まずサーヴァントであるアーチャーがお茶を淹れる、というのも極めて妙であるが、衛宮邸の居間の状況は輪を掛けて奇妙なものであった。 聖杯戦争に参加するマスター、そしてそれに従うサーヴァント、計六人が一所に集まっていながら争うでもなく、お茶をしているなど、今までの聖杯戦争で散っていったマスターが知れば激怒するような光景だ。もっとも、サーヴァントが三人ほど集まって酒宴を開いた、などという例もあるにはあるのだが。 凛とてこのような馴れ合い、かつて聖杯戦争に赴いた亡父に申し訳ないような気持ちもあるのだが、これは最早聖杯戦争とは異なる、管理を担っている冬木で起こった魔術的な異変だと思えば、こうして魔術師同士が一つのテーブルを囲むのもありだろう。 「お待たせしましたっ」 アーチャーが盆を抱えて台所から戻ってきた。 そこに載った紅茶は、紅茶党の凛が自宅から着替えやその他諸々の物と一緒に持ってきたものである。わりと吟味して購入した一品で、本来なら見かけ十歳程度のお子様に淹れさせるのは躊躇するのだが、召喚の翌日アーチャーが自主的に淹れてくれたのを飲んで、彼女のお茶を淹れる技量の確かさは確認済みだ。なんでも実家が喫茶店で、母親から習ったとか何とか。 「せっかくだからお茶請け出すか。江戸前屋のどら焼きが、確か」 言って士郎は立ち上がり、台所へ向かう。 士郎や桜の手によって常に清潔に保たれている衛宮邸の台所。今はセイバーが背伸びしつつ後片付けをしていた。 「あ……ごめんな、セイバー。踏み台とか用意しときゃよかったか。ええと、土蔵に使えそうなのが」 「え? だ、大丈夫。これで終わりだから」 「そっか。じゃあ踏み台は後で持ってこよう」 言いながら士郎は冷蔵庫を開け、野菜入れを漁る。 その様子を不思議そうに眺めているセイバーに、 「セイバー。悪いけど、その辺にお盆あるだろ。取ってくれるか?」 「えっと……あ、これかな……?」 戸惑うような気配があったが、すぐに目的の物を見つけたらしい。 隣に来たセイバーが差し出した盆に、 「ありがとな」 言って士郎が置いたのは、《江戸前屋》と銘の入った紙袋。そのままセイバーの手から盆を受け取る。 「江戸前屋……さん?」 「お、凄いなセイバー。日本語読めるのか」 見かけは外人の、しかも十歳程度の少女だ。十代半ば過ぎの士郎ですら、英語の読み書きもロクに出来ないのだ。セイバーに感心するのはある意味当然とも言える。 褒められたセイバーは頬を朱に染めて、 「す、凄くなんかないよ……ミッドチルダでは翻訳魔法が発達してるから、当たり前」 「ミッドチルダ?」 「……私の、母さんの故郷。高度な魔法文明が発達した国で、他次元への移動をすることも多いから。現地の人との意思疎通の為に翻訳魔法が凄く発達してるんです」 「へえ……便利なんだな」 「うん。その技術のおかげで、なのはとも普通にお話出来てるし……だから、本当に凄いのは、その技術を確立した人達」 アーチャーの名を呼んで、セイバーは幸せそうに微笑む。 「そっか……けど、ほんとにセイバーはアーチャーと仲良いんだな」 士郎の言葉に、セイバーは顔をますます赤くして、そしてますます幸せそうに、 「……大切な、親友だから」 囁くように呟いた。 そんな姿に、士郎も珍しく穏やかな微笑みを浮かべ、セイバーの髪をくしゃりと撫でる。 「わ……」 「……いいな、仲のいい友達がいるって」 「……はい」 なんとなくほんわかした空気が漂ったが、 「ちょっと士郎ー、なにやってるの?」 居間から届いた凛の苛々した声に、主従は顔を見合わせて苦笑。揃って居間へと戻った。 「悪い遠坂、お待たせ」 「まったく、客を待たせるとは対応がなってないわね」 戻ってみれば士郎達を出迎えたのは、ランサーの不機嫌な眼差し。どうやら凛は士郎達が帰ってこないことではなく、横柄なランサーの態度に立腹らしい。 「そんなこと言っても、いきなり来たんだからしょうがないだろ。紅茶には合わないかもしれないけど、一応コレ、取っておきなんだからな」 言って士郎は盆を置き、紙袋の中身をそこにあける。中から現れたのは二枚の厚めなカステラ生地で餡を挟んだ菓子――わかりやすく言えば、どら焼きである。 見慣れないものを前に、ランサーが興味深げにどら焼きを眺める。 「なにこれ」 「さて。食べ物だとは思いますが。生憎私も見たことはありません」 名ばかりの主を見上げ問うが、バゼットもそう日本通というわけではない。やはり首を傾げる。 それは士郎と一緒に台所から戻ってきたセイバーも同じで、不思議そうに盆にあけられたどら焼きを見ていた。 そんな中アーチャーは、 「あ、どら焼きですね」 なんて顔をほころばせて呟いた。並行世界とは言え日本出身、知らぬ道理はない。 「江戸前屋のか。わたしは和菓子ほとんど食べないけど、評判いいわね」 「ああ。俺も甘いのは好きじゃないけど、これだけは別。親父が生きてた頃から、お茶請けといったらコレなんだ」 「……ドラヤキ、ねえ」 ひょいとランサーが手を伸ばし、盆からどら焼きを一つつまんだ。 迷うことなく口に運び、ぱくりと一口。 「あ、ダメだよランサーさん、士郎さんがまだ座ってないのにっ」 「うるさいなぁ。私は気高い貴族で、お前たちは平民。こうして同席してやってるだけでもありがたいと思いなさい」 勿論ランサーとて、実力のある相手は認める。紅白の巫女や黒白の魔砲使い、半人半霊の庭師など、高貴な自分とは違う相手ではあるが、それなりの実力を認めているからこそ交友関係を築いている。 だが、アーチャー達は違う。戦いを半ばでやめてしまったこともあり、その実力はいまだ不明。友人面をしたいのなら、せめて自分を感心させるだけの何かを見せてみろ、というものだ。 「いいよ、アーチャー」 苦笑いを浮かべ、腰をおろしながら士郎はアーチャーを宥めた。 「よくわからないけど、ランサーは元々凄いお嬢様だったんだろ? なら、傅かれることに慣れてるんだろうし仕方ないさ」 「士郎……アンタよく平気でいられるわね」 ランサーの横柄さへの怒りよりも、それを平然と受け止めている士郎の態度に呆れたのか、凛の表情からは若干怒気が抜けていた。 「まあ、慎二のヤツも似たような感じだしさ。慣れてるって言うか」 瞬間、風切り音が居間に響いた。 「っ!?」 「訂正しなさい」 ランサーの黒い翼が、士郎の喉元に突きつけられている。 昨夜魔弾を打ち払った時と同様、縁は如何なる魔術か鋭い刃物じみたモノと化していた。 つまらなさげだった瞳は、明確な不機嫌さを宿し、士郎を射抜いている。 「私があんな屑に似ている? 戯言も大概にするのね、人間」 「ちょっと、どういうこと? どうしてランサーが慎二を知ってるのよ」 「貴方たちの言う慎二が何者かは知りませんが、昨夜ライダーと交戦しました。そのマスターは確かにマトウシンジと名乗りを」 バゼットの言葉に、凛の表情が険しくなる。 「慎二が……マスター……?」 それは凛の知る情報からは想像できないことだ。マスターとなるのは魔術師である。つまり魔術師でなければマスターにはなれないはず。そして凛の持つ知識によれば、慎二にはヒトを魔術師足らせる魔術回路が存在しないはずなのだが。 考え込んでしまった凛を後目に、ランサーの士郎への威圧は続いていた。 だが、士郎はその重圧を真正面から受け止めて、 「……慎二は屑じゃない。そりゃ、ちょっと調子に乗りすぎな面もあるけど、そう悪いヤツじゃないんだ」 「だから? アレは偉ぶっているだけでしょうに。勘違いしないことね。私はね……偉いの」 士郎の弁護など、ランサーには無意味だ。 ランサーの目から見て、慎二は借り物の力にうわついている三下である。まだ目の前にいる士郎の方が認められる、というもの。 「……ランサー、下がりなさい。彼も悪気があって言ったわけではないし、貴女のわがままが過ぎるのも事実です」 「わがまま? 失礼ね」 さも心外といった顔をするランサー。それもそうだろう。幼い少女が、己がわがままさを指摘されても理解しないのは当たり前だ。そしてランサーの性格は幼い少女そのものなのだから。 「……まあ、いいわ。とにかく上っ面の態度だけで安易に似ている、なんて言わないことだね」 翼が引き戻され、再び背で畳まれた。ランサーは今の今まで士郎を脅しつけていたことなど無かったかのように、手にしたどら焼きに目を向け、 「味は悪くないけれど、品がないわね。まあ、なにも全てのものに品と質を揃えろとは言わないけれど」 などとのたまう。紅茶の入ったカップに手を伸ばし、温度を確かめて今度はバゼットへと視線を向けた。 バゼットは諦め混じりに嘆息して手をランサーへと差し出す。ランサーは差し出された手を掴み、己のカップの上まで誘導すると、鋭い爪でバゼットの細い指先を僅かに傷つけた。 真紅の滴が紅茶へと落ち波紋を作り、紅い色合いに溶けていく。 「な、なにしてるの……?」 「なにって、私は吸血鬼よ? 人の血を飲むのは当然。人の血はね、そのまま飲むよりも何かに混ぜた方が美味しいの。特に紅茶によく合うわ」 「吸血鬼!? じゃあ、ランサーさんお化けなの!?」 目を白黒させているアーチャーを、ランサーは楽しげに笑う。 「お化け、ではないね。人間じゃないのも確かだけれど。吸血鬼とお化けは別物よ」 「ふえー」 感心しているのか吃驚しているのか、目を丸くするアーチャーにそれ以上の説明をすることもなく、ランサーは血を混ぜ込んだ紅茶を口にし、 「……こっちは悪くないわね。質も良し、品もまずまず。そしてこの私が飲んでいるのだから、格については言うまでも無い、と」 満足げに微笑む。 「ま、まあ遠坂もセイバーもアーチャーも、それから、ええと……バゼットさん、だっけ。とりあえず、食べてくれ。話はそれからにしよう」 「あ、はい。いただきます」 「……いただきます」 「いただきます」 士郎の勧めに、声をかけられた面々がそれぞれどら焼きに手を伸ばした。 だが、凛一人は何か考え込むような、と言うより実際考え込んでいるのだろう。士郎の呼びかけなど聞こえなかったかのように、ぶつぶつ呟いている。 「? おーい、遠坂ー」 呼びかけてみるが、返事は無い。アーチャーに目配せすると、士郎の意図を酌んでくれたようで、凛の肩に手をかけてゆする。 「凛さん、士郎さんが呼んでます」 「え? あ、ああ、なによ士郎。今考えてるんだから、水差さないでよ」 「いや、考え事とかは後にして、とりあえずお茶にしないか? せっかくアーチャーが淹れてくれたのに、冷めちゃうだろ」 「……気楽ねぇ。慎二がマスターだってわかったってのに」 「そりゃ俺だって混乱してるさ。遠坂が魔術師だってのも驚きだったし……って、ちょっと待てよ。慎二がマスターってことは、慎二は魔術師ってことなのか?」 言葉の途中で士郎の表情が凍る。 「いいえ、慎二は魔術師じゃない。アイツには魔術回路がないはずだから」 「……そっか。じゃあ、俺と同じで突然巻き込まれたってことか?」 「…………」 「遠坂?」 沈黙する凛に、士郎は訝しげに呼びかける。 凛も迷っていた。あの娘が、間桐が魔術師の家系であると士郎に暴露しているとは思えない。ならば、ここで間桐が聖杯戦争に始まりから関わっていた古い魔術師の家系だと、この自分が伝えてしまっていいのだろうか。 だが、慎二が一般人だと偽るのも危険だ。 「少なくとも、魔術の存在を知っていたことは確かでしょう」 と、思わぬ場所から意見が出た。どら焼きを頬張り終えたバゼットである。麗人はハンカチで口元を拭いながら、 「そうでなければ元々妄想の激しい危険人物か……どちらにせよ、あのシンジというライダーのマスターは完全にやる気でしたから。それはともかく、このドラヤキとやらはよいものですね。少々大きいですが、持ち運びにも便利そうですし、腹持ちもよさそうだ」 満足げに頷くバゼットだが、士郎はそんな暢気な反応は見ていられなかった。 「そんな……」 「……ひとまず、話を聞きましょ、ミス・バゼット。ライダーと戦った、と言ってたわね。それで、結局ここを訪ねた意図は?」 絶句する士郎に構わず、凛はバゼットに問う。お茶が冷めるだろうが、この際そんなことは瑣末事だ。 バゼットが語る対ライダー戦に、凛は、そして慎二の暴走ぶりに士郎も、顔をしかめた。 「まずは、謝罪を。ランサーが戦いを仕掛けたことは、申し訳なく思います。サーヴァントを御しきれない我が身の不覚です」 「…………」 素直に頭を下げるバゼットに、凛は目を丸くした。どうにも思い描いていた封印指定の執行者のイメージではない。 「正直、私はこの聖杯戦争が正規のものとは思えません。私のランサーに、貴方達のサーヴァント。いずれも名立たる英雄ではない。異常が起こっているのは間違いないと言うのに、言峰は沈黙し、その異常を語ろうともしない。私も協会からの指令で来た身、聖杯にかける願いなどありません。そして、昨夜の様子を見るに貴方達も聖杯戦争に否定的です。異常解明、ひいては聖杯戦争の被害を最小限に抑える為にも手を結べれば、と」 「……本気なの?」 凛の刺すような視線を受けてもバゼットは怯む様子も無く、 「ええ。無闇に殺しあう必要もありません」 真摯な表情で頷くのみだ。 「……遠坂。俺は賛成だ。手を組める相手とは組んだほうがいい」 「……まあ、この異常だものね。それは頷くわ。でも、手を組めるのは信頼できる相手だけ……ミス・バゼット、貴女が裏切らないと言う保証は?」 凛に問われ、バゼットは、 「……そう言われると困りますね。先ほどのお茶とお茶請けを食べたのが証拠にはなりませんか? 敵地でないと私が信じているアピールになるかと、そのまま口にしたのですが」 微妙な回答だった。バゼットは口にしたとおり困り顔で、 「とは言え、口だけの約束など、それこそ信用できないでしょう。仮に私が裏切らない、と誓ったとしますが、その誓いがどれほど真摯か、誰が保証してくれるのですか」 「誓約の誓いでも立てたらどう?」 「私が貴方達を裏切らない、と? では貴方達が私を裏切らないと、何が保証してくれるのです」 朴訥そうでも、死線をくぐり抜けてきた魔術師。最低限の保身は忘れない。 「…………」 視線が正面からぶつかる。 セイバーとアーチャーがはらはらしながら見守る中、凛はふっと表情を緩め、 「いいわ。手を組みましょう」 だが一瞬後には再び表情を引き締めて、バゼットの申し出を受けた。 「って、いいのか、遠坂」 そっと囁く士郎に、 「いいもなにも、さっきも言ったけどパワーバランスは圧倒的にあっちに傾いてるの。ここで同盟しないでどうするってのよ……それに、被害を最小限って言ってたし」 それは神秘の秘匿さえなされていれば被害などどうでもいいと考える者からは、けして出ない言葉だ。 「なんか……想像してたのと、ちょっと違うかな」 「?」 「ごめん、こっちの話……こそこそと失礼しました、ミス・バゼット」 「いえ、突然の申し出なのですから。困惑するのも当然です。同盟を受けてもらってありがたく思います」 言ってバゼットは手を差し出した。 「そう言えば、名前を聞いていませんね」 「遠坂凛よ」 「俺は衛宮士郎……よろしくな、バゼットさん」 凛は素っ気無い口調で握手に答えず、士郎はバゼットの手を握り返しながらそれぞれ名乗りをあげた。 |