動したときに分かっていたが、やはりそう長くはもたないだろう。もっとも、サーヴァントの宝具を発動――それも二つ同時――出来ただけでも御の字なのではあるが。
 長引けば不利になるのは未だ変わらない。強く両手のインテリジェントデバイスを握り、意志を伝える。
 すなわち、攻撃の意を。
 レイジングハートに収められた凛の宝石が砕け、白い刀身が一瞬赤に染まる。
《Kaleido shooter》
 硬質な声が術式の名を紡いだ。その声と共に刀身を染めた赤の色が切っ先に集まり、ハンドボール大の光球と化す。
 ――カレイドシューター、アーチャーが得意とする射撃魔術ディバインシューターを基礎とし、城への道程でレイジングハートが凛の為に構築した術であった。遠隔操作において極めて優れた才能を持つアーチャーと違い、凛にはそのような才能はない。ゆえに形状こそ似ているが、性能としてはむしろセイバーが使う射撃魔術に近く、誘導性能のない直射射撃だ。
schießt撃 て!」
 レイジングハートを振り下ろし、叫ぶ。その動きに従い、切っ先に浮く赤の光球が飛翔した。
 具える属性は火。城の冷たい空気を焦がしながら飛来する光球を、
「っ!」
 咄嗟にライダーが防禦結界を展開し、迫る魔弾を弾き散らした。
「流石に頑丈ね。連射、いけるか? ――いえ、いくしかないわね。レイジングハートっ!」
《All right》
 応える声に呼応し、再び刀身が変色し光球を生む。その数、3。
Eilesalve一 斉 射 撃!!」
 光球の機動はあくまで直線的であるが、迅い。
 展開したままの防禦結界とぶつかり、ガラス同士を叩き合わせたかのような甲高い音を響かせる。
「いい気に……ならないでください!」
 突如、ヒステリックな叫び。同時に防禦結界が一際冥く輝き、
「っ!?」
 咄嗟に凛が飛び退けたのは、一体如何なるものの加護があった為だろうか。一瞬前まで凛が立っていた床を暗い矢が蹂躙する。
「偉そうなことを言っておいて……! 結局姉さんだって、借り物の力で戦ってるじゃないですか!」
 言葉と同時に桜の影が起き上がり、分かれ、影絵じみた人型となって動き出す。
 コミカルなグランギニョールじみているが、間桐の魔術を考えればそれがいかなる性質を秘めているか一瞬で察せられた。
 触れれば魔力はおろか生命力さえ枯渇させられるであろう影の魔術。動き自体はけして速くないが、回避すれば自然機動は制限される。それは桜が構えた弓のいい的だ。
 桜自身が刻み込まれた魔術と、ライダーによってもたらされた武器による二重の攻勢。凛一人では切り抜けられないとは言わないまでも、相当厳しい状況に追い込まれたであろうが、
「バルディッシュ、防御を! レイジングハート……撃ち抜きなさい!」
《Defensor》
《Kaleido shooter》
 重なる硬質の声。
 今の凛は一人ではない。アーチャーとセイバーから借り受けた意志ある魔杖が共に在るのだ。
 術者を選び、その性質ゆえに使い辛いとまで言われるインテリジェントデバイス。如何に凛が若き天才とは言え、ただ戦う為だけに振るおうとしたならば、二機はこれほど力を貸さなかっただろう。だが今は事情が違う。姉が妹を助ける為の戦いだ――それを、優しい心を持った魔杖達が見過ごすわけがない。魔力的な相性まではどうにもならないが、精神的なシンパレートは勿論本来の主には及ぶべくもないが、訓練なしとしては異例の極めて高い数値を維持していた。
 色とりどりの光球が影絵を貫き、迫る矢はレイジングハート同様宝石を収め魔力を確保した黒斧杖の展開する魔力壁が逸らす。バルディッシュを借り受けたのち、改めて宝石を収めなおしたのだ。レイジングハートは攻性魔術の為属性に染まった宝石を、バルディッシュは防御を基本とする為無色で大容量の宝石――ペンダントを。
 桜の攻撃は凛に当たらない。
 その現実に、桜は絶叫する。
「どうして!? わたし強くなったのに!! なんで姉さんはそんな簡単にわたしの上を行ってしまうんですか!? わたしが欲しかったもの全部持ってるくせに! わたしが失くしたもの全部持ってるくせに! どうしてわたしの邪魔をするんですか――!?」
 感情のままに桜の影が踊った。叫びに応えると脅すかのように影は凛を取り囲むが、凛は動じない。
「だって桜、貴女間違ってるでしょ?」
 凛の真っ直ぐな眼差しを受け、桜は無意識の内に一歩下がっていた。感情は叫び続けている、奪われたものを取り返せ、汚れた自分を無かったことにしろ、それは無慈悲に虐げられてきた自分に許された当然の権利だと。
 だが同時に、心の奥底で形にならない想いも囁き続けている。凛の言うとおり自分は間違っている、見知らぬ誰かを、大切な人をも傷つけて、本当に何も無かったことにするのか、と。
 両手のデバイスを構え直し、たじろぐ桜を見据えながら凛は言葉を続ける。
「はっきり言うけどね、桜。ぐだぐだ駄々をこねるのはやめなさい。士郎はどうだか知らないけど、わたしはアンタを甘やかしてワガママを通すつもりはないわ」
 わがまま。
 再び凛の口から出た単語に、ぐらついていた心の天秤が負の方向へ傾く。
「な、なにがわがままだって言うんです! わたしはずっと間桐で辛い目に遭ってきた! それを無くしたいと思って、何が悪いんですか!?」
「貴女の事情は聞いてないのよ、桜。と言うよりね、そんなのどうでもいいの。現実に貴女がライダーに遣わせた使い魔によって傷つけられた人がいる。わかってるの、桜? 貴女は貴女がされたのと同じことを、見知らぬ他人にやってるのよ」
「わ、わたしがどんな目に遭ってきたかも知らない姉さんが、綺麗事を……」
「桜!」
 自分が何をやっているのか、他ならぬ姉から糾弾され、感情のままに反論する桜だが明らかにうろたえている様子だった。事実、その反論は凛の一喝で容易く止められてしまう。
「だったら! アンタこそ自分の辛さをダシにして自分を正当化するのをやめなさい!」
「だからっ、綺麗な姉さんが簡単に辛いとか、言わないで下さいっ!」
 再び、感情の爆発。金色の弓にずらりと影色の矢が番えられ、凛を囲む影が立ち上がる。
「間桐に引き取られたその日に、わたしは処女じゃなくなったんですよ? 恵まれた貴女にわかるって言うんですか、姉さん! 全身を犯された、何もかも痛いことだらけで、あさましく男の人の精をねだらなければならなかったわたしの気持ちが!!」
 あまりにも痛々しい告白。桜が引き取られたのは11年も昔だ。そんな幼い頃に、最悪の形で純潔を奪われ、それからもずっと凌辱され続けてきたと訴える叫び。
 だが、それにさえも、
「――ええ、勿論分からないわ、桜」
 凛は一切の同情を見せなかった。
「生憎だけどね、わたしはアンタの苦しみや辛さなんて一切わからない。最初から言ってたはずよ。理解するつもりもない、って。――ああ、一つ言い加えるなら、アンタわたしのことを綺麗だのなんだのって言ったけど、わたし――自分が恵まれてるなんて、一度も思えたことなかったわ」
「――な」
 己が辛さを理解しない。そのことは良しとしないまでも、予想外ではあっても、わからないでもなかった。
 だが、

『わたし――自分が恵まれてるなんて、一度も思えたことなかったわ』

 その言葉だけは、脳が理解を拒んでいる。
 信じられない。
 あの間桐に押し付けられなかった幸運を、未だ綺麗な身体でいられる現実を、恵まれて、いない――?
 言葉の意味を悟った瞬間、脳が灼熱する。スープのように沸騰する。
「…………ッ!!」
 最早声にならない叫びに従い、影が一斉に凛へと躍り掛かる。
《Blade slash》
 凛の魔力を受け、バルディッシュの刃が眩い光を宿す。その輝きは、凛自身を象徴するかのような赤。
 横薙ぎの一閃を以って襲い来る影を迎撃する。
 ほとんど一回転するかのような機動からの斬撃。知性も持たぬ影に回避する術は無く、赤い光を宿した刃は一刀の元に影達を上下に分かつ。いかにライダーによって強化された魔力の後押しがあろうと、影は所詮桜の拙い術で編まれたものだ。威力はともかく、その構成は稚拙と言える。
 だが、斬撃の隙を桜が見過ごすはずもなかった。
 冥い色彩の矢が凛に殺到する。
 ほとんど狙いも定まらない、爆撃じみた連射。
《Protection》
 消え去る影を押しのけるように、赤い光が広がる。
 レイジングハートが編む、防御の魔術だ。
 爆風や降りかかる瓦礫は完全に遮断するが、しかし凛の練度では直撃を防ぎきれるほどの出力を生み出せない。先程バルディッシュの防御魔術が矢を逸らせたのは、既に回避行動に移り直撃を避けていた為である。
「……っ」
 身体への直撃こそ避けたが、数本がバリアジャケットを掠めていた。赤黒の装束の為目立たないが、僅かながら出血も認められる。
(……まずいわね)
 ダメージを受けたことではなく、近づけないことが凛の焦燥を静かに煽る。
 ライダーの力を受けた桜の主武装は桜自身が紡ぐ影の魔術と、ライダーによってもたらされた黄金の弓。中〜遠距離においてもっとも威力を発揮する戦闘スタイルだろう。直線的な矢の死角を、囲い込むように動く影が補っていた。
 対してデバイス二機の力を借りた今の凛が戦うのには中距離が最適だ。デバイスは短剣状の形態を取っているが、力のイメージとして生成された形であって凛に剣技の心得はまったくと言っていいほど無い。ライダーに近接武装が無いとも限らないし、事実凛は黄金の十字剣を目にしていた。近接戦を挑むのは無謀だろうが、生憎と凛が考えているこの場を収める手段は失敗が許されない。ほぼゼロ距離から放てるタイミングを掴まなければならない。すなわち、凛は近づかねばならないのだ。
 かと言って遠距離戦を仕掛けるメリットもゼロだ。直射射撃であるカレイドシューターは距離を取れば取るほど回避が容易くなる。さらに距離を詰めるのも難しくなり、しかも遠距離は桜にとっては得意距離。
 本来の持ち主であるアーチャーやセイバーと違い、凛が取れる手段はけして多くない。急ごしらえの直射射撃と、基礎的な防御魔術、そして魔力斬撃がせいぜいで、あとは一回使えばそれっきりである以上失敗は許されず、確実に決められる時まで温存しておく他無い。
「ふふ、どうしたんですか姉さん。大口叩いておいて、やっぱり手も足も出ないじゃないですか」
 凛が傷ついたのを見て溜飲が下がったか、桜は愉しげに嗤う。
 その姿に、凛はかちんと来た。
「――だから、アンタは馬鹿だって言うのよ。借り物の力で有頂天になって」
「負け惜しみですか? 姉さんだって借り物、しかも二つも借りてるのに、わたしにちっとも勝てない」
「そういうセリフは勝ってから言いなさい――大体、真っ当に使うならどんな力を何処から借りてこようと何も言わないわ。足りないなら何処からか持ってくるのは当たり前でしょ」
 一度言葉を切って、凛はレイジングハートを強く握る。
「でもね、アンタは手にした力で何をしてるの? 駄々捏ねて、わがままし放題。子供じゃないのに、良いことと悪いことの区別もつかないわけ?」
「――まだそう言う減らず口が叩けるんですか、姉さん」
 愉悦に踊っていた桜の声が一転、極寒の冷気を帯びる。
「もういいです。こんな女姉さんなんて、もう要らない。わたしは、遠坂桜に戻って、姉さんと暮らすんです。邪魔する貴女なんて、要らない」
 桜の手に奇怪な光が集結する。
 迸る光の帯はのたうつ蛇の如く桜の周囲の床や壁すら蹂躙し、その輝きを強めていった。
 雷光。
 次第に大きくなる剣呑な光を呆けて見ているほど凛は馬鹿ではない。間合いを詰める絶好の機会だが、しかし凛は二機のデバイスを交叉に構え、逆に大きく距離を取った。ライダーと桜を切り離すだけならば、今突進すれば叶ったかもしれない――否、確実に成功した。だが、ただ引き離しただけでは無意味なのだ。これはフィジカルな戦いであると同時に、メンタルな戦いでもある。桜に、自分が間違っていることを認めさせなければ、すぐにでもライダーを呼び戻すだろう。
 舌戦はやめられない。例え桜が一方的に打ち切ろうとも、凛の声は桜にとってけして無視できるものではない以上、凛が言葉を紡ぎ続けることには十分意味がある。
 レイジングハートに収めた宝石を解放させ、対雷の防御魔術を編む。雷避けの伝承を持つ宝石は、けして無根拠にそういった伝承を持ったわけではない。然るべき手段を取れば事実身を守る力となるのだ。
 さらに両手のデバイスに意志を伝える。この一撃を防ぐのだと。
《Lightning Protection》
《Round Shield》
 レイジングハートが対雷撃魔術の術を展開させ、バルディッシュは魔力の盾を紡ぎ出す。
「ABRAHADABRA――死に雷の洗礼を!」
 それはまさしく雷光の速度。
 桜の声が耳に届いた瞬間、凛の全身を強い衝撃が貫く。
「ぐっ……あ」
 思わず苦悶の声が漏れるが、二機のデバイスを掴む指の力も、戦う意志も萎えることは無い。
 盾状の防御魔術を突破こそ出来ないものの、雷光は海棲生物が獲物を求めて触手を伸ばすかのようにじわじわと盾の周囲から回り込み、凛とレイジングハートの展開した対雷防御すら蝕んでいく。防護服が焼け焦げる嫌な臭いが漂う中、凛は叫ぶ。
「アンタは……何を見ているのよ、桜ッ! そうやって自分に都合のいいものだけ求めて、全てなかったことにして、それでアンタは本当に幸せなわけ!?」
「な、まだ……!」
 雷光を撃ち終え、嘲笑を浮かべていた桜の表情が歪む。
 左手のレイジングハートを掲げ、攻撃の意志を伝えながら凛は叫びを続ける。
「アンタが見てるのは"遠坂凛"じゃない。アンタが、"間桐桜が望む遠坂凛"よ! アンタは何一つ見ようとしていない。黙って、俯いて、甘えてるだけで、何も信じようとしていない!」
《Kaleido shooter》
 立て続けに宝石が魔力へ変わり、凛の周囲を様々な色彩を持つ光球が取り囲んだ。
「勝手なことを……! わたし信じてました! ずっと、ずっと姉さんのことを! わたしは遠坂の子なんだから、いつか姉さんが助けに来てくれるって、ずっと信じてた! なのに、来てくれなかったのは姉さんじゃないですか!」
 憎しみを込めて、凛を睨む。感情のままに魔力は溢れ、桜の影は檻のように凛を包もうとする。
 それをほとんどばら撒くように放つ光球で凌ぎ、
「――でもアンタは助けを求めなかった。アンタは自分の中の"遠坂凛"を待ち続けてただけ」
「な、なにを……!」
「言ったでしょ桜、世界は甘くないって。どんなに辛い境遇にいようが、ただ思ってるだけでなんとかなるなんて、そんな楽に出来てないのよ、世界は!」
 掲げ続けていたレイジングハートを振り下ろした。刃の軌跡に魔弾が生み出され、疾る。
「っ!」
 咄嗟に防禦結界を展開し魔弾を防ぐ桜だが、その心は確かに揺れていた。
 凛の言葉は綺麗事だ。自分が間桐邸で受けてきた苦しみも理解しないで、好き勝手言う。そんなの聞けるはずがない。負に傾く感情が叫ぶ。だが、静かに湧き上がってくる心があった。

『姉さんはわたしのことをわかってくれない。わかろうともしてくれない――けれど、わたしは姉さんの何を理解しているのだろう』

 幾度と無く、外で会った。
 弓道場で、廊下で、ことあるごとに、凛の方から、桜へと、語りかけてくれた。
 それは、一体何故なのか。
 凛と会った時、自分は誰を見ていたのか・・・・・・・・
 桜の迷いを感じ、僅かではあるが慌てたのはライダーだ。この期に及んで迷われてはことが面倒すぎる。思わず言葉が漏れた。
「戯言に耳を貸す必要はありません、サクラ様。アレは自分の無慈悲を正当化しようとしているだけ。そんなモノなどより、取り返さねばならないものがあるでしょう? 無垢な少女期を共に過ごすはずだった、優しい姉が」
 言葉と共に、桜へと術式を伝える。
 ただの矢では足りない。回避など出来ず、防御など撃ち抜く、より狂悪な凶器が必要だ。
「……し、天狼星シリウスの弓よッ!」
 迷いが声を震わせるが、ライダーの言葉に抗ってまで凛を庇おうとも思わない。姉が自分を助けに来なかったのも、事実だからだ。
 魔力を受け、桜が手にする凶器が禍々しく変質していく。
 長大な、重厚な、黒き龍の躰を持つ黄金弓。
 凛にはライダーの言葉は聞こえていない。より強力な武装を手にした桜を見て、小さく舌打ちし、デバイスを握りなおした。
 桜が揺れているのは薄々感じられる。だが決定打ではない。桜に己が間違っていることを認めさせ、ライダーを引き離す。そのどちらもが出来なければこの戦いは凛の負けだ。
 慣れぬデバイスを用いての戦い以上に、桜への言葉が凛自身を疲弊させていた。
 ずっと見てきた凛は知っていたのだ。桜が笑わないことを。
 だと言うのに、ずっと思ってきた。桜に――いつも笑っていて欲しいと。自分が辛ければ辛いほど、桜は楽出来ているのだと。
 それは、なんて――偽善だったのだろう。
 桜の幸せを願いながら、その一方で桜が間桐でどう暮らしてるか考えたことも無かった。
 凛とて、"遠坂凛が望む間桐桜"の幸せを思っていただけではないのか。
 桜へ紡ぐ言葉は、全てそのまま凛に返る呪いにも等しい。
 だが、
「桜ッ! 前を向きなさい・・・・・・・!」
 それでも凛は言葉を紡ぐ。
 例え偽善であろうと、桜の幸せを望んでいたその心は、本物だ。自分の辛さから逃げる為に桜のことを想っていたわけではない。
 だから、凛は叫び続ける。
「後ろばかり見続けてるから、なかったことにするなんて馬鹿げたことを考えるんでしょう!」
「ば、馬鹿げた……? それは、姉さんが……!」
 荒れる感情のまま反論の叫びをあげかける桜だが、思わず途中で言葉を止めてしまう。
 心に生まれた疑念が、そうさせたのだ。
 凛が自分の辛さを何一つ知らなかったように、自分とて凛がどう暮らしてきたか知らない。
 その迷いは魔弓を引かせることを躊躇わせた。代わりに重力塊を紡ぎ出し、いまだ残る憎怒と共に撃ち出す。だが凛がそれを甘んじて受けるはずもない。
《Kaleido shooter》
 意志に呼応し、レイジングハートが素早く術式を編みあげる。
 闇色の魔弾と色とりどり――言うなれば虹――の魔弾が正面からぶつかり合い、この世のものとも思えぬ軋んだ音を響かせた。
「顔をあげて世界を見るのよ、桜! ただ黙って俯いて、待っているだけで助けが来るほど世界は甘くないんだから!」
 弾けた魔力の余波に髪と外套を揺らしながら、魔力の残滓を吹き散らさんばかりに凛は叫ぶ。
「今更ッ! 顔をあげて何が見えるって言うんですか……!!」
 荒げた声に影が従う。膨れ上がった影は立ち上がり、刃の群れと化して城を引き裂いた。
 それをバルディッシュで斬り砕き、
「世界が――見えるのよ、桜。アンタが呪い、なかったことにしようとしている世界じゃない世界がね」
「――せ、かい?」
 思いもしなかった応えに、桜は一瞬呆然とする。
「アンタが呪ってるのは、なかったことにしようとしているのは、"アンタの世界"よ! 俯いて、後ろを向いて、自分だけで構築した世界。ええ、世界ってのは自分を中心とした価値観だもの、人にとって世界なんてものは所詮共有出来ないものよ、アンタの世界では白は黒いのかもしれない。でもね、生憎と白を黒と言い張るような馬鹿げたことは放っておけないの」
「で、でも! 実際に誰もわたしを助けてくれなかった! 姉さんだって父さんだって、わたしを見捨てたじゃないですか! わたしが助けて欲しいと願っていたのに!」
「だから、その願いは何処に向けてたのよ。何度言えばわかるのかしら。黙って願ってるだけでそれが叶うほど、世界は甘くないって」
 その言葉は、凛自身をも傷つける刃だ。
 だが己が心についた傷などおくびにも出さず、凛は言葉を紡ぎ続ける。
「けどね、桜。助けを求めて差し出した手を誰かが掴んでくれる程度には――世界は優しいのよ」
「そ、んな。うそ、やさしい、だなんて――」
「こんな馬鹿をしでかしたアンタを、士郎は頼むって言ったわ。士郎とわたしのサーヴァント、この子達の主もよ。ほとんど見ず知らずのアンタを連れて帰ってくれって。そして、この子達だって、無理を押してわたしに力を貸してくれている――アンタを連れ戻す為に」
 手にした二機のデバイスに埋め込まれた水晶が明滅する。頷くかのような、肯定の意思表示。
「……今更、今更そんなこと言われたって! じゃあわたしが苦しんできたのはなんだったんですか! 怯えて、震えて、助けを願っていたわたしが、馬鹿みたいじゃ……!」
 叫びが途切れる。
 凛の答えを待つまでもない。それはつまり――自分が馬鹿だっただけなのだと、桜は察してしまった。
 姉とて全知全能でも、万能でもないのだ。訴えられることの無い痛みを、苦しみを、何故わかろう。わかって欲しいと願うのは、感情は否定するが心が理解している、桜のわがままにすぎない。
「でも、だからって……もう、戻れません……! 魔力を集める為に街の人を襲って、アーチャーちゃんからも魔力を奪って、メイドさんも傷つけた! 今更どんな顔をしてみんなに会えばいいんですかっ! 全部なかったことにするしかわたしに道は……!」
「桜ッ!! 自分がしでかした馬鹿の責任は、自分で取りなさい! 行為の意志を無視した結果論なんて嫌いだけど、まだ誰も死んでない、取り返しのつかない傷も負ってない。これからいくらでも償えるのよ、アンタは。その償いから逃げるってことは、誰かを傷つけて、辛い目に遭わせて、それをよしとするってことよ!?」
「っ!」
「サクラ様! そんなことは全てなかったことになるのです・・・・・・・・・・・・・・! 戯言に耳を貸す必要など、無い!」
 ライダーの声が僅かに荒げられている。その言葉はほとんど強制力を持つ呪言に等しかった。桜の手に冥く燃える輝きが現れる。本来の主の手によって生み出されれば五つの太陽すら凌駕する熱量を放つ必殺の兵装。
「わ、わたし、わたしは……ッ!」
 なかったことにする。
 その誘いは未だ魅力的で桜を縛っていた。
 だが、重ねられた凛の言葉によって桜は己が過ちを認めつつある。ここまで言われてそれでも自分を偽り続けられるほど厚顔な少女ではないのだ。力に高揚していた当初はともかく、犯した過ちを認めたくが無いためにこのまま全てをなかったことにしようとしたという思いも強い。
 指先が震える。
 その桜の姿を見て取り、凛は駆け出した。
 剣呑な矢の正体は凛にはわからないが、その危険性は察せられる。放たれては回避も防御も難しいだろう。二度三度と撃たれる可能性がある以上、ここで決めるしかない。
「信じなさい桜! 前を向いて目にした世界を!!」
 叫び。
 揺れる桜の視界が捉えたのは、
「――姉、さん」
 他でもない凛の姿だった。
 力が抜ける。禍々しい龍躰を持つ黄金弓が桜の手から落ち――
「……え?」
 その寸前、燃える矢が、指先から離れた。
 明らかに己の意志とは異なる指の動き。弦にかけた指を離してなどいないと言うのに。
 無論それはライダーの仕業に他ならない。
 城内の空気を灼熱――否、融解させながら天狼星の弓から放たれた小太陽の如き魔矢が飛ぶ。
 ライダーを責めるより先に口から漏れた凛の無事を想う桜の悲鳴に応えるように、
《Protection》
 真紅の防御壁が凛の前に立ち塞がった。直後響く甲高い激突音。
 レイジングハートをかざし灼熱の一矢を防ぐ凛の姿が、陽炎に揺らぐ視界の彼方に映った。
「ライダー、貴女……!」
「差し出がましい真似を致しました、サクラ様。ですが、惑わされてはなりません……あのような綺麗事、あまりにも下らない」
 忠臣ぶった言葉に、しかし桜が乗ることは無い。明らかに敵愾心を向けられ、ライダーは内心舌打ちするが同時にそんな桜の態度を嘲笑っていた。凛さえ消してしまえば桜などどうにでもなる。完全に篭絡出来なかったとは言え、凛を始末出来たならむしろそこから煽る手もあるのだ。なかったことにさえしてしまえば、姉も戻ってくると。
 見る見るうちに防御壁に皹が入っていく。
 防御壁で防げぬ膨大な熱量は防護服によってなんとか命を蝕まない程度には遮断出来ているが、それでもこの状態はほとんど火炙りだ。まして防御壁が破られてしまえば、その瞬間に凛の身体は焼滅してしまうのではないか。
 しかし、凛の表情には恐怖も、絶望もない。あるのはただ、強い意志だけだ。
「行くわよ、レイジングハート、バルディッシュ!」
《All right.Grand master》
《Aye ma'am》
 罅割れた防御壁を見据え、凛は二機に意志を伝える。そんな凛の意志を嘲笑うかの如く、防御壁に矢がめり込んだ。
「姉さん……っ!」
 それをトリガーにしたわけでもなかろうが、桜の悲鳴が響くと同時に済んだ音をたてて防御壁が決壊した。
 盾にでもしようとしたか、凛が外套の裾を翻すのを陽炎の彼方に見て、ライダーは小さくではあるが声をあげて嗤った。如何に桜が使い手、僅かな間とは言えよく天狼星の弓から放たれた矢を防いだものだと感心したが、その抵抗はあまりにも儚すぎる。
 触れた瞬間外套全体が淡く明滅する。おそらくは最後の抵抗なのだろうと、ライダーの嗤いが大きくなった。そしてライダーの予想に違わず、一瞬で外套全体に亀裂が走り、砕け散る。
 だが、そこからの光景はあまりにも予想外なものだった。
「――な」
 砕け散った外套に押されるように、凛の身体が矢と交錯して飛ぶ。それは偶然などではない、明らかに意図された動き。強烈な衝撃は凛を宙へと押し出し、疾らせる。薄氷を叩き割るのにも似た外套が砕ける儚い音に反し、その姿はあまりにも雄々しい。
 飛翔する凛の右手でバルディッシュがぎしりと音を立て、
《Sealing form》
 変形した。
 刃が中心から分かれ、音叉じみた形状へと変化、鍔から硬質な金の翼が伸びる。
「その性悪サーヴァント、今引っぺがしてあげる……! 歯ぁ食いしばりなさい、桜!!」
 凛の声に応え、バルディッシュへと収めたペンダントが魔力を供給する。おおよそ凛が溜める十年分にも匹敵しようかと言う莫大な魔力が、本来なら絶対に不可能であろう術式の機動を可能とする。
 封印。
 アーチャー達がそう呼び習わしている術だが、その実それは大魔力による術式の強制停止・・・・・・・・・・・・・に過ぎない。
 次元を揺るがす魔石の起動や、次元間の航行すら可能な巨大な移動要塞じみた代物の駆動炉すら停止させることが出来るが、反面術者の魔力が足りなければ不可能な上に、仮に成功したとしてもバックファイアじみた魔力の流れで大怪我を負いかねない危険な術。
 だがその危険性も凛を臆させることは出来ない。半泣きの桜を見据え、バルディッシュを振りかぶる。
「バルディッシュ、封印を!」
《Sealing》
 分かれた刃をカタパルトに、バルディッシュの水晶から莫大な魔力が放たれた。
 桜に抵抗の意志は最早無く、不意を衝かれた形になるライダーもその術式に割り込めない。
 鮮烈な赤い輝きが迸り、桜を包む黒色の衣がそれに押し流されるように剥がれていく。同時に実体化し、弾き飛ばされるライダーの身体。それには目もくれず、凛は目の前で崩れ落ちようとした桜の身体を抱きとめた。
 鍔を形成していた排気ダクトから圧縮魔力の残滓が鈍い音を立てて放出される。その靄じみた残滓越しに、姉妹の視線が絡み合った。
「――姉、さん」
「……もうこんな馬鹿の後始末は、二度とごめんだからね、桜」
 深刻な表情で、けれど俯かず凛を呼ぶ桜に、凛は呆れたように笑って見せる。
 酷い有様だった。生地が黒い為それほど目立たないが、バリアジャケットは散々に焼け焦げているし、あちこちが裂けて覗く肌からは血も流れている。唇の端からも血が滴っているのは、唇を切ったわけではなく内臓をやられているのか。
 それでも、凛は笑っていた。
 バルディッシュを握ったままの拳で、凛はぽかりと桜の頭を小突く。小さく悲鳴をあげた桜が思わず閉じてしまっていた目を再び開いた時、凛は既に顔を上げていた。先程までの笑みは無く、厳しい顔で広間の一角を睨んでいる。
「……小娘」
 底冷えするような声。
 流石に無理矢理術式を解除されたのは効いたのか、僅かによろめきながらライダーが立ち上がる。
「へえ、やる気なのかしら」
 静かに桜を下ろし、凛は二機のデバイスを構えた。
「ね、姉さん……!」
 間合いの離れたライダーにはおそらく聞こえていないだろうが、間近にいる桜には凛の呼吸の荒さがはっきりとわかる。戦える状態にあるとは思えなかった。
 己の無力さに桜は歯噛みする。ライダーの強化が失われた桜では碌な術は紡げない。
 これほどまでに傷ついてまで自分を助けてくれた姉に対して、自分は何も報えないのか。
「……あ」
 ――否。今の桜でも紡げる術があった。それも、この場においては最良の術式が。
 ふらつきながら、桜は立ち上がる。
「桜!? なにしてるの、下がっ……!」
 制止しようとする凛が思わず息を呑んだ。桜が掲げた手に光るそれは、
「ッ! 令呪を……!?」
 強い赤の輝きが迸り、二つ残っていた令呪が立て続けに消滅した。
「……やってくれたわね、小娘が」
 つい先程まで敬称付きで呼んでいたとは思えぬ、憎憎しげな声。ライダーの身体に赤い火花が走る。姉妹への害意を令呪の命令が感じ取って、戒めているのだ。桜が無言で願った一つ目の命令は、"わたしたちを傷つけるな"であり、そしてもう一つは、
「もう、貴女には頼りません、ライダー。わたしの聖杯戦争はここで終わりにします」
 ライダーとの契約破棄を一方的に告げるものだった。
「……馬鹿な子。望めば手に入るやり直しを放棄するなんて」
「…………」
 桜は応じない。下手に言葉を返せば絡め取られかねないことを、痛いほど承知している。ライダーの言葉に長く抵抗出来るほど自分が強いわけではないことは、既に身に染みていた。
 けして短くはない沈黙の時間。破ったのはライダーの舌打ちだった。
「まあ、いいわ。貴女が使えなくなった時のことは想定済みですもの」
 言って、踵を返す。何処へ行こうというのか、階段を上るライダーだが数歩進んだところで振り返る。
「では、御機嫌ようサクラ様。貴女はその穢れた身体のまま、生きていきなさい」
 慇懃に、一礼までして見せ、今度こそライダーは階上へと姿を消した。
「……行ってくれた、か」
 なおもしばらくは警戒して両手のデバイスを構えたままでいた凛だが、戻ってくる気配がないのを察し、構えを解く。
「……本当に助かったわ、レイジングハート。それにバルディッシュも。……ありがとう」
《You're welcome》
《Aye ma'am》
 淡い光と共に、凛を守っていたバリアジャケットが構成を解いていく。それと同時に、両手のデバイスもまた凛に合わせて構築していた形態から、待機状態へと変化、掌に収まる。
 と、その変化を見届けて気が抜けたか、凛の身体が大きくぐらついた。
(あ、やば……)
 意識は保たれているが、無茶の代償か今ひとつ身体が言うことを聞かない。これは倒れるな、と思うが当面の目標は果たした。目を閉じて倒れるままにしていた凛だがいつになっても衝撃が来ない。その代わりに何かやわらかい感触。
「……桜」
「…………」
 目を開けてみれば、泣きそうな顔の桜がいる。どうやら桜に抱きとめられたらしい。妹の膝枕を借りるような形になって少々気恥ずかしいが、一度力が抜けてしまうと中々動き出せない。そのまま見上げていると、妹は何か言いかけて、また口を紡ぐ。
 それもそうだろう。如何に論破されたとは言え、桜の辛さもまた真実だったのだ。誰にも迷惑かけずに出来るのなら、やり直したいと今でも思わないではない。全て背負って、ある意味では開き直ったまま進めるほど桜は強くいられない。
 それを察したのか、凛は苦笑いして、
「なんでも言いなさいよ。いくらでも聞くわ」
「…………」
 凛に促されても、桜の沈黙は続く。もっとも、ただ黙っているわけではなく、何を言おうか、どう言おうか迷って、結局口に出せないでいるようだ。事実何度も口は開くが、結局言葉は出てこない。
「……あの、姉さん」
 長く迷った結果、ようやく桜は凛に呼びかけた。首を傾げて応じる凛に、桜は意を決して言葉を紡ぐ。
「ごめん、なさい、迷惑かけて……それに、助けてくれて、ありがとうございました」
 お詫びと、お礼。
 それはけして一人では成り立たない言葉だ。
 姉が妹を助けるのは当たり前。けれど、その当たり前は十一年も為されなかった。責任の所在が何処にあるのか。きっと誰のせいでもなく、誰もがその責任の一端を担っているのだろう。だから、凛は姉云々は口にしない、出来ない。
 ただ静かに、
「……いいのよ」
 そう言って、桜の頭を再び軽く小突いた。

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