「キャロ、随分成長したねえ……」
ワンピースを脱ぎ、肌を露わにしたキャロの身体つきを見てスバルは感心する。
言われたキャロはじっと自分の胸元からつま先まで視線を下ろし、
「そうでしょうか……?」
少し自信なさげな声で応えた。
「うんっ、あたしがキャロくらいの時はもっとつるぺただったもん。この分だと、なのはさんの故郷の次元世界に出張任務で行った時に会ったなのはさんのお友達の……ええと、すずかさんだっけ? あの人くらいまで育つんじゃないかな」
「あの人スタイル良かったわよねー。まあ、なのはさんたちも羨ましがるのが馬鹿馬鹿しいくらいスタイルいいけど」
「ティアさんもスバルさんも、わたしから見たら羨ましいです」
素直な褒め言葉に、スバルとティアナは揃って照れる。
「ティアはバランスいいスタイルだよね、なのはさんっぽいかも」
「そう? あたしはもうちょっと上背欲しかったけどね」
照れ隠しかそっけなく応えながら、ティアナは髪を左右で括っていたリボンをするりと抜き、注がれる視線にたじろぐ。
「な、なによ」
「いやー、ティア髪おろすと大人っぽく見えるなーって思って」
「はいっ、素敵だと思います!」
「いや、あたしももう18だし、大人っぽいと言われても……ま、ありがと。そう言えばスバル、あんた服の趣味は可愛い系なのに、髪伸ばしたりしないわね。シューティングアーツの邪魔になるから切ってる……ってわけじゃないわよね、昔の写真でも短かったし」
「スバルさん、長い髪も似合いそうですね」
二人に言われ襟足に手を伸ばし、
「まあ、母さんもギン姉も髪長いし、あたしにも合わないわけじゃないと思うけど……昔から短かったし、今は長いと邪魔になるなーって思っちゃうかな。そう言うキャロは、髪伸ばさないの? 似合うと思うな」
「そ、そうですか? 似合うかなぁ……? フェイトさんみたいな長い髪憧れるんですけど、わたしくせっ毛だから、伸ばすとどうかな」
「んー、でもそんなに酷いくせっ毛ってわけじゃないわよね。改善用のシャンプーとかあるみたいよ、使ってみたら?」
服を脱ぐ手を止めて、ティアナはキャロの髪に触れた。
キャロのほんわかとした感じが現れているかのような、ふんわりとした感触が案外心地よくてついつい撫でてしまう。くすぐったそうに目を細め、
「実を言うと、この髪もそんなに嫌いってわけじゃないんです。フェイトさんが、わたしの髪はふわふわしてて可愛いねって言ってくれましたし……あと、その、エリオくんにも」
『あれ、エリオのこと意識して無いってわけじゃないのかな?』
頬を染めるキャロを見て、スバルからティアナへ念話が飛ぶ。
『どうかしらね、フェイトさんと同列よ? ……まあ、こっちが気を遣いすぎて変にぎくしゃくさせちゃうのも可哀想だし。この子らなら、多分なるようになるでしょ――そもそも、あたしらそっち方面はアドバイスしようがないし』
『あ、あはは……そだね』
「確かにキャロの髪ってなんか触り心地いいよね。後で髪、洗わせてね」
「はいっ、お願いします」
「さて、暖房効いてるからっていつまでもその格好じゃ風邪引くわ。早く入りましょ」
最後に強めに一撫でし、ティアナはキャロの髪から手を離し残っていた下着に手をかける。スバルとキャロもそれに倣い、手早く全裸になった三人は浴場へと続く曇りガラスの戸を開いた。
白い蒸気にうっすらと曇る空間に、スバル達は三者三様の歓声をあげる。大浴場の名に恥じぬ作りだった。正面は全面ガラス張りになっていて、防曇加工が施されているのか多少曇ってはいるものの、外の景色が見て取れる。紅と黄色で染め上げられた山々はまさに圧巻だ。大きな浴槽がガラスに接していて、湯につかりながら景色を眺められるようになっている。更に正面のガラスの端にはドアが設置されていた。ティアナの視線に気づいたか、スバルが、
「あ、露天風呂があるんだって。あとで入ろうね」
と説明する。
「とりあえず、身体と髪、洗っちゃお。ティア、背中流したげるよ」
「あ、じゃあわたしはスバルさんの背中流します!」
「なら、あたしはキャロね」
などと言いながら、三人はシャワーと鏡が備えられた洗い場へキャロ、ティアナ、スバルの順に腰をおろす。
「わ、キャロほんとにいい具合に育ってるわね。訓練続けてるの、はっきりわかるわよ」
「ほんとですか? ひゃっ、て、ティアさん、どこ触ってるんですかぁ!」
「え? あ、ごめんごめん、つい」
背中を洗っていてダイレクトに伝わってくる成長の感覚がなんだか嬉しくて、ついつい二の腕やらわき腹やらへまで手を伸ばしてしまった。
「そう言うティアもしっかり鍛えてるんだね」
「とかもっともらしいこと言いながら、どこ触ってるのよあんたは!」
スバルの両手が脇の下から回され、ティアナの形の良いバストを鷲掴みにしていた。
ティアナの肘鉄が飛ぶ。元フロントアタッカーの面目躍如か、かろうじてそれを避けたスバルだが崩れたバランスを回復できず、悲鳴をあげながら椅子から転げ落ちた。
「うー、ティアひーどーいー」
「ひどくないわよ、このセクハラ娘」
と言うものの、起き上がるのに手を貸すティアナ。
「胸なら自分の揉めばいいじゃない。そんなにおっきいんだから」
ティアナの言葉通り、スバルの胸は大きい。サイズ自体はティアナと大差ないのだが、ティアナの方が背が高いので、結果としてスバルの方が随分と大きく見える。
「別に胸をもみたいんじゃないよ。ちょっとしたスキンシップじゃない」
懲りない言葉を口にするスバルの頭を軽く小突いて、ティアナはキャロの背中を流すのを再開した。懲りてなくても一応反省はしたらしく、スバルも大人しくティアナの背中へ集中する。
「エリオくん、男湯で一人なの可哀想ですね。フリードは一緒だけど……」
「流石にもう女湯はマズイでしょ。決まりだもんね」
当然の如く一緒に入ろうとキャロは誘ったのだが、エリオは脱衣場の前に貼られていた『11歳以下のお子様は男女の別無くご入浴いただけます』との張り紙を理由に物凄い勢いで拒否して、フリードを引っ掴むようにして男湯へと消えていってしまったのだ。
「残念です」
肩を落として嘆息するキャロに、スバルとティアナは思わず顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
『エリオのこと大好きなんだねえ、キャロ』
『大好き、はいいけど意識に微妙な食い違いがあるのがエリオの不幸よね……とりあえず、あたしらが下手なことは言わないようにしないと。特にあんたは不用意なこと言わないようにね。あんたも張り紙なきゃエリオをこっちに誘ったでしょ。ダメよ、そりゃあたしだってエリオ相手なら別に裸見られたとこでなんとも思わないけど、あの子わりと生真面目だし、もう立派な男の子なんだから』
『わかってるつもりなんだけど、どうにもねー。キャロの言葉じゃないけど、まずエリオだし、って思っちゃうし』
スバルの言葉も理解できる。背が伸びたとは言え、まだまだ随分な差があるし、声だって耳慣れた、ともすれば女の子の声と間違えてしまいそうな柔らかい声のままなのだ。
『言いたいことはわかるけど、思いついたことすぐ口にしないようにしなさいよ』
『りょーかい』
「流すよー」
念話中も手は止めていなかったので、背中はすっかり洗い終えていた。
「今度はわたしがスバルさんの背中、流しますね」
「ありがと、お願いするね」
そんなやりとりをして、並び順を変える。一人浮く形になり、少し考えたティアナだが、
「それなら、あたしは髪洗ってあげるわ」
「あれ、ティアからそんなこと言うの珍しいね」
「ま、せっかくの旅行だしね。たまにはいいでしょ、あんたが言うところのスキンシップってのも」
言って、スバルの前に立つ。短い髪をざっとシャワーで濡らし、シャンプーを手にとってしっかり泡立て、キャロの髪とはまた違った、触り心地の良い髪へ指をかけた。
「ふわー、やっぱり人に髪洗ってもらうのって気持ちいいねぇー」
「わかるわかる。美容師さんとかほんと上手いわよね……って、こら、何手ぇ伸ばしてるのよ」
目を半ば閉じてキャロとティアナに身を任せているスバルが、そろそろと両手を動かしているのをティアナは見逃さなかった。きゅっと手の甲をつねる。
「いた、いたっ、痛いよティアー」
「セクハラ禁止! まったく、油断も隙もありゃしないんだから」
「だって、目の前でぽよんぽよん揺らされたら気になるよー」
「ぽよ……!? あ、あんたねえ! いいから、大人しくしてなさいよ」
「はぁーい」
流石に三回目をやる気はないらしく、ティアナの言葉にスバルは大人しく手を引っ込めた。
二人がかりでスバルを洗い終え、再び位置を交代。キャロの髪をスバルが、ティアナの髪をキャロが洗う形だ。身長差が大きいのでティアナ一人が座り、キャロ、スバルの二人が立ってその後ろに並ぶ。
今度はスバルがスキンシップを仕掛けることも無く、滞りなく洗髪は済んだ。少し迷った結果、三人はひとまず室内の浴槽へとつかることに決める。
「んんーっ、いいお湯ねぇ。最近シャワーですませちゃうこと多かったから、久しぶりにゆっくりだわ……」
ティアナの言葉にスバルとキャロが笑って同意した頃、一人男湯へ入ったエリオはと言えば、
「…………」
難しい顔で、露天風呂につかっていた。
なにせ男の子である、髪や身体をさして時間をかけずに洗い終えてしまい、ずっと露天風呂で風呂に入る前にやったスバルとの組み手のことを考えていた。

ティアナとキャロに張ってもらった結界の中、スバルとエリオは20mほど離れて向かい合った。
「カートリッジロードは無し。有効打が入った時点で終わりね」
ティアナが終了条件を宣言し、二人は揃って自分のデバイスへと呼びかけ、バリアジャケットを装着する。
ストラーダを構えたエリオにスバルは緊張していた表情を僅かにほころばせた。六課時代はまだまだ長槍であるストラーダに振り回されていたような印象もあったが、いまやストラーダを構えるその姿は、立派な“槍騎士”のそれだ。
「スバルさん、いきますっ!」
「応ッ!」
エリオの呼びかけに雄々しく応え、スバルは再び表情を引き締めた。マッハキャリバーへ魔力を通し、いつでも走れるように機体を暖める。
一年間ほとんど毎日のように共に訓練を重ね、お互い手の内はわかっているつもりだが、機動六課解散から一年半ほど経っていることが、二人の動きを慎重にさせていた。戦闘スタイルと言うものは早々変わるものではないが、一年半という時間は何か新しい戦術を編み出し、身に刻むのには十分な時間でもある。
「ストラーダ!」
《Blitzmesser》
エリオの呼びかけに応え、ストラーダの先端に魔力の輝きが凝固する。
スバルには見覚えの無い魔法だが、スタールメッサーと同系統だろうと判断。
《相棒、エリオ相手に時間を与えるのは下策です》
「そだね。突っ込むよ、マッハキャリバー! 機動よろしくっ!」
マッハキャリバーが囁く助言に頷き、スバルは動いた。地面を噛みながら、四連のウィルが疾駆する。スバルとマッハキャリバーにかかれば20mの距離など無いも同然だ。だがその突進力を知らぬエリオではない。ストラーダを保持するのとは逆の手で空を切った軌跡に無数の魔力弾が生成される。
「ブリッツクーゲルっ」
雄叫びと共に魔力弾が飛翔した。
(速っ!)
自身の突進故に彼我の距離が縮まるのが体感的に速く感じることを除いても、極めて高速と言える射撃にスバルは驚きながらも不敵に笑った。六課にいた頃になのはから教えられた射撃魔法がエリオにしっかりと根付いていることが嬉しくあり、同時に自分が知る魔法であることに若干の安心も生まれる。
ブリッツクーゲルは、雷撃を伴う高速直射弾だ。魔力を飛ばすことが不得手な近代ベルカ式の常で、エリオ自身の練度もあり単独の射撃魔法としては脅威足りえない。エリオもそれを自覚してか、弾速と発動速度に特化した構築にしており、しかしその特化はますます研ぎ澄まされているようだった。
大きくしゃがみ、大半の射線から身を外す。マッハキャリバーと共に走るスバルだからこそ可能な回避と突進が一体化した機動だ。残る直撃コースの魔力弾はプロテクションで吹き散らす。
「っ!?」
砕けた魔力弾が残す黄金の魔力光を切り裂いて、エリオから伸びる光がある。
速く、鋭い一撃。大地を抉り迫るそれは、獲物を狙う蛇のような獰猛さも感じさせる。弧を描いてのたうつ動きは回避が困難になる、直進はもとより左右に避けようとも追ってくる動きだからだ。咄嗟に後退の回避運動を取ったとしても、その鋭い動きには補足されてしまうだろう。
だが、スバルにはもう一つの逃げ場所があった――空だ。
無詠唱で先天魔法であるウイングロードを起動する。U字を横にしたような形で敷設される光の道はスバル一人ではとても走り抜けられないが、マッハキャリバーがいるならば話は別だ。
《Absorb Grip》
魔力で強化されたグリップ力が光の道を噛む。片足を軸に回転したスバルの天地逆転した視界に映るのは迫る魔力弾の群れだった。
後ろ向きで、かつ天地逆転した位置の機動と多少の無理はあれど、それでもマッハキャリバーの生む速度は相当のものだと言うのに、易々と追いついてくる弾速にスバルは舌を巻いた。
「うおおおおっ!」
回転したナックルスピナーで加速された魔力を、飛来する魔力弾へ叩きつけると同時に、ウイングロードを蹴って着地する。
そのスバルの頭上を一筋の雷光が駆け抜けた。
「あのタイミングでスピーアアングリフ……! 大した連携速度ね……滅茶苦茶鍛えてるじゃない、あの子」
観戦しているティアナが呟く通り、一瞬前までスバルが居た空間を的確に貫いて行ったのは、雷撃の刃を先端に備えたストラーダを構えるエリオだった。六課時代から多用している見慣れた突進攻撃だが、そこに到るまでの流れがかなり洗練されている。
「やるね、エリオ!」
「スバルさんこそ、流石です」
スバルの声に、きっちり振り向きながら着地したエリオは若干の照れ交じりの言葉を返す。
「少しは自信のあった連携なんですけど、きっちり避けられちゃいましたし」
「エリオの魔法を知ってるから避けられたみたいなもんだよ。速さも、鋭さも、びっくりするほど増してるね」
言いいながら、スバルは構える。リボルバーナックルを纏った右手を上げた、シューティングアーツの基本体勢のひとつだ。呼応してエリオもまた口を閉ざし、ストラーダを構え直す。
雷刃を抱く切っ先を後ろへ向けた、攻撃の起点が読みづらい構えだが、いざ動作に移れば弧を描かざるをえない為に隙の大きい構えとも言える。もっとも、その隙を補う為に射撃魔法やその他にも様々な手を考えているのだろう。
「はあああっ!」
気合一閃。先に動いたのはエリオだった。横殴りの動きで振り回されたストラーダの、先端に生成されている雷撃の刃が鞭のようにしなり、伸びる。先ほどブリッツクーゲルの第一波を凌いだ後の光はこれか、と得心しながらスバルはマッハキャリバーへ流す魔力を増やし、エリオを見据えたまま後退した。その機動の間に両手を大きく回し、魔力を練る。
胸の前で向かい合わせになった両手の間に、青い煌めきが生まれた。射撃、砲撃魔法の発射基点となる魔力スフィアだ。
スバル憧れの人であるなのはが得意とする砲撃から名前をもらった、一撃必倒の砲撃魔法――ディバインバスターの脅威はエリオも嫌というほど知っている。そして、知っているがゆえに怪訝そうに僅かに首を傾げる。
スバルのディバインバスターは砲撃にカテゴライズされてはいるものの、有効射程はかなり短い。20mも離れれば減衰し威力は失われてしまう。その為スバルがディバインバスターを使うのは、近接戦闘で相手の体勢を崩した隙が基本だ。言わば抜かば斬る居合いの如きもの。
それをこの距離でスフィアを生成した。その意図をエリオは掴みかねる。単純に射程が向上している可能性もあるが、砲撃を得意とする魔導師は誘導弾などを併用し、確実な直撃を狙うものだ。鈍重な相手ならばまだしも、軽快な機動をするエリオ相手に距離を置いた単発砲撃など当たるはずもない。
この距離でのスフィア生成はエリオの知るスバルの戦闘スタイルには無い。待ちのスタンスは下策と判断し、ブリッツメッサーの刃をストラーダの先端に戻しつつ、エリオは駆け出した。
対するスバルは腰をかすかに下げ、迫るエリオを迎え撃つ構えだ。スフィアを作り出した両手が動くのを見て、
「スバルさん凄い……!」
「砲撃スフィアを無手で維持!? 器用な真似するじゃない!」
キャロとティアナは思わず歓声をあげた。
六課時代は発射までの間片手でスフィアの保持を行っていたものだったが、生成されたスフィアは今スバルの胸辺りの高さで浮遊している。思わぬ成長にエリオもまた驚くが、駆け抜ける足は止めない。
スフィアの維持は手数と選択肢の増加であるが、同時に誘爆の危険も孕む。
《Blitz Kugel》
ストラーダの自動詠唱により雷撃の弾丸がエリオと併走する。
「ファイアっ!」
エリオの命令に従い、紫電を散らしながら黄金の魔力弾が空を翔けた。迫る魔力弾に対しスバルはリボルバーナックルを纏ったのとは逆の手をかざし、防御魔法を発動する。頑強さに定評のあるスバルのプロテクションを突破出来るなど最初から期待していないが、回避や防御をさせることは相手の行動を阻害することに繋がる。
「ブリッツメッサー……行けええええっ!!」
手にしたストラーダへ魔力を注ぐ。先端に輝く雷刃が膨れ上がり、ストラーダ本体と同じ長さほどに光の刀身を伸ばした。気合の雄叫びと共にエリオの疾駆は加速する。
黄金の雷刃を迎え撃つのは、スバルの右拳だ。リボルバーナックルで高められた魔力によって生成される硬質のフィールドは、巨木すら寸断するであろう鋭利な魔力刃を真っ向から受け止めることを可能とする。
拳と刃を交える二人の視線が一瞬交錯した。どちらからと言うことも無く、自然に笑みが浮かぶ。
《Calibur Shot》
「でやああああっ!」
掬い上げるような一撃が疾った。
マッハキャリバーによる瞬間加速を得た、魔力で強化された強力な蹴りの一撃だ。跳ね上がった左足が伸びた雷刃を横殴りにする。巨大なハンマーで叩かれたかのような強烈な衝撃に、ストラーダごと持っていかれると直感したエリオの反応は迅速だった。ブリッツメッサーの魔力結合を解き、次の行動選択は、
「うおおおおっ!」
前進。鋼の防護靴が大地を強く蹴り、エリオの身体は飛ぶように前へ前へと進む。
軸足一本の不安定なバランスで立つスバルへ、穿つ一撃が迫る。エリオの狙いは一点、この距離で発動されては防ぐのが困難なディバインバスターの魔力スフィアだ。
《Protection》
だが僅かに届かない。寸でのところで突き出されたナックルガードに覆われた左拳を、マッハキャリバーが発動する防御魔法が包んでいた。攻撃を防御された後の選択肢は二つ、一旦下がるか、押し通るかだ。エリオは一瞬の躊躇いも無く後者を選ぶ。
「ストラーダっ!!」
《Jawohl!》
主の呼びかけに、ストラーダは高らかに応え、術式を走らせる。防御魔法の構成を解析し、侵食・破壊するバリア・ブレイクだ。密度や練度の向上こそあれど基本的なプログラムは六課時代と同一、ストラーダの切っ先は急速に青い輝きへとめり込んでいく。
迫る切っ先を前に、しかしスバルはひるまない。蹴り足を戻し、再び両足で大地を掴むように立つ。リボルバーナックルの右拳が下がり、意志だけで保持されていた魔力スフィアがその動きを追随する。
「ディバイン――!」
スバルの声と共に、リボルバーナックルに魔力を加速・凝縮し、指向性を与える為の環状魔法陣が発生した。それは言わば魔力を走らせる砲身のようなものだ。叩き出されるスフィアは弾丸、そして放つ意志が、撃鉄となる。
膨れ上がるスフィアを見て、エリオが咄嗟に取った行動は回避ではなく更なる攻勢だった。ストラーダから右手を離し、魔力を集中させる。最速で組み上げる術式がエリオの拳を黄金の輝きに染め上げた。
「紫電、一閃っ!」
放たれる拳は蒼雷を纏い、ストラーダよって半ば破られかけていた防御魔法を容易く貫通する。踏み込みの加速を殺さずエリオはそのまま打ち抜いた。黄金の雷光がディバインバスターの魔力スフィアの術式を掻き乱す。
発射寸前の魔力スフィアの術式が乱されればどうなるか、結果は決まっている。魔力スフィアは術式によって制御された指向性を失えば、魔力を周囲へと拡散させてしまう。小規模な射撃スフィアならば被害無く消滅することが多いが、大きな魔力が込められた砲撃スフィアは話は別だ。
高まった魔力が暴発する。
舞い上がる土煙に視界を奪われる中、エリオは己が拳に打撃の感触を得る。ジャストミートとはほど遠い、インパクトのタイミングを逸してしまった感触だった。
浅い、と判断したエリオが飛び退ろうとする前に、
「うあー、残念ー」
気の抜けたスバルの声。
見上げれば、溜息を吐くすっかり緊張感をなくした顔があった。

「流されちゃったけど、はっきり言うべきだったかな……止めたんじゃありませんって」
秋空にかざした掌を握り、拳を作りまた開く動作を繰り返しながら、エリオは呟く。
決着となった一撃を、エリオが意図的に軽く当てたのだとスバルは認識していた。スバルが戦意を収めてしまったのと、ティアナとキャロも二人の動きが止まるのを見て結界を解除してしまったので、結局そのままこうやって入浴という流れになってしまったのだが。
自分の行動を振り返る。魔力刃の生成、直射射撃での牽制と伸ばした魔力刃で行動を狭め、突撃による重い一撃。今のエリオ単独の基本戦術であり、カートリッジ無しの動きとしては概ね理想通りだった。
だが、不満はある。無いものねだりなのは自覚しているが、
「もっと、リーチがあればなぁ……」
例えば自分の保護責任者であるフェイトや、近接戦の師の一人であるシグナム。あるいは友人ルーテシアの召喚獣であり、主同様エリオと友好関係にあるガリュー、彼らほどの身長があれば、一挙動一挙動が大きくなり、より遠くまで速く威力を伝えられるようになるだろう。
現状の自分を最大限に生かすことが肝要だということはわかっているのだが、どうしても早く大きくなりたいという思いが心の隅から抜け切らないエリオであった。とは言え、仮定の自分を頼るわけにはいかない。組み手で得たデータを元に、様々なパターンをシミュレートする。そもそもスバルから仕掛けてこないパターンや、紫電一閃を放つ前にディバインバスターを組み上げられてしまったパターンなどを想定し、逐一その時どう動くべきかを考えていると、
「キュクー」
「……え? あれ、どうしたのさ、フリード」
フリードリヒに肩を突かれた。首の動きが、エリオの手首を指し示している。
「通信……スバルさんから? どうしたんだろう」
持ち主が抱く思いはそれぞれあるだろうが、一般的に言ってデバイスは便利な道具であり同時に危険な武器でもある。所持には簡単な審査も必要であるし、携帯にも一応法で定められている決まりがあった。大雑把に言えば手離し厳禁、である。基本的に使用者に合わせカスタマイズされており、まして人格型のデバイスなどは他人が手にしてもおいそれと使えるものではないが、インテリジェントシステムを強制的にダウンさせる方法も無いでは無い。大規模破壊を可能とする魔法の手助けをするデバイスに携帯規則があるのは当然のことと言えよう。
そんなわけで、浴場ではあるがエリオはストラーダを手首に巻いたままだった。レールウェイでの移動だった為着信を振動モードに切り替えていた上に、湯につかっていたので着信に気づかなかったらしく、呼び出した着信履歴にはスバルからの通信が三件登録されている。
映像機能をオフにしてから、スバルへ通信を繋ぐ。向こうから三度も通信してきただけあって、すぐに空間モニターが表示された。
『あ、ようやく繋がった。のぼせちゃったかと思ってちょっと心配したよ』
「〜っ!」
いい具合にあったまっているらしく、頬を朱に染めて笑いかけてくるスバルを目にして、エリオは全力で視線をあさっての方向へ向けた。
『あれ、エリオ映像切ってる……?』
「す、スバルさんっ、映像切ってください……!」
怪訝そうに首を傾げるが、視線を逸らすエリオには当然見えていない。一瞬見えた姿は幸い鎖骨のあたりから上だったので、なんと言うか大丈夫ではあったが、それでも少しばかり刺激的すぎる姿だ。一緒にいるはずのキャロが覗き込んできたらそれこそ堪らない。
『気ぃ遣えって言ったばっかりでしょうが、このバカっ! マッハキャリバー、映像機能オフ!』
ティアナの声が割り込み、すぐに空間モニターは消え去った。迅速な対応に感謝の念を送りつつ、エリオは深呼吸を一つ二つしてなんとか上ずった声を元の調子へ戻す。
「ど、どうしたんですかスバルさん」
『あ、うん。せっかく4人で旅行に来たのに、仕方ないとは言えエリオ一人仲間はずれみたいになっちゃってるしさ。あたし達はそろそろ上がるんだけど、どうしてるかなーと思って』
嬉しい心遣いではあるが、女湯の音声筒抜けと言うのはどうにも居心地が悪い。
「のんびりしてますよ。こっちにはフリードもいますし、仲間はずれって感じは別にしないです」
『そっか。次に入る時は寂しくなったら、いつでも通信繋いでくれていいからね。ちゃんと映像切っておくから――ほらほら、ティアも何か一言ー』
その言葉を最後に、通話相手が変わった。
『あー、悪いわね、バカがバカで。まあ悪気はないのよ……それが尚更悪いんでしょうけど。キャロに替わるわ』
そっけなく、だがけして冷たくはない口調でティアナは言う。エリオが何か言葉を返すよりも先に、
『もしもし、エリオくん?』
「キャロ」
聞きなれた声にエリオは安堵の溜息を吐いた。勿論、通話の先では全裸かと思うと気恥ずかしくはあるが、それでも転属してからもずっと一緒に過ごした相手だ、過剰なスキンシップにもそれなりに慣れている。
『エリオくん、いまどこ?』
「外だよ。露天風呂に入ってる」
『いいねえ。景色、すっごく綺麗だよね! わたし達もさっき入って、エリオくん呼んでみたんだけど、ちょうど入れ違いだったのかな?』
しばらく他愛も無い雑談をかわし、エリオは通信を切った。
「ふう……流石に、ちょっとのぼせてきたかな」
急に立ち上がると目眩がしそうだった。ゆるゆると身体をずらし、階段状に段差がつけられているところまで移動して適当な段に座り、上半身を湯から外気に晒す。
少々冷たいくらいの秋の風は火照りきった肌には気持ちいいくらいだが、長く当たっているわけにもいかない。
「そろそろあがるか……みんなも、もう外だろうし」
呟き、フリードを呼んで屋内へ戻る。浴衣に着替えて更衣室から出ると、女性陣が談笑していた。スバルが気づく。
「エリオもあがったんだ。もしかして、なんか急かしちゃった?」
「いえ、のぼせ気味でしたし、ちょうどよかったです」
「そっか」
「エリオもなにか飲むでしょ。何がいい?」
言われて見れば、みな飲み物のパックを手にしている。今日日珍しい、小さめのパックだった。既に財布を手にしているティアナに問われ、エリオは自販機の陳列に視線を一巡させ、わずかに躊躇った後、ミルクを頼んだ。

地元の素材をふんだんに使ったという夕食の後、
「あ、忘れるとこだった。スバル、フェイトさんからあんたにって」
鞄を引き寄せ、ティアナは中からビニール袋を取り出す。ミッド語ではない文字が書かれている、薄い袋だった。
「え? なんだろ……ああっ、フィアッセ・クリステラの新しいアルバムだ!」
中身を確認したスバルが歓声をあげる。その手にあるのは美しい白人女性がジャケットのCDだ。見覚えの無い顔で首をかしげるティアナに、
「フェイトさんが子供の頃過ごした……なのはさん達の故郷の次元世界の歌手です」
「凄く綺麗で優しい歌ですよ。フェイトさんの家で聞いて僕もファンになりました。新しいアルバムが出たらアルフに送ってもらってます」
「わたしも、エリオくんに聞かせてもらってすっかり好きになっちゃいました」
「へえ……でもなんでまたスバルが? 接点なさそうだけど」
ティアナが問うと、スバルはふやけた顔で幸せそうにCDを抱きしめながら、
「六課にいた頃にね、たまたまフェイトさんの部屋に行く用事があって、その時にかかってたんだ。すっごく気に入っちゃって、フェイトさんにお願いして揃えてもらってるの。ティアに貸してあげたことなかったっけ?」
「覚えがないわね、なに、そんなに良い歌手なの?」
「うんっ、今度ベスト盤貸したげるね! ティアの趣味とはちょっと違うと思うけど、絶対気に入るよ」
瞳を輝かせてジャケットを眺めるスバルを、「まだまだ子供ねー」などと言うティアナだが、向ける視線はあたたかい。
「まあ歌は聴いてみないとわからないけど、とりあえず綺麗な人ね」
「実際会ってみると、結構気さくなお姉さんだって聞きました」
「はい?」
エリオの言葉にティアナは再び首をかしげた。妙に訳知りな感じのする言葉だ。雑誌のインタビューなどを見て、それから判断しているのではなく、明らかに直接知る人間から聞いた、という印象を受ける。
「僕は会ったこと無いんですけど、フェイトさんは向こうの世界で暮らしてる時に何度か会ったことがあるそうです」
「この歌手と? なんでまた?」
「なのはさんのお姉さん達と幼馴染なんだって。今はお互い忙しくなってなかなか会えないけど、なのはさんが小さい頃……フェイトさん達と出会う前後くらいは、なのはさんの家に長いこと泊まったりしてたらしいよ」
「へえ……なんか、なのはさんって有名人の知り合い多いわね。考古学者のスクライア先生とか」
「まあ、今やなのはさんも相当な有名人ですけど……」
「ですね」
若くして魔導師ランクはオーバーSを保有、局での階級も尉官級、しかも見栄えの良い美人揃いとあり、六課で隊長を務めたなのは達三人は局の広報誌やら雑誌の取材やらで知らぬ者は無い、とまで言うのは言い過ぎだが、それに近い状態ではある。
「スバルも、このまま行くとそういう感じよね。特救は取材受ける機会多いし。このお花畑娘が有名人って言われても、なーんか違和感あるけど」
「でも、ティアさんも結構顔知られてますよ? 陸士訓練校の紹介ビデオ、今でもお二人の映像が使われてるそうですよ」
「え、ほんとに? うわ、勘弁してよねー」
げんなりとした悲鳴をあげるティアナに、エリオとキャロは苦笑い。
「まあ、顔を知られるってのは悪いことばっかりじゃないけどね。……人脈って、大事だし」
超人連合のような状態だった機動六課を思い出し、ティアナもまた苦笑いを浮かべる。補佐官に就任した後にフェイトが「やっぱり、ティアナには話しておいた方がいいかな」と前置きしてから話してくれた六課結成の裏事情は、伝説の三提督すら後ろ盾になっているほど大掛かりなもので、それらを可能としたのは隊長たちの人脈によるところが大きかったのだから。
「話変えるけど、明日からの予定どうしよっか。まあせっかく温泉宿に来てるんだし、一日中のんびりするのもいいけど、観る物あるなら出かけるのも悪く無いわよね」
レイさんに聞いてみようか、と言うティアナに、スバルに誘われた時に買ったのだと言いながら、キャロが周辺のガイドブックを取り出す。
「準備いいねえ、キャロ」
袋に戻したCDを鞄にしまい終えたスバルがテーブルに戻ってきて、四人は頭を寄せてガイドブックへ注目した。
「ノールは……わ、結構ページ割かれてますね」
「まあ、この辺じゃメジャーな温泉地だもんね」
キャロがページをくっていくと、温泉宿や、滝や渓谷と言った名勝の紹介が続く。
「クロスミラージュ、地図出してくれる?」
《了解しました》
ティアナの声に応え、クロスミラージュが空間モニターを開いた。さらに続けて出した指示で、宿の位置が光点で表示される。空間モニターに映る周辺地図とガイドブックの地図を見比べて、適当な観光コースを考えるつもりだ。
「あ、この滝綺麗だねー。でも車が無いとちょっとキツイ距離かな」
「なんだったら、レンタルしてもいいんじゃない? ま、とりあえずどんなとこがあるか見てきましょ」
ティアナに促され、キャロがゆっくりと、さらにページを進めていく。
「美術館とかもありますね。このガラス工芸館とか、ちょっと面白そうです」
「あとは史跡か……ええと、シュヴァルツブルグ? ベルカ系の名前ね」
雨風に晒され、すっかり古びてはいるものの、堅牢な印象を維持した建物の写真が紙面に掲載されていた。
「かつて古代ベルカを統べた聖王に仕えた騎士が建てた城……先史時代の遺跡だ。ミッドにベルカ式の建造物は珍しいね」
「言われてみれば、ゆりかごの内部となんか似てるわね……」
何枚か載っている内部の写真を見て、ティアナは呟く。
キャロが読み上げる人物紹介によれば、件の騎士の名は“レックス・ウエッジシェイプ”。古代ベルカ崩壊後ミッドチルダへ逃れ、エルセア地方一帯を支配したと言う。
「聖王から“忠誠の甲冑ロヤリテートパンツァー”と呼ばれるロストロギアを賜っており、これを纏った彼は瞬く間に当時山賊などが蔓延るエルセアを建て直し、後のエルセア発展の礎を築いた。現在“忠誠の甲冑”は機能を失っており、記念としてシュヴァルツブルグへ飾られている……だ、そうです」
「あ、これがその“忠誠の甲冑”の写真だね」
「そんな凄まじいロストロギアには見えないけど……まあ本人が優秀な騎士だったってことかしら」
《興味深いです》
スバルの胸元から硬質の声が響く。ペンダント状の待機形態であるマッハキャリバーだ。持ち主をサポートするデバイスの身としては、偉業の手助けとなった道具のことが気になるらしい。
「マッハキャリバー、気になる?」
明滅が肯定の意を伝えてくる。
「じゃあここを含めて、コース考えてみよっか」
「そうね。美術館を兼ねてるみたいで、見所多そうだしね」
《ありがとうございます》
機械の意志が、感謝の声を紡いだ。

prev 創作物へ next
inserted by FC2 system