「ええと、つけあわせのニンジンとホウレンソウも買ったし……こんなもんか」
 持参の買い物袋を覗き、指折り数えて士郎は呟いた。
 夕食は何にするか、特に相談して来なかったが、お子様が三人いるのでハンバーグにでもしようと考えている。幸い昨日は魚料理だったので、大河や桜からも文句は出ないだろう。
 士郎が歩いているのは、マウント深山商店街。普段から士郎や桜が愛用している深山町最大の商店街だ。なお、マウントの語源は不明である。
 プレイスポットこそ無いものの、肉屋魚屋八百屋豆腐屋、果ては激辛麻婆を出す奇怪な中華飯店まで、食のことならば揃わぬものはない、と言わんばかりの素敵時空だ。
 日曜の昼間、ということで人通りは多い。
「それにしても……やけに多いような」
 士郎の視線の先、商店街の中ほどに妙に人だかりがあった。何かアトラクションでもしているのだろうか、と少し興味が湧いたが家に留守番を残してあることだし、もとよりあまり騒ぎが好きな方でもない。
 テレビの取材でも来てるのだろうとあたりをつけて、無視して帰ろうと人だかりに背を向けると、
「あ、お兄ちゃーん!」
 そんな幼い声が響いた。
「ん……? どっかで聞いた声だな……」
 少し気になり振り向いて、士郎は仰天した。
「っ!?」
 駆け寄ってくる長い銀髪の少女と、短い金髪のより幼い少女。
 二人に同時に抱きつかれ、自転車ががらがっしゃんと倒れる。
「死んじゃったかなーと思ってたけど、よかった。生きてたんだね、お兄ちゃん」
 嬉しそうに笑う銀髪の少女に、同じように無邪気に微笑む金髪の少女。
 その姿を、見忘れるはずもない。
「お、お前――っ! バーサーカーのっ!」
「うんっ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、長いからイリヤでいいよ。こっちはわかるよね? 私のバーサーカー、フランドール・スカーレット」
 紹介され、楽しげにバーサーカーが笑う。
「面白いねっ、イリヤ。これが"オニイチャン"? 男のお姉様なの?」
「ええ、そうよバーサーカー。男はお兄ちゃん、女はお姉ちゃん。お兄ちゃんは男だからお兄ちゃんよ」
「そっかぁ。お兄ちゃん頑丈なんだ」
「だーめ。お兄ちゃんは私のお兄ちゃんで、バーサーカーのお兄ちゃんじゃないんだから名前で呼ばなきゃ。……そっか、名前がわからないんだ。ねえお兄ちゃん、お兄ちゃんはお名前なんていうの?」
 自分に抱きついたまま楽しげに言葉を交わす少女達に目を白黒させながら、
「俺は士郎……衛宮士郎だけど」
「シロウ? ふぅん、短い名前だね。だけど響きはいいわ、素敵」
「シロー? 変な名前ー」
「ええー、いい名前じゃない」
 なにやら言い合いを始めてしまう二人の少女に押し潰されたまま、士郎は額に冷や汗を流した。
 昨夜の光景が脳裏に浮かぶ。
 恐るべき魔弾を操り、"ありとあらゆるものを破壊する程度の能力"を持つという、狂戦士のサーヴァント。見かけは確かに幼い少女だが、その気になればこの商店街丸ごと吹き飛ばすことすら可能であろう。
 それが、無邪気に笑っているとは言え、胸の上に圧し掛かっている。
「お、お前ら……なにを企んでるんだ……!?」
 思わず漏らした言葉に、イリヤは小首を傾げ、
「企む? 別に何も企んでなんかいないよ。バーサーカーがお外に出たことないって言うから、一緒に遊びに来たの。お兄ちゃんに会えたのは、偶然」
「うんっ。凄いわね、お外って。見たこともないものがたくさん! それに、人間っていっぱいいるのね! 食べ物じゃない人間がこんなにいるんだ!!」
「っ」
『食べ物じゃない人間』
 その、異常な言葉に思わず士郎の腰が引ける……まあ、少女とは言え二人も上に乗せていては引こうにも引けないのだが。
「……とりあえず、どいてくれ」
 別に重さは大したこと無いが、バーサーカーに密接されているのは生きた心地がしないし、いい加減人目も気になる。
 イリヤとバーサーカーは士郎の言うことに素直に従い、士郎から離れ立ち上がった。続けて士郎も立ち上がる。
「なんだ、士郎くんの知り合いだったのかい。そいじゃ、もう一つサービスしとこうかね」
 言って士郎に豆乳パックを差し出すのは、馴染みの豆腐屋の二代目だった。
「あ……どうも。って、もう一つ?」
「あ、さっき私ももらったわ。トウフって言うの? 白くてぷるぷるしてて、面白いなーってバーサーカーと一緒に見てたの」
「もらったー」
 にこにこしながらバーサーカーが見せびらかすように豆乳パックを士郎の眼前に突きつける。それだけではない、気づいてみればイリヤはなにやらビニール袋を提げていた。そこから覗く細かな品々。おそらく商店街のおおらかな店主達が見慣れぬ可愛らしい外人の少女に散々構った成果、ということだろう。
「なるほど。士郎君……と言うか、切嗣さんの知り合いだったのかね。そりゃ外人さんでも納得だ」
 そんな風に言いながら頷く見慣れた顔。
 それに気を取られ、士郎は気づかない。
 目の前にいる妖精じみた少女の表情が、無感情に凍ったことに。
「そっか。親父の……」
 言われて士郎もその可能性に気づいた。彼の養父衛宮切嗣は海外へ行くことも多く、しかも性格上現地で色々知り合いを作りそうではある。
「なあ、イリヤス」
「ねえお兄ちゃん、お話しよっ」
 養父、切嗣の知り合いであるかを確認しようとした士郎の言葉を、当のイリヤの声が遮った。声だけではない、単に側に立つだけだったのが、さらにぎゅーっと抱きつくようにしてくる。さらには隣のバーサーカーも、イリヤの真似をしたのか、ぎゅっと抱きついてきた。どちらも起伏などない身体つきではあるが、それでもそれなりに柔らかいし、なんだかいい香りもするしで、士郎はどぎまぎしてしまう。
「ほら、あっちの公園行こっ。さっき見たんだけど、誰もいなかったんだ」
 言いながらイリヤは士郎の手を引いて駆け出した。
 やはりバーサーカーも士郎の片手を掴み、士郎は少女二人に両手を引かれるような形になる。
「わ……ちょ、ちょっと待てって……!」
 倒れた自転車が気になり、ちらりと視線を向けると馴染みの店主が、
「積もる話もあんだろ? 預かっといてやるから、行ってきな!」
 などと、回さなくてもいい気を回してくれている。引っ張られながらも律儀にお礼を言い、士郎はそのままイリヤに引き摺られて人込みを抜け出した。
 イリヤの言葉通り、公園は無人だった。日曜の午後である、子供達がいないのは珍しいと言えるだろう。士郎を引っ張っていたイリヤは、まず士郎をベンチへ座らせると、
「えへへ」
 楽しげに笑って、その隣に腰掛けた。バーサーカーもやはり逆側に腰をおろす。二人が順調に成長すれば、かなり素敵な両手に花状態だが、今のところあまり嬉しくない。むしろ昨晩の印象が強い為、この状況は恐ろしい。
「……話はいいけど、なにを話せっていうんだ?」
「え? うーん、そうね……楽しいこと」
 ほんの少しだけ迷い、イリヤは言った。
 その言葉に、士郎は頭を抱える。
 元々士郎はお喋りが好きな性質ではない。人の話を聞くのは嫌いではないが。
「楽しいことって言われてもな……俺もあまりお喋りとかする方じゃないし。なあ、イリヤスフィール」
「ん? なぁに、シロウ。あ、長いからイリヤでいいって言ったのに」
「……えっと、じゃあイリヤ。イリヤはどんな話なら楽しいって思うんだ? 出来るかどうかわからないけど、それがわかれば、合わせて話も出来るし」
「そんなのわかんないよ。わたしも、ほとんど人と話したコトないから。でも、レディーを退屈させないのは紳士の務めでしょ?」
 にっこり笑って、イリヤは士郎に抱きつく。
「退屈したくないなら弾幕ごっこすればいいのに。イリヤも弾幕ごっこしてくれないから、つまんない」
 ぷうと頬を膨らませながら、バーサーカーも同じように士郎に抱きついた。
「でも、イリヤは私の知らないことをたくさん話してくれるから好き。お姉様が男だと"オニイチャン"になるとか、すごく面白い!」
「へ、へえ……」
 無邪気ながらもあまりに無知な発言。バーサーカーの瞳には、明確に知性の輝きがある。だがそれが"狂っていない"とイコールで結べないのだと、士郎は戦慄と共に覚る。
「でも、こうやってるとあったかいね。曇ってるのは日傘がいらないからバーサーカーにはいいけど、ちょっと寒いよ」
「……イリヤは寒いの苦手なのか」
 雪の精を思わせる容姿に反した言葉に、士郎が少し驚くと、イリヤは顔をしかめ、
「うん、苦手。お城の外よりは寒くないけど、やっぱり冷たいのはキライだもん」
「お城? 長くて貴族みたいな名前だなとは思ったけど、城なんかに住んでるってことは、じゃあやっぱりイリヤは結構偉い家のお嬢様なのか?」
「偉いかどうかはわからないけど、貴族だよ。アインツベルンの古城で生まれ育ったの。士郎は? どこで生まれたの?」
「俺? 俺は生まれも育ちもこの町だ。生粋の冬木っ子さ」
「嘘」
「嘘じゃないぞ。って、なんで嘘だなんて思うんだ?」
「だって、シロウはエミヤでしょ? だったらこの町で育ったはずないわ」
 ぎゅっと抱きついているため表情は見えないが、どうもイリヤの声は硬い。
 困惑しながら、
「なんでイリヤがそう思うのかわからないけど……俺が衛宮になったのは今から十年前。それ以前は衛宮じゃなかったんだけど、それでも嘘になっちゃうか?」
 硬い声が、同時に何故か泣きそうな調子に聞こえた為、士郎はイリヤの髪をそっと撫でながら、言葉を紡いだ。
「……そっか。シロウは、昔からこの町に住んでたんだ」
「ああ。……その、十年前にちょっとした事件があって、その時俺は親父から今の名字を貰ったんだ」
 実際は十年前の事件は"ちょっとした"どころの話ではなく、大惨事と言うほうが相応しいのだが、それはここでイリヤに言うことでもない。
「イリヤはどうだ? なにかご両親から貰ったものとか、あるか?」
 話の取っ掛かりになりそうだと思い、士郎は自分の身体に身を寄せるイリヤに聞いてみる。
 しばらく黙って士郎の服に顔をうずめていたイリヤだが、やがてぱっと顔をあげると笑顔を見せて、
「シロウが撫でてくれてる髪。わたしの自慢で、お母さま譲りなの。お父さまもね、雪みたいに白くてふわふわしてて、綺麗だって褒めてくれたの」
「へえ……イリヤの親父さんは上手いこと言うな。確かに、イリヤの髪は柔らかくて綺麗だもんな」
「……えへへ」
「ぶうー。ねえシロー、私は? 私の髪もイリヤの髪みたいにふわふわよ? 私の髪は綺麗って言ってくれないの?」
「え?」
「あ、もうバーサーカー! せっかくお兄ちゃんとお話してるのに、邪魔しないでよ」
「イリヤばっかりお話してつまんない。私もお話したいー」
「え。あ、ええと……」
 迷い、イリヤの髪に触れているのと反対の手が、バーサーカーのキャップに隠された髪の先端に触れた。
 確かに、バーサーカーの短い金髪はイリヤのそれに勝るとも劣らぬ、触り心地のよさだ。
「……うん。バーサーカーの髪もふわふわだな。綺麗だと思うぞ」
「それだけ?」
「え?」
「イリヤの"オトウサマ"みたいに、ユキみたいだとか言ってくれないの?」
 そう言われても困る。白くて柔らかいものならともかく、金色で柔らかいものを挙げろと言われても、そうそう思いつかない。
「ええと、だな……あー、お日様みたい、ってのじゃ、ダメかな」
「お日様、かぁ……お日様は当たると気化しちゃうけど、見てる分には綺麗よね。お姉様も日光浴見をたまにするって言ってたわ」
 お姉様。
 その言葉で士郎はランサーの言葉を思い出す。
 フランドール・スカーレット。
 ランサーはバーサーカーの真名はフランドール・スカーレットだと、確かに言った。
 そしてイリヤもまた、バーサーカーの真名を口にした。両者は一致する。
 すると、バーサーカーが口にするお姉様とは、
「なあ、バーサーカー。レミリアって名前に聞き覚えはないか?」
「え? レミリアお姉様がどうしたの?」
 レミリアがランサーであることを告げようとして、士郎は少し迷った。なんだか和んで会話してしまっているが、これでもイリヤは聖杯戦争に参加しているマスター、士郎にそのつもりはなくても、敵同士ということになる。
 その敵に同盟相手であるバゼットのサーヴァントであるランサーの真名を明かしてしまっていいものか。
(……まあ、今更か)
 今隠したとしても、実際に会えばすぐにわかるだろう。吸血鬼と言うことでランサーには弱点は多いが、それはバーサーカーも同じことだし、どうもイリヤはそういった弱点を突いてくるタイプには見えない。
 ここでランサーが姉であることを教えれば、あるいはバーサーカーは少なくともランサーとは戦いたくない、とでも言い出すかもしれない。
 そんな予想に従い、結局士郎はランサーがレミリアであることを明かした。
 にぃと、バーサーカーが笑う。
 その笑いに、士郎は戦慄した。
 話すべきではなかったと思考する前に、
「じゃあ、お姉様と弾幕ごっこ出来るのね……!」
 欠片の曇りもない、バーサーカーの嬉しそうな呟き。
「ねえイリヤ、サーヴァントとは弾幕ごっこしていいんでしょ? お姉様なら防いだりしないで、きっと楽しく弾幕ごっこしてくれる! ああ、楽しみ! ねえイリヤ、早くお姉様と弾幕ごっこしたい! 早く早く早く!!」
「ちょ、落ち着きなさいよバーサーカー。レディーがはしたないわよ?」
 士郎から離れ、今度はイリヤに抱きつくバーサーカーをお姉さんぶってなだめ、
「ごめんね、お兄ちゃん。バーサーカーが暴れたそうだから、もう行くね。このままじゃ、夜にならないのにお兄ちゃんを消し炭にしちゃいそう」
 などと無邪気に恐ろしいことを言い、士郎に冷や汗をかかせる。
「バーサーカー、一度お城の帰りましょ。リズがケーキを作って待っててくれてるわよ」
「うーん、ケーキも食べたいけど、お姉様と弾幕ごっこもしたい」
「バーサーカーのお姉様は逃げないけど、ケーキはセラが食べちゃうかも」
「えー! やだ、ケーキ食べる!」
「じゃ、帰ろ?」
「んー……うんっ」
 元気よく頷いて、バーサーカーがイリヤの背中に抱きついた。
 まさかイリヤがおぶって帰るのか、と驚く士郎は、実際の光景を見て想像以上に驚いた。
 バーサーカーの煌く羽根が大きくはばたき、イリヤもろとも二人の身体を宙に舞わせる。
「な……!? ちょ、ちょっと待てイリヤ! そんな目立つ方法で帰るつもりか!?」
「大丈夫よ、シロウ。ちょっとした魔術で、人には見えないようにするもの。バーサーカーの羽根だって、さっきから問題になってなかったでしょ? あるとわかってる人間は誤魔化せないけど、普通わたしみたいな女の子が空を飛ぶなんて、誰も思わないもの」
 灰色の空の下、金と銀の髪を持つ少女が浮かんでいるのは、まるでおとぎ話のような光景だった。
「じゃあね、お兄ちゃん。夜に会ったら、殺してあげるから」
「っ」
 あれだけ楽しげに話していたのに、昨夜の殺意はそのままに。
 イリヤはバーサーカー共々、暗い空の彼方へと消えていった。

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